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ルディア戦記  作者: 足立葵
第一話「戦場の青き薔薇」
36/162

第四章 共闘 9

 人間の力だけならばローズとアルコンティアが倒れた瞬間に終わっていただろう。しかし、理由はともかくユニコーンの群れが戦いに加わってくれたおかげで、マーナガルムとの戦いを三日三晩続けることができた。

 燃費の悪い飛竜は一日目から次々と脱落していった。……が、牙の城(クロチェスター)から撤退した人々から事情を聞いたヴィクトール王子の英断でルディア軍からも飛竜部隊の援軍が駆けつけたことで戦線を維持することができた。

「ローズ中佐!もう限界です、第二段階に移りましょう!!」

 この場の総指揮権はローズに委ねられていることは誰もが了解しているらしい。ゲルラッハ大尉でも同朋でもない見知らぬブルトルマン兵が進言した。

「わかっている!」

 三日三晩続いた戦いも夜が明ければ四日目に突入する。

 ヴィクトールの英断で援軍が駆けつけ、グロスマン将軍の的確な支援で物資が補給され、ローテーションで戦っているとはいえ限界だった。飛竜は体力が切れ脱落していくもの、運悪くマーナガルム爪牙にかかって引き裂かれたもの、呑まれたもの、着実に数を減らし、次のローテーション要員はもういない。

 そして、Aランク相当の力を持つユニコーンたちもすでに残るは長ゲンナディオス一頭と一度休息を挟んだアルコンティアのみ。

(森はどこまで再生がすすんだだろうか…………)

 休息の際にグロスマン将軍から伝えられた伝言によれば「わずかだが確実に森は再生している。まだ、元の森に比べれば小さいが、森と呼べる程度には戻っている」ということだった。

(ゲンナディオス!)

 意識の声で残る最後のユニコーンに呼びかける。意識に直接響く声には多少の距離は問題にならないことは三日三晩の戦いで学んでいた。

 ――なんだ?

(我々はこれ以上もたない!貴方も一人ではそう長くは持たないはずだ。マーナガルムを鉄の森(アイゼンヴァルト)まで誘導して鎮めることに賭ける。協力してほしい)

 ――………………………………

 黙考か。

 ――………………………………

 拒絶か。

 判断し難い沈黙が続く。言葉を重ねて説得したいと思う一方で、黙考を邪魔して天秤を反対に傾けてしまうことが恐ろしく言葉を継ぐことができない。

 ローズがゲンナディオスの回答を待つ間にもマーナガルムが前脚で数騎の飛竜を薙ぎ落す。

 客観的に見ればそれほど長い時間ではない。しかし、わずかな時間でも戦場では長すぎる。数騎が落とされた光景が沈黙を破ることを選択させた。

(貴方も一人では勝てないことくらいわかっているはずだ!)

 ユニコーンの中でも別格であろうゲンナディオスは唯一マーナガルムと比較できるだけの力を持っている。しかし、それは比較できるだけ。決して届くことはない。

 例えるならばライオンとネズミ。

 同じ基準の秤で測ることはできる――がその実力差は明らかだ。猫相手でも一矢報いるのがやっとなのにライオン相手では一噛みすら難しいだろう。勝つことは決してできない。

 ゲンナディオスが最初に折ったマーナガルム牙はいつの間にか生えて元に戻っている。他にもゲンナディオスや他のユニコーンがつけた傷があったはずだが、日暮れ間近にゲンナディオスがつけた新しい傷以外きれいさっぱり消えている。

 対してゲンナディオスはいくつかの裂傷ができ、銀色の雫が豊かな毛並みを濡らしている。マーナガルム相手に戦い通しで「いくつか」で済んでいるゲンナディオスはさすがの一言に尽きるが、それでもその実力差は如何ともし難い。

(頼む、ゲンナディオス!貴方が残ってしまってはマーナガルムを誘導できない!!)

