第三章 夕食会
さすがに王族だけあってヴィクトールが暮らす屋敷はローズのものより数段大きく立派だ。その立派な屋敷の立派な食堂には少なすぎる十人という少数で夕食会が開かれていた。
テーブルの長辺のこちら側、主人の席には当然ヴィクトールが座り、その向かい主賓の席はこれも当然ツァールトリヒト元帥、その左右に二人ずつ使節団のメンバーが座っている。本来ならば主人側と賓客側とが交互に座るものだが、使節団とはいえ今はまだ敵国。さすがに王子であるヴィクトールの左右に他国の者を座らせるわけにもいかないので、右隣がローズ、左隣がサングリエ将軍。二人の外側にはヴィクトールの副官のドーバントン少佐とルメートル大尉が座わっている。
「豊かだとは聞いていましたが……」
四品目、肉料理が運ばれてきたところでツァールトリヒト元帥が思わずといったふうに驚嘆の声を漏らした。ツァールトリヒト元帥以外の使節団の面々も同様の驚きようだ。妖魔の被害が皆無に等しいルディアでは文化芸術が盛んで多様を極めている。当然、食文化もその一つだ。その中でも王族の食事なのだから贅も極まる。
「しかし、ブルトルマン帝国も十分に豊かでしょう」
軍人という職業から悪食で食材の知識に乏しいローズには何の肉だかわからないが、間違いなく高級な肉をナイフで切り分けながらヴィクトールが返した。
「伝え聞く話ではブルトルマン帝国がこの十年で併合した地域の多くではそれまでよりも生活の質が向上したと言って住民たちからは歓迎されている、と伺っています」
「確かにそういう地域が多いと思います」
自国の業績の好点を語っているというのにツァールトリヒト元帥の表情は暗い。
「何しろ我が帝国が新たに領土に加えた地の多くが貧しい。物流で税がかからないだけで北方の地域は南方の物資が流れ込むようになります。もちろん我が軍が妖魔を討伐して魔災を減らしていることも貢献しているとは思います。地域によっては森を焼いて田畑を広げたことで豊かになったところもありますから」
語りながら語調を明るくしたツァールトリヒト元帥だったが、
「もっともそれも過ぎれば害を招きます」
この一言で急に語調を変えた。暗いとか明るいではない。単なる異国からの来訪者の世間話から国家を代表する使節団の長としての講和へと切り替えた。
「リスティッヒ元帥はやり過ぎた、とツァールトリヒト元帥はお考えなのですね?」
当事者でもあったローズの問いにツァールトリヒト元帥が頷く。その瞳からは軍人には似つかわしくない優しさが消え去り、真剣な眼差しとなっている。
「彼はやり過ぎ、性急に過ぎました。Aランクの妖魔でさえ、一個師団を要するというのにランク付けすらできないような妖魔を起こし、あまつさえ利用しようなど虫が良すぎる考えだったと言わざるを得ません」
ツァールトリヒト元帥の言葉に頷く者はテーブルの両サイドに等しくいた。
「しかし、彼の愚行のおかげで我が軍でも多くの者が力だけでは物事は進まない、ということに気づき、和平論に賛同してくれました。それによってこうして貴国との和平交渉を行う許可を陛下からいただき……」
「『聖伐』を中止に追い込む機会を得ることができた、ですか?」
おそらく別のことを言おうとしていたツァールトリヒト元帥の言葉を遮り、ヴィクトールが国交のためのカードの一枚目を切った。
機密である『聖伐』という言葉を知られているとは思っていなかったのだろう。ツァールトリヒト元帥が料理に対する驚嘆とはまったく別種の驚愕を露わにした。しかし、仮にも自国と肩を並べる大国、安穏としていようともそれ相応の諜報機関を持っていることに不思議はないと思ったのだろう、驚愕はすぐに掻き消された。
「驚きました。まさか『聖伐』のことが知られているとは……」
「いくら安穏としているとはいっても我が国にも諜報機関くらいありますから」
ヴィクトールが――おそらく演技で――自嘲の混じった苦笑で返してから問う。
「やはり『聖伐』というのは妖魔討伐の計画のことなのですか?」
