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ルディア戦記  作者: 足立葵
第一話「戦場の青き薔薇」
28/162

第四章 共闘 1

 翌朝、木漏れ日でも泉の畔が十分に明るくなると鏃を摘出手術に取り掛かった。

 しかし、これが結構手こずった。一度は承知したアルコンティアだったが、夜が明け改めてナイフを向けられるとやはり躊躇した。逃げようとするの彼の矜持をローズが言葉でくすぐり、なんとか再度決意させた。

 ようやく取りかかれると思ったが、次は群れの若いユニコーンたちが邪魔に入った。仲間にナイフを向けるローズに難癖をつけてきたのだ。心が読めるのだから害意がないことくらいわかるだろうに、と思いながら説得を試みれば今度はローズの態度に難癖をつける始末。結局、ゲンナディオスが一喝して黙らせることでようなく収拾がついた。

 収拾がついてようやく執刀。本来傷口を開く場合にはナイフを熱殺菌するべきだが、手持ちの道具では火を熾せない。代わりに薬泉の水でナイフを清めてから手術を行った。

 幸い骨に食い込んでいるようなことはなく、単に鏃の付け根が折れていただけだったのでそれほど手間取ることもなく短時間で摘出は済んだ。傷口も貫通創傷まで治癒する薬泉の効能の前ではかすり傷も同然でみるみる内に塞がった。

 無駄に疲れた手術を終えて、別れの挨拶を済ませるとゲンナディオスが教えてくれたユニコーンの通り道を進んで森の外へ向かって歩き出したが、

 森に分け入り、歩き通し、体感ですでに一時間は過ぎた。

 この森がなんという森なのかはわからないし、どんな妖魔がでるのかもわからないがゲンナディオスの言では蜘蛛の森(シュピンネヴァルト)ではないらしい。相当森深い場所から外界へと戻らなければならなかったが、幸いユニコーンの道は彼らの気配が残っているので他の妖魔に襲われる心配が少ないそうだ。事実妖魔には襲われていないが、

「どこなんだ、ここは?」

 一応、進むべき道を聞いているとはいえ、いつ終わるともしれない道をただひたすら歩くのはやはり精神的に疲労が大きい。その上相当量の血を流したらしく、すぐに息が切れる。

 ――クリュスタッロス山脈の裾のだ

 答える者の無い問いに意識に届く声で答えがあったことに驚き、振り返る。

「アルコンティア!?」

 泉で別れたはずの姿に驚きを隠せず、つい大きな声をあげてしまった。

「どうしてここに?」

 ――礼をしに来た

「礼?」

 ――鏃を除いてもらった礼だ

 そういいながらローズの前に額ずくように頭をさげ、口に咥えていた棒のようなものを静かに下ろした。

「これは……?」

 螺旋を描いて捩じりながら尖鋭化している角、紛れもなくユニコーンの角だ。それも長い。おそらくゲンナディオスの角だろう。彼以外にはこれほど長い角の持ち主はいなかったと記憶している。

「随分と長い角だが……一体どうしたんだ?」

 ――受け取れ、娘を救いたいのだろう?

 どうしたのかには答えず、ただ拾うように促す。

 しばらく待って、説明する気がないことを覚ってようやく腰を折って角を拾い上げた。使い慣れたロングソードとさして変わらない長さの長大な角を手に取って矯めつ眇めつ見分する。

 もしかしたらゲンナディオスのものではないのかもしれない。純白だった彼の角に比べると少しくすんだ象牙色をしている。

 角を眺めるローズをじっと観察していたアルコンティアが再び意思を発する。

 ――お前は本当にマーナガルムを止める気か?

