第四章 共闘 4
予定通りの時刻に牙の城の北門前には騎馬隊が集まり、その後ろには馬車の大群が隊列を成し、その周囲を護衛するように騎馬の隊列が挟んでいる。馬車の荷台には物資ではなく大勢の市民や鍛冶屋などの非戦闘要員を乗せている。
門の上からその光景を見下ろしていたローズはサングリエ将軍の心証をさらに上げていた。馬をあてがえない市民を置き去りにするのではなく、しっかりと連れていくためにあえて足の遅くなる馬車という選択肢を選んだことは彼が良心のある人間であることを物語っていた。
しかし、血路を開く兵士にかかる負担は相応に上がる。
ドォーーーン
合図の銅鑼が鳴ると同時に城壁の上の兵士たちが門前を目がけて一斉に矢を放つ。矢の降り注ぐ先には門の内側に待機する人の気配を感じて群がってきた獣人たちが犇めいている。
ある者は矢を避け、ある者は手に入れた武器や爪牙で矢を薙ぎ払う。しかし、すべて獣人が矢を防げたわけではない。むしろ防げた者の方が少数で多くは矢に射られた。
獣人に突き刺さると一瞬で矢に刻まれた破魔の術式が作動する。内から肉が膨らみ、肉片と血の飛沫をまき散らして爆散する。
矢の雨によって開かれた空間にローズがアルコンティアに跨って飛び降りる。
右から跳びかかってくるワーウルフを剣で斬り裂き、左から跳びかかってきたコボルトをユニコーンの角で叩き伏せる。
地に前脚がつくと同時にアルコンティアが前脚の力だけで、水平に飛ぶ。前方にいた獣人を風圧で吹き飛ばそうとしたが、吹き飛ばせずに角が胸を貫く。
角に貫かれたワーウルフがアルコンティアに爪を立てようと動かした手をローズが斬り落とし、叩き落とす。
方向転換と同時に首を振り、ワーウルフを襲いかかってくる獣人たちに投げつけ機先を制し、突撃を阻害された獣人たちに突撃する。
「気をつけろ!血脂と肉片で石畳の道が滑りやすくなっている」
――わかっている
即答したようにアルコンティアも速度を抑えて、足をとられないように気をつけている。
しかし、速度が遅くなれば肉体的に秀でている獣人たちに捉えられる危険性が高まるし、風圧の威力も弱まりさっきのように吹き飛ばせずに角で刺す必要が出て来る。
「左右は私に任せろ!前は頼むぞ!!」
言われるまでもない、とばかりに後脚で立ち上がり、前脚でワーウルフの胸を踏みつけ、蹴り倒した。
乱戦の中、ローズたちに向かってくるのは多くがワーウルフになりつつあった。体格でも、闘争本能でも、戦闘力でもコボルトはワーウルフより劣る。だからだろう、強敵に向かうよりも確実に開かれる門前に集まるようにして弱い獲物を待ち構えている。
そのことを城門の兵士たちも見ているがこれ以上時間をかければ不利になる。打ち合わせ通りに開門を始めた。門が開かれると同時にスピアーやハルバード、ランス、グレイブなどポールウェポンで武装した騎兵が一気に突撃する。
騎馬隊が一気に突き進み、包囲網を切り裂く。
しかし、その端々で転倒する者が相次ぐ。蹄鉄は蹄を護るためのものだが、石畳の路面が地油で滑りやすくなっている門前では足を引っ張る枷と化した。
転倒した兵士の中にはそれでも抜刀し、あるいはハルバードやグレイブを振り回して果敢に道を守ろうとする者もいた。しかし、大半が起き上がる前にコボルトがハイエナのように群がり、断末魔の叫びをあげる。
そうして門前で早くも多くの犠牲を出したが、先行する騎馬隊は何とか馬車が駆け抜けるだけの道を切り開くことに成功した。
直進する分にはしっかりと地を踏みしめる馬車馬の方が安定している。
全力で進む馬車の隊列を左右から護る騎兵もすべての敵を仕留められるわけではない。討ち漏らし、馬車への接近を許してしまったコボルトを馬車に拾われた、あるいは飛び乗った兵士が斬り捨てる。
しかし、それでも完全ではない。隊列の中で一台の馬車がコボルトに襲われ、狂乱した御者が手綱さばきを誤ったか、あるいは馬そのものが狂乱したか、どちらかはわからないが一台の馬車が他の馬車を巻き込んで転倒した。
