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ルディア戦記  作者: 足立葵
第一話「戦場の青き薔薇」
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第四章 共闘 3

 要らぬ消耗は避けたいし、時間も惜しいが、川幅広いブロンテー川を跳び越えるよりは獣人たちの犇めく第一の首(エアスターハルス)を突破した方が早い。

 橋を跳び越え、なんとか渡ろうと画策していたワーウルフをアルコンティアが角の一薙ぎで吹き飛ばし、後ろに回ったコボルトを後ろ足の一蹴りで一蹴する。

 右から襲いかかってくる敵はローズが剣で斬り捨て、左から来る敵は革を巻いて刺突剣の代わりにしたユニコーンの角で応戦する。

 直近の敵を倒すとアルコンティアが石畳を蹴り、跳び上がる。獣人すらも容易には登れない城壁を軽々と跳び越え、第一の首(エアスターハルス)の城壁や塔を次々と跳び越えて駆けていく。スティープルチェイスよりも難しい障壁をハードルのように軽々と。

(一師団が攻めあぐねた城壁をこうも容易く走破するとはな)

 突破ではなく、走破。己の心の内で呟いた言葉の意味を自覚して苦笑する。

(人間の小ささを思い知らされるな)

 ――我らは神に抗い己を高め、人間は知を持つ代わりに弱く創られた。在り方の違いだ。

 しかし、今回のことはユニコーンたちに教わらなければ対処の糸口すら――いや、そもそも対処しようという発想すらできなかったかもしれない。

 ――我らは力を研鑽し、長は経験でそれを知っていただけ

(知を持つ人間が形無しだな)

 ――人間の誤りは研鑚を怠ったことだ

 研鑚を怠った、というフレーズに違和感を感じたがそれを問う暇はなかった。

 市街を取り囲む城壁を跳び越え街道へ躍り出た途端、アルコンティアが一気にスピードを上げたためしがみつくことに全力を注がなければならなかったからだ。

 体感的には森から送ってもらった時よりも早い。流れる木々はもはや個々の区別もつかないほど霞み、一枚の壁のようにも見える。

 しかし、均された街道を駆けているおかげで上下に振られるのは最低限で済んでいる。左右に振られることも少ない。

 ほとんど景色からどこにいるのかなどわからない走行がしばらく続いた。

 突如、奈落に落ちたのではないかと錯覚するほど足元が黒一色に染まった。

「なっ……!!」

 ――安心しろ、ただ大地が削られて黒土が剥き出しになっているだけだ

(一体何が)

 心中で問う言葉にはすでに自答していた。マーナガルムの仕業に違いない、と。

 一瞬で黒土の剥き出しになったところを駆け抜け、再び街道を進む。

 南へ進むにつれて獣人の数が増す。

 しかし、アルコンティアは避けることもせずにただ駆け抜ける。昼日中で妖魔はほとんど森の中で休んでいることも味方しているのだろうが、何より疾風となって駆けるアルコンティアは獣人たちにも捉えられることはないと自負しているらしい。

(Aランク級妖魔の実力は伊達ではないな)

 例え騎馬だけで固めた師団を用意したとしても獣人と戦いながら地上を行くのでは一キロも進めないだろう。いや、そもそも前進すら危ういかもしれない。そんな街道を飛竜で飛ぶよりも速く駆け抜ける。

 定期的に大地が削り取られたような土地をさらに五つ通過し、七つ目に差し掛かったときローズがアルコンティアを制止した。

 ――どうした?

 訝しんだアルコンティアの問いかけには答えずに周囲を見回す。

 抉れた大地を取り囲む周囲はほとんど進軍してきたときと変わっていない。聳える山、広がる森、一帯の風景を記憶と照らし合わせていく。

「…………やはり」

 ――何がやはりなんだ?

「マーナガルムは砦を丸ごと喰らっている」

 ――それがどうかしたのか?

「大地ごと喰うつもりで襲ってくると覚悟しておくとおかないとでは対峙したときの精神的な安定がまるで違う」

 ――ユニコーンの脚に狼ごときが追いつけるとでも?