 昨晩も聞かれた問い、ならば答えも同じ。

「止められるとは思わないが伝えねばとは思う。そのあと何ができるかは他の者たちとどれだけ手を取りあえるかで決まる。私はできることをやるだけだ」

 ――できることをするだけ……

 ローズの答えを聞き呟くと、近づき、横に並んで、

 ――乗れ

「いいのか?」

 エメラルドの輝きから漆黒へとグラデーションを奏でる瞳を覗き込んで問う、「そんなことをしていいのか?」と。ユニコーンは気位が高くその背に誰かを乗せることなど無いと聞く。人間を乗せるということは気高いユニコーンの尊厳に傷をつける行為に思われる。

 ――人の足では間に合わないぞ

 アルコンティアはそのことを承知の上らしく、催促するだけだ。

 確かにどれだけかかるか知れない森の道。風の如き速さで駆けるユニコーンに送ってもらえるとなれば心強い。

「恩に着る」

 礼を言って跨る。

 ――どうせ、一つも二つも変わらない

 アルコンティアが寂しげに呟いた言葉は鐙も鞍もない裸馬に乗るという慣れない作業に苦戦していたローズの意識には届かなかった。

 ローズが騎乗するやいなや西へ、ファーデンの町へと向かって駆け出した。

 木々が流れるように過ぎ去り、行く手の木々が近づきすぐに流れ去る。まるで木が避けているような錯覚を覚えるほどのスピード。手綱をとって馬を駆っても木々が乱立し、灌木が茂る森の中でスピードは出せない。

 まして、今ローズが乗っているのは最速の妖魔の一つであるユニコーン。乗馬に適している無駄な生地の少ない服でさえも風の抵抗は凄まじい。激しい風音が耳を塞ぎ、吹きつける風に目を開けているだけでやっとだ。

 台風か竜巻にでも吹かれているような強風に振り落されないように首に手を回し、抱くようにしてしがみつく。

 

 ブレッドたちは宿の一階の食堂でちょっと遅めの朝食を摂っていた。

 マーティンは酒で濁った目のままなおもしかめっ面で酒を煽っている。マリもマリでさっきからちょっとパンをちぎっては食べてボーっとして、しばらくするとまた申し訳程度にちょびっとだけ食べるを繰り返している。明らかにここを離れてシュテフィに会いに行くのを渋っていた。

 一向に終わる気配のない朝食にブレッドが痺れを切らせて、いい加減いくぞ、と声をかけようと立ち上がったときだった。

 宿が吹き飛ぶのではないかという恐怖さえ抱くような突風が窓を叩き、風音に紛れて蹄が地を蹴る音も聞こえてきた。

 続いてけたたましい馬の嘶きに似た、それでいて澄んだ印象の嘶きが轟き、住民たちの騒めきが聞こえてきた。

 いくら気が乗らなくとも妖魔の騒動に反応しない傭兵など光輝な聖杯(ホリー・チャリス)のメンバーにはいない。まして、この荒んだ空気の原因となった妖魔を思わせる諸要素に反応しないわけがない。即座に三人は宿を飛び出した。

 町の入口に近い宿に泊まっていたおかげですぐにそれは目に飛び込んできた。

 馬に似た白い毛並みの妖魔。額から伸びる尖鋭の角。

 見紛うことなきユニコーンの姿。

 心情的にはすでに仲間と認識していたローズを刺したその姿を目にしてマーティンが背中の大剣を抜きながら斬りかかろうと一歩踏み出し、たたらを踏む。

 跨る者などいるはずのないその背に人影を見とめて。

 一拍遅れてマリが息を呑む。

 ブレッドは信じられないというように隻眼を丸く見開いていた。

 騎乗の人影も動かなかった。しかし、ユニコーンの首を抱きしめて離さない手と激しく上下する肩が生きていることを示していた。

「――なっ……ッ!」

 騒ぎを聞きつけ駆けつけてくる町の住人も驚愕に目を見開き、息を飲む。

 驚きの要因は単に、ユニコーンが現われたから、という単純なものではない。

 この世界の大国の中には建国の父が強力な妖魔を従え、国の礎を築いたという伝説が数多く残っている。かつて西方全域を支配した神聖ディシギイロース帝国の初代皇帝、東方クンルンを統べる皇帝。

