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ルディア戦記  作者: 足立葵
第一話「戦場の青き薔薇」
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第三章 渡り妖魔 1

「じゃあ、ファルカは採屍人プトーミゴスなのか?」

 どうせ徹夜で服作るならそばに本人がいた方がいいから、とシュテフィに勧められてありがたく厚意に甘えることにしたローズたちはブレッドとマリが買ってきた食料で食事をしながらの会話に花を咲かせていた。

「うん、ウチちょっと……流行ってなくて……生活するためにね。それに私が森入って色々と素材採ってきたりもするから」

 何やらファルカが言いよどんだが、おそらく姉の病弱なことを理由にしたくなかったのだろうと勝手に納得してしまった。

 ファルカの真意よりも採屍人プトーミゴスに対する意識の違いに驚愕していた。

 ルディア王国とは違い、ごく当たり前のことだ、と聞いてはいたが、それにしても妖魔のいる森に少女が入っていくなどルディア王国では考えられない。国境を隣り合わせる国でここまで常識が違うものかと自分の見識の狭さを思い知らされる。

「トロいクセに無茶しすぎなんだよ」

「何よッ!アンタだって尻に糸つけられて猿みたいになって帰ってきたじゃない!!」

 何を、と睨むマーティンを、何よ、ファルカも負けじと睨み返す。

「だが、あんときは正直危なかったぞ?マリがお前の悲鳴に気づいかなきゃ食われてたところだったんだからな」

 なるほど、と納得する。つっけんどんながらも親しげな様子にただの客と商売人以上のものを感じてそれとなく聞いてみたら命の恩人ときた。

「やめなさい、と言ってるんですが……中々聞かなくて」

「だってぇ……」

「アラグラーソの糸採集はこの辺では普通の農民もやっていることだと聞いたが……やはり、危険なのか?」

 頬張っていた肉を呑みこみ、ブレッドが答える。

「ちゃんと落ち着いてやればアラグラーソは危険の少ない妖魔だ。繁殖期のこの時期こそ縄張りが乱れて居場所が判然としないが、普段はまず縄張りから動かないからその隙間を通って行けば危険は低い。ファルカがドジって死にかけたのはCランクの巣だ」

「Cランクの!?」

 驚愕にむせ返りそうになる。Eランクですら大人の戦士が数人がかりで倒すのだ。たった一人のそれも少女が妖魔のひしめく森のそんな奥までたどり着けるとは信じがたい。

「正確には中まで入ってないからDランクの縄張りの最奥ってことになるんだが……」

「なんでそんな奥深くに?」

 採屍人プトーミゴスは普通、外縁の妖魔の縄張り争いや共食いなどで出た死体だけを狙って日銭を稼ぐ者を指す。だから深入りしてもDランクの縄張り。それ以上深く、危険な採集はギルドに依頼されるのが普通だし、そんな危険を冒すような度胸と腕があるならば採屍人プトーミゴスよりもっと割のいい仕事、それこそ傭兵でもやった方がいい。

「さっ最近はそこ行ってないよ!…………行きたいけど……ちょっと……ね」

「答えたくなければ無理に堪えなくていいわ。嫌なこと聞いちゃってごめんなさいね」

 チラリと姉の顔色を窺いながら言葉を濁すファルカの様子にこの話を打ち切った方がいいと思って告げたのだが、

「そういえば、いつもは夕暮れまで森にいるのになんで今日は早く帰ってたの?」

 ファルカが店にいた事情を尋ねたマリの一言で気遣いは無に帰した。

「……軍が対岸で鉄の森(アイゼンヴァルト)を焼いたのは知ってる?」

 もちろんローズは知っていたが、ブレッドたちは知らなかったらしい。ブレッドは隻眼を見開き、マリは息を飲み、マーティンは口をあんぐりとあけてボロボロと口の中の物を食べこぼし三者三様のリアクションで驚愕を露わにする。