「サイズの違いもあるし、ただの狼じゃない」

 他にも何か情報が得られればいいのだが、ファーデンの町なら三つくらいは簡単に入りそうな黒土の面積はとてもではないが目測で測れない。つまり、避けるときは町三つ分は一跳びで移動しないと回避すらできないということだ。

 もう一度首元を軽く叩いて出発を促す。

 

 オーリュトモス将軍の強い推挙によって後詰である牙の城(クロチェスター)の指揮官に任じられたサングリエ将軍は城の中心で頭を抱えていた。

「どうしたらいい?…………一体どうしたら……」

 うわ言のように繰り返す。

 一月前、後詰として牙の城(クロチェスター)に入城したときは、ようやくここまで上り詰めた、と我が世の春の気分だった。

 何しろルディア王国は平和な国だ。堅牢な長城と天険の山脈に護られ攻めてくる敵もほとんどなく武勲をたてる機会は少ない。出世しようと思ったら唯一壁外にある城塞都市牙の城(クロチェスター)駐留部隊に志願するしかない。

 しかし、それも立てられる武勲もたかが知れている。それでも、大佐までなら何とかなるかもしれないが、将官になろうと思ったら後ろ盾が必要不可欠だ。だから、軍内部で強大な勢力を誇っていたオーリュトモス将軍に取り入った。ようやく将官になった。

 正直な話、今回の遠征には気が乗らなかった。何しろ大規模な遠征の先は百年前ときの国王が失脚し、貴族制度が廃止になる原因となった難攻不落の三つ首の番犬要塞ドライ・ハルス・ヴァハフントブルクが立ちはだかっている。その上、オーリュトモス将軍に大した勝算もないことは同じ派閥の人間としてよくわかっていた。

 だから、少しでも安全な牙の城(クロチェスター)に留まる部隊に立候補したのに――

 

 恐怖を掻きてる重低音が鳴り響き、城が揺れる。

 

 六日前、突如イースウェア公国のローチ将軍が攻めてきたときは焦った。しかし、戦ベタのローチ将軍相手ならば堅牢な牙の城(クロチェスター)に籠もっていれば何とかなると思ったし、実際に十分に持ちこたえていた。

 しかし、四日前。黄昏の城(クレプスケール)から届いた報せによって一気に床が抜け、奈落の蓋が開いたような錯覚に陥ることになった。

 内容はオーリュトモス将軍の遠征軍の全滅。

 それだけでもだけでもこの世の終わりのような気分だった。

 何しろオーリュトモス将軍の派閥の力を頼りに出世してきたようなものだ。単なる遠征失敗でもダメージは大きいのに全滅などという体たらくではオーリュトモス将軍の失脚は免れない。そうなれば自分の出世もこれまで――いや、今の地位を維持することすら危うい。今回の遠征案も本心はどうあれ賛成に票を投じていたのだ。責任を取るべき将校の多くが捕縛、討死した以上おめおめと帰還すれば代わって責任を追及されるのは目に見えていた。

 さらに、その全滅理由。見たこともないような巨大な妖魔が襲ってきて砦ごと一呑みにしたという信じがたい事実。しかし、何とか撤退したオーリュトモス将軍によってもたらされた事実だという。

 報せは最後に「損害を増やさぬために早急に撤退せよ」という一文で締め括られていた。

 しかし、ローチ将軍率いるイースウェア軍が包囲しているせいで容易には撤退できない。

 そうして、足止めを食っているうちについに妖魔や獣人が攻め込んできた。日増しに数を増す妖魔と獣人にイースウェア軍の包囲は崩れたものの、今度は昼には獣人が攻め込み、夜にはさらに妖魔も攻め込んでくるという惨状になった。

 

 狼の遠吠えに似た咆哮が轟く。

 

 そして、昼夜を問わない消耗戦の末についに獣人たちは城壁を超えて市街へと雪崩れ込んできた。市街中心部に聳える城が文字通り最後の砦だ。しかし、連日連夜の戦闘で一個師団いた兵は半数近くに減じ、残りの兵士たちも士気はもはや風前の灯火。体力も精神力も底を尽きつつある現状で夜になり、妖魔が攻勢に加わればまず勝ち目はない。なのに――

 

 突如、城外から鬨の声が沸き起こる。

 

(何が……?)