「そこまで推察されているならば隠しても仕方ありませんね……その通りです。軍内部でもそれまでは『聖伐』の実現に疑いを抱いていなかった者たちも今回のことで『聖伐』がどれだけ無謀なことなのか気づいてくれました」
「しかし、いくら大勢が目を覚ましたとしても皇帝が進める国策を阻止できるのですか?」
ブルトルマン帝国は軍事国家であると同時に皇帝集権体制の半独裁国家だ。皇帝が是といえば神殺しすらも是となる国なのだ。
それに対するツァールトリヒト元帥の答えは、
「未だ元帥の地位にありますが、今回の失態でリスティッヒは事実上失脚しました」
皇帝が問題なのでは、と問うている会話の流れを一見無視したような一言だった。しかし、この場の誰もが話題を逸らしたわけではないことを理解して黙って続く言葉を待った。
「文官たち……内務長官も法務長官も国務長官も『聖伐』には苦言を呈している方たちです。そして、リスティッヒ以外の三元帥は皆『聖伐』は不可能だと理解しています」
「三元帥皆……とおっしゃいますが、ヴォルフ元帥もモルゲンシュテルン元帥もかなり武断的な物の考え方をされる方だと伺っていますが?」
そもそも元帥という段階で武断であることは当然なのだが、それをあえて問うサングリエ将軍の意図は、皆というのはありえないのではないか、と聞いているのだ。
「ヴォルフ元帥の出生の話はご存じありませんか?」
ツァールトリヒト元帥の問いかけにヴィクトールは訳知り顔だったが、ローズとサングリエ将軍が首を振り、知らないことを示した。それを受けてツァールトリヒト元帥が語り始めた。
「ヴォルフ元帥は鉄の森の西側にあった林業を生業とする村の生まれだと言われています」
「言われている?」
「はい。それというのも、そもそも彼がどこの生まれか調べる術がないため、彼の年齢から逆算してそのころ妖狼に襲われ全滅した村があったことからそう言われているのです」
全滅した村の唯一の生存者ならそれだけのはずだが、どうやらそうではないらしい。
「その村が全滅してから十年ほど経ったころ、鉄の森の西側にある村や町では妖狼と行動を共にする少年がいる、という噂が流れました」
ここでツァールトリヒト元帥はチラリとローズに視線を向け、
「ご存じのように飛竜や川馬のような一部の例外を除いて人間が妖魔を従えることは普通できません」
言外に、一体どうやったのか、と問うのはユニコーンを『従える方法』に関心があるからに他ならない。彼が言ったように妖魔は下級の一部大人しい品種を除いて決して人が馴らし飼える代物ではない。もし、上位の妖魔を飼い馴らすことが実現すれば絶大な軍事力となる。
事実、過去に上級妖魔を従えた者の多くは一個人にして一国と渡り合えるほどの力を得て偉業を成してきた。ルディア王国の初代国王はグリフィンを従えたことで一軍人から数か国を平定し、束ねて六百年に及ぶ大王国の礎を築いた。そして、傍から見ればローズもその一人だ。何しろ他者に屈しない気位の高いユニコーンを駆り、マーナガルムを鎮めたのだ。
しかし、教えられるような『従える方法』など無いし、よしんば知っていてもまだ敵国である彼に教える義理もない。向けられる熱い視線に気づかないフリをして通す。
「……ですから、軍としては関心を抱かずにはいられない情報でした」
気づかぬフリで通すローズに直接問いこそしなかったが関心を隠さず視線を注ぎ続けた。
確かに、その少年の話が事実なら捨て置ける事態ではない。他国に知られる前に捉えるか仲間に引き込むかして妖魔を従えた術を調べたいと思っただろう。それが叶わないときは抹殺することで後の憂いとなる可能性を断たなければならない。
「そこで当時の南西方面軍は一個師団を動かして調査に乗り出しました」
さらにしばらくローズを見つめて催促したツァールトリヒト元帥だったが、ローズに答える気配がないと諦め、ようやく視線を切った。
「一個師団!? と言うことはかなり大物の妖魔だったのですか?」
外縁部の町で目撃されたという話から下級の妖魔を想像していたのだろう、サングリエ将軍が驚きの声を上げる。
退治ではなくとも森の深いところまで調査するのでなれければ一個師団もの大軍を割きはしない。森深くに生息するということは、対象が上位の妖魔である証だ。