 そして、他ならないルディア王国の初代国王。彼はユニコーン同様気位が高く決して人を背に乗せないと言われるグリフォンを従え、十数の小国を平定し、六百年の及ぶ大王朝の基礎を築いたと言われている。

 つまり、常人に従えることのできない妖魔を従えることは王気を備えるほどの大器の証とも捉えられる。

 単純な恐怖、畏怖、驚愕、感嘆集まった町の住民たちの顔に様々な感情が浮かぶ。

 そんな人々の表情に構うことなく、騎乗の人影がゆっくりとユニコーンの背から降りて、腹に背を預けるようにして弱々しく立つ。

「本当に……ロ」

 ローズなのか、と問いかけようとしたブレッドの横をその跳躍力にものを言わせてウサギのような一跳びでローズに跳びついたマリが遮った。

「ロォーズぅ~無事でよかったぁぁぁあああああ~~~~」

 涙混じりの歓声。

「あ……ああ……」

 吐き気に耐えるような青ざめた顔に戸惑い半分と微笑み半分の表情を浮かべたローズがマリの頭を撫でながら頷く。

「大丈夫っ!?傷が痛むの?」

「いや、傷は大丈夫だ」

 そういってシュテフィが仕立てたばかりの服に開いた風穴を示す。しかし、その顔色は優れないのは隠せていない。

 ――情けない

 そこへ呆れたような――否、呆れかえった声でアルコンティアがツッコミを入れた。

 ――あの程度の速度で酔うとは

 鞍も手綱もない裸馬に乗るのは相当の体力と技術を要する。それだけでも疲れることなのにアルコンティアは容赦なく飛ばした。

 普通の馬はどんなに早くとも時速八十キロメートルが限界。それも障害物のない直線を瞬間的な速さで、だ。馬上槍個人戦ジョストなどで駆ける時でも時速四十キロとない。ましてや長距離を旅するとなれば時速十五キロメートル程度が関の山だ。

 しかし、アルコンティアは鳥すらも追い抜く速度で駆け抜けた。それも大樹の乱立する森の獣道を蛇行しながら、だ。正確な速さはローズにはわからないが突然あんな速度で振り回されれば酔うのは当然のこと。むしろ振り落されなかったことは賞賛に値するだろう。

「次は……もう少し……お手柔らかに……頼みたいな」

 ――あれでも三分の一以下の速度なんだがな

「ヴィーヴルの倍はあるように感じたぞ」

 ちなみにヴィーヴルの最高速度は(急降下で)時速百キロメートルである。

「誰と話してるの?」

 キョトンとした顔で心配そうに見上げてくるマリ。

「お前の声って?」

 ――お前以外には聞こえていない……が、この娘はいいだろう

「わっ!!えっ?何これ!?ユニコーンの声?」

 耳に手を当てて意識に直接呼びかける声を確かめて驚いている。

 どうやらマリも「純潔なもの」と認められたたのだろう。しかし、声を聞かせる相手すら選ぶとは、と呆れ気味に息を吐く。

 そんなローズに置いてかれていたブレッドとマーティンが声をかけてきた。

「ローズ……どうやって?」

「幽霊じゃ……ねぇよな?」

「ちゃんと足はある。彼らに見逃してもらった、という感じかな」

 当然の反応に苦笑しながら返し、

「ところで二人に……いや、町の人にも聞いてもらいたいことがある」

「重要な話か?」

 ローズの真剣な眼差しに重要な話であることは疑いようのないこと。ブレッドの問いの意図するところは「いきなり普通の住民に話しても平気な内容か?」ということだ。

「ああ、重要な話だ」

「わかった。どちらにしせよ。まずはシュテフィの店に行こう」

 提案に頷き、連れだってシュテフィの店に向かった。

 実物のユニコーンを見て、さらにその角を手に入れたと伝えるとファルカは狂喜して跳び跳ねて喜んだ。硬質なユニコーンの角を削ったり砕いたりできるのは七大鋼か上位の錬金鋼、同等の妖魔の骨など限られるが、幸いマリのダガーは七大鋼の一つルェンワーン製だ。角をマリに渡して、削る作業を任せると、ローズはブレッドとマーティンにユニコーンたちに聞いた話を語って聞かせる。

