第三章 渡り妖魔 6
月明かりに照らされながらグロスマン将軍率いる飛竜部隊の一団は広く散開してブロンテー川の南岸鉄の森の上空を探索飛行していた。
「火の手は完全に途絶えてますね」
改めて見下ろし、傍らを飛ぶ部下の言葉に首肯する。
マーナガルムが目覚めた森の中央以西は灰塵に黒く染まった焦土が広がり、以東は依然として変わらぬ深緑の樹海が広がっている。境界線、地を抉り、木々を吹き飛ばした巨大なクレーターが意図せざる防火線となっていた。
もちろん、それだけで広大な樹海すべてが分断されたわけではない。所々に何者かが倒したとしか思えない不自然な倒れ方をした木が見える。
ある場所では支流によって延焼を防がれている。
結果として鉄の森は元の面積の七割近くに減じたものの、依然として広大な面積を残し広がっている。
「南東方向に発光信号!」
部下の声に下げていた視線を左前方へと上げる。
現在は探索のために鶴翼の陣に近い両翼先行型の陣形で飛行している。広く散開することで探索範囲を確保しつつ、信号弾によって伝達速度確保していた。左翼東方を先行させているのは言うまでもなく火の手を避けた妖魔が町のある街道、ルディア軍駐留していた砦に群がっていると考えられるため。
「前方に・マーナガルム・と思われる・巨影を・確認」
断続的に輝く光の組み合わせで連絡する信号を部下が解読して読み上げる。
「マーナガルム・動かず・座すのみ」
「夜に妖魔が動かない?」
通常、妖魔は日の光を厭い、宵闇を好む。この異端の行動は神話級の妖魔故かもしれないが、その奇異な行動が恐怖を掻き立てる。
奇行の原因などという考えても答えの出ない疑問にグロスマン将軍が思考を傾けている間に新たな発光信号が輝く。
「新たな信号・マーナガルム・より……」
元々明滅によって意図を伝える信号は慌ただしい感があるがその白光信号は一際慌ただしく、明滅だけ見ても恐慌しているように思われた。そして、その予感が事実であるかのように信号を読み上げる部下の顔色が恐怖に染まり、読み上げる口が開いたまま震える。
「どうした?」
上官の問いかけに、お待ち下さい、といって腰に下げた頂点の落とされた円錐型の筒を手に取る。蓋を外すとわずかに光が漏れる。内側は鏡張りになっており、円錐型の筒の中に設置された白光石の光を増幅し、円錐の底面側の角度調節可能なルーバー型のシャッターを開閉し、光の照射を行う信号機である。手に取った信号機を南東に掲げ、シャッター開閉する。
発光信号の仕組みは軍事拡大に伴い銃火器の開発と同時に多種の戦術開発によって編み出された手段でブルトルマン帝国の大躍進を支えたのだが、当時すでに士官学校を卒業していたグロスマン将軍は信号解読が不得手だった。一応読めるが、熟達した解読技術を有するこの部下が麾下に加わったことで鍛錬を放棄した。それほどに熟達したこの部下が信号を読み損なったことは記憶するかぎりない。一度見ただけでスラスラと解読して、このように確認作業することなど今までになかった。
三十秒ほど信号の送信に費やし、すぐに探索部隊から返信が返ってきた。
しかし、その信号を受けて部下の顔色は月明かりの下でもはっきりとわかるほどに血の気を失っていた。
「どうした?偵察部隊は何といっている」
上官の問いかけにも自失したようにしばし言葉を発せずにいたがようやく口を開いた。
「先行部隊より……報告、マーナガルムの身体より…………次々と無数の獣人が生まれているとのことです」
「なっ…………」
三つ首の番犬要塞を出立した当初、南東方向を先頭にした雁行陣で探索する予定だった。しかし、探索をはじめてすぐに灰塵の黒土が不自然に途切れていることを見とめて陣形を両翼先行型に切り替えた。不自然に倒れた木々は何者かが倒したに違いなかったが、それが何者なのかがわからなかったからだ。
妖魔の被害の多い大陸西部では神々によって生まれたわけではない獣人は忌避される。特に、鉄の森に棲んでいた獣人はワーウルフやコボルトなど集団で人を襲うためブルトルマン軍によって討伐されたはずだった。