「妖狼は外見で判断するのが難しいのですが、体格から見ておそらくCランク……場合によってはBランクと推測されていたそうです」
Bランクともなればその力は一個旅団に匹敵する。噂が発つほど頻繁に外縁部に姿を見せるのでは人心安定の意味合いからも多くを動員せざるを得なかっただろう。
「そして、一個師団が森に入り調査を進めました。鉄の森は広大ですからなかなかに難航したそうです。ですが、半年近く経過したある日、ようやくカニスディルスの群れに混ざり行動している少年を発見することができました」
どうやら、少年が行動を共にしていた妖魔がカニスディルスだった、という情報はヴィクトールも知らなかったらしい。ヴィクトールを含むルディア側の全員が驚愕した。
「カニスディルス相手ではうかつに手が出せません。しかし、定期的に外縁部に姿を現すことがわかっていたのでそこでカニスディルスを追い込もうと計画されました」
それも当然でカニスディルスはCランクの妖魔だ。ランクの通り個の力ではユニコーンよりも二ランクも落ちるが、それでも一頭で数百の兵に匹敵する力を持つ。その上、常に十数頭で群れを成し、集団で狩りをする。群れとしての実力は旅団クラス。他の妖魔もいる森の中で相手にするには手強すぎる相手と言えよう。
「そして、大勢の犠牲を払って包囲捕獲戦を行い、少年を捕らえることには成功しました。しかし、カニスディルスたちは少年を見捨てて去っていってしまいました」
「その時保護した少年がヴォルフ元帥ですか?」
「ええ、軍は彼が妖狼を従える力を秘めている可能性を試すべく彼を軍人として育てました。残念ながらその試みは成功を見ていませんが、ヴォルフ元帥はカニスディルスに育てられた恩から妖魔擁護派の人間として国内では有名です」
「ヴォルフ元帥についてはわかりましたが、モルゲンシュテルン元帥はどうなのです?」
ローズがやや険の籠もった声で問う。少々露骨な態度からもわかる通り、ローズはモルゲンュテルン元帥にいい印象をもっていない。
声音から心情を察し、理由まで推察して、
「ラズワルド准将はモルゲンュテルン元帥にあまりいい印象をお持ちではないようですね。……おそらくスタリア侵攻のときの印象ですね?」
苦いものを噛みしめながらツァールトリヒト元帥が静かに返した。
今から十年前、当時ブルトルマン帝国は東の小国、ルディア王国とも国境を接していたスタリア王国に侵攻した。総指揮を執ったのは当時すでに元帥だったリスティッヒ元帥。
ブルトルマン軍の攻略はシンプルだが、巧みなものだった。
最初に北方ロワン族領と南東ルディア王国に備えるかのようそれぞれ一旅団を移動した。そして、宣戦布告と同時に両旅団がスタリア王国の南北を封鎖、東からリスティッヒ元帥自身が本隊一師団を率いて侵攻した。
元々、スタリア王国は小国でさしたる軍事力を持っておらず、ただでさえ少ない戦力の大半は北方の蛮族ロワンの侵略から国土を護るために注いでいた。そのため、スタリア王国にブルトルマン帝国の侵略を防ぐ力など無かった。籠城することも叶わないほどの戦力差と速攻に王侯貴族とスタリア軍は王都防衛を放棄した。
落ち延びた王都防衛の戦力で包囲を突破して友好国であるルディア王国に亡命してくればよかった。しかし、スタリア王たちは逃げるを良しとせず、反攻のため戦力の集まる北方へと逃れ、徹底抗戦の構えをとった。
スタリア王たちが落ち延びた北方を封鎖していた旅団の指揮官こそ、当時まだ少将だったモルゲンュテルンだ。彼の敷いた布陣は北側を封鎖して南からリスティッヒ元帥が侵攻してくるのを待つなどという消極的なものではなかった。彼はあえてスタリア軍の立て籠もった要塞の南側、スタリア本土と要塞の間に布陣した。
本来の彼の役目、スタリア封鎖という目的からすれば矛盾する布陣。
しかし、護るべき国土を敵に回したかのような位置取りはスタリア軍に精神的打撃を与え、兵士たちの士気を削いだ。さらに北からロワン族の脅威が砦に立て籠もったスタリア軍に襲いかかった。悪名高いロワン族の攻撃に晒され消耗していくスタリア軍。