 叫喚ならわかる。悲鳴ならわかる。しかし、轟く声には希望の響きがある。追い込まれた自分の脳が創りだした幻聴かとも思ったが、現実味に溢れる声に無意識に腰が浮き上がる。

 まだ、立ち上がる前、注視しなければ腰を浮かせていたことすらわからない程度で報せが飛び込んできた。

「サングリエ将軍!味方です!」

「何ッ!!本当か!?」

 今度こそはっきりとわかるほどに立ち上がり、問い返す。

 遠征に大部分の兵を割いてしまったために援軍は望めないはずだった。絶対防衛線である黄昏の城(クレプスケール)さえ最低限兵士かいないのでこの緊急事態に王都にいる中央軍に援軍を要請しているほどだったのだ。

「突如現れた騎士が獣人たちを次々となぎ倒しています」

 降って湧いた希望に喜びを隠せないのと同時に、どういうことだろう、と報告に来た部下の説明に疑問を感じた。援軍が来たならば旗印でどの部隊かを報告するべきだ。しかし、今の説明では援軍ではなく、救世主とでも言った方がいい。

 問い返すという選択肢もあったが、サングリエ将軍は問い返すよりも城下を見渡せる窓辺へと近づき、自分の眼で確かめることにした。

「おおっ!」

 城壁内に広がる市街を風を纏った騎馬が駆け抜ける。それだけで獣人が吹き飛び、宙を舞う。

 市街を一通り駆けまわり、粗方獣人を先頭不能にすると騎馬が城の城壁へと跳び上がった。

「指揮官サングリエ将軍は健在か!私はルディア王国軍のローズ・ラズワルド中佐。大至急お目にかかりたい」

 城壁の上に降り立った女騎士――遠目にはわからないが声音と名前からおそらく女騎士――が名乗りをあげ、面会を求める。

「将軍、どちらへ!?」

「決まっている!あの騎士に会いに行く!!」

 器の大小で言えば間違いなく小だが、サングリエ将軍は自分の実力の程度を知っていた。だからこそ、派閥の力に頼ったし、頼らねば出世できないことを知っていた。

「危険ではありませんか?」

「今を生き延びるにはあの騎士の助けがいるのだ」

 しかし、自覚があるからこそくだらないプライドに固執して判断を誤ることもなかった。ローチ将軍が攻めてきたときも自分の戦術指揮能力を自覚して決して打って出ることなく、堅守に努めたように。

 急ぎ足で女騎士の元へ向かう道すがら少しずつ落ち着きを取り戻してきた頭はローズ・ラズワルド中佐という名前に聞き覚えがあることを思い出した。些細な記憶を辿り、それがオーリュトモス将軍の愛娘ヴェニティー嬢の口にしていた名前であることまで辿り着いた。

(確か、王子を誑かした女だと言っていたが……)

 元々オーリュトモス親子の人物評価が著しく偏っていることは知っているので冷静にそれはヴェニティーのやっかみだろうと結論付け、そして直後その結論が正しかったことを知った。

「お初にお目にかかります。ドレイファス将軍麾下にて大隊長を務めていますローズ・ラズワルド中佐であります」

「パトリック・サングリエだ。貴公の働きで一時退けたとはいえ敵はまだまだ多い用件を」

「ハッ。現在この城塞にマーナガルムが向かっております」

 神話で語られる妖魔の名に場がどよめく。

「それは……本当か?」

「確かです。小官がこの目で確かめています。このままでは明日にでもこの城塞に到達するでしょう。ですから急ぎを最低限の物資だけとにかく馬が潰れるまで走ればかなりの距離を稼げるはずです」

 幸い牙の城(クロチェスター)には補給物資を運ぶための荷馬や騎兵が利用するための軍馬の予備として相当数の馬がいる。その上牙の城(クロチェスター)から黄昏の城(クレプスケール)まではほぼ一直線の街道が続いていて、しかも整備されているから馬で駆けるにしても都合がいい。馬を潰すことを厭わず駆け抜ければ何とか逃げ込めるかもしれない。

