第四章 暗躍者
いかにマーナガルムの一件が目の覚めるものであったとしても巨大な組織が一枚岩になることなど到底不可能である。
ブルトルマン帝国内部で『聖伐』に関するだけでも、推進するリスティッヒ元帥ら武力志向の皇帝派、『聖伐』に異を唱えるツァールトリヒト元帥と文官たち反対派、『聖伐』の是非を問わない中立派に分かれている。
ツァールトリヒト元帥ら反対派が和平交渉の席を設けるところまで皇帝に迫ることができたのは、先のマーナガルムの騒乱を受けて中立派が『聖伐』の是非はともかく不可能であると考えを傾けたことで大勢を味方に付けることができたからにすぎない。
当然、敵対勢力はいる。
そして、それは目に見える『聖伐』賛成派とは限らない。
ツァールトリヒト元帥が使節団率いて平和外交のためにルディア王国に向かったことはブルトルマン帝国の軍部、政府の上層部では周知のこと。彼の居ぬ間に工作を行う輩が帝都を跋扈していた。
「よろしいのですか、ツァールトリヒトがこのまま和平を成立させてしまっても?」
夜半に私邸に押しかけてきて問いかける声の主は軍服ではなくスーツを着込んでいる。
「良いも悪いも陛下が許可されたことだ。私に何かいう権限などない」
にべもなく言い切る部屋の主は近くの書棚から蒸留酒のボトルを手に取って戻ってきた。ゆったりとしたソファーに身を沈め、ボトルを傾け、二つのグラスをはちみつ色の液体で満たすと一つを相手に勧め、もう一つを手に取って口元へと運ぶ。
「蒸留酒……管轄地の地酒ですか?」
テーブルに置かれたままでもわかる濃いアルコールと清々しい香木の香りがはちみつ色の液体の満たされたグラスから立ち上り、スーツの男の鼻を擽った。
「いいや、『舶来品』だ。味の方は保証する」
だが、スーツの男は勧められたグラスを一瞥しただけで飲もうとはしなかった。
「毒など入ってないぞ」
手をつけようとしないスーツの男に向かって部屋の主が冗談交じりに再度勧めるが、スーツの男はやはり手をつけようとはしなかった。別に酒が嫌いなわけではない。ただ意図する答えを得る前に酔いに惑わされてしまいたくないだけだ。
「随分と悠長に構えておいでですが……ルディアとの和平が成ったら『聖伐』は不可能となってしまうのでは?」
「何故だ?」
「…………何故……ですと?」
何故、と問い返され、答えに窮する。
ブルトルマン帝国が国土拡大を進める理由は『聖伐』を実現するために必要十分な戦力を手に入れるためだ。国土を拡大し、人口を増やせばそれに比例して国軍の規模を大きくすることが出来る。
しかし、それだけならば損耗を覚悟してまで大国イースウェア公国を征服することに執着する必要はない。イースウェア公国を狙うのは魔法技術の復興のためだ。
妖魔を倒す手段はもっぱら破魔矢に依存している。七大鉱は希少過ぎて消耗品である矢には使えないし、剣や槍に用いれば消耗は減らせるがそれではどうしても兵一人一人の力量に左右されてしまう。下級の妖魔なら腕の立つ兵士一人が前衛として斬りかかることで退治できても、上位ランクの妖魔ともなると集団で攻撃せねばならず、倒す術はどうしても遠距離攻撃に偏る。だから、西方諸国で唯一魔法技術を維持しているイースウェア公国を併呑し、途絶えてしまった魔法技術を復興することが求められる。
しかし、ルディア王国はそうではない。白光石でできた長城に護られた国土は平和で豊かだが、それだけだ。しかも、無敵の城壁を突破する際、城壁を破壊してしまえばそもそも楽土としての価値を失う。故に、彼の国を落とすには単純な武力のみでは望みが薄く、十年前から様々な画策を巡らせてきたがことごとく失敗してきた。
確かに、イースウェア公国と向き合う際に、脇腹に剣を突きつけられるような存在は邪魔だが、ルディア王国を落とすことにこだわる理由はない。和平を結び、南方はイースウェア公国に専念する――いや、そればかりか、イースウェア公国とルディア王国の六百年来の確執を考えれば共同戦線を張ることさえ考えられる。
「では……閣下はルディアとの和平が成った後でも『聖伐』は可能であると?」
