第二章 人間と妖魔 9
どうやらアラグラーソの雄たちは突入した反対側に集まっているらしく、産卵場の反対側にはまったくと言っていいほどに妖魔の気配はなかった。
アラグラーソ退治の依頼を出してきたのは森からほど近い川沿いの町、東にあるファーデンという町だそうだ。普通に街道を進めば三つ首の番犬要塞から徒歩で五日、どんなに急いでも馬で二日、飛竜で一日半かかるらしい。
けして大きな町ではないにファーデンだが、時間的にもここから先の地理的にも追跡部隊が逗留しているとしたらこの町にいる可能性が高い、とローズも懸念していた。
森を歩き、ようやく木立の隙間が陰ではなく日の光に代わり、森が開けてきたときにはすでに夕方だった。そして、もう間もなく森を抜けようというときだった。
「鎧を捨ててくれ」
「……なっ!?」
唐突なブレッドの発言に一瞬理解が遅れてから鎧を抱くように外套の内側で腕を交差する。雌のアラグラーソにつけられた外套の裂け目から覗く鎧とそれを庇うように交差した腕に視線を向けながら続ける。
「そのルディア軍の紋章が入っているだろ?」
確かに入っている。自前の特注品を使う将官たちでさえ鎧には軍の紋章を入れることが軍規で定められていた。唯一、ミエルのディミクリュの鎧のような魔法鎧だけは魔術の紋様を損なう恐れがあるため軍の紋章を入れていないが、代わりに登記を義務付けられる。
「ローズも気づいているだろうが、ファーデンの町にはブルトルマン軍の追手がいる可能性がある。そうでなくても敵国ルディア軍の紋章入りの鎧をつけて街を歩くわけにゃいかない」
「そっそれは……そうだが……」
だが、の後に継げるべき言葉がないことはローズ自身にもよくわかっていた。
「アンタの身なりがちゃんとしてるなら外套で隠しておけば問題ないが、服なし、靴なし、その上外套も裂けてる……となりゃ鎧は捨ててもらうしかない」
ブレッドの言うことは正しい。服を仕立てるにしても採寸してもらわねばならず、そのためにはどうしても外套の下の鎧が目につく。
しかし、頭でわかっていても裸に裂け目の入った外套一枚で町中を歩かなければならない、と思うと心が拒絶反応を起こすのは避けられない。
「えーっと、ブレッドどうにか……」
躊躇っているローズを気遣ってマリがブレッドに頼むが、
「これは俺がどうこうできる類の話じゃないよ」
そう、これはブレッドがどうこうできる問題ではない。そして、厚意で助けてくれたブレッドたちに迷惑をかけるリスクは排除するべきだ。
覚悟を決めて交差していた腕を離して鎧の留め金へと動かす。パチンという音とともに鎧がズレ、同じように留め金を外していくと鎧が剥がれ落ちる。
「………………行こう」
恐らく顔が真っ赤になっているだろう。熱にうなされるように火照っていること自覚しながら外套の裂け目を内側から握って塞ぎ、裾を抑えて歩き出す。
間もなく森を抜け、見えてきたファーデンは思ったより大きい。町の周囲を囲むように設けられた柵には長い棘の有刺鉄線が巻きつけられ、街道に開いた門には衛兵が立っていた。
町が近づくのに比例して人気が増え、同時に外套一枚しか纏っていない体中が火を噴くように熱を帯び、寒さでも恐怖でもない何かが外套の裂け目を抑える手を震わせる。
「おい、止まれッ!」
交差された槍の柄が行く手を阻む。
近くをルディア軍が逃走中とあれば街道の町とはいえ武器を携えた旅人は呼び止められる。当然、予想された事態だが、捕縛の危機にどうしても緊張は避けられない。
しかし、ルディア軍の同行者を連れているブレッドは何食わぬ顔であいさつする。
「ども」
「何か身分を証明できる物はあるか?」
「町ん中はいるだけで身元検めかい?」
「ルディア軍の残兵が付近を逃走中のためだ。昨日も港近くをルディア軍の敗残兵が逃走していったばかりだ。まだ、逃げ遅れがいないとも限らんからな。武器を所持する者と特に不審な者に限って身元を検めている」
ホイホイ、と軽い調子で革手袋を外して手の甲に印された光輝な聖杯の紋章を示す。信用度の高い大規模ギルドだけに衛兵も信用したらしい。
「四人ともか?」
衛兵の視線が一歩後ろで並ぶ三人に移る。