「しかし、獣人どもが……」

「全員が無事に逃げ延びられるとは申しません。しかし、ここにはまだ五千以上の兵がいる以上血路を開いて突破を図るべきではありませんか!!」

「……………………」

「将軍、ご決断を。ここで牙の城(クロチェスター)を失おうとも残る兵の命を助け、住民を救った英断は栄誉にこそなれ汚名になることはありません」

「……わかった」

 最後の一言が効いたのか、決断するとすぐに指示を飛ばす。

「全員ただちに撤退の準備に掛かれ!できるだけ多くの者に馬をあてがえ!」

 やるべきことを自分で見つけ出す力、道なき道を切り拓き、進む力に欠ける人間は大勢いる。むしろ、すべてを一人で切り開き、突き進める人間こそ希なのだ。

 サングリエ将軍は良くも悪くも凡人というだけなのかもしれない。

 

 サングリエ将軍が撤退の準備を進める間にもローズとアルコンティアは獣人たちを蹂躙していった。

 ユニコーンは足が速い。故に力尽くで狩る場合は包囲して体力を削り、消耗戦によって捕らえるとされている。獣人は人間に比べればはるかに肉体の力で優れ、多少の知識と狩りの本能を持ち合わせている。自然とユニコーンを包囲し、四方から襲いかかった。

 前は角の一刺しで迎撃され薙ぎ払われる。

 後ろは強靭な後足の蹴りで吹き飛ばされる。

 ユニコーンだけならば獣人たちは左右からの攻撃でユニコーンを仕留めることができただろう。一度や二度では無理でもマーナガルムに創りだされた圧倒的な数はそれをするに十分な数を誇っていた。

 しかし、その背に跨る女騎士の存在がそれを阻む。左右からの攻撃は女騎士が受け止め、捌き、斬り返す。

 しかも、一度怒りに火がつくと自らの破滅まで暴れ狂うユニコーンの気性をうまくコントロールしている。体力が切れそうになればいったん包囲を突破することを指示するし、そもそも包囲されないような戦い方を指揮する。

 妖魔の力に人間の知恵が加わり手が付けられない。

 知能と力を兼ね備えているのは獣人も同じだが、知能は人間のそれより劣る。その上に彼らは元来知能よりも本能や衝動が上回る生き物だ。故に彼らは冷静な判断ができない。役割を分担しているローズとアルコンティアは互いの長所を活かし十全と力を振るうが、獣人たちは自らの衝動が知的な戦術に対応する冷静さを奪い去る。失敗は苛立ちを生み、苛立ちは怒りに変わり、さらに冷静さを奪う悪循環。

 獣人たちがローズとアルコンティアに気を取られ、かき乱されている隙にルディア軍が立ち直った。弓に破魔矢を番え、放つ。

 降り注ぐ矢の雨をローズが剣閃の盾で薙ぎ払い、アルコンティアを護る。

 目の前で破魔矢に貫かれた獣人が爆ぜる。

 アラグラーソの時も見た光景だし、それ以前にも妖魔相手に散々見た光景だが、まがりなりにも二本足で歩く「人」と呼べる姿の者が散る様にわずかに苦味を覚えた。

 しかし、だからと言って手を抜くことはない。斬らねば斬られるのが戦場の掟。彼らが悪人でなくとも自分たちに正義がなくとも生き延びるために斬ることに躊躇いは無い。

 立ち直った部隊に迎撃を任せ、一旦城壁の内側に戻る。

「お疲れ様」

 一度背から降り、その鼻先を撫でる。

 ――さすがに疲れたな

 そういいながらも余裕ぶるアルコンティアだったが内心では驚いた。

 自分一人ではあれだけの獣人に囲まれれば突破することは難しかったこと悔しいながら認めていた。自分一人ならあ確実に一撃喰らっていたと思える局面が幾度かあった。しかし、ローズがそれを防いだ。思うように反撃できず、包囲され苛立ちを覚えたときもあった。そのままならば冷静さを保てなかっただろうが、自分が熱くなりすぎているときは冷静さを取り戻すような指示をくれた。

