第四章 共闘 5
空が茜色に染まるころ商業の町であるファーデンの港に接舷されたドラグーンシュトックへ次々と光沢のある巨大な卵が運び込まれていた。
昨日、ブレッドたちが見つけた作りかけの産卵場は一晩のうちに完成し、先日退治したものよりも倍近い大きな産卵場となっていたという。それ以外にもリンドヴルムの捜索によって新たに二つの産卵場が確認された。かなり危険を伴ったが何とか死者を出すことなく、雄たちを散らし、卵の運びだしに成功した。
「順調ですな」
ドラグーンシュトックの船長シッファー少佐が呟いた。
「研究部の変人共はアラグラーソの生態を解明する絶好機会だ、なあんて狂喜しとります」
身体を揺すって笑う。およそ軍人とは思えない気さくな雰囲気だ。
研究部とは能動的な妖魔討伐のために妖魔の生態や弱点を解明し、どうすれば討伐できるか、討伐しても問題ないかなどを研究するブルトルマン軍の一部門だ。リスティッヒ元帥の命で蜘蛛の森を試験的に焼いたのもこの部門だけに複雑な思いもあったブレッドはもしかしたらその感情を表情に出してしまったかもしれない。
しかし、シッファー少佐は特に気に留めた様子もなく甲板の作業を眺めている。
「ずいぶんと余裕ですね」
皮肉ではなく本心からの疑問が口を吐く。何しろ出向すれば何時間も水上で妖魔の卵を抱いたままの船旅だ。いくら力の強い妖魔でないにしろここまで平然としているシッファー少佐は図太いという表現では生温いだろう。
「なあに、マーナガルムの恐怖にあてられて恐怖が麻痺しちまったのさ」
そういって笑う。
シッファー少佐の顔は間違いなく笑っている……が改めて見てみると笑顔ではあるが、それはどこか狂った笑みだ。
「そうマジマジと見んでください」
「すみません」
慌てて甲板に視線を戻し、できるだけ何気ない口調で問う。
「少佐はマーナガルムをご覧になったことが?」
「いや、ありません」
狂った笑みといっても狂ったように喜んでいるわけではない。希に見る死に直面して心の壊れてしまった笑み。空虚な中身のない張子の笑み。道化師の仮面のようなただ上っ面だけの寒々しい笑みだ。
「けど、ワシの船はこの前の鉄の森焼き討ちのときグロスマン将軍の部隊を乗っけて焼き討ちに一番近い場所に居ました。岸一面が炎で包まれて、森も獣も妖魔も何もかもが焼けていく。根っからの船乗りで戦場の殺し合いに慣れていないワシにはあれだけでも辛かった」
その文面とは裏腹にやはり空虚の笑い声で語る。
「けど、まだマシでした、あん時までは。岸辺の火の勢いが衰えてきたころ突然狼の遠吠えが聞こえてきたんです。怖かった……遠吠えだけで骨が砕かれるんじゃあないかって思ったくらいだ。ビリビリと全身の骨が震えて、音が止んでもガタガタと身体の震えが止まんなかった。なのに気づくと顔だけは笑ってたんだ」
声だけで人を壊す畏力。
「娘には『パパ怖い』なんて気味悪がられちまって」
笑いが自嘲の色を帯び、なんとなくそこだけは悲しみが伝わってきた。
「いらん愚痴をこぼしてしまいましたな」
「いいえ、こちらこそ立ち入ったことをお聞きして申し訳ない」
「なあに、勝手にしゃべっただけです。しかし、あの声を聞いたときに思いましたよ。人が手を出しちゃならんことってのはあるんだなって。神話じゃあ人間は世界の管理者だ、神の代わりに世界を統治する者だ、なんて言ってますが触れちゃあなんねぇものは絶対にあるんでしょうなあ」
「まあ、『触らぬ神に祟りなし』なんて諺もありますしね」
「そりゃあ、そうだ」
一本取られ、ワッハッハッ、と豪快に笑う。
その声を聞きながら単騎マーナガルムを誘導に向かった女騎士のことを思い浮かべる。
どんな妖魔が出るかも知らない森の中で単独で妖魔を倒して生き延びた。
ユニコーンに刺されても生還し、そればかりか気位の高いユニコーンの背に乗っている。
さらには彼女にとって敵軍であるブルトルマン軍を説き伏せ、こうして協力している。
目の前でローズの凄さを見せつけられていたブレッドは今まで何となくローズなら出来そうな気がしていた。しかし、やはり手を出してはいけないもの甘んじて受けるべき罰というものもあるのではないか? そんな疑問が頭の中でシッファー少佐の笑い声とともに木霊する。
視線の先、甲板で作業していた水兵が作業を終えようとしていた。
「アーチャーさんはここに残るんでしたかな?」
「えっ、ええ……今はまだ森の探索と運び出し作業の指揮をとらないとなりませんから」
「お互いうまく生き延びたら一緒に酒でも飲みましょう」
