第三章 渡り妖魔 7
ブルトルマン軍の飛竜部隊が北へ転進した頃、ブレッドは町外れの宿屋に部屋を取り、装備を整えていた。わざわざ宿屋に部屋を取ったのは病床のシュテフィやファルカにローズのことを伝えたくないという思いもあったが、それだけではない。
妖魔によっては手負いになると怒りに駆られて襲ってくるものもいるが、ユニコーンは獲物を追跡するという肉食の獣のような能力がないので襲撃してこないはずだが憤怒の化身とも言われる気性の激しさもある。用心するに越したことはない。
蜘蛛の森を抜けたブレッドとマリはマーティンと合流してから、ファーデンに戻り、発見したアラグラーソの産卵場こととユニコーンに手傷を負わせたことを伝えた。退治を依頼するかどうか明朝決めるということになっている。マーティンは宿の一階でやけ酒を煽っている。
「ねえ、やっぱりシュテフィには……」
「本当のことを言うわけにもいかないだろ?」
自分のためにローズが死んだなどと言えばシュテフィはかならず気に病む。だから、もう会うことがないローズのことは急ぎの用で先に発った、シュテフィには角を手に入れられず済まないと言っていた、と告げることにしていた。
「でも……」
しかし、マリはこれに納得しきれていない。
シュテフィやファルカのためを思えばこの嘘は方便だ。角には劣るが希少なユニコーンの血を手に入れられたことでローズの顔は立つ。血を売って薬代にするもよし、シュテフィに飲ませてバイコーンの不浄を少しでも打ち消す一助にするもよし。
だが、死に様を偽ることは死者への冒涜だとマリは感じている。傭兵稼業の長いブレッドには割り切れることでもまだ幼く、経験も浅いマリにはローズが命がけで手に入れた血を真実を語らずに渡すことは理性で納得しても精神のどこかに引っかかりを覚えることなのだ。
「言いたいことはわかる」
頭に手を置き軽く髪を掻き乱しながら宥める。マリがギルドに加わって二年。最初の任務の時に何気なく、宥めすかすためにやった仕草がクセとなっている。
「俺だって死に様を偽るような真似はしたくないさ。けど、それでシュテフィが気に病んで容体が悪化したらローズが浮かばれねえだろ?」
マリだってわかっていないわけではない。ただ、心の底から納得できていないだけ。
「……うん」
小さく切なげに頷く。そのままでいい、少なくとも今はまだ。死に様を偽るなんてマネに抵抗を感じなくなるのはもっと後でいい、できることならずっと慣れないでいて欲しい。
「もう寝ろ、明日には町を発つんだからな」
再び意識が現実に帰ってきたときには枝葉が縁取る星空の絵に月が顔を覗かせていた。
昼間覚醒したときよりもはるかに身体の間隔がすばやく、ハッキリと神経を伝って脳へと伝わってきたことが回復の程度を示していた。
なんとなく体に力を入れると浮力のバランスが崩れ、足が水底に着いた。水底で冷たく冷えた砂と堆積した腐葉土は血の気足りない指先には冷たすぎたが、それでも反射的に離れるほどではなかった。
そのまま足に力を入れる。萎えてはいるが立ち上がるのに不自由するほどではない。
続いて恐る恐る腹部と腰に力を入れてみたが、傷口に痛みはなかった。手をやれば背中へと抜けていた穿孔はすでに塞がり、穴の開いた服がそこに傷があったことを示すのみとなっていた。
それでも塞がったばかりの傷を開かないために、一度肩まで水に沈め、できるだけ腹部に力を加えないように浮力の助けを借りて立ち上がった。
――もういいのか?