「知らなかった……私たち数日連続で森にいたから……」

「…………ホント……なのか?」

 ややあって真偽を問いかけたのはやはりリーダー格のブレッドだ。

「嘘で流れるような噂じゃと思うわ。それにおじさんが昨日酒場でルディア軍の残党を追いかけてきた軍人にそれとなく聞いてみたら随分動揺してたからホントだろうって」

 ファルカに代わって答えるシュテフィの口調からは、嘘だったらどれだけいいか、という心情がありありと伝わってくる。

「でも対岸の様子は変わってないぞ?」

「火が放たれたのは街道の西だけみたい」

「でもそのせいで北岸でも西側の町は大騒ぎみたいだし、昨日の夜にはカルッセルやトゥーフの町も妖魔に襲われたってさ」

「カルッセルやトゥーフも!?でも、私たち森から出てくるときも何ともなかったのに……」

 マーティンの問いにシュテフィとファルカが続けざまに答え、さらにファルカの発言と自分たちの通ってきた森の様子が食い違っていることをマリが問うと、

「そりゃあそうよ、だってカルッセルやトゥーフを襲ったのはアポドミティカだって話だもの。あ~あぁ、せっかくのチャ……」

「ファルカッ!!」

 おそらく「チャンス」と言おうとしたファルカの言葉を遮ったのはおよそ大声とは無縁のシュテフィだった。

「アンタ、まだ諦めてなかったの!?二年前ブレッドたちに助けられたときに諦めるって誓ったわよね!?あの誓いは嘘だったの!?」

 細い喉が張り裂けるのではないかと傍で見ているローズが不安になるほどの大声で怒鳴るシュテフィ。見るからに弱そうな体には負担だったのだろう、泡を飛ばして叫び終えると咳き込んでしまった。

「落ち着けシュテフィ」

 マーティンが優しく背中を叩き、気を利かせて水の入ったコップを差し出す。水を飲んでシュテフィが少し落ちつきを取り戻すと肩に手を廻してそのまま別の部屋へ誘う。

 その対応に、紳士なところもあるんだな、とポーカーフェイスの下で感心しつつ、ブレッドに問いかける。

「アポドミティカって……確か流浪妖魔の総称よね?」

「昼行性あるいは昼夜を問わず行動する妖魔の中には特定の縄張りを持たない種類がいる。それをアポドミティカって呼んでるわけだが、縄張りがないっつても周回するコースや一定の地を往復してる場合が多い」

 ローズの確認に何か考え込んでるふうながらブレッドはもちゃんと説明してくれる。

 大半の妖魔は森や山などに定住などに定住する。DランクやEランクなどは長時間日光を浴びれば致命的なダメージを負うし、上級妖魔堪えられても太陽の光を厭うものが多い。だから、木々の影や山の岩穴、万年霧や雲で覆われた山、力の源がある場所などに定住する。しかし、ヒッポワソンやヒッポグリフなどのように希に昼日中でも行動できる妖魔がいる。(飛竜は数年で死んでしまうが、これが発育不全のためか、陽光に焼かれるためなのかは不明)

「……だから、正確には渡り妖魔と言うべきだろうな」

「アポドミティカは気性がおとなしいと聞いたことがあるけど?」

「ヒッポワソンやその上位種のヒッポカムポスなんかは確かに気性がおとなしいし、大半が草食だからそう言われるけど実際は結構危険なのも多い。それに一所で魔災が起こるとそれを伝播する厄介な連中だ」

 採屍人プトーミゴスに対する認識然り、アポドミティカに対する知識然り。ルディア王国出身の自分の妖魔やそれに関する知識が薄く偏ったものであると痛感させられる。

 自分の見識の狭さを思い知らされ黙り込むローズ。その向かいで黙り込んで中断した思考の続きに耽っているブレッド。シュテフィの説教でへこんで黙り込むファルカ。居心地悪さに耐えかねたマリがファルカを元気づけようと色々と旅の話をしたり、ローズやブレッドに話しかけたりもしたが、結局三人の反応の乏しさに尻すぼまりになってしまった。