だからこそ何者なのかを調べるために陣形を変えてまで探索したのだが、
「たった一体の妖魔が……次々と獣人を生みだしている……だと?」
妖魔と言えどその生殖法則は基本的には獣のそれだ。希に不定形の低俗な妖魔や昆虫型の妖魔の中には単為生殖で次々と仲間を増やすものがいるが基本的には雌雄揃ってはじめて仔を生すことができる。まして、獣人を生すには人と妖魔が交わる必要がある。いくら神話級の妖魔といえどたった一体で次々と獣人を生みだしているなどあり得ないことなのだ。
驚愕が思考を強直させ、意識が完全に体を離れていた。
何秒、あるいは何分そのままだっただろう。
信号を解読したのとは別の部下が指示を請う。
「いかがいたしますか?」
その声で驚愕によって硬直した思考が解け、ようやく指揮をとれる状態に復帰する。
「撤収する。信号弾を上げろ」
「よろしいのですか?」
リスティッヒ元帥の命令は『マーナガルムが立ち止まっている場合はいかなる手段を持ってしても南へと誘導せよ』だ。つまり、この場合座り込んでいるマーナガルムをたたき起こして南へ誘導することが使命なのだ。
「この事態は明らかに我らの予測を超えている。マーナガルムにそのような能力があるとは神話にも語られていなかった。このことをリスティッヒに報告せねばなるまい」
その声に普段の単なるリスティッヒ元帥への反感からくる独断ではなく、将軍としての責任ある決断を感じとった部下は敬礼し、すぐさま信号弾を打ち上げた。
神話で父母の骸を喰らって、腹を満たしたマーナガルムは以来そのまま眠り続けていた。鉄の森に妖狼魔犬が集っていたのは父である狼の長の一族だからにすぎず、彼らは異母兄弟であり、その末裔であり、マーナガルム自身の仔ではなかった。
眠りから目覚めたマーナガルムは本能に従い獲物の匂いのする方へと向かった。
眠りから目覚めたマーナガルムは同時に自我と父母を喰らって受け継いだ力と知にも目覚めていた。
父の力は神にすら匹敵するほどに強大なものだった。
母の知は父から受け継いだ力を十全と使う術を教えてくれた。
そして、マーナガルムは自らの内に父の力でも母の知でも自らの才でもない全く別の能力があることに気がついた。
もし、マーナガルムが父だけを喰らっていたならその使い道がわからなかっただろう。
もし、マーナガルムが母だけを喰らっていたならその能力は手に入らなかっただろう。
しかし、マーナガルムと彼の眷族にとっては幸運なことに、そして、狼の一族以外の数多の存在にとっては不幸なことにマーナガルムは能力と使う術の両方を得ていた。
新たに喰らった人間の知識――語り継がれた神話によってその由来も知った。
その能力は創造。
かつて光の神が御手に宿していた力。
父が食い千切り己がものに消化する前に首を刎ねられ、そのまま臓腑の中にあったその力をマーナガルムは父の血肉とともに取り込んでいた。
マーナガルムはこの力を日の下で――光の神の目のあるときに使うべきではないという狡猾さも得ていた。
日が沈み、帳が下りて、夜になり、マーナガルムはようやくその力を使うことにした。
最初にマーナガルムは眠りを妨げた者に対する私憤を糧として四つ足の眷族を創った。
生まれ出でた妖狼魔犬たちは元々森にいたそれらよりもはるかに凶暴で血に飢えていた。
彼らは本能の赴くままに人間の臭いを辿り南北へ駆けていった。
次にマーナガルムは森を焼き多くの同族を殺されたことに対する義憤と興奮を糧として二足の眷族を創った。
生まれ出でたワーウルフとコボルトたちは知と力を兼ね備えていた。
彼らは森を護るために鉄の森に戻り、火を放ったものを突き止め報復するために西へ進んでいった。
なぜ自らよりはるかに弱い眷族を創るのか?
種を残そうとする生物としての本能が嗾けたのか、手に入れた創造の力を存分に振るいたいという欲求か、数の力という個の力とは別種の力の価値を受け継ぎ獲得した知識で学んでいたのか、マーナガルム自身も明確な答えを持たない。
しかし、マーナガルムは夜毎眷族を創り続けた。
そして、今夜もまた多くの眷族を生み落としていく。