隊列が寸断され、一斉に転倒した馬車にワーウルフとコボルトが群がる。
事態にいち早く気がついたローズがアルコンティアを促し、転倒した馬車が転がるところから少し離れたところを駆け抜け、獣人たちを吹き飛ばし、迂回路を切り開く。
「急げ!こっちだ!」
言われるまでもなく、護衛の兵士、馬車を問わず切り開かれた迂回路へと転進する。
一部餌食となってしまった者たちに獣人たちが群がるので、包囲網はその厚みほどの障害とはならず穴開きとなっていた。しかし、迂回路を駆ける馬車に躍りかかってくる獣人の数はまだまだ殺到と表現するに十分な数だ。
転倒した馬車の傍らで市民を守りながら戦う二人の兵士の姿がローズの眼に飛び込んできた。夕焼けの太陽のような明るいオレンジ色の髪を振り乱して戦う拙くも力強い少女と危なっかしい彼女をフォローするように戦うブロンドの少女。
しかし、数でも力でも勝るコボルトの群れに取り囲まれつつあった。
「エバー大丈夫?」
「クーシェこそ人の心配より自分の心配したら?」
クーシェと呼ばれたオレンジ髪の少女にコボルトが跳びかかった。素早く剣をそちらに向けるが爪牙の一薙ぎで脆くも砕け折れた。
コボルトの牙の並ぶ口が眼前に迫り、少女の頭を喰い千切る直前、上顎が横滑りに吹き飛び、下顎から下と毛むくじゃらの身体が血飛沫と一緒に少女に圧し掛かった。
アルコンティアが首を振って角の一薙ぎで周囲のコボルトを薙ぎ払う。
「コボルトを前に目を瞑らなかった胆力は大したものだな」
少女の頭が噛み砕かれる寸前でローズの剣がコボルトのあぎとを切り裂いたのだ。
「あ……あ…………」
礼を言おうとしているのだろうが、助かった安堵で緊張の糸が切れたのか、極限の緊張で自失してしまったのか言葉にならなかった。
「助けていただきありがとうございます」
代わってエバーと呼ばれていた少女が礼を述べ、お辞儀する。
「馬車に乗りなさい。急がないと置いてかれるぞ」
幸い迂回路へと逸れていく馬車の隊列はまだ絶えていない。二人と彼女たちが護った数名の市民ために隊列に側面から襲いかかるコボルトを多数薙ぎ払い、道を開く。
何とか馬車に乗り込めたのを見届けると再び前方の方へと駆ける。
ローズが街道を迂回する道を切り開くために戻ったために戦力不足となってしまった先頭ではワーウルフ相手に騎兵が必死に血路を開こうとしていた。
とにかく戦力が不足していた。
「ヴィーヴル部隊は何をしているッ!?」
前線で一人の騎士が愚痴をこぼす。
ヴィーヴルは最後まで逃げられない弓兵を乗せて撤退する手はずになっている。そんなことは彼にもわかっていたが、そろそろ離脱を開始して上空からの援護射撃をしてくれてもいいのではないか、と城壁からそれなりの距離を進んだ彼は思ったのだ。
しかし、実際は最後尾がようやく城壁を抜けたばかりだった。彼らが矢の射程圏を抜けるギリギリまでは城壁の上から援護しなければならない。
当分来ない援護射撃を期待して振り返っていたことが致命的な隙になり、ワーウルフが彼の喉笛を喰い千切った。
直後、今度はわずかに間に合わなかったローズの剣がワーウルフの首を斬り落とした。
最大の地上戦力であるローズが舞い戻ったことで先頭の進行速度は上がり、必然、隊列全体の速度も上がった。
わずかとはいえ速度が上がれば被害も減る。
停滞していた間に馬車に乗り込んだ兵士がポールウェポンの利を活かしてコボルトを寄せ付けず、隊列の中央の損害も目に見えて減っていった。
戦闘開始から一時間が経過した頃、ようやく先頭集団がワーウルフの包囲を突破した。
馬車が全速で駆け出し、先頭で血路を開いていた騎兵が足を止め、追い縋ろうとするワーウルフたちの足止めに転じる。
護衛対称が減り、比率として戦闘員が増えれば戦いやすくなる。むろん、騎馬と獣人では一対一でも獣人に分があり、その上に今は獣人の方が数で勝っているのだから優勢とはいえないはずだった。