 マーナガルムの暴走に呼応して周囲の森の主たちが目覚めかかっているということ。もし、マーナガルムが去り、主たちが目覚めれば主たちの争乱が起きるということ。今ならマーナガルムを鎮め、鉄の森(アイゼンヴァルト)に戻すことで最悪の騒乱だけは防げるということ。

「どうやって誘導し、鎮めればいいか、その具体的な方法は?」

 今起こっている事態、これから起こる事態を聞いたブレッドの第一声に対し、

「皆目見当がつかない」

 ローズの返答はあまりに心許ないものだった。

「そんなことで住民たちに協力を得られると本気で思っているのか?」

「住民たちの協力が得られずとも彼らが事態を知れば非難することはできる」

「証拠は? 何万の人間が難民になることをお前の言葉だけを信じて広める手伝いをしろってのか? 嘘なら俺たちがルディア軍の情報工作に加担したことになる」

 シュテフィが「ルディア軍」という単語に息を飲むが今さらそんなところにこだわっていても仕方ない。その程度にはブレッドたちは違法行為にも慣れている。たった一人の敵兵を手引きすることくらい気にしない。そもそもギルド所属の傭兵にとって国法に違反した依頼を受けることもなくはない。

 しかし、自分たちが協力することで大勢の生活を破綻に追い込むような依頼を受ける気はない。目の前の女騎士を信用しているか、いないか、という問題ではない。個々人の間の信用だけで動いていい事柄ではない。

「証拠ならあるだろう」

 ブレッドの意図するところを理解した上でローズは迷わず答えた。

「文字通り対岸の火事であるはずの事態にアポドミティカが暴れている。少し待てば森に棲む妖魔たちも暴れ出すだろう」

「なら協力できるのはそれを見てから……」

「それでは住民は避難できるかもしれないが、住む所を失って難民になるしかないな」

 その難民の中にはシュテフィやファルカも含まれる。人間の情の身勝手なところとして同じ悲劇でも知人が巻き込まれるか、否かで大きく受け止め方が変わる。

「……………………大体何を協力しろってんだ?」

「まずは妖魔を鎮める手段の知識、正確にはその中でマーナガルムを鎮められる可能性があるものを教えて欲しい」

 ローズの乏しい知識でも生贄を捧げたり、供物を奉じることで凶暴な妖魔を鎮める地域があると聞いたことがある。妖魔相手に仕事をしている二人なら戦う以外に鎮める方法を知っているのではないかと期待したのだが、

「う~ん、主を鎮める儀式ってのは大体どこも生贄か供物を捧げるかくらいしかないだろ?」

「ああ、あとはよほど特殊な例で参考にはならない。基本的には鎮める代わりに代価を払う。その代価が何なのかは言い伝えを参考にいろいろ試したり、住民と主との間で長年かかって折り合いをつけたものだ。肉食の妖魔なら基本的には……」

「生贄……か」

 重苦しい沈黙が部屋を支配した。

 生贄の数は妖魔によって異なる。しかし、神話級の妖魔を鎮めるにはどれほどの生贄が必要か。家畜ならば近隣住民の生活を破綻に追い込むほどの量になるかもしれない。それでもまだ家畜で満足してくれれば安いものかもしれないが、人間を要求されることも少なくない。

「森を再生させてはどうかね?」

 突如、部屋を満たしていた沈黙を破ったのはブレッドでもマーティンでもローズでも家主のシュテフィでもない全くの第三者だった。他人の気配に敏感な三人にすら気づかれることなく室内に侵入した第三者は老人だった。特に畏怖畏敬を勝ち取るような存在感は無い。

 しかし、人生六十年と言われる世界でゆうに七十は超えているであろうその老齢の姿。その顔や手、首いたるところに刻まれた皺の一つ一つには重ねてきた年月の分だけでなく知恵と知識が刻み込まれていることがわかる。

