第四章 共闘 2
撤退を成功させたアウエルバッハ将軍が会議のために第三の首へ戻るとさらなる凶報が待っていた。
「南西に配備した三師団が帰投できないッ!?」
ルディア軍に今回の遠征を決行させるための欺瞞行動として、また、妖魔の暴走が終息した後に速やかに牙の城に攻め込むために南西戦線に近い砦に配置していた三師団三万七千五百が獣人の襲撃を受け帰投を諦め南西の要塞に閉じこもったという。
「本当なのか!?」
空中からの探索任務を一手に引き受ける飛竜部隊を現在一手に担うグロスマン将軍に問いかける。
「本当だ。さきほど連中から報せが来た」
立て籠もる城塞があっても苦戦した通り、獣人の大群を相手に人間が勝つのは難しい。平地で襲撃を受ければ押し切って進むことなどできるものではない。
「一体……どれほどの獣人がいるというんだ?」
リスティッヒ元帥の幕僚の一人が苦々しげに呟く。
「無限だろう。何しろマーナガルムが次々と獣人を生みだしているだからな」
偵察してきたグロスマン将軍が皮肉たっぷりに答えると幕僚連中が憎しみの籠もった視線で応戦する。グロスマン将軍は鉄の森焼き討ちの反対派――というより反リスティッヒ元帥派の筆頭であり、元帥に迎合した幕僚たちとも犬猿の仲なのだ。
しかし、睨みあったところで解決などしない。この場で諌められる可能性があるとしたら自分だけだろうと観念して貧乏くじを引く。
「そんなことを言い合っている場合じゃないだろ。今議論すべきは、今後どうするか、だ」
アウエルバッハ将軍の仲裁で両者の睨みあいが解かれ、会議が再開される。口火を切ったのはリスティッヒ元帥だった。
「マーナガルム本体は予定通り南下しているのだな?」
「一応な。だがペースは馬の速度と大差ないぞ。まあ、この遅さでも二、三日中には牙の城に到達するだろうがな」
リスティッヒ元帥の意図を読んでグロスマン将軍が先手を打つ。
「だが、仮に当初の作戦通り牙の城近辺まで行ってくれたとしてもこちらも八割以上の兵を失っている。その上、領内の妖魔の動向まで怪しいのだぞ!ハッキリ言って牙の城を落とすことなど不可能だ」
「せっかく犠牲を払ってまで進めた作戦を中断せよというのか?」
グロスマン将軍の苦言を苦味など感じないかのようにさらりと流したばかりか、続行しないことの方が間違っていると言わんばかりの言い草で問うリスティッヒ元帥。
「当然だろうッ!」
作戦続行を押し進めようとする態度にグロスマン将軍が再び頭に血を昇らせる。
「現有戦力だけでは三つ首の番犬要塞の防衛で手いっぱいなんだぞ!領内の妖魔討伐すらままならない状況で侵攻など狂気の沙汰だ!!」
「こちらが一万の兵を失ったとはいえ、ルディア軍の遠征軍はほぼ全滅、数にして四万以上を失っている。しかも、情報によれば牙の城に詰めているのは兵站を担う後方部隊と新兵ばかりだというこれほどの好機を逃すのは阿呆のすることだ」
「貴様ッ!!兵の命、帝国臣民の命をなんだと思っている!!」
「落ち着け、グロスマン」
アウエルバッハ将軍宥め、そして援護する。
「元帥閣下、失礼ながら、私もさすがにこれだけの犠牲を出してなお作戦を押し進めるのは得策とは言えないと思います」
アウエルバッハ将軍の発言を受けて幕僚たちも同意を示す。
反対する一同の表情を見てリスティッヒ元帥がため息を吐いた。
「愚かな……」
しかし、観念したどころかまるで「アウエルバッハ将軍らの方が間違っている」と言わんばかりの言い草に一同が目を見開く。
「よいか、イースウェア併呑は陛下の『聖伐』を進める上で不可欠なのだ」
普段、感情の籠もらないリスティッヒ元帥の声にわずかだが確かな熱っぽさがある。
「『聖伐』が成れば今後長きに渡り妖魔の恐怖から解放される。そのために今数万の兵、十数万の臣民の犠牲を払うことを厭うわけにはいかない」
現皇帝が十年前に唱えた『聖伐』。銃火器の実用化、蒸気機関による水上移動手段の進歩、それに伴う軍事展開、兵站供給システムの見直しなど様々な改革を行い、進めてきた国策。
「たとえと『聖伐』のため言えど……さすがに賛同しかねます」
礼儀正しくアウエルバッハ将軍が反対を示す。
幕僚たちも皇帝を引き合いに出されて怯んだものの、さすがに暴走としか思えない強行案に賛同する気はない。
元帥以外が皆反対。