しかし、ユニコーンを駆る女騎士の存在がたった一騎で戦場の常識を書き換え、戦況を塗り替える。ローズとアルコンティアのコンビによってワーウルフはなぎ倒され、吹き飛ばされ、斬り伏せられ、次々と数を減らす。
この数日間包囲された地獄の要塞と化していた牙の城でただひたすら耐えて生き延びてきたルディア軍は悪夢から一転し、一気に士気を取り戻していた。
そして、ようやくヴィーヴル部隊が弓兵を連れて追いついてきた。
空から降り注ぐ矢が死の豪雨となって追い縋ろうとする獣人たちの足を止める。
邪魔をする獣人が減ったことでさらにペースの上がった馬車の隊列が次々と横を駆け抜けて黄昏の城へと続く街道をひた走る。
開門から二時間近くかけてようやくのことで馬車の隊列がすべて駆け抜けた。
「あと一斉射で矢が尽きる!」
空から降ってきた声はもちろんヴィーヴル部隊に同行する弓兵のものだ。
あと一斉射。
手こずり過ぎた、と思ったのはローズだけではなかった。一斉射では自分たちの撤退の時間を稼ぐには足りないことを理解できないほど愚鈍な者ばかりではない。覚悟を決めたからだろうか、ほとんどの兵士が騎首を反転せず、獣人たちに向かったまま立ち止まる。
一方の獣人たちも次の一斉射が最後と知って動かず距離をとる。ここさえ凌げばリスクが格段に下がることを理解しているのだ。
睨みあいの中、紫色の髪の女騎士が身振りで撤退を指示し、少しずつ何隊かに分けて撤退を開始した。速力で振り切ることが難しい獣人相手には戦いながら退くよりも有効な撤退方法だが、殿を務める部隊は全滅を覚悟するしかない。
半分近くが戦列を離れ、防衛線もだいぶ薄くなって、獣人が焦れはじめた頃に最初に撤退を指示した紫色の髪の女騎士がローズに近づいてきた。
「中佐は先に行きなさい。ここは我々が殿を務めます」
襟元の階級章を見れば大佐、つまり中佐であるローズは本来ならば命令には従わなければならないのだが、
「お断りします」
明確な命令拒否に大佐は眉をひそめただけだった。
「ここに残った部隊は獣人たちから逃げられない可能性が高い。しかし、私たちならば十分逃げられる可能性がある」
「だからこそ、です。貴女はこの撤退戦で名実ともに要なのです。貴女が隊列に戻るのとそうでないとでは民衆の安心感も兵士の士気も桁違いです。指揮官たる者全体のことを考えて動きなさい」
ローズよりわずかに年上だろう女騎士はやや独善的で押しつけがましい感もあるが、撤退を完遂するためにローズという戦力を万が一にもここで欠くわけにはいかないと真剣に考えていることがわかった。
「すみませんが、私はここに残ります」
「貴女はこの撤退を提案した張本人でしょう。その責任を果たさないというのですか?」
「責任を果たすために残るのです。撤退する牙の城の人々と駐留軍だけでなく、私に力を貸してくれた、そして今も私の無謀な提案のために尽力してくれているはずの仲間への責任を果たすためにここで退くわけにはいきません」
さすがに上官に向かって堂々と、敵軍と協力しています、などとはいうわけにはいかない。可能な限りの事実を伝えることで納得してもらおうと思ったのだが、この上官はかなり頑固らしい。理解していないというより理解してなお納得していないという感じだ。
そんな睨み二人の決着は意外な形で幕を引いた。
「ワウォォォォォォオオオオオオン」
鳴り響く遠吠えはどこか遠くにいる獣人か妖魔のもの。ただ、マーナガルムのものではないと確信できる。その遠吠えに神にすら近い畏怖を感じない。
「ワオォォォォォォオオオオオオン」
木霊して人間の耳にはどの方角から聞こえてくるのかも定かではないその遠吠えに睨みあっていたワーウルフの一人が遠吠えで何やら返事を返す。
遠吠えに応え、再度遠吠えが聞こえてきた。それが撤退を指示していたかのように獣人たちがローズたちに背を向け北へ向かって走り出した。
「一体何が……?」
「助かったということでしょう」