「町長」

 乱入者を見とめて怯えを交えてシュテフィが呻いた。

 上級妖魔ユニコーンを駆って町にきた者がいた、となれば町の責任者たる町長のところに即座に報せがいったことは当然のことだ。

 問題なのはどこから聞かれていたか、より正確には「ルディア軍」という単語を聞かれているかどうかだ。敵国の兵士をまるで匿うように家に上げていたとなれば村八分の対象となり兼ねない。そうなればここ数年冷遇されていたシュテフィたちを庇う住民はいない。せっかく穢れが祓われようというシュテフィが怯えるのも無理からぬことだ。

「いつから聞いていたんですか?」

「かなり最初の方からじゃな。ちょうど昨日アンタたちが見つけた産卵場の処置の決定を知らせようと思ってアンタたちの宿に行ったところにそこのお嬢さんが現れたからな」

 町長の言葉に重かった空気がさらに重苦しくなる。

 つまり、ローズがルディア軍の兵士であることを聞かれてしまったということだ。

「…………………………」

 しかし、町長は何も言わず、深い皺と見間違うほど細められた双眸をシュテフィに向けることすらせずにただ空いている椅子に腰かけただけだった。

「では森を再生するとはどういうことですか?」

 しばし、沈黙して町長にシュテフィを咎める意思がなさそうなことを読み取ってブレッドが問いかけた。

「そのままの意味じゃよ。マーナガルムの怒りの源泉はどこにあるのか? 単純に考えればそれは棲家たる森を焼かれたことにほかならんじゃろう。だったら、森を再生し、許しを請うしかなかろう」

「町長さんよ、簡単にいうがどうやって森を再生するっていうんだ? 木がまともに育つまで何年かかるか知らんわけじゃあるまい?」

「俺もこのバカと同意見だな。そんなことしてる間に主たちは目覚め、マーナガルムという抑止力がないまま騒乱のはじまりだ」

 常識的に考えた二人は否定の言葉を返した。しかし、まだこの地に来て日が浅いローズは情報が新鮮で故に二人のように常識の中に埋もらせてしまうことはなかった。

「アラグラーソを利用するんだな?」

「その通り」

「「「アラグラーソを利用する!?」」」

 ブレッド、マーティン、シュテフィ、三つの口が同様の驚愕と疑問を口にする。

「仔のアラグラーソは死ぬと骸を苗床にして木を育てるだろ」

「ああ……ってああそういうことか!?」

 これだけのやり取りでブレッドはこの途方もない発想に気がついた。

「どういうことだよ? 二人だけで納得してんじゃねえよ」

 しかし、さすがに突拍子もない発想にマーティンは追いつけなかったらしく、やや苛立った声で説明を要求した。

「アラグラーソの仔蜘蛛を南岸の鉄の森(アイゼンヴァルト)の焼け野原に送って森を復活させることができれば、マーナガルムを鎮めることができるかもしれない……ということだ」

「んな……」

 そんな無茶な、という言葉にならない反論をシュテフィが引き継いだ。

「でも、森を再生するほどの仔蜘蛛をどうやって対岸のそれもはるか西へ運ぶんですか?」

「卵のまま船で運べばよいことじゃ」

 幸いファーデンは商業の港町、船なら多少の数がある。

「しかし、町長、それだって相当の数が必要になる。この町の住人を総動員しても一日や二日では到底ムリだろう?」

「大抵生贄というのは年に一人二人ないし一頭二頭だが、それで妖魔の腹が満たされると思うか? 儂は思わん。生贄というのは人間の誠意を示し、決して彼らを軽んじているわけではなく、むしろ彼らに畏れを抱いていること示すものだと儂は考えている」