同時に冷汗がローズの背筋を流れる。マリやマーティンはともかくローズにはギルドの紋章はない。ここに調べられたら一貫の終わりだ。
「全員見せろ」
衛兵の一言に心臓が破裂しそうなほど不気味に肥大する。左右ではマリとマーティンがそれぞれ外套から身体を出して紋章を見せる。
「お前は?」
怪しむ響きの声がローズに降りかかる。
「ああ、ソイツまだ紋章もらってないんだ。今回の任務が加入テスト兼ねてたもんで」
片方の衛兵は納得したようだがもう一人は怪しみに眉根を寄せる。しかし、畳みかけるようにブレッドが事情を説明していく。
「ドジな新米でね。アラグラーソ狩りで装備ダメにしちまってよ」
それを聞き衛兵の視線が値踏みするようにローズの顔から裂け目を握り抑える胸元へと移る。そこから覗く白い肌にしばし目を囚われてから腰へと流れ、外套の裾から覗くローズの太ももへと移る。軍人故に筋肉質ではあるものの女の色香を失っていないふっくらとした太ももとふくらはぎの描く脚線美をなぞり、ブーツを失ってから裸足で歩いていてきたために泥と擦り傷に塗れてしまった元は白い足の指先まで舐る。
視線を離すことを惜しむように遡らせ、胸元で再び止まると、今度は衛兵の目に猜疑とは別の邪まな輝きが宿る。
敵兵に捕まるかもしれない、という危機感と無防備な姿を舐め回されたおぞ気。まったく源泉の違う二種類の恐怖が心臓の動悸を速める。
しかし、そこは真面目で有名なブルトルマン人のまして軍人。何とか目を離し、咳払いで邪念を祓う。すると邪念と一緒に猜疑心まで払い落してしまったらしい。
「よし、行っていいぞ」
怪しまれない程度の急ぎ足で門を通過して、衛兵に聞こえないところまで来てようやく息を吐く。
「冷や冷やしたよぉ」
とマリが溢し、
「心臓によくないな」
とローズが応じる。
横を見れば、ブレッドもマーティンも平然としている。彼らとて敵国の兵士たるローズをギルドのメンバーだと偽ったのだからローズの正体がバレればただでは済まないはずだが、どうやらこの二人にはこの程度の違法行為くらい日常のことらしい。
町行く男の視線が集まるような気がするのは単なる被害妄想か、あるいはブレッドが衛兵にした説明が漏れ聞こえたのか。
早く服が欲しいという一念で視線を上げ、ふと見回せば周囲には仕立屋が多く立ち並んでいる。が、前金さえ払えないではどうしようもない。
「少し行ったところに顔なじみの仕立屋がある。融通も聞くからそこに行こう」
周辺の村々の住人がアラグラーソの糸やそれで織った布地を持ち寄る。自然衣類を扱う店や商業ギルドが集まって町中はその手の店が多いのだ、とブレッドが説明してくれた。実際に街中を歩いても食料品店以上に衣類や仕立屋が目立つ。
「何せ、森が多くて農地も牧草地も少ない土地柄だ。だから、糸や布を売った金で麦や肉買うのがこの辺の生活なんだよ」
「そんなに貧しいのか?」
ルディア王国は妖魔が出ない。とはいえ、黄昏の城から牙の城の間はそうではない。そこにも街道沿いの町や村はある。もちろん黄昏の城の内側に比べれば貧しいが、それほど貧しいという印象はなかった。
「いや、生活できないって程じゃない。今はまだ、な」
言葉を濁した言い回しに疑問の眼差しを向ける。
「何しろ土地が少ない。毎年狩っちゃいるがどうしたって狩り漏らしのアラグラーソがでる。それが次々と森を広げるから開墾が進まないどころか今まで畑や牧草地だったところが年々森に呑まれちまう」
「地図で見せられた森が異様に歪な形をしていたのはそういうわけか」
「ああ、しかも仔蜘蛛は特に家畜や人を襲うために人里近辺に多く出没するからどうしたって牧草地や畑ほど浸食されやすいんだ」
南岸は戦火、北岸は妖魔の脅威が人々の生活を脅かす。
「ブルトルマン帝国では森を焼いて農地を開くこともあると聞いたが……蜘蛛の森は焼くわけにはいかないのか?」
数日前のローズだったらこんな問いはしなかっただろうが、南岸一帯の樹海を焼くという凶行に及んだリスティッヒ元帥の行動を見ているためか自然と疑問が口を吐いた。
「難しいだろうな」
「なぜ?」
いくらブレッドたちが手馴れていて、ローズが手練れとはいってもアラグラーソ退治はかなり余力を残して行えたと言える。軍が総がかりでやれば生活に困らない程度に森の面積を削ることなど造作もないように思えた。