差し出される手は震えていた。恐怖は麻痺した、などといってもやはり怖いのだ。アラグラーソが、ではなくマーナガルムが戻ってくる土地に向かうことが。
「生き延びたらじゃなくて……必ず生き延びて飲みましょう」
差し出された手を握り返して、強きに振る舞う。
戦地に赴く際に明るい未来のことを思い描く奴は死ぬ、などというジンクスがあるがそんなものは嘘だとブレッドは知っている。死は平等で明るい未来を思い描く者も、暗い過去に囚われている者も、等しく刈り取る。だから、運はどうしようもない。
しかし、生き延びるためには活力がいる。それがどんなに暗い感情を源にしていようと、どんなに間違った理想や信念を源にしていても活力を持つ者は持たない者よりも生き延びようとする力が強い。
ならば、小さくとも少しでも明るい未来を思い描く。それが傭兵として生き長らえてきたブレッドの活力の在り方だった。
「そうですな」
シッファー少佐も握る手に力を込めてそう返した。
日が傾き、帳が下りはじめると森に入っていた仲間たちが次々と引き上げてきた。高値で売れる妖魔の生息する地域にある大きな町では日常的な光景だが、アラグラーソの糸以外めぼしい産物がないこの辺りでは希に見る規模の人数だ。
「どれくらいの卵が集まった?」
開口一番マーティンが問いかける。
「三つの産卵場合わせて千はあった」
「多いのか少ないのかよくわかんねえな」
確かに森と林の区別自体曖昧なものだ。千の卵からどの程度の森が回復するのか具体的なイメージは湧かない。
「まあ、千やそこらじゃそれほどの面積にはならないだろうな」
しかし、千というのは今日、実質的にはわずか半日でしかもこのファーデンだけで集まった数だ。カルッセル、トゥーフ、ヴィーゼ、シュテッペ、ヘングスト、フリュー、シュネル蜘蛛の森近郊の町が同数発見してくれればそれだけで一万近くなる。
「しかも、今年こんだけ仔蜘蛛が駆除されれば畑が森に呑まれる心配がなくて助かる」
「確かにな。軍が動かせねえって聞いたときはまた畑が呑まれると不安になったもんだが」
卵から孵ったアラグラーソの所為で年々広がる森に頭を悩ませていた住民たちにすれば例年以上の軍の尽力でこれだけの数が駆除されたことは喜ばしい。
こうしている今も町役場には探索から帰ってきたリンドヴルム部隊が新たなアラグラーソの産卵場の報告をしているかもしれない。
「みんな今日はお疲れ!」
決して得てではないがこの場では声かけの張本人である以上取り仕切り、労いの言葉を駆けるのも重要な役目の一つだ。
「今夜はしっかり休んで英気を養ってくれ!また明日もよろしく頼む!」
オオォ!と若者たちの声が返ってくる。
ファーデンをはじめ近隣の町ではユニコーンが暴れたことで、マーナガルムが目覚めたことで他の妖魔も暴れ出す、という話が現実感を伴って受け入れられた。そして、解決策として提案された方法が彼らの頭を悩ませるアラグラーソの駆除を兼ねていた。だから、多少の危険を覚悟した上でこれほど多くの人が集まってくれたのだ。
人々が散り散りに酒場や宿屋に入っていく。
広場の人気がある程度散ったところでブレッドたちも町役場に戻る。
役場はもはや軍の支部と言ってもいい様相を呈していた。半数近くが黒いブルトルマン軍の軍服に身を包んでいる。
そんな彼らが誰かを囲んで喧々諤々の言い争いをしている。こちらからでは相手の姿は軍人の背に隠れて見えないが穏やかならざる雰囲気だ。
(せっかくみんなが協力しているときに揉め事もないだろうに……)
しかし、囲まれていた人物が軍人を突き飛ばして出てきたこと姿が目に入り、呆れ気味だった思考は一転した。
染み一つない白いローブ。袖口や縁には銀糸で刺繍が施され、手には銀製の指揮杖を携え、胸元にはやはり銀製の光の放射を象ったペンダント。円形を描く放射の上下左右に延びる二本だけが長く太くあしらわれフルーレかレイピアにも見える十字架を形づくっている。
「チッ、アクティース教かよ」
マーティンが聞こえよがしに舌打ちする。
アクティース教。アクティース教国を総本山とする宗教で神話に語られる光の神を唯一の神として祀っている。この街にも支部の教会があるが信仰心篤いものだけを護るといって協力もせず教会に結界を張って閉じこもっていた。
マーティンの舌打ちが聞こえたのか、神父と目が合ってしまった。
「お前たちがこの愚行を主導しとるのか?」
軍人に勝るとも劣らない高圧的な物言いはさしものブレッドも不快感を隠しきれない。