自陣にての孤立。
これに似た経験をリスティッヒ元帥は何度もしていた。
機械的に無情な判断を下す彼には腹心の部下など無ない。
無能な上官たちを押しのけて出世したのだから上層部でも味方は無きに等しい。
ただひたすら能力と実績のみで這いあがった。
積み重ねた実績の中で前線での戦いで部下を捨て石にするような作戦が何度かあった。
そういう時、部下の選択肢は三種類――三種類だと経験で知っている。
一つは決死。死に物狂いで戦い、生きようとする者。
一つは逃亡。死が迫る戦場から逃げ出そうとする者。
一つは反乱。自分を殺して作戦を止めようとする者。
これらのどれを選ぶか――選ぼうとするかは元々の気性で決まっているのだが、それらは必ず少しずつブレンドされている。選択する結果は決まっているのに己の心の中で三竦みとなって自らを縛り、動きを止める。
決死ならその爆発力を利用するだけ。
逃亡なら軍規に則って処罰するだけ。
重要なのは反乱を選択する部下がいた場合の対処。
戦場では指揮官の戦死の内「流れ弾」が占める割合が少なくないことをリスティッヒ元帥はよく心得ていた。だからこそ孤立無援でも生き延びてきた。
クリュスタッロス山脈の裾のに在った小国スタリアを攻めたときも山間部の砦に立て籠もったスタリア軍掃討作戦で部下の「流れ弾」に当たるところだった。
そして、今ここにいる何人かはすでにその三竦みを終えようとしている。
(ポーン風情が………)
しかし、こうした事態に備えて裏切らない――否、裏切れない人間を人選していた護衛はあの女騎士に斬り殺されて今は二人しかいない。
リスティッヒ元帥が護衛に命じるのが先か。
竦みから脱した将軍、幕僚たちが仕掛けるのが先か。
しかし、均衡を破ったのはそのどちらでもなかった。
「大変です!」
礼もとらずに駆け込んできた部下に本来ならば誰かしら叱責を浴びせるところだが、均衡が予想外の崩れ方をしたために咄嗟に反応出来た者はいなかった。
「ルディア軍の残兵と思しき女騎士が現れ、『話がある元帥か将官を呼べ』と」
その女騎士が自分と対峙した者だとは思わなかったが、それでもちょうど忌々しい女騎士のことを思い出して苦いものが込み上げていたリスティッヒ元帥の眉間に皺が寄る。
真っ先に口を開いたのはグロスマン将軍だった。
「わかった。俺が行こう」
「待て」
「何か?」
「行ってどうする気だ?」
問いかけはあくまで確認だが、言外に「得体の知れない輩の言に耳を傾ける必要はない」と告げられていることがわからないグロスマン将軍ではない。
「もちろん話があるというのだから聞いてみる」
しかし、わかっていてあえて正直に答えた。
「必よ………」
必要ない、と言ったリスティッヒ元帥の言葉は窓を突き破り、会議室に突入して白い影とそれが巻き起こした破壊音で誰の耳にも届かなかった。
「悪いな。あまりに遅いので乗り込ませてもらった」
視界にかかるペールブルーの髪を振り払いながら平然と言い放つ。強い意志と気品を併せ持つサファイアブルーの瞳を持った麗人。身なりはだいぶ変わっているが見紛うことはない、あの時の女騎士だ。
誰一人言葉を発しない。
否、発せない。
ローズに気圧されている面も多少はあるかもしれないが、それ以上に幾重にも信じがたい事実が広がる光景に度肝を抜かれている側面が強い。
まず、この会議室は城の中腹にある。敵に責められるリスクが少ない第三の首だから市街に面した窓を用意しているが、飛び込んでくることなど飛龍やヒッポグリフなど飛行能力を有する騎でない限り到底不可能だ。
しかし、眼前にはそれを可能にした獣がいる。彫刻のような繊細さを感じさせる白馬。それだけなら珍しいまでも皆無ではないだろうが、その額から突き出る鋭い角が単なる馬とは一線を画す存在であることを示している。
伝え聞く話ではこの獣は決してその背に何人も乗せることはないはず。
しかし、事実として麗人はその背に跨っている。
全員が共有する驚愕に加えてグロスマン将軍とアウエルバッハ将軍だけが更なる驚きに見舞われていた。蜘蛛の森に落ちて死んだと思っていた。仮に木々枝葉がクッションになり生き延びたとしても妖魔の巣くう森からたった一人で生還するなど誰にでもできるようなことではない。
「時間もないので手短に説明させてもらう」