「仔蜘蛛から生えた木の毒はいずれ消えるんだろう?」
「ああ。だが、それも一か月や二か月の話じゃない。……何より森の中心にいる妖魔がなんなのか誰も知らないんだ」
「誰も知らない?」
「ああ、何しろ蜘蛛だからな。森の中ほどにいるCランクはラビュリンチュラってんだが、コイツが森の中間一帯を巣にしちまってて調査すらできないらしい」
Cランクともなれば少数討伐できるようなレベルではない。かといって、そうそう森の中に討伐できるほどの大部隊を送り込むことはできない。
「主の正体がわからないとさすがに火をつけるわけにはいかい……ということか」
「そういうこと……おっ、ここ、ここ。ごめんよぉっと」
先導するブレッドが入った店はお世辞にも流行っているとは言い難い雰囲気の店だ。店内は薄暗く、並べてある生地も多くはない。
「チッ……お前らかよ」
舌打ちとともに客を出迎えるのには不適切な言葉が飛んでくる。
「ご挨拶だな、ファルカ。お前こそめずらしく早いな?シュテフィは?」
「お姉ちゃんなら……」
「ファルカお客さん?」
店主らしき少女は十五、六歳だろうか。しかし、痩せて削げた頬と骨ばった首もとがもっと老けたが印象を与える。いかにも病弱な雰囲気の少女だ。
「おう、シュテフィ。客連れてきたぜ」
エモノ、といってローズを指し示すブレッドの表現に苦笑しつつ、こちらは丁寧な接客で応じてくれる。
「いらっしゃいませ、何を仕立てましょうか?」
ローズが答える前にブレッドが、全部だ、と割って入る。
「全部?」
「そう、下着から服まで全部」
「ああ、アラグラーソにやられたのね。わかったわ。下着の類はそっちにできたのあるから好きなのを選んでください」
恐らくアラグラーソの被害者で服をやられる者がそれなりにいるのだろう。指し示された棚へ向かうと籠に分けられた下着がいくつもあった。そこにある下着の数々を見てこの店が一般向けではないことがわかった。
市井の女性はあまり下着を着用しない。見えない部分にまで気を遣う必要もないし、そうした風習もないから腰巻きで済ませる。下着をつけるのは上流階級かつけなければならない職業の女性に限られる。
上流階級の女性――つまりはドレスに身を包むような人々――は布地が多いことが贅沢の印だと考える風潮がある。結果、彼女たちがつけるドワロースと呼ばれる下着はたっぷり布を使っており、ボリューミーで動きにくい。
実務的な女性が履く下着、ショーツは布地の面積は最低限で動きやすい作りになっており、動いてもズレないように紐で腰回りに固定するようにできている。
この店に並んでいるのはショーツの方つまり働く女性――それも下着を必要とするような女性のための店なのだ。一般客がいなくて当然と言える。
「んじゃ、俺町役場行って討伐報酬もらってくっから」
「ちょっと、前金くらい払ってきなさいよ!」
出ていくブレッドの背にファルカと呼ばれた少女が怒鳴るが相手にされることなく、ブレッドは店の外へと消えていった。ムキになるファルカの頭をポンと叩いて姉のシュテフィがなだめながら、
「いいじゃない、お得意様なんだから」
「まったく……お姉ちゃんは甘いよ。んで、アンタらは何してんの?」
不満タラタラの半眼でファルカが睨むのはマリとマーティンだ。
「私は前金代わりの人質です、ハイ」
「アンタは?」
問われたブレッドは気まずそうにもぞもぞしてから、
「俺はズボンを……」
そういうとズボンを脱ぎ、差し出す。森の中では気がつかなかったがブレッドのズボンには尻のところに大きな穴が開いている。
「はぁ、アンタ尻に糸着けられたんでしょ?」
「…………………………………………悪ィかよ?」
「女物の上下と男物のズボンか……今夜は徹夜ね」
「ワリィ」
仕事だもの気にしないで、と笑って下着をつけたローズの採寸に来たシュテフィが応じる。
しかし、気にしないわけにはいかない。何しろ見るからに病弱そうな彼女に徹夜の仕事を強いるのだ、罪悪感を感じるなというほうが無理な話だ。
しかし、服無しの身としてはゆっくりでいいですとも言えない。罪悪感を感じながらも黙って採寸してもらう。