 ――お前は冷静だったな

 アルコンティアの言葉に目を丸くし、

「…………ならいいんだがな」

 苦笑する。

 自分自身熱くなったり、気負いすぎて視野が狭くなったりする傾向があることを自覚している。それは戦友であり、先輩である男から聞いた最後の言葉でもあった。

 今冷静でいられるのは傍目八目ではないが自分より熱しやすい仲間がいることで冷静さを保ちやすいのかもしれない。あるいは、単に共闘する戦友の存在が負担を分担してくれているからなのかもしれない。

 そんなことを考えていると若い尉官が一人近づいてきた。

「……………………」

 しかし、口を開いたまま顔を真っ赤にして固まってしまった。しばらく待っても口を開くどころか顔を背けてしまう始末なので仕方なしに問いかける。

「どうした?」

「サッ……ササササングリエ将軍からの伝言です。『三十分後に東門より撤退を始める』とのことです」

「了解した。それまで休息を摂りたい。彼に水と……」

 馬草でいいのかな? と素朴な疑問を浮かべ、チラリと視線で問いかける。

 ――馬扱いは不本意だがそれでいい

「……馬草を。それと私にも何か食糧を頼む……あと剣を持ってきてくれ」

 昨日研ぎに出したばかりの剣は獣人の硬い毛皮で刃こぼれし、血脂を浴びて完全になまくらと化していた。

「了解しました」

 何故か顔を赤らめながら正視し、敬礼してから駆けていく。

 少年尉官の背を見送りながらこれほどの短い時間で撤退の準備進めたサングリエ将軍の手際に感心していた。正直なところオーリュトモス派の将軍というだけであまり能力的な期待をしてはいなかった。しかし、最初に真っ先に姿を見せたことといい、この手際といい決して無能ではないな、と先入観に囚われていた評価を改める。

 ――よかったのか?

「どうせ森の再生が進むまでには数日かかるんだ」

 随分簡略化された質問の意図に一瞬戸惑ったが、マーナガルムを先に誘導した方がよかったのではないか、という意図だと解釈して返答する。

「すぐにマーナガルムを連れ戻してはブレッドやブルトルマン軍が鉄の森(アイゼンヴァルト)の再生を進める妨げになる」

 町長の話ではアラグラーソの卵が孵るのは明晩とのこと。つまり木がある程度の大きさまで育つのに最低でも三日ほどの時間を要する。ならば、獣人に襲われマーナガルムを引き寄せているこの要塞都市の兵士、住民たちを避難させた方が有益だ。

 ――いや、そうではなくて……

 しかし、ローズの解釈は間違っていたらしい。アルコンティアが何やら言い辛そうに口ごもっている。

「どうした?」

 ――その格好だ

 指摘されて視線を下げる。

 シュテフィが仕立ててくれた服は体にフィットするアンダーウェアタイプ。ルディア軍の軍服とは異なり体の曲線を隠すどころか、くっきりと強調している。しかも、戦いの最中に敵の爪を掠めたのか大腿部に大きな裂け目ができ、腕や肩の部分も少しずつ獣人の爪に掠められてボロボロになっていた。しかし、

「問題ない」

 別に数日前の惨状と比較してマシだという意味ではない。ルディア軍の軍服は強度の面でも機能性の面でもアラグラーソの糸を使ったシュテフィの服より大きく劣ると着た感触で実感していた。鎧を着込めばどうかはわからないが、この戦いでは荷重を背負い込み、スピードと敏捷を落とすことは命取りに思える。ならば、ヘタに弱い生地の軍服に戻すよりも多少ボロボロになっていてもこのままの方がいいと判断したのだ。

(しかし、さっきの少年が赤面するほどかな……)

 しかし、こうして初心な少年が赤面し、目を背ける程度の惨状に平然としていられるあたり、やはり数日前の経験がローズの神経を太く鍛え上げ、羞恥心というものの基準を大きく作り変えてしまった……のかもしれない。

 

 一方、蜘蛛の森(シュピンネヴァルト)近郊のファーデンの町の広場には多くの近隣住民や逗留していた傭兵などが集まっていた。

 一段高い演説台の上に立ち指揮をするのはこの大掛かりな作戦の表向きの提案者にさせられたブレッドだ。彼は町役場で周辺の村や町から集めたアラグラーソの産卵場の情報を整理し、どこから作業するかを打ち合わせ、募った有志を班分けしているところだった。