「むしろ楽になるとさえ考えている。何しろルディアとの国交が回復すれば経済は栄えること必定。国民が富めば税収も増え、国庫が潤い、食糧も安くなり、兵站面での負担は相対的に小さくなる。さらには、イースウェア公国征服に関してルディア軍の協力を得ることさえ視野に入ってくる」
「しかし、和平がなれば反対派の頭目に座っているツァールトリヒトの評価が上がってしまうのではありませんか?」
暗に問う、そうなれば帝位継承争いの強敵になるのではないか、と。しかし、彼の浅薄な懸念は目の前の男に一蹴された。
「十年前のスタリア侵攻以来、今までルディア王国との和平がならなかった最大の要因は陛下がルディアに屈するを良しとしなかったため。それを時勢に押し切られる形で説得された陛下の心中は決して穏やかではないだろう。まして、『聖伐』反対派の筆頭になっている男を陛下が後継者に指名すると思うか?」
「ですがッ、軍内部での支持者を増し、臣民の支持を得れば皆無とは言い切れません! それに数に頼って簒奪を企むということも考えらえますッ!!」
スーツの男の声に苛立ちが混じる。
男は真に『聖伐』が中止に追い込まれることを懸念しているわけではない。むしろ文官である彼自身は『聖伐』など下らぬ夢想だと思っている。にもかかわらず、こうして『聖伐』反対派のツァールトリヒト元帥と意見を異にする者と接触をもっているのは一重にツァールトリヒト元帥を失脚させたいからに他ならない。
ツァールトリヒト元帥は文官の領分を侵している――と彼は考えていた。
元々ブルトルマン帝国は武力に依った国であり、文官は肩身が狭い。妖魔の危険に晒されながら田畑を耕す農民とは違い安全な都市に引き篭もっている。職人とは違いなんらの生産にも従事してない。商人でさえ人々に物流をもたらし、危険な山野を通って荷を運んで回っている。日々の食事に事欠かない生活がやっとのブルトルマン帝国の臣民からは無駄に贅沢な暮らしをしているように見える文官は無駄飯ぐらいの代名詞のように揶揄されている。
彼に言わせれば自分たちが統制をとらなければ物流は滞り、物価は乱れる。統制をとる文官があってこそ物価が安定し、物価を調整する過程で飢饉に備えて計画的に備蓄を蓄えることもできるのだ。北方の新領土の臣民など以前は日々の食事にも事欠いていただろうに、と言い返したい。
軍にしてもそうだ。自分たちが税を徴収し、街道を整えているからこそ軍はスムーズに動くことが出来るのだし、他国への侵攻に関しては自分たちが敵国の支配者たちを排除する口実を作ってやったからこそ侵攻できたのだ。
そんな不満を抱えながらも――いや、抱えていたからこそ彼は文官として頂点まで上り詰めることができた。帝位禅譲制度が確立されて以来、文官から帝位についた皇帝は一人しかいないため、文官が皇帝になるのは事実上不可能に等しい。だから、頂点を実力で極めた、と評しても差し障りない。
頂点を極めた、という自負が彼を支えていた。
国家あっての国民であり、国民は国家を指揮する者に従っていればいい。
軍は軍事外交という剣であり、妖魔の脅威から身を守る盾であればいい。
それが彼の持論だった。
だが、ツァールトリヒト元帥は文官の領分を踏み荒す。
自分たち文官に使われる道具の分際で、彼はヴラドニアと武力に依らない交渉で譲歩案を引き出し、軍港の建築を指揮し、今も手勢だけで固めた使節団を率いて全権大使としてルディア王国と和平を結ぶべく交渉している。
男はそれが劣等感から来た逆恨みでしかない、とは自覚してない。
自分たちができなかった平和外交による解決という手段を実行され、実現されたことによって歪んだ自尊心が傷つけられただけ。歪んだ優越感によって保たれていた陳腐な自尊心を傷つけられたことによる逆恨み。
しかし、そんな男の劣等感から出た浅薄な考えなど目の前の男には何の意味もなかった。
「和平を唱える男が武力で帝位を狙えば自らの旗印を汚すだけだ。そんなことをすれば帝位についたときには信用も信頼も失った裸の皇帝となるだろう」
「しかしっ……」
それでもなお、スーツの男は食い下がろうとする。