 マーナガルムが最も興味を示しているのはこの中では唯一まともに自分に傷をつけられるゲンナディオス。次いで実力の不足をローズの指揮と機転で補うアルコンティアのコンビ。あとの飛竜部隊は少しでもマーナガルムの注意を逸らす程度の役しか果たしていない。

 ――わかった

 了承の言葉が伝わってきたのと同時に飛竜部隊に指示を出す。

「全騎に告ぐ!作戦第二段階に入る!!」

 オオオオオォォ

 了解の雄叫びと同時に飛竜部隊が一斉に火矢を放つ。夜空に残光が奔り、弧を描いた矢が火の雨となって闇色の巨躯に向かって降り注ぐ。

 火の雨を陽動にしてマーナガルムの気を逸らした隙にゲンナディオスとアルコンティアが前脚を足場に巨躯を駆け登る。もう一度明確に各々の存在をマーナガルムに認識させるために全力の一撃を叩き込むために。

 ゲンナディオスは鋼の毛皮をも貫く長大な角を下顎へと突き刺す。下顎を突き上げられて上を向いたマーナガルムが上を向いた瞬間、鋼の毛皮から露出している数少ない急所――鼻先にローズが剣を突き刺す。さらにマーナガルムが絶叫を上げる前に傷ついた鼻先にアルコンティアが強烈な蹄の連撃を見舞う。

 マーナガルムの爆発そのものの絶叫が大気を震わせる。

 ローズとアルコンティアは絶叫に吹き飛ばされるままに距離を取り、バランスを失わずに森へ落ちた。ゲンナディオスは地に降りてマーナガルムの視線が確実に自分を捉えたことを確認してから森へと駆けこむ。

 

 イイゾ

 

 マーナガルムの声は誰にも届かない。しかし、放った火矢が火の衣となってマーナガルムの表情を照らし出すその表情は愉悦。

 

 イイゾ!

 

 楽しい時に終わりが近づいていたことをマーナガルムは薄々理解していた。長い戦いで手ごたえのあったユニコーンたちは次々と欠けていった。このままでは残る二頭もそう長持ちはしないと理解していた。

 

 イイゾ!!

 

 しかし、二頭のユニコーンとその背にいる人間は距離をとることを選んだ。足ではユニコーンに分がある。駆け比べならばまだまだ楽しめる。もしかしたら逃げ切られるかもしれないが、そんなことはどうでもいい。楽しめる相手が長持ちするならばそれは重畳極まることだ。

 さらには闘争すること以上に逃走する敵を追走することの方が獣としての、狩人としてのマーナガルムの本性を刺激した。

 向こうの方が足が速いことはわかっていて、なおかつ対象は二つ。全力で追うことを躊躇う理由は何一つない。地を蹴り、木々を薙ぎ払って追跡を開始した。

 

 マーナガルムの周りを飛び交う虻蚊――もとい飛竜部隊は獲物を追って駆け出したマーナガルムの背をただ呆然と眺めていた。最初の一蹴りは街道の土を巻き上げて小さな砂嵐を起こし、木々を薙ぎ払いながら進むさまは黒い竜巻のようだ。

「俺たちあんなのと戦ってたんだな」

 誰かが呆然と呟いた声は不思議と煩い風の音に遮られることもなく響き渡った。それは誰もが思っていたことだから聞こえたように感じただけなのかもしれない。

 自分たちの役割が終わったことを口にしたためか、張り詰めていた緊張の糸が切れた。限界目前だった飛竜が一頭、墜落するように地に降り、それを契機に次々と地に降り立つ。

 恐らく人間の中ではローズ以外で最も長くこの戦場にいたであろうゲルラッハ大尉は生き延びた安堵に沸き返る力すらなく、飛竜の背から滑り落ちるようにして地に腰を下ろした。