モルゲンュテルン元帥は自国の兵をただの一兵も損なうことなく、じわじわとスタリア軍を追いつめていった。
モルゲンュテルン元帥が悠々とロワン族がスタリア軍を消耗させていくさまを眺めている間、リスティッヒ元帥も当然遊んでいたわけではない。山間部に逃げ込んだ一部のスタリア抵抗軍の掃討作戦と友好国の窮地に援軍に駆けつけたルディア軍の迎撃に当たっていた。
一か月も経過すると相次ぐ投降者とロワン族の攻撃で兵は減り、物資も底を尽きはじめ、ついにスタリア王は抵抗を諦めざるを得なくなり、落ち延びて再興の時を待つことにした。北のロワン族に亡命などできるはずもなく、西はブルトルマン帝国となれば友好国であるルディア王国に亡命するしかない。スタリア王の一族は山間部伝いに落ち延びようとした。
モルゲンュテルン元帥はそのときを待っていた。山間部に網を張り、決して逃さない包囲網を築いていた。
結果は火を見るよりも明らかでスタリア王とその一族はブルトルマン帝国に捕らえられた。
モルゲンュテルン元帥は戦において敵対する軍人として容赦することはなかったとはいえ、決して卑怯、卑劣な手段を用いたわけでも、占領地の民衆を虐殺したわけでもなかった。しかし、捕らえた王族の処遇は残虐の極みといえるだろう。
捕らえられた王族は一族縁者漏らすことなく、女子どもでも容赦なくスタリアの各都市で晒し台に架けられ、彼ら彼女らの横には罪状を綴った立札が掲げられた。その罪状は、
一つ 護るべき国民、都を捨てて己が命の保身に走ったこと
一つ 無用な戦乱によって国土を荒廃させることを厭わず、戦火を長引かせたこと
一つ 地位と財産に連綿とし、国民の生命を軽んじ、己が権力の復興に執着したこと
一面では筋が通っている。確かにスタリア王たちは普段搾取していた分の責務を果たせず、敗走し、勝敗の決した戦争を長引かせて国土に戦火を長く燻ぶらせた。
しかし、果たさなかったのではなく、果たせなかったのだ。スタリア王は決して暗愚ではなく、むしろ領民からは慕われていた賢君だったそうだ。スタリア軍もロワン族相手の防衛戦でしっかりと務めを果たしていた。
それに国交上のトラブルも無しに突然の宣戦布告で侵攻してきたブルトルマン帝国に非がある。外交上の諍いもなしに突然の宣戦布告で侵略した自らの非を棚上げし、スタリア王たちを罪人扱いした。そして、晒し台の側に掲示された罪状は次の一文で締め括られていた。
国土に無用な戦火を及ぼし、国民の生命財産を不要に損なった罪科の処断は国民の手によってなされるべきであると考え、罪人を白日の下に晒すものである。
遠回しな強要。前支配者を領民の手によって殺させることで国民の前支配者への忠誠や帰属意識を捨てさせ、新たな支配者への服従を促す行為。
同時に善政を敷いていた国王が今まで守ってきた国民の手で殺されるという残酷な行為。
いかに善政を敷こうと権力者に怨み、嫉みの類は必ずある。そうした少数派が石を投げ、汚物をかけて口火を切れば、武力侵攻してきた占領軍の恐怖に慄く領民も同調する。スタリア王家は国民の手でその最後を惨めに遂げることとなった。
「スタリア王族処断は効率的な手法だとは思います。しかし、決して平和的な手法ではなかった。あのような手法を採る方が和平論に賛同するとは到底思えません」
「モルゲンュテルン元帥は確かに苛烈で少々過激なところもおありになります、それは否定できません。ですが、彼は決して愚か者ではありません。事の可不可を見極め、退き際を判断することのできる知性と器量を兼ね備えていらっしゃいます」
直接モルゲンュテルン元帥と面識のないローズたちには反論できない程度の抽象的な返しで、彼の人柄について保証する、とツァールトリヒト元帥は告げる。
「つまり、モルゲンュテルン元帥も『聖伐』を望んでいるかもしれないが、それが不可能であることを理解し、思い止まる器量と判断力を持っている。だから『次期皇帝候補』の中では事実上失脚したリスティッヒ元帥を除き『聖伐』を継続、強行する者はいない、と?」