 ふと鳥の翼とは違う羽ばたきが聞こえ、広場に集った人々の上に影が下りた。

「リントヴルム……軍も動いたか」

 呟くブレッドの口元に笑みが浮かぶ。

 たった一人の女がこうも事態を好転させていくことが面白く、そして不思議とアイツの提案が現実味を帯びたやれることのような気がしてきた。

 割れた人垣の中央に五騎のリンドブルムが舞い降りる。

 町の外にいくらでも着陸可能な広場はあるにわざわざ人の群がる町の広場を選び、強引に押し退けることを当然と見做しているふうの傲然とした態度に釈然としないものを感じたのは一人や二人ではなかった。

 鉄の森(アイゼンヴァルト)に火を放ち、マーナガルムを揺り起こしこの事態を招いたのが国軍であることはすでに暗黙の事実として認知されている。

 一方、降り立ったグロスマンも怨みの籠もった視線に晒されて居心地の悪い思いをしていた。彼自身は焼き討ちに真っ向から反対し続けたという潔白を自負していることと軍人として染みついた習慣から自然と傲慢にも見える堂々とした態度をとってしまった。

 しかし、そのことが失敗だと気づけるほど彼は繊細な人柄ではなかった。

「帝国軍中将グロスマンだ。この町が鉄の森(アイゼンヴァルト)再生のための有志を募っている町だと聞いてきた。リーダーは君か?」

 結果、彼が選んだ選択肢は反感を買ってもおかしくないものだった。

 まるで“首謀者”を捕らえにでもきたような態度に集った人々が身構え、反感が敵意に近いところまで高まりつつあった。

 後ろにつき従う部下も明らかな敵意にたじろぐ。降り立った兵士はグロスマン将軍を含めて五名。周囲を取り囲む町民たちに袋叩きにあえばリンドヴルムに飛び乗って脱出することもままならないことは明らかだ。

 高まる緊張を肌で感じながらブレッドは冷静に考えた。

(ここで黙っていても暴発する。それにこの立ち位置を見ればどう考えたって首謀者はオレにしか見えないな)

 どのみち暴発するならば話を聞くくらいはしておくべきだろう、そう結論づけ、

「ああ、そうだオレがみんなに声をかけて集めた」

 もし、ここでグロスマン将軍が一挙動でも動きを見せていたら傍らに立っていたマーティンが抜刀して斬りかかっていたか、マリ自慢の投擲ナイフが飛んできただろう。しかし、軍人らしく休めの姿勢のまま微動だにしなかったことが寸でのところで協力すべきブルトルマン軍と義勇市民の衝突を回避した。

「我々もあの女騎士に協力を要請され、これを受諾した。君たちと協力したい」

 ブレッドたち三人だけが「あの女騎士」が誰を指すのかを理解し、緊張で強張っていた肩の力を抜いた。マーティンはそれでも柄から手を離さなかったが、ブレッドはゆっくりと歩み寄り、手を差し出した。

「協力感謝する」

 手を握る二人を中心に緊張が解け、衝突寸前だったピリピリした空気は霧散した。

 先にそのまま義勇市民たちの役割分担を済ませて、散会した後でグロスマン将軍を町役場へと招いた。

「我々は蜘蛛の森(シュピンネヴァルト)からアラグラーソの受精した卵を持ち出し、鉄の森(アイゼンヴァルト)に運ぶということを計画している。ファーデンからシュテッペの辺りまでは街道沿いの町に早馬で協力を要請して色よい返事をもらえらた」