 飛竜に背を預け、息を吐くゲルラッハ大尉の眼前に手が差し出された。

 夜の暗闇の中では見分けにくいが黒を基調としたブルトルマン軍の軍服ではない。藍色を基調としたルディア軍の軍服だ。

 一瞬、「敵」の手を借りることに躊躇いを覚え、手を止めた。

 しかし、何時間――ことによると何十時間も共闘してきた女騎士もルディア軍人であることを思い出し、目の前で手を差し伸べている彼もまた何時間も死線をともにした「戦友」なのだと思い直して手を握る。

 彼らの中での戦争は終わり、彼らの中での戦闘も終了した。歓喜に沸くことはなかったがただ静かに、終わった、と息を吐いた。

 

 飛竜部隊の全員が、戦いは終わった、と思って息を吐いたことを責めることができる者などほとんどいないだろう。だが、実際にはまだまだ戦いは終わってなどいなかった。

 狼は獣の中では決して素早いわけではない。むしろ、遅い部類に入る。しかし、その持久力は凄まじく、獲物を一晩中追跡することができる。そして、その特性は妖狼であるマーナガルムも同様だ。だからこそAランク相当の妖魔であるユニコーン十数頭、千数百の飛竜部隊を相手に三日三晩も単独で戦い続けることができたのだ。

 一方、ユニコーンは最速の妖魔の一つである。速歩の馬で普通に進めば一日はかかる距離でもユニコーンの脚力ならば二十分程度で駆け抜ける。それは森でも変わらない、というより森の中でも駆け抜けられなければ肉食の妖魔から逃げ延びられない。

 ゲンナディオスとアルコンティア、その背に跨るローズは風と化して樹齢数千年はあろう巨樹の合間を駆け抜ける。幸い、同族でも神話級という桁外れの力を持つマーナガルムには気圧されたのか、それともユニコーン速力が襲いかかる機会を与えなかったのか、鉄の森(アイゼンヴァルト)の暗闇から妖魔が襲いかかってくることはなかった。

 絡み合う枝葉で空が完全に覆い隠され、月明かり一つ見えない闇。深い闇の中、人間であるローズの眼では何一つ捉えることができない。風そのものとなって駆ける風音があらゆる音を掻き消し、風圧が肌の感じとる気配を塗り潰す。五感で最も情報を収集する視覚と聴覚が潰され、触覚から得られる情報が半減したことが他の間隔を敏感にした。

 猛スピードで移動する最中、ローズの感覚は普段ならば気づけない――気づけたとしてももっと遅れただろう――二つの変化を捉えることができた。

 一つは鼻腔に満たされる森の香にわずか炭と灰――焦土の臭いが混ざりはじめたこと。

 もう一つは背を挟む太腿に、首を抱く腕に、押しつけた胸に伝わってくるアルコンティアの体温がみるみる低下していること。どれだけの速度で進んでいるかも定かでないが凄まじい速度で進む中、体温が上がることはあっても下がることなどあるはずがない。

「おい、大丈夫か!?」

 ――うる……さい

 強がる声が息が切れたように聞こえるのは視界の悪い森を駆けることに集中しているからだけではないはずだ。

 ――俺の……心配をしている暇が合ったら酔わないようにしっかり捕まってろ

 大丈夫だ、とは言わない。マーナガルムの眼前で転倒したときでさえ、大丈夫だ、と強がったアルコンティアが話を逸らすように言い逃れる。そのことが余計に不安を煽る。

「どこか傷を負ったのか!?傷口が開いたのか!? 答えろ、アルコンティア!?」

 マーナガルムの絶叫に吹き飛ばされたとき、弧を描いて森に落ちたとき、枝葉の中を落ちているときに枝が刺さったのかもしれない。地に着いたときアルコンティアのバランス感覚と脚力で衝撃はなかったが、その時に傷口が開いたのかもしれない。

 ――だとしても今止まるわけにも戻るわけにもいかないだろ

 それは確かにそうだ。傷を負ったにせよ、開いたにせよ出血があれば臭いが残る。蹄の跡やただ駆けただけの残り香よりも鮮明な標を残してしまえばアルコンティアだけを逃がそうとしてもマーナガルムの追跡からは絶対に逃れられない。