ヴィクトールが言った『次期皇帝候補』というのはブルトルマン帝国の独特の帝位継承システムに由来する。ブルトルマン帝位は世襲が禁止され、帝位継承は禅譲に限られている。皇帝だけでなく、軍、政府の高官たちは子を持つことを禁止されている。帝位が継承されるのは禅譲か皇帝が身罷ったとき、あるいは簒奪するかのいずれかに限られる。そして、禅譲の対象は在位中の軍か政府高官に限られている。
現在のブルトルマンの支配者ヴァルター皇帝は御年六十七。長命な光の民、金の民、闇の民は数百年の寿命を持つが、知の民は人生六十年と言われるからいつ亡くなってもおかしくない高齢だ。故に後継者候補に意思を継ぐ者がいないというのは事実上『聖伐』の頓挫を意味している。
「はい。私は使節団長としてこちらに赴く前にヴォルフ、モルゲンュテルン両元帥と対談し、『聖伐』は実現不可能な夢想であるという旨の言葉を聞いています」
「確かですか?」
念を押すヴィクトールの問いかけにツァールトリヒト元帥が頷く。
「『聖伐』が中止に向かっていることは理解しました。ですが、それと我が国との講和の話とがどう繋がっているのですか?」
ルディアとの講和と『聖伐』の中止が関連事項だ、などとはツァールトリヒト元帥は言っていない。あくまでヴィクトールが収集した情報から推察したに過ぎない。
しかし、ブルトルマン帝国が使節団長に元帥を送ってくるほどにルディア王国との講和を急ぐ必要はないことも事実。わざわざ全権を預かりツァールトリヒト元帥が和平を急ぐ以上、何らかの形で関係があると考えるのが自然だ。
「『聖伐』は上層部のみしか知りえないことですが、軍の末端や南西方面の臣民を中心としてルディア王国との和平論が叫ばれてていることはご存知ですか?」
「噂程度には」
「我が帝国と貴国との国境で起きた一連の出来事は私よりもラズワルド准将の方が良くご存知でしょうが、その折り貴国の兵士と共闘した我が軍の一部やラズワルド准将に救われたと考えている当該地域の臣民がルディア王国との和平を願っているのです」
確かに、ルディア軍から参戦し、生還を果たした飛竜部隊からも戦いを望まない声が上がっている。何も弱気になったとか、怖気づいたとかではない。一度は共に死線を越えた者と殺し合うことを忌避しているのだ。
ルディア軍には戦争を仕掛ける余力など残っていないし、遠征案を掲げたオーリュトモス将軍も失脚して現在出兵を唱える上層部もなきに等しいから取沙汰されていないというだけで、一度助け合った者同士考えることは同じだ。
「この機に和平を結び、軍と臣民からの支持を獲得すると同時に、リスティッヒ元帥を牽制し、彼の失態をより強調したいと考えています」
人の良さそうな顔とは裏腹にさらりと腹黒いことを言う。
「もし、リスティッヒ元帥が決着をつけることもできずに長年損害を出し続けてきた我が国との諍いを和平という形で……例え皇帝が望んでいない形でも解決できれば彼に止めを刺せる。つまり、ブルトルマン帝国の帝位継承争いを決する後押しろ……というわけですか」
「ご不満ですか?」
わかりやすい皮肉口調で要約したヴィクトールよりも、逆に爽やか極まる笑顔で返したツァールトリヒト元帥の方が数段皮肉な印象を与えた。
「………………………………代価が何か、にもよりますね」
ヴィクトールはしばし黙考した後、あくまで王族として政治的に答えた。
今は非公式の夕食会であり、ここでの会話が国家としての決定ではない。
しかし、非公式であろうと王族の発言がどのような影響を及ぼすか良く知っている彼は慎重だった。
「先の戦いで捕らえた捕虜の無償解放という約束を陛下に取り付けてあります」
現在、ルディア王国にはブルトルマン帝国の捕虜はほとんどいない。捕虜の人数が人物同士の交換に足りないとなれば相当額の身代金を要求するのがこの世界の常なのだが、和平締結に応じれば無償で釈放する、と言っているのだ。
「捕虜の件は魅力的な話です。囚われの家族が無事帰ってくるとなれば国民は諸手を挙げて賛同するでしょう。しかし、私が伺いたいのはブルトルマン帝国が何を払うかではなく、ブルトルマン帝国皇帝がルディア王国に何を要求するのか、と言うことです」