「なんじゃその眼は? 妖魔に手を出すことの恐ろしさがまだわからんのか! その愚かしさがマーナガルムを呼び起こしたのじゃ」
喚く小柄な老人の背後で軍人たちが首を振る。どうやら意味もない説教のために結界から出てきたらしい。
「しかし、今やっていることはマーナガルムを鎮めるためのことだ。そうしなければこの一帯は滅びてしまうかもしれない」
「愚か者め!罪に罪をかさ……」
「うっせぇぞ、ジジィ!」
老神父が説教を垂れる前にマーティンが胸倉をつかみ、彼を宙吊りにする。
「ヒイィィィィィィッ」
「結界に籠もって指一本貸さねえでエラそうなこと言ってんじゃねえ!」
「止めろ、マーティン」
このままでは殴りかねないのでマーティンを制止する。
渋々マーティンが話すと音を立てて神父が尻もちをつき、床に落ちた。
「神父さん、俺も町の住民もみんなコイツと同じ気持ちだ。エラそうなことを言う前に人を救うために少しは無償の協力をしたらどうだ?」
恨めし気に睨み上げるがこの場では勝ち目がないと判断するくらいの頭は持ち合わせていたらしく、腰をさすりながら何も言わず出ていった。
「すいません。我らが破魔矢の補給に協力を要請したのですが……」
ブルトルマン帝国やルディア王国など大陸の西方諸国にとって破魔矢や護符はアクティース教がほとんど唯一の供給源だ。イースウェア公国は自国の技術流出を嫌って輸出しないし、大陸中央部の諸国からはルディア王国の西に位置するアクティース教国が堰き止めてしまっている。結果、各地に支部を持つ教会から仕入れるしかないのだ。
「仕方ない。妖魔相手に破魔矢は欠かせないし、ましてアラグラーソは破魔矢なしでは厳しい相手だからな」
口を濁す軍人の雰囲気から察するにあの老神父は協力を拒否したのだ。
「ブレッド何で止めたんだ? 二、三発殴って脅せばよかったんだ!」
「俺たちは盗賊や郎党じゃない。光輝な聖杯ギルドの紋章を見られてたらギルド全体に迷惑をかけることになる」
ブレッドの正論にマーティンが押し黙る。
しかし、マーティンの気持ちもわからないではない。
アクティース教の使う魔法は結界魔法と予知魔法、退魔魔法、そして治癒魔法。結界魔法や退魔魔法の産物である護符や破魔の武具は高価だし、治癒魔法に至っては王侯貴族とておいそれとは依頼できないほどの高額を要求される。彼らはとにかく金に汚い。
大陸中央との交易を陸路海路両面で断ち、事実上妖魔に苦しむ西方を食い物にしている。もし、彼らがもっと慈善的な良心をもっていればシュテフィはバイコーンの角などに侵されることなく治っていただろう。
「しかし、このままでは市民たちの矢が底をつくのも時間の問題です」
「町の武器屋にまだ在庫があるはずだが?」
「それもこのペースでは……」
元々貴重な破魔の矢だ。その上普通は傭兵くらいしか使わないとあれば当然在庫もそれほど多くは無い。
「軍の在庫は回してもらえないのか?」
「要請は出しました。ですが、各地に分散供給しているのでどれだけ回ってくるか……」
「あと何か所産卵場が見つかった?」
机に座って地図とリンドヴルム部隊からの報告を照らし合わせていた兵士に問いかける。
「新たに四か所です。昼間すでに見つかっていた場所を含めると未踏の場所は六ヶ所ですね」
近寄って地図を覗き込む。
どの場所も住民たちが見つけなかっただけあってかなり森の深い所ばかり。単純に往復するだけでも大人数では相当数の妖魔と遭遇することになるだろう。退治だけならば少数精鋭で忍んで行って、倒してくればいいが卵を運び出すとなるとどうしても人手が必要になる。
「こればかりは仕方ない。矢の補充や効率のいい方法をみんなで考えよう」
暴れ、喰らい、創り、力を振るうことで怒りは紛れてきた。
しかし、満たされない。
何が、と問われても彼自身答えは無い。
怒りが冷めたときから今度は空虚で虚しいのだ。
喰えば満たされるかと思ったが全く変わらない。
飢えとも違うこの空虚はなんなのか?
母の知に答えがあるような気がする。
父の記憶に経験があるような気がする。
しかし、起きている時間が短い彼にはその感覚の源泉が感情であることはわかってもどの感情なのか、なんという感情なのかという実感がなかった。故に、彼はその心の渇きを潤すことができずにいた。
感情を育む時間がなかった。
生まれた時には父母はなく、兄弟は二人とも傍にいなかった。
誰か教えてくれ。
誰かこの渇きから救ってくれ。
誰かこの飢えを満たしてくれ。