「…………済まない」

 ――謝るな、好きで付いてきたんだ

 そう言われたところで気にしないわけがないが、気にしてもどうにもならない。軍人として気持ちを切り替える術は身につけている、「謝辞も謝罪もすべてが終わってからすればいい」そう自分自身に言い聞かせ前を向く。

 問答をしている間もアルコンティアは脚を休めることなく駆けていた。その証拠に鼻腔に流れ込んでくる風に含まれる焦土の臭いが急速に増している。

 木々の間を塗り潰す闇が色彩を帯びる。すべてを塗り潰していた黒がミッドナイトブルーを経てミッドナイトブルーへと代わり、明るさが戻ってきた。

 森を抜け、空には色彩が戻った。が、足元は未だ黒い。星と月の明かりだけでは灰と炭で覆いつくされた大地の色まで判然としない。

 前方から近づいてくる気配。

 乏しい明かりが照らす黒一辺倒の大地がわずかに蠢いている。蠢きの発する擦れあう音は数日前に耳を澄まして警戒した音とよく似ていた。

「アラグラーソ……か」

 蠢く大地の向こうに目を向ければ、闇を創りだすにはまだまだ密度が足りないものの辛うじて森と言えなくもない程度の、少なくとも林と言える密度で木々が立ち並んでいる。

 狩人として気配を隠しているマーナガルムの脅威は仔蜘蛛たちでは感じとれないらしい。アルコンティアの血の臭いを嗅ぎつけた仔蜘蛛たちが次々と森から這い出して来る。

 アルコンティアも向かってくる仔蜘蛛が自分を獲物と見做していることを察したらしい。傷ついた身体から遥か格下の妖魔に舐められたことに対して怒気を発する。

「お前はじっとしていろ」

 背から降り、アルコンティアを仔蜘蛛から隠すように前に回りながら告げる。

 ――俺があんなヤツらにやられるとでも?

 女に庇われるということに我慢がならないのか、アルコンティアの声が刺々しい。

「マーナガルムに人の言葉が通じるとは限らないからな。ヤツに呼びかけるときにお前がいてくれないと困る。それにずーっと世話になりっぱなしだ。私にも少しは格好つけさせろ」

 振り返りながらそう告げる。振り返った視界の中央ではアルコンティアが嘘偽りを見抜く漆黒の瞳で見つめ返してくる。

 ――…………わかった

 短い返答を返した彼の前脚を月明かりに煌めく雫が滴り落ちている。視線で流れを辿れば初日に受けた傷の一つが開いて銀色の滝の源泉となっていた。痛々しく開いた傷口から視線を切り、前を向く。

 蠢く黒い大地から影がアルコンティア目がけて跳びあがる。おそらく雌のアラグラーソと同様地上を這っているときは糸の攻撃が使えないのだろう。

 その黒い塊を剣で両断する。一匹が切り落とされても躊躇なく次々と跳びかかってくる仔蜘蛛を両断し、あるいは叩き落とす。

 退治した仔蜘蛛が増えると、その仔蜘蛛を喰らう仔蜘蛛が増え、防戦が楽になった。

(雌蜘蛛に比べれば大した敵ではない)

 前方の新生した森から狼の叫び声が聞こえてくる。仔蜘蛛を狙って森に入った妖魔か獣人と仔蜘蛛が戦っているのだろう。狼の方に軍配が上がれば森の再生が進む。

 仔蜘蛛と戦いはじめて十分が過ぎた頃、仔蜘蛛たちが跳びかかってくるのを止めた。仲間の骸を喰らっていた仔蜘蛛も顔を上げるように貪るのを止めた。言葉など無い仔蜘蛛たちだが動く度にぶつかる音が何かを話しているようにも聞こえる。