ヴィクトールの問いの意図がローズにもサングリエ将軍にもわからなかった。
ブルトルマン帝国が払うのは「捕虜」、ルディア王国が払うのは「講和」。一見すると釣り合いがとれているように見える。その上、彼は「皇帝が何を要求するのか」と言った。
しかし、ツァールトリヒト元帥の顔はわずかだが緊張と驚きが混ざって強張っている。
「我が国が講和を受け、そちらが捕虜を解放する。一見釣りあっているようですが、その実そちらの――特に『聖伐』を掲げていた皇帝から見れば損しかない。捕虜解放で得られたはずの身代金は入らず、自分と意見を異にする者の権勢が増してしまう。しかし、皇帝が承認しているからこそ閣下はこうしてここにおられる。一体皇帝はどのような要求をしているのですか?」
追求するヴィクトールの表情は先ほどまでと変わらないように見えるが、眼光だけは全く様変わりしている。射抜くような鋭い眼光が嘘偽りを許さない。
その眼光の圧力に負けた……というより、ここで偽る事は百害あって一利なし、と判断してツァールトリヒト元帥が息を吐き、
「参りました。……その通りです。陛下は講和以外に三つの条件を提示しています」
「三つの条件…………それは一体どのようなものですか?」
「一つは三つ首の番犬要塞と牙の城を占拠し、今や三国の緩衝地帯に新たな国家にも等しい勢力となって君臨している獣人の軍勢を両国の共同戦線によって討伐し両国の国土に復帰させること。もう一つが、通行回復がなった後、通商を回復させ、その際、お互いに関税を課さないことです」
「なるほど……そう来ましたか」
呟いたのはサングリエ将軍だったが、ローズも同じ気持ちだった。
捕虜解放に応じたところで大量の捕虜をどうやって祖国に帰すのかという問題があった。ルディア王国とブルトルマン帝国の間は現在獣人たちが支配し、完全に閉ざされてしまっている。それを開き捕虜の帰ってくる道を開くことに拒否などできるはずもない。
第一の条件はこれを解決するものであり、ルディア王国側も拒否するはずがない。
そして、第二条件の通商も、だ。ルディア王国は豊かだが自国だけで物流が賄われるわけではない。鉱物や妖魔の皮や骨などは工芸武具の材料は国内では手に入らない。
だが、ルディア王国は東側――大陸中央の諸国との通商は上手くいっていない。北東の隣国ヴィドガルドとの関係は良好とはいえず、それどころか南東の隣国アクティース教国の援軍として交戦してしまっているため険悪とさえいえる。アクティース教国はルディア王国に対して高圧的なところがあり、せっかくの物資も買いたたかれ、逆に魔法器具や資材は値を高く釣り上げられている。
事実上、東西しか通行できないルディア王国にとって西国との通商は重要な案件だ。お互いに関税なしならば穀物の出荷でルディア王国の経済は潤い、ブルトルマン帝国の臣民は飢えから救われる。物資が輸入されればルディア王国の工芸はより盛んになり、ブルトルマン帝国のは新たな財源の確保で豊かになる。
ブルトルマン帝国のスタリア王国侵攻以来、通商が上手くいっていなかったのはアクティース教国の影響下にある商業ギルドの妨害もさることながら、ルディア国王、ブルトルマン皇帝双方が互いに譲らず、強硬な態度を貫いていたことによる。それを対等な関係で妥協しようではないか、と言っているのだ。
「一つ目はすぐにはお互い無理でしょう。互い今は軍を動かせる状態ではないはずです」
「はい。ですから、共同戦線はお互いの国力が回復する……そうですね五年以内が落としどころではないかと私は考えています」
「一つ目の約束が果たされ、通行が回復したら二つ目の方は私が責任もって守らせよう。通商に関しては父上も大概ガンコだったからな。両国が潤う好条件だ。拒絶する理由はない」
ありがとうございます、と破顔するツァールトリヒト元帥をヴィクトールが追及する。
「しかし、それも三つ目は一体どんな要求か、によりますが」
再びツァールトリヒト元帥の表情が強張る。
それほどまでに三つ目の要求は言い出し難いものらしい。ここまで小出しにしながら何とか隠そうとしてきた要求とは何なのか?