これだけ心配は無用と説いても食い下がり、話の趣旨も『聖伐』からツァールトリヒト元帥個人に移り始めれば、スーツ男の器の小ささと真の目的に否が応でも気がつく。推測が確信に至ったところで嘆息し、別の言葉を継ぐ。
「もし、どうしても懸念が拭い切れないというのならば、彼の和平案の条件が満たされないように取り計らえばよろしいでしょう」
辟易しながら宥めすかすように告げる。
「条件が満たされないように取り計らう?」
(愚鈍な)
と内心で舌打ちし、罵倒する。
これがもっと切れ者だったら、自分の口から計略を語らせることで何か画策しているのではないか、と疑念を抱くところだが、この男に限ってそれは無いと確信できたのでもう少し思考の材料を提示して導いてやる。
「彼の和平案の要はルディア王国の第二王女マーガレット姫の輿入れにある」
スーツの男も頷く。
言われるまでもないことだ。何しろルディア王国との合意に至れそうな折衷案を検討する事前協議の席にスーツの男もいた。その場でツァールトリヒト元帥が提示した数々の条件を承諾する代わりに皇帝が「人質」を得るために王女の輿入れを条件に加えたのだ。
元々政略結婚によって嫁がされる王族は「人質」の意味あいを少なからず持つが、ブルトルマン帝国に嫁いでくる場合は特に「人質」としての意味合いが強くなる。
なにしろブルトルマン帝国の帝位は禅譲制だ。帝位についた者はまぐわいによって子を生すことはもちろんのこと、神の儀式によってさえ子を生すことさえ許されない。子を生した瞬間、子を殺すか、帝位を剥奪されるかの二択を迫られることになる。
故に、皇后に世継ぎを産む者としての価値は無く、通例では現皇帝のように独身で通す。しかし、和平締結の際に相手国の王族の女子を相手国が裏切らないための「人質」として皇后に迎えた例が幾例かある。今回もそれに則っている。
しかし、だから何だというのか、という疑問をスーツの男が表情だけで投げかける。
「今、帝国とルディアの間は陸路では進めるような状態ではないだろうッ」
スーツの男のあまりの察しの悪さに、さすがに語尾に露骨な苛立ちが現れていた。
「その道中、姫に何かあったら条約締結はどうなる? もし、姫が消息を絶つようなことでもあれば元々この和平を快く思っていない陛下がどう考える? その責は当然道中を警護するルディア側近衛だけでなく、安全に迎え入れる側にも課せられるであろう?」
ここまで説明してようやくスーツの男も理解したらしい。
「わかりました。お知恵を貸していただきありがとうございます」
気をよくしたスーツの男はようやくグラスに手を伸ばすと一息にはちみつ色の酒を飲み干し、一礼してから足早に退室していった。
本当に理解したのか、理解したとしてどのような行動に出るのか、は定かではない。いくつか選択肢がある。しかし、あの男も仮にも文官の最高位にまで上り詰めた男だ。いくら鈍い頭でも今後どうすればいいかは自ずとわかるだろう。
門前に待たせた馬車にスーツの男が駆け込み、夜の闇へと消えていく様子を眺めながらグラス片手に部屋の主はそう思っていた。
しかし、自分の真意は見抜けないという確信がある。
スーツの男がどれだけ策を巡らせようと構わない。
いかに皇帝の覚えが悪くとも着実な業績と国民からの高い人気を誇るツァールトリヒト元帥は強力なライバルだ。それを蹴落としてくれるなら重畳。
しかし、同時にルディア王国と和平は今回成らずとも自分が帝位についた暁にはルディア王国を『封じる』手段として欠かせないものだと考えていた。
そして、今回、王女の輿入れという条件をルディア王国側が呑めば、王族を皇后として迎えることによって単なる条約以上の強い枷を架けられる。千載一遇の機会ともいえるこの和平はぜひとも成立させ、ルディア王国に対する切り札として王女は手に入れておきたい。
ツァールトリヒト元帥の不手際で済む程度の妨害ならともかく、王女を害されでもしたら取り返しがつかない。
(まあ、自前の武力を持たないあの男ならば最悪の下策にさえでなければ問題はないな)
そう考えて、部屋の主は空になった自分のグラスを再びはちみつ色の液体で満たし、目線の高さで色を楽しむように傾けてから一息で飲み干した。