「つまり、わずかでも森を再生して誠意を示すことができればマーナガルムを鎮めることが可能だってことですか?」

「可能性はあるのではないか、と思うがどうかね?」

 この場で唯一の異邦人であり、そもそもの問題の提起者であるローズへと結論を求めるように問いかける。

「なぜ、私に協力する気に?」

 答える前に疑問を掃いたかった。

 ローズがルディア王国の軍人だという行は聞いていた、と町長は言った。なのにシュテフィを責める素振りすら見せていない。誰かに通報させて時間を稼いでいるのでは? という疑念がある以上当然の問いだ。

「……軍が蜘蛛の森(シュピンネヴァルト)を焼いたとき、町中の人間が苦しんだ」

 しばし迷ってから町長が口を開いた。

「しかし、軍は当初何もしてくれなんだ。儂らが仕方なしに抗議を起こそうとしてようやく補償をしてくれたが……訴えようとしたのが気に障ったんじゃろう、以来蜘蛛の森(シュピンネヴァルト)を焼くという計画は立ち消えになってしまった。住民の中には未だに病から治らない者や妖魔を是認する連中が苦情を訴えるせいだなどという輩までいるが……」

 町長の呟きにシュテフィが顔を伏せる。

 実際には森の主が正体不明だということと毒性を回避する手段に見当がつかないために見送られたのだが、期待していた農民たちの中にはそういった理屈では割り切れないものも少なからずいた。

「それ以上に軍に対する不平不満が溜まっている。そこに今度はこの騒動。軍は情報を隠し、大災害の予兆としか思えん妖魔の騒動が相次いでいるのに動きもしない。それならいっそのことアンタに賭けてみてもいい、と思ったんじゃよ」

 アンタに、というのは別にローズの人柄をしんじたわけではないだろう。強力な妖魔を従える者を英雄的、救世主的に捉える信仰のようなものかもしれない。

 しかし、理由はどうあれこの状況で協力は嬉しい限りだ。

「辛いことを聞いて申し訳ない。できるだけ町の住民たちが狂乱に陥らないようにこの話を伝えて頂きたい」

 テーブル越しに差し伸べたローズの手を節くれだった古木のような手で握った。

「それはいいができるだけ早くしないといけないんだぞ。卵が孵るまでの正確な日数は不明なんだ。仔蜘蛛がやられて木が育つまで数日かかることも踏まえると……」

「四日でよい。最初の卵は明晩孵る」

「なんでそう言い切れる?」

 キッパリと言い切った町長の言葉にブレッドが怪訝に問い返す。ベテランの傭兵である自分ですら卵が孵る日など見当もつかないのにどうして言い切れるのか、と。

「なんじゃ、知らんのか?」

 単純明快なことを問われたかのように嘆息混じりに答える。

「アラグラーソの雌がなんでわざわざ木を切り倒して産卵場を作るか一度も考えたことはないのか?」

 えっ、とブレッドが言葉に窮する。当たり前のこととして見える事象に疑問を抱いて理由を解明しようという考え方をできる人間は少ない。

「妖魔は日の光を嫌う。にもかかわらずアラグラーソの雌はあえて木を伐り枝葉の天蓋を取り払ってから卵を産む。不思議だとは思わんかったのか?」

 言われて見れば確かにそうだ。妖魔の特性とは食い違う行動は確かにおかしい。

「卵は月光を受けて孵るときを計っているのだ。孵化は満月の晩、月の魔力がもっとも強まるときに孵ると決まっている」

 昼間行う退治には不要な知識。それ故にブレッドたちは知らなかったのだろう。

「あとは人手の問題だな」

 町の住民たちが手を貸してくれたとしてもそれだけでは心許ない。少しでも多く、できることなら罪を犯した張本人たちにも謝罪させたい、そう思って立ち上がる。

「おい、待てよ。どこ行く気だ?」

「マーナガルムを呼び戻す役目はこの事態を招いた軍人たちが果たさねばならないだろう?」

 そう告げるとローズは裏口から出て行った。

 

 同じ頃、三つ首の番犬要塞ドライ・ハルス・ヴァハフントブルクも騒然となっていた。その混乱と狂騒は他の町よりも数段激しいものであり、とりわけ前線である第一の首(エアスターハルス)の防衛戦はルディア軍との死闘を上回る激戦となっていた。