唐突に意識に響いた声。その主を探して辺りを見回すと、岸に近い木々の影に覆われた暗がりに気配を感じた。
「ああ、この池には傷を癒す効果があるのか?」
問いかけてから、しまった、と心の内で舌打ちする。フランクな言葉使いで返したのはゲンナディオスではない雰囲気に畏まることを忘れたからだったが、機嫌を損ねてしまったのではないか、と気にしたのだ。
――ラーナアケルの葉が落ち、薬効が染み出している
幸い気を悪くするようなことはなかったらしい。ゲンナディオスに比べるとたどたどしいふうの声が意識に響く。
「なるほど、ラーナアケルか……どおりで」
ラーナアケルは裂傷、刺傷、切傷など創傷全般に効果の高い薬草だ。しかし、ラーナアケルの木は森深くにしか生えず、人工栽培もできないため、採取に危険が伴う。そのため、薬効の高さに反して流通の少ない薬草だ、と士官学校で学んだが実際に見たことはなかった。
――ここは傷を負った森の獣たちが傷を癒しに来る薬泉だ
その言葉を聞いてようやく今浸かっているこのユニコーンも傷を負っていることに思い至った。そして、恐らくその傷はブレッドの矢に射られたことで負ったもの、つまり、ローズをここまで連れてきた若いユニコーンであろうと推測する。
「矢傷が痛むのか?……ええっと……」
名を呼ぼうとしてゲンナディオス以外は名を聞いていなかったことを思い出した。
――アルコンティア
尋ねようと迷っていた心を読んだのか、問わずとも名乗ってくれた。
「いい名前だな。それでアルコンティア、傷は大丈夫か?」
薬泉に浸かっている時点でまだ治っていないことは明らかだ。わざわざ二度も問いかけたのは腹部から背中へと貫通していたローズの傷でさえ塞がっているのに矢傷程度でまだ治らないことを訝しんだからだ。
少しの間、正直に言うべきかどうか逡巡するようにしばし沈黙してから
――矢が抜けぬ
手のないユニコーンたちでは細い金属矢は上手く抜けないのも無理はない。
「私でよければ抜くが……寄ってもいいか?」
先ほどよりは短い思考の後、承諾の意思が伝わり、同時に木陰で首を振ったのか水面にわずかに波紋が広がった。
刺激しないようにゆっくりと近づく。
アルコンティアは傷口を水面に浸けるために膝を折り、頭だけを出していた。ローズが近づくとアルコンティアも立ち上がり、歩み寄ってきた。
後ろに回り、指を這わせるようにして突き出た――いや、突き刺さった異物を探る。指に触れた金属質の棒を握り、反対の手で傷口の周囲を抑えて引き抜く。金属矢は抵抗もなくスルリと抜けた。
アルコンティアが痛みを噛み殺して小さく嘶き、矢が抜けても静かに、それでいて荒い呼吸を繰り返していた。
ローズは身を離し、月明かりで抜いた矢を確かめる。
(マズいな……鏃が残ってしまったか)
妙にすんなり抜けたので気になって確認したのだ。
射られてすぐに駆けたためか、あるいは仲間のユニコーンたちが抜こうとした際に折れてしまったのか、とにかく鏃がまだ残ったままなのだ。このままでは傷が塞がるまでに時間がかかるし、一時塞がっても駆ければ再び傷が開いてしまう可能性がある。
「アルコンティア」
――懸念は伝わっている……状況はわかっている
「なら話が早い。鏃が残ったままではマズい最悪傷口が膿んで死んでしまう」
この薬泉があれば死ぬほどのことはないだろうが、足が鈍れば人に狩られたり、別の妖魔に襲われて命を落とす可能性が高まる。
――どうしようもない
「心が読めるなら、私の言いたいことがわかっているはずだ」
切開して鏃を摘出するほかない。剣はマリに預けてしまったが、ナイフは持っているので日が昇ってから切開すればいい。
――切る……のか?
心なしかアルコンティアとの距離が開いた気が――いや、水面に波紋が広が広がっているから実際に身を退いたのだ。
傷を恐れるのは野生に身を置く獣の性なのかもしれないが……怪我の治療程度を怖がり慄くのは子どもの駄々にしか見えない。
――子どもではない!
「なら、躊躇うことはないだろう?切ると言っても鏃を摘出するため、危険はない」
――しかし、お前は医者ではないのだろう?
確かに、ローズは軍人であって医者ではない。しかし、鏃の摘出なら軍人として心得ている。胸部や臓器、骨に達するような深い傷ならともかく腕や脚に刺さった鏃の摘出くらいなら何度か経験がある……もちろん人間相手だが。
――やはり、危険だ
ローズの心を読んで人間相手の経験しかないことを知って、さらに数歩下がる。
気にする余裕がなかったこともあるが、心を読まれるとはいえ人間相手でないなら、とそれほど気にしていなかった。しかし、考えただけで読まれるのはやり辛い。伝わらなくていいことまで一方的に知られるのだから。
しかし、危険を承知で見捨てるわけにもいかない。
「子どものようなことを言うな。この泉の治癒力があれば鏃を摘出するための傷などすぐに塞がる。危険など無い」
――本当か?