「陛下が提示された三つ目の条件は……………………貴国第二王女マーガレット姫を次期皇帝の妃としてブルトルマン帝国に輿入れすることです」
「ふっ…ふざけるなッ!!」
激昂したローズが食卓を叩いて立ち上がり、咆える。
元帥の身を案じた両脇の使節団員が腰を浮かせ、元帥を庇うように体を割り込ませる。
「ラズワルド准将、座れ」
ヴィクトールがローズに落ち着けと促すが、すぐには従えなかった。
天井をふり仰いで視界からツァールトリヒト元帥を外す。
そのまま数回肩で荒く息をすることでようやく少し気持ちを落ち着いてきた。
視線を戻し、睨まないように、それでいて威圧するような眼光をツァールトリヒト元帥に向けてから席に座る。
「ウチの将官が失礼をしました。申し訳ない」
「いいえ、こちらこそ失礼な発言だと自覚しておりますから。それにしてもラズワルド准将のお怒りよう……マーガレット姫は国民に好かれておいでのようですね」
部下の失礼を詫びるヴィクトールにわずかに強張りを残したままのぎこちない笑顔で答えるツァールトリヒト元帥。ローズの激昂、眼光に慄いたわけではない。むしろローズの怒気など平然と受け流していた。顔が強張っている理由は、マーガレットをブルトルマン帝国次期皇帝の妃に迎える、そのことがどれだけ残酷なことかを理解し、罪悪感を感じているからだろう。
その苦しそうな表情を見てローズの頭が平静に近いまでに冷めてきた。
「まあ、王宮に居ても所在ない妹は市井におりて民の声をよく聞いているようなので好かれているとは思いますが、それとは別にラズワルド准将と妹とは旧知の仲なのです」
ヴィクトールは特に感情を顕わすこともない。
王族の女子が婚姻によって他国との友好関係を図る――政略結婚は当たり前のことだ。事実、ルディア王国第一王女はアクティース教国に嫁いで力の偏った友好関係を少しでも対等に近づけるための人柱となっている。
「十年前、妹が気を病んでしまったとき静養に訪れた地で知り合って以来の親友なのです」
しかし、あえて要らぬ情報をつけ足すあたり、ヴィクトールも一つ年下の同じ母、同じ経験を持つ妹を気にかけていることが見て取れる。スタリア王国滅亡は彼自身も少なからず傷を負った事件だったから当然かもしれない。
マーガレットはヴィクトールの一つ下、ローズと同じ年齢の十九歳。町娘でも結婚して当然の年齢だし、王族の娘となればとうの昔にどこか他国の王侯貴族や有力者に嫁いでいて然るべき年齢だ。
彼女にも許嫁の王族はいたスタリア王国第一王子ヘンドリック。ヴィクトールと同年齢の彼はマーガレットの許嫁であり、同時に二人の良き友人でもあったそうだ。
親交深かった両王家には行き来もあり、偶然にもブルトルマン帝国のスタリア侵攻の数日前まで二人はスタリアに滞在していたらしい。
王族として教育を受けたマーガレットが許嫁をどう捉えていたのか、その心情はローズにはわからないが、少なくとも仲の良い友が別れて数日後に戦火に巻き込まれたと聞けばショックを受けるのは当然だ。まして、その二か月後に彼が非業の死を遂げたという報せが届いたことはマーガレットの心を深く傷つけた。
幼いマーガレットがスタリア王国滅亡に酷く傷ついたことはルディア王国中で知らぬ者などいないほど。おそらくブルトルマン帝国にも聞こえていることだろう。
ブルトルマン帝国に輿入れするということはいわば仇に嫁ぐに等しい。
しかも、ブルトルマン帝国次期皇帝候補は内務長官、国務長官、法務長官の文官三人と四人の元帥。つまり、候補者の中に許嫁の仇――張本人ともいえる人物が二人もいるのだ。事実上失脚したリスティッヒ元帥はともかく、モルゲンュテルン元帥は武断的性格から現皇帝の覚えよく、実績人望もあり、次期皇帝の最有力候補と言われている。