 広げた地図を指で示しながら説明していく。

「ヘングストから西は出した早馬がまだ帰って来てないからわからん」

「ならヘングストから三つ首の番犬要塞ドライ・ハルス・ヴァハフントブルクまでならば町で人を募るより我らの歩兵部隊と騎馬隊の方が早い。我らが請け負おう」

「いや、歩兵が間に合うシュネルはともかく騎馬ではアラグラーソの餌食になる。フリューとヘングストは……」

「そのくらいは我々も心得ている騎馬で先行し、徒歩で探索させればよい」

「わかったならそっちは任せる。ただ、もう早馬を出してしまったからそちらで衝突しないように折衝してくれ」

 これにはやや眉をひそめたものの黙って頷いた。

「問題は船だ。この辺りは小さな漁村の小舟と織物を運ぶ程度の荷舟しかないからとてもではないが森を再生するほどの数を運べない。軍の貨物船は使えないか?」

「そんなことではないかと思ってすでに我が軍の最新鋭船ドラグーンシュトックを動かしている。蒸気機関があるから川を遡るのも容易だ」

 軍人としてブルトルマン軍の技術力に自信を持っているのだろう、重々しい口調の中にもどこか誇らしげなふうが混ざっていた。

「それは助かる」

 多少鼻持ちならない気はしたがここで突っかかって協力をご破算にする必要もないので軽くいなして話を続けていく。

「リンドヴルム部隊は動かしてもらえるのか?」

「もちろんだ」

「それならリンドヴルムには二つやってほしいことがある一つは上空からの産卵場探し、もう一つは運んだ卵が孵るまでの護衛だ」

 産卵場は雌蜘蛛が木を倒して作っているのでそこだけサークルとしてぽっかり穴が開いている。森の中を進でいてもわからないし、高台がほとんどないこの辺りでは民間人には見つけ出す術はないが、リンドヴルムが協力してくれれば徒歩よりもはるかに効率的に産卵場を見つけることができる。

「産卵場探しはわかるが、卵が孵るまでの護衛はリンドヴルムには不向きだな」

 リンドヴルムの弱点は極めて燃費が悪いことにある。だからこそ、遠征してきたルディア軍は一師団にたった一大隊五百騎しか連れていなかったし、ブルトルマン軍はそれの弱点を補うためにドラグーンシュトックという母艦を造ったのだ。

「しかし、歩兵では妖魔の跋扈する地で護衛は厳しいだろう。船から矢でけん制するという方法もあるだろうが卵を割ってしまっては元も子もない」

 グロスマン将軍が腕を組んで首を捻り、

「う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん」

 唸ってしまった。

 見かねた部下の一人がブレッドに質問する。

「卵では木の苗床にはならないんですか?」

「わからん」

 当然のことではある。見つければできるだけ早く潰して回ることが田畑を護る上で必須だったのだ。卵の孵化が満月が鍵ということも町長ら生き字引の老人たち以外ほとんど知らない情報だった。

「妖魔の卵を孵るまで必死に守り、それが孵ったら今度は自分の身も危険に晒される……きけんとかそんなレベルじゃないですよ!ほとんど死ぬしかないじゃないか!」

「だから少しでも生き延びる可能性があるとしたら空に逃げられるリンドヴルムしかないと思ったんだが……」

「空がダメなら川は?」

 森へ先に出発したマーティンとは別にブレッドを手伝うために残っていたマリが提案した。

「川?ヒッポワソンはそれほど多くはいないぞ」

「そーじゃなくて船に卵積んだまま川の真ん中で留めておいて孵ったら接舷すればいいんじゃない?」

「それだ!」

 今の今まで妨害するかのように唸っていたグロスマン将軍が突然マリの両肩に手を置いて興奮気味にマリの提案を支持した。傍から見ると少女に襲いかかった熊のようで少し怖い。実際、妖魔を見ても平然としている少女の目じりに涙が浮かんでいる。

「将軍、ただでさえ顔が怖いんですからそんなに近づけてはその娘が失神してしまいますよ」

 冷静そうな部下の一人がツッコミを入れ、

「しかし、その娘の案は非常に興味深いです。蒸気機関を搭載する前の古いドラグーンシュトックが確か廃船するために軍港に在ったはずです。舵も怪しい代物ですが一応まだ浮いていますし、南岸にも民間船を引くための港が点在してますからロープで引けば接舷くらいは問題ないでしょう」

「急いでその方向で準備させろ!」

 マリの提案を具体的に実現可能だと説明した部下が敬礼をして退室した。

 いい感じになってきたな、と呟く。途方もない計画には違いないのに不思議とやれる気が増す一方だった。

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