「本当だ」
――本当に、本当か?
「本当に本当だ」
答えながら、一体自分は何歳児を相手にしているんだろう、という軽い頭痛を伴う疑問が浮かぶ。長のゲンナディオスから見れば若いが普通の獣の十倍は生きる妖魔なのだから外見よりは遥かに年をとっているはずだ。鏃の摘出程度で怖がるなど……
――怖がってない!
「なら、やるな?」
しまった、という表情とともに、ユニコーンも汗を流すのだろうか、一筋の水滴が流れ落ちた。付き合いの長い乗騎でも表情だけで気持ちを覚るのは難しいものだが、アルコンティアの今の心境は読心術など無くとも手に取るようにわかった。
――痛くないか?
さすがに呆れて盛大にため息を吐く。
どうせ心の内に仕舞って繕っても心の読めるユニコーンには意味がないのだから少しでも挑発して気位の高さを刺激した方が意味がある。
「まったく痛みがないわけではないが、そのままにしておくよりは痛みが少なくて済む」
黙考している――というよりは手術に対する恐怖と気位の高さが葛藤しているのだろう。じっと黙り込んでしまった。
しばらく待っても結論が出ないので、もうひと押し必要なようだ。
「ルディアの軍人なら鏃の摘出くらい平然と耐えるぞ?」
あからさまな挑発。
心を読める以上そのこともお見通しかもしれないが、今のアルコンティアにローズの心を読む余裕はないようにも見える。事実は心の読めないローズにはわからないが、挑発には成功したらしく表情がさらに険しくなった。
それでもなお、しばらく沈黙した後に渋々といったふうの承諾の意思が伝わってきた。
説得に成功し、気が弛んだのだろうか少し身体が冷えた気がした。傷は癒えているので体温を奪う水に浸かっているのは逆効果だと考え、そのまま岸に上がる。
濡れたままの衣服を脱いで近くの枝にかけて乾かす。
すると、アルコンティアも泉から上がり、水を振り払い、体を寄せてきた。まるで、温もりを分けてくれるかのように。
人肌よりわずかに暖かく、絹のような柔らかな毛並みに身を埋めてゲンナディオスから聞いたことに思いを巡らせる。
(マーナガルムの気を引き誘導する……か)
やるべきことはわかったがその方法は皆目見当がつかない。
森に数多くいる妖魔ならばブレッドのような専門家なら対処法を知っているかもしれない。しかし、神話に語られるような妖魔に対する術を知っている者などいるとは思えない。
(しかし、どうすればいい?)
妖狼魔犬の類はことに仲間意識が強いというから仲間を殺されて怒り狂っているのかもしれない。だとすれば眷族を退治すればマーナガルムの気を引くことができるかもしれないが、ヘタをすればより怒りを買うだけだ。
――角はもう要らないのか?
ローズが身体を預けている腹を穏やかに波打たせつつ、アルコンティアが問う。
――恩人を救うために必要なんだろ?
「忘れたわけじゃないさ」
こうしてユニコーンと意思を交える機会を得たのだから諦められない面もある。
――なら、なぜ何も言わない?
「だが、今は君達も私の恩人だ。この上頼むのは厚かましい気もしてしまう」
――生真面目なヤツだな
呆れたような呟きに苦笑するしかない。
「だから、損も多いがこうして生き延びることもできる」
――マーナガルムを何とかできると本気で思っているのか?
「できるとは思わない……が、なんとかしなければならない。周囲の主たちまで呼応しようとしていることを知らせれば住民たちと協力できるかもしれないし、協力はできなくとも彼らをは逃がすことはできる」
敵国でそんなことをすればローズは捕まるだろう。だが、それをせずにおくことは酷く赦し難いことだと思う。
――いいヤツだな
「ありがとう」
――……………………………いじゃない
「すまない。もう一度言ってくれないか?」
意識に直接響く声なのにうまく聞き取れなかったので聞き返したのだが、
――…………
「おい、タヌキ寝入りか?」
さっきまでちゃんと話していて途端に寝るとは思えない。有蹄類のクセにタヌキ寝入りとは、と呆れてしまう。なんとか起こそうとしたが、頑なに起きなかった。