「残酷なことは承知しています」
重苦しい空気を破ったのはツァールトリヒト元帥だった。
「……ですが、それでも両国の未来のために堪えて頂けないでしょうか?」
「私は決断する立場にない。決断するのは父上です。……ですが、意見は言える立場にある。ですから伺いたい、なぜマーガレットなのですか?」
ルディア王には四人の娘がいる。長女は先に言った通り、すでにアクティース教国に嫁いでいるが、今年十三歳になる第三王女シャーレイも縁談のまとまりかけた国がブルトルマン帝国に併呑され、現在再度検討中だ。事情はマーガレットと似ているが、彼女はまだ幼いうちだったし、面識もなかったため精神的に引きずっている面は無い。公募しているわけではないし、打診したわけでもないがブルトルマン帝国も隣国として知らないはずがない。ちなみに第四王女リリーはまだ五歳、いくらなんでも幼すぎる。
「我が国の次期皇帝候補は一番若い私で二十五、一番上のゴルトベルガー長官に至ってはすでに四十を超えています。まだ十二歳の女児では釣り合いが取れないでしょう」
今度はナチュラルな苦笑を伴って答えたツァールトリヒト元帥の言い分はもっともだ。事実上はともかく形式的には妃として迎える以上年齢もある程度考慮しなければならない。現状、最有力候補のモルゲンュテルン元帥でさえ二十代後半、釣り合いは微妙なところだ。
「次期皇帝に最も有力とされているのはモルゲンュテルン元帥だと伺っています」
ローズの発言は言外に誰か他のものが指名される可能性、ないし簒奪を決行する可能性のある者はないのか、と問うものだったが、
「事実です。リスティッヒ元帥が失脚した今、陛下はモルゲンュテルン元帥を第一候補として考えておいででしょう。ヴォルフ元帥は、自分はあくまで武人だ、とおっしゃっていますし、三長官はどなたも強要できるほどの権限武力はお持ちではありません」
ツァールトリヒト元帥はローズの質問の意図を理解して冷酷な事実を突きつけた。
「ツァールトリヒト元帥、貴方はどうなのです?」
ヴィクトールの一言を聞いて申し訳なさそうに俯いた人の良さそうなツァールトリヒト元帥ならば救いはあるかもしれない。そう思える相手は先ほど自分の名を口にしなかった。それだけでも明らかだったが、それでも確認せずにはいられず問いが口を吐いた。
「私は陛下の覚えが悪いですから。それに陛下の心証を措いたとしても私は自分がモルゲンュテルン元帥ほど帝位に向いているとは思っておりません。彼ほどの覇気に満ちた方はそうはおりません」
「……………………」
明言されてしまってはどうしようもない。言い募りたいがそれは非礼に当たるだろう。
必要事項を言い終えたツァールトリヒト元帥と使節団の面々はこちらから更なる質問が投げかけられるのを待つ。
ヴィクトールは組んだ手に顎を乗せて考えこんでいる。
元々小心者のサングリエ将軍は不要な問いをするはずもなく、ただ静かに成り行きを見守っている。
政戦に疎いローズもこれ以上何を問いかけていいのかわからず黙るしかない。
ヴィクトールの副官二人に至っては当然無用の会話などしない。
ただ沈黙だけが支配した。
どれだけ会話が止まっていたかわからないが、少なくとも食事の手が止まってからは相当な時間が経過していたことは間違いない。
テーブルから離れて久しい全員の意識を呼び戻すように、コトリ、とカクテルグラスが全員の前に置かれた。しかし、グラスの中身は液体ではない。
「皆さま、少しご気分を変えるために予定を変更してメインの前にソルベをどうぞ」
まだ、コース料理の半ばで随分と重たくなってしまった空気を変えるためか、司令部にもいたメイドが笑顔で告げた。