 マーナガルムが追いついてきたのだ。いくら気配を隠そうと神にも近しい力を完全に隠しきるにはまだまだ経験が足りないのだろう。

 その上、小山ほどもある巨躯が動けば木々は軋み枝葉が折れる。間をおかずして背後から明らかに風とは無関係な枝葉のざわめきが聞こえてきた。音に反応したローズが振り返った直後、森の巨木を掻き分け、その巨体が姿を現す。

 背後でガサガサという音が遠のく。文字通り蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのだ。

 森から顔を出したマーナガルムはアルコンティアとローズを見とめて立ち止まった。すぐに襲ってこないのは逃げているはずの標的が立ち止まって自分を待ち構えていることに虚をつかれたからか。あるいは罠の類を警戒しているのかもしれない。

「マーナガルム!」

 わずかに青に傾きはじめたウルトラマリンブルーの空に流麗な声が響き渡る。

「貴方の森を焼いた人間に憤るのはわかる。だが、どうか我々の謝罪を聞いて欲しい!」

 マーナガルムの表情に変化はない。マーナガルムに人の言葉が通じるのかはわからないが、アルコンティアがローズの言葉を意思の声に変換して伝えてくれている。もし、マーナガルムが何か答えればそれはローズにもわかる。

 反応がないのは聞いてくれるということと信じて言葉を続ける。

「人間は森を焼いた罪の深さを知った。我々は貴方に……貴方の一族に詫びるために森を再生した。元の森に比べればまだまだ小さくとも、これからも森が元に戻るまで我々人間が森を再生する努力を惜しまないことを誓う!だから……どうか、怒りを鎮めてはくれまいか!!」

 ――ナニヲイッテイル

 アルコンティアを介して意識に響く声。ゲンナディオスのときよりも遥かに重く、畏ろしい声は神話で語られる妖魔にふさわしいものだ。

 ――モリナドドウデモイイ

「…………は?」

 畏怖のあまり理解が追いつかないのか、アルコンティアやゲンナディオスのときは意味も誤解なく伝えた意思の声を理解できなかった。

 ――モリナドドウデモイイ、トイッタ

 聞き違いではない。間違いなく「森などどうでもいい」といっている。

 許さないならばまだわかる。謝意が受け入れられるとは限らない。失われた森は戻らないし、まして森で焼かれ、森が焼かれて棲家を失ったことで死んでしまったものは還らない。

「だが、どうでもいいとはどういうことです?」

 ――モリナドカンタンニモトニモドル

 そういって前脚の爪を焼け爛れた大地に突き刺す。

 途端、マーナガルムの爪から何かが染み出したように地面が緑で覆われる。焼け野原いっぱいに広がったそれは、

「苔!?」

 焦土が樹海の奥のように苔で覆われ、次いで苔の所々から木の芽が芽吹く。ローズとアルコンティアのいる場所からマーナガルムへと通じる直線上だけを避けて周囲に芽吹いた芽が通常の樹木の数百数千倍の速度で成長し、あっという間に焼け残っていた森の巨樹と大差ない巨木へと成長した。

「………………………………………………………………」

 言葉が完全脳から消える。

 神話で語られ神にも近しい力を持つ大妖魔。それは誇張ではなく事実。しかし、あくまで近しいであってマーナガルムは神そのものではない。グロスマン将軍からマーナガルムは妖魔獣人を無尽蔵に生みだしているという情報を提供されたが、有り余る己の力を別ち同族を創っているだけだと思っていた。しかし、森を創造するなど神そのものとしか思えない力だ。

 ――ワレノホッスルモノハモリナドデハナイ

 それはそうだろう。瞬く間に再生できるものを欲する必要などない。

「貴方の欲するものとはなんですか?」

 マーナガルムが欲するもの、それがわかれば鎮めることができるかもしれない。

 しかし、およそ神にも等しい力を軽々と振るうマーナガルムをして手に入らないもの――欲するものとは一体何なのか。そして、仮にわかったところで人間ごときにどうにかできるようなものなのだろうか。

 ――………………………………ワカラナイ

 告げることを悩んだ末にマーナガルムが答えた。

 ――ワレニモソレガナンナノカハワカラナイ

「欲しいものがわからない?」

 ――ソウダ。シカシ、オマエタチトタタカッテイルトキ、ウエニニタカンカクガワズカニヤワライダ

(――――マズいッッッ!!)