途方に暮れているブルトルマン軍将官たちに構うことなく、単刀直入に切り出した。
「マーナガルムの目覚めに呼応して周辺の山野の主たちも目覚めつつある。このままマーナガルムという抑止力がなくなれば、目覚めた主同士の争乱が巻き起こる。そうなればこの辺り一帯に安住の地など無くなるぞ。ヤツを呼び戻し、鎮めるために私は鉄の森を再生するつもりだ。お前たちも協力しろ」
一息に圧縮した説明を終える。
「ふざけるな」
声を荒げることもなく、ただ冷静に拒絶の意思を示したのはいうまでもなくリスティッヒ元帥だ。
「マーナガルムは南に向かっている。せっかく祓った大妖魔をなぜ我らがルディアのために作戦を中止してまで呼び戻さねばならない?」
「我が国のためでない。被害にあう両国国民のためだ」
「今は大火の影響で多少騒がしいにすぎん。多少妖魔が騒ごうとも我が国に害など無い」
「ここに来るまでに途中にあった町々の様子を見てきたがとても『害がない』とは言えないと思がな」
「マーナガルムが南へと去り、時が経てば自然と鎮まる」
淡々と述べられるリスティッヒ元帥の推論はあまりにも現実を見ていない。少なくとも並み程度の知能があればそんな楽観ができるはずがない。
「本気でそう思っているのか?」
「私が嘘を吐いているとでも?」
言い放つリスティッヒ元帥。
しかし、ローズは確信した、彼は嘘を吐いている、と。ローズにではない、自分自身に。完璧だった自分の計算が狂うはずがない、と。
「目を覚ませ、リスティッヒ。神話級の妖魔がもたらす災厄が他の妖魔のそれと同じは秤で計れるはずがないだろう」
しかし、説得は彼の耳には届かなかった。耳元を飛び回る羽虫を払うように手を振る。
その動作を受けて先日の雪辱を果たすべく二人の護衛が抜刀し、斬りかかるが、
――愚か者め
アルコンティアが首を横に一振りする。軽く振ったように見えた動作で角を剣に打ち付けた。それだけでワイングラスを砕くように軽々と護衛の剣が砕け、へし折れた。
「そこまでだ」
ローズの視線が斬りかかってきた護衛兵二人に取られていたわずかの間にグロスマン将軍が剣を突きつけ勧告する。
「何の真似だ、グロスマン?」
しかし、切っ先が突きつけられている相手はローズではない。
「お前が度を見失っているのは誰が見ても明らかだ」
「敵兵の言を信じ、味方するというのか?軍規違反だな」
「処分なら甘んじて受けてやる。誰か元帥閣下を牢へ連れて行け!」
「ハッ」
騒ぎを聞きつけて駆けつけていた衛兵が二人進み出て、リスティッヒ元帥を連れて退出していった。
「甘いことだと思うか?」
その様子を騎上から眺めていたローズにシニカルな笑みを浮かべてグロスマン将軍が問う。
「いや、潔癖だとは思うが」
ここでリスティッヒ元帥を殺していれば「戦死」にできたはずなのだ、ちょうどいい具合に「敵」が跳びこんできていたのだから。しかし、グロスマン将軍はそうせずあえてリスティッヒ元帥を生かした。事態が終息したら処罰を受ける覚悟を背負って。その気性は苦笑を禁じ得ないが甘いとは思わなかった。
「それで貴公らは協力していただけるのか?できないというならせめて邪魔をせず黙って見ていてほしい」
「手段も聞かずに協力は約束できんが、我々もこのままではいけないと思っていたところだ。お前はどこでその話を聞いた?森を再生するとはいったいどうする気だ?」
「話はユニコーンたちから聞いた」
人が均衡を崩したことに憤っていた彼らから理由を聞いたこと、今起きている騒ぎを治め、争乱を防ぐ術としてマーナガルム元居た森に戻せ、と言われたことを説明していく。
「なるほど……」
「信じられないか?」
「普通ならな」
そういってわずかに逸らされた視線はアルコンティアを見つめている。
「しかし、こうして実際にユニコーンに乗ってこられちゃ信じざるを得ない」
「しかし、今の話だと具体的な方法は聞き出せなかったということだろう。さっきは森を再生すると言っていたが一体どうする?」
「アラグラーソのことは知っているな?」
「あの仔蜘蛛は死ぬと骸が木を生やす苗床となる。それを利用する」
「気は確かか?」
誰一人、なぜ余所者のローズがアラグラーソのことを知っているのか、とは問わなかった。それは敵の逃亡兵を匿った可能性のある領民を追及しない、ということ。
「確かだ」