「侵入を許すな!放てぇッ!!」

 前線指揮官アウエルバッハ将軍の号令とともに破魔矢が一斉に敵に向かって放たれる。

 敵は獣人。ワーウルフやコボルト集団で襲いかかってきたのだ。

 妖魔は多くが日の光を嫌って昼間は活動しない。だから、夜通し防衛に努めていたブルトルマン軍の多くが昼は休息をとっていた。そんなところに南西の森から突如現れた。獣人にとっても陽光は害だが、妖魔に比すればそれほどではないらしい。ちょうど休息をとるために兵の多くが北岸に撤収した隙に獣人たち大群に攻め込まれ、たちまち市街は落され、第一の首(エアスターハルス)の城塞も時間の問題という状況に追い込まれていた。

 偵察に出たグロスマン将軍が夜明け前に帰投し、マーナガルムから大量の妖魔獣人が産み落とされ、四方に向かって散っているとの知らせを受けた。そのときはさすがに友人であり、信用おける戦友の言もにわかに信じられなかったが、こうして多くを討伐したはずの獣人たちが突如として襲いかかってきた現実を前には信じざるを得なかった。

「接近を許すな!」

 四つ足である妖魔にはない手を駆使して城壁に取りつき、よじ登ってくる獣人たちを長槍で突き刺し、矢を射て突き落とす。

「ワァァァァァアアアアアアア」

 絶叫とともに槍を突き下ろした兵が槍を掴まれ、逆に引きずり落とされた。

 獣人と妖魔の大きな違いは一つが武器を使えること。ただでさえ肉体の力で人に勝る獣人に武器を渡さないことは獣人討伐作戦の際にブルトルマン軍に徹底された戦術の一つだった。

 槍を離さなかった兵は教わったことを守ったにすぎないが、結果として槍持ちの兵士たちの動きが恐怖で鈍る。そして、二人、三人と繰り返すうちに槍を離す者も現われ、少しずつ獣人たちに武器を使う厄介な輩が増えてきた。

 槍の間合いに接近される前に、と弓隊が斉射する。文字通りの矢の雨が降り注ぎ、破魔の術式を刻み込んだ矢は獣人に刺さると妖魔同様に破裂し重傷、ないし致命傷を与える。

 槍や弓、投石で応戦するブルトルマン軍だがその代名詞たる鉄砲隊の姿はない。

 ブルトルマン軍の銃は連発の難しいマズルローダーのマッチロック式(つまりは火縄銃)。故に直下に放つのには向かないし、弾込めにも時間を要する。加えて、弾丸が小さいため矢のように破魔の術式を刻み込むことができない。妖魔に対するには高価なミスリルやルェンワーンなどを弾丸に用いるしかないため対人兵器としては有効だが対妖魔、獣人兵器としてはまだまだ実用性に乏しい。

 妖魔に対する有効性の低さがクンルンとブルトルマン軍以外に銃火器を開発しようとする国が無い大きな要因にもなっている。

「将軍このままでは……」

 傍らで悲壮な表情を浮かべる部下に言われるまでもない。

 獣人の軍ともいえる統率の執れた大集団の突如の襲撃に消耗した装備、疲労した精神で敵うはずがないのだ。

「仮設修理した橋をいつでも落とせるようにしておけ」

 後背に控える第二の首(ツヴァルスターハルス)へと続く橋は幸か不幸か先の戦いでルディア軍の奇襲部隊に爆破され板を渡して辛うじて渡れるようにしただけの状態だ。橋を落とすリスクはほとんどない。

「では……」

「うむ、順次撤退する。これ以上は持つまい」

 元々第二の首(ツヴァルスターハルス)へと撤退するための時間を稼ぐために多重構造によって時間を稼げる造りである第一の首(エアスターハルス)は前からの攻撃には強い。十分な時間を稼ぎ、無駄な犠牲を出さずに退くことに成功した。

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