 戦っているときに和らいだ感覚、それは闘争本能ではないか、とローズは推測し、恐怖した。もし、マーナガルムが戦いを――戦うべき敵を望んでいるのならば山野の主たちが目覚め、騒乱を起こすという最悪の事態は彼の欲するものだ。

 事実、欲するものが何なのかを理解していなかったマーナガルムがこのままだったなら戦いを欲していたと錯覚したままだったなら世界は争乱の時代を迎えていたかもしれない。

 しかし、そうはならなかった。

 ――お主が欲しているものは我らと戦うことではない

 老いたる馬は道を忘れず。

 ――コノムナシサナラバナンダ?

 ――獣には性がある。狼は群れで生きる獣。お主が求めているのは敵ではなく家族だ。だからお前は自らの同族、眷族をその創造の力で創りだしていたのだ

 千古の老ユニコーンは長年の経験と知識からまだ精神的に幼い妖狼が欲しているものを的確に見抜いた。

 ――ナラバ、ナゼオマエタチトタタカッテムナシサガヤワライダ?

 ――幼子は一つのことに夢中になると別のことを忘れるものだからだ。

 ――…………………………………………

 マーナガルムは何も言わない。

 否定する根拠はない。

 それどころか自身でも自覚していなかった行動の動機を指摘されて閊えていた何かがとれたような晴々とした気分だった。

 ――ナラバ……ワレハドウシタライイ?

 マーナガルムは父母を知らない。生まれ出でるときに母の胎を喰い破り、生まれ出でたときにはすでに父は骸となっていた。兄弟がいることも人間を喰らって得た知識で知っている。しかし、兄弟がどのような存在なのかはわからない。創造の力は知っているもの、思い浮かべられるものならば無限に創れるが知らないもの、思い浮かべられないものは創れない。

 まだ、己の感情すら把握できない未成熟な彼は伴侶を――新たな家族を求める衝動に駆られることもない。

 ――森にて待てば兄弟が帰ってくるやもしれぬ。また、いずれ時が来ればお主が新たな家族を求めるようになる。

 ――ワカッタ。ワレハコノモリニテキョウダイヲマチ、トキガスギルノヲマツコトニスル

 ゲンナディオスの言葉を受け入れマーナガルムが暴れることを止め、森に留まることを宣言した。

 ――レイヲイウ、ユニコーンヨ。コレハワレノシャイノシルシダ

 マーナガルムがそう告げた直後、彼の鼻先に何かが細い針のようなものが光に包まれ現われた。緩やかに地に落ち、突き刺さったそれはマーナガルムが噛み砕いたものと寸分違わぬユニコーンの角だった。

 ――レイヲイウニンゲンノオンナヨ。オマエノオカゲデワレハミタサレヌモノヲシルコトガデキタ

「こちらこそ人間の罪を咎めない寛大さに感謝する」

 マーナガルムの口がわずかに動き、微笑を浮かべたように見えた。

 その微笑を開けていたマーナガルムまでの並木道に木の芽が生え、せり上がる緑の壁となって覆い隠した。

 

「お主が創ったものは新たな創造物であり、我らが一族の遺した角ではない……ということまではわからぬか、幼き狼よ」

 マーナガルムが再創造した角の前にたったゲンナディオスが呟く。

 再創造しても失われたものそれ自体が還ってくることにはならない、という単純なことさえまだ精神的に未熟なマーナガルムにはわからない。

 しかし、それはつまり悪意のある皮肉でも、虚偽の謝罪でもないということ。いずれ機会があれば教えることもあるだろうし、無くともマーナガルム自身が生きて時を過ごすことで学び取るだろう。そう考えてゲンナディオスは未熟なもの謝意を受け取った。

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