それを確認したからこそ躊躇わずに言葉を繋げる。
「今蜘蛛の森近隣の漁村などから船を集めるために声をかけてもらっている。しかし、森に入り産卵場を探し出し、卵を運び出す人手が絶対的に足りない」
「それを軍に協力しろ、というのだな」
しばし目線を逸らさず、考えるというよりは挑戦的に睨むようにしていたグロスマン将軍が途端に振り返り、
「全責任は俺がとる。この女騎士に協力するぞ!いいな」
全員が即座に呼応したわけではなかった。特に参謀たちなど会議出席者の高官たちは顔を見合わせ躊躇いの色が濃い者が多かったが、騒ぎを聞きつけ駆けつけた入り口にいる佐官、尉官ら若い兵士たちは大半が応じた。
「ラッツェル」
会議に参加していた参謀の内の一番若く、躊躇いの少なかった一人が呼びかけに反応した。
「リスティッヒの直轄旅団はお前が代行して指揮しろ。アウエルバッハに代わり、城塞と市街の防衛にあたれ!」
「ハッ!」
「アウエルバッハ」
「オウ」
「お前の旅団は陸路で蜘蛛の森へ向かえ卵の発見を運び出し行え!」
「了解した」
「ベッケンバウアー」
今度は入り口から駈け込んで来た佐官と思しき兵が応じた。階級章は少佐のようだ。
「船を支度しろ!ドラグーンシュトックなら仔蜘蛛を大量に運べる」
ベッケンバウアー少佐が敬礼して駆け出していく
「ゲルラッハ!」
「ハッ」
ベッケンバウアー少佐の近くに立っていた男が応じた。階級は大尉だ。
「市街にいるギルドに緊急の通達を出せ!集められるだけの兵を集めてアウエルバッハの部隊と協力して卵の探索と運びだしを手伝わせろ」
ゲルラッハ大尉は丁寧に復唱すると敬礼して退室していった。
「協力感謝する」
手際のいい指示が一区切りついたところで謝辞を述べたが、
「礼などいらん!」
すげなく切って捨てられた。
「これは我が軍が招いた事態。むしろ感謝せねばならんのは我らの方だ。立場上礼はできんが代わりに情報をくれてやる。どういうわけかマーナガルムは夜はほとんど動かず、もっぱら昼間活動している。恐らく数日中には牙の城に到達するだろう」
「――――ッ!」
砦に立て籠もる兵たちを撒き餌にしてマーナガルムを牙の城へと誘導する。推測していた作戦とはいえ改めて揺るがない事実として突きつけられると動揺を禁じ得なかった。しかし、さらに悪い情報が加えられる。
「それとマーナガルムは夜に獣人や妖魔を無尽蔵に生みだしていた」
「な……ッ…………そんなことが?」
「信じられんのはわかるが、間違いない事実だ」
疑う、というよりただ信じられない。番も作らずに無尽蔵に眷族同族を生みだせるなど神にも匹敵する力だ。
「森を再生したとしてどうやってマーナガルムを呼び戻す気だ?」
驚愕のあまり言葉を失っているローズにグロスマン将軍が問いかける。
妖魔を誘導する方法は基本的に今回リスティッヒ元帥がやったように撒き餌などで誘導するか、誰かが標的になって誘導するかの二通りしかない。
「私たちが囮になって引っ張ってくる」
ローズがこともなげに言い、アルコンティアが誇らしげに軽く嘶く。
この女騎士が撒き餌になる大量の生け贄など許すはずがないことはわかる。しかし、山ほどもある巨躯は、あえて愉しむかのようにゆっくりと南下しているが、その気になれば一駆けで牙の城へ至るだろう。そんな怪物にターゲットされて本気で逃げ切れると思っているのだろうか?
だが、騎上から見下ろすローズの眼に不安はない。できる、できないではなくただやるという決意だけが輝きを放つ。
「わかった。ウチの飛竜部隊を援軍に送る。それと第一の首は現在獣人に蹂躙されている地上を行くなら気をつけろよ」
グロスマン将軍は純粋に気遣ってくれただけだが、これにアルコンティアが蹄をならして威嚇する。獣人ごときにユニコーンを捉えられるとでも思っているのか? と語らずとも荒げた鼻息で容易に理解できた。
「いらん心配だったか?」
ややたじろぎながら苦笑する。
「いや、お心遣い感謝する。一刻が惜しい。私は先にいかせてもらう」
そういうと手綱がないためユニコーンの首元を軽く叩いて指示し、身を翻すと風となって駆けていった。
(アレには敵わんな)
強大な存在感を示した騎馬が去り、物理的にも感覚的にもぽっかり穴の開いた空間を見つめながらグロスマン将軍は潔く負けを認めていた。