ローズとアルコンティアも相当に消耗していたし、まして他の仲間はこのまま殿を務めていたら確実に戦死していた。理由は定かでなくとも敵の撤退はありがたいことこの上なかった。
「ラズワルド中佐!」
自失状態から立ち直った大佐が真剣な面持ちで呼びかける。
「貴女は撤退する気はないのですね?」
「はい」
隠しても仕方のないことだし、隠す必要もないので肯定する。
「先ほど他にも負うべき責任があるといっていましたが、誰に対してですか?」
「私の案に協力してくれる仲間に対してです」
「それは誰ですか?」
納得してもらえるギリギリの表現で済ませようとしたのだが、あいにくとこの大佐殿はそうやすやすと引いてくれそうにはない。
(さて、どう説明するか……)
ブルトルマン軍にも協力してもらっている、などといえば内通を疑われかねない。
いや、疑われること自体は不本意だが勝手にすればいい。しかし、問題はそれを伝えたとき、彼女がどういう行動を選択するか、だ。頭は固そうだが堅実な指揮能力と状況判断能力を兼ね備えている彼女が敵になれば厄介だ。
彼女はおそらくヴァイオレット・ティリアン大佐だ。元々、指揮能力の高い士官だったらしい。しかし、配属直後のヴェニティーの直属上官になった際に彼女の不興を買い、オーリュトモス将軍に左遷され兵站部門へ転属させられたという筋金入りの頑固者だ。前線での指揮能力、女性であること、さらには頑固で上官の不興を買いやすい性格などが似ているとジルが笑い話で話してくれた。
上官相手にも融通の利かない性格の彼女がどんな行動にでるかは想像したくない。
しかし、仮にそうなってもローズとアルコンティアを捕らえることは難しい。いや、無理だと断言できる。そして、わずかでもここに人の臭いが残っていればマーナガルムがやってきても一跳びに撤退中の住民たちに襲いかかる心配は薄れる。それに彼女がローズの話を信じてくれれば協力してくれるかもしれない。
「わかりました。順を追って説明します」
マーナガルムの目覚めに呼応して鉄の森周囲の主たちが目覚めようとしていること。マーナガルムという抑止力がなくなれば主たちの騒乱が起こるということ。たった半日で幾度となく繰り返した話を彼女たちに告げる。
「では……貴女はマーナガルムと…………戦う……というのですか?」
この状況でなお逃げるという言葉を口にせず、戦うという言葉を口にできるだけティリアン大佐の胆力は素晴らしいものだ。
「いいえ。戦うのではなく、鎮めるのです」
否定の言葉ではなく肯定の言葉が告げられたことによって兵たちが顔を見合わせ、及び腰になる。逃げたいが今の今まで決死の覚悟をしていた精鋭の中で自分が先駆けになるのは躊躇われる、という心情がありありと伝わってくる。
「確かな方策などないのに…………それでもやると!?」
「ですが、やらないわけにはいきません」
たしかに見方によっては義勇ではなく、愚かしい蛮勇にしか映らないだろう。しかし、今このときにも神話級妖魔の脅威は刻一刻と祖国に近づいている。
「わかりました」
ローズの瞳に自分と同種の頑固さを見たティリアン大佐は息を吐き、後ろへ振り返る。
「聞いての通りです命の惜しい者は恥じることはありません撤退なさい」
ティリアン大佐の許可が下りたことで恐怖を堪えて留まっていた兵士の二割ほどが騎首を反転し、駆け出す。残りの中にも撤退したそうに他人の顔を窺うものもいる。今にも手綱を操り損ねそうなまでに震えている者もいる。
しかし、それから十分近くが経過してもそれ以上誰も動かなかった。
「これだけの有志が我が軍からも残りました。我々に何か協力できることはありますか?」
空を舞うヴィーヴル部隊を含めておよそ千五百近くは残っている。
「生きては帰れませんよ?」
しかし、これは愚問だった。撤退を許可されて退かないのだ。すでに折れそうになる精神を義勇で塗り固め、決死の覚悟をしている。
「元より覚悟の上です」