 軽くない沈黙が立ち込めていた室内の雰囲気にようやく変化が訪れたのはシュテフィを別室で落ち着けていたマーティンが戻って来てからだった。

「シュテフィは?」

「落ち着いたらさっそく仕事だと」

 干天の慈雨とばかりにマリが即座に問うと、マーティンが肩をすくませ、やれやれと首を振りながら答えた。

「だから心配すんなよ、ファルカ。ちょっと怒鳴りゃ誰だってむせ返ることくらいあんだろ」

「……………………うん」

 沈黙が破られたことをきっかけにしたようにそれまで黙り込んで何やら考え込んでいたブレッド唐突に立ち上がった。

「どこ行くんだよ?」

「ちょっと情報収集に行ってくる。たった数日森にいる間に『リップ・ヴァン・ウィンクル』じゃ適わないからな」

 ジョーク混じりに告げて出ていった。

「確かに……森から出てきたら鉄の森(アイゼンヴァルト)が焼かれただの、アポドミティカが暴れてるだの信じられないような話ばっかだもんな」

 ブレッドが出ていった後一瞬の沈黙を経てマーティンが呟いた。

「いくらブルトルマン軍でも神話に出てくるような森を焼いたりしたと思う?」

 ファルカの前ということで直接ローズに真偽を問うような問いかけはしなかったが、向けられた視線が明らかに真偽を尋ねていたが、

「リスティッヒのヤツなら平気でやるわよッ!」

「おい、ファルカ」

 ローズの代わりに静かだが荒々しく答えたのはただ一人この町の住人であるファルカだ。決して大声を上げていたわけではないが、マーティンが慌てて諌め、誰かに聞かれていることを恐れて窓の外を窺い見る。

「大丈夫よ、ウチに近づくヤツなんていないもの」

「だからってあんまりうかつなこと言うもんじゃねえよ」

 マーティンの動揺ぶりとファルカの発言にローズは違和感を覚えた。

 ブルトルマン帝国は確かに軍事力に依った国だが、恐怖統制はしていないと聞いている。併呑した国の旧支配者たちには冷酷だが、領民を圧政や武力で虐げてはいないはず――と好奇心に駆られたが、ファルカの町の住民たちに忌避されているような口ぶりもあって立ち入ったことは聞くべきではないと思い止まり、

「まあ、戦法として火計は集団戦で敵を退けるための常套手段だな」

 当初のマリの視線に答えることだけを選択した。

 マリもわざわざ遠まわしな表現で答えたローズの意図を理解して頷き返す。と、同時に視線でファルカを示し、わずかに首を振る。

「まあ、そうはいっても妖魔の恐ろしさを十分に知っている連中が鉄の森(アイゼンヴァルト)に火を放ったりしないだろう。おそらく、戦火が飛び火して広がったんだろうな」

 一度血が上りかけたファルカの頭でもローズの論理性のある仮説は納得するに足るものだったようで悪罵を吐くのを止めた。

 それはよかったのだが、それまで地元話を続けて散々地雷を踏みまくった一連の会話の流れを断ち切ろうとしたファルカがあらぬ方へと話題を振ってきた。

「ねえ、この辺の話はもういいからさ、ローズの故郷の話してよ」

 マリ、マーティンと以前からの知り合いであったファルカにとって二人の故郷の話はすでに聞いている話なのだろう。しかし、彼らは傭兵ギルド所属という特質上各地を巡っているから土産話には事欠かないだろうに何故よりによって私の故郷の話を!

 と心の内でローズが絶叫していることなぞ露知らず、ファルカは無垢な目でこちらを見つめている。視線でブレッドとマリに助けを請おうにもうかつに逸らせばいらぬ疑いを抱かせることになる。

 数秒待っても二人から助け舟が入らなかったので潔く腹を括って、

「私の故郷は元スタリア王国だ」

「………………ごめん」

「気にしなくていい。私の里は南の山間の村だったから特に害はなかったから」

 自国以外で唯一知識のある国でごまかし、半分は真実を混ぜて嘘がバレないようにする。

 ローズは正真正銘ルディア王国の出身で軍属になるまで国外に出たことはなかった。しかし、山間の村の出身というのは本当だ。環境の近い山間の村の生活は似たようなものだと以前旧スタリア王国領潜入任務に選ばれたときに資料で読んでいた。それと、南の山間部の村はゲリラ戦の舞台にならなかったというのも事実だ。

「どんなところ?」

「山間部は雪が多くて冬は過ごしづらいけど、妖魔の被害はそれほど多くないし悪くはないところだったわね。牛や羊飼って作物は実りが少なかったけどね」

「山は妖魔の被害少ないの?」

「山の高い所の過酷な気候に適応した妖魔が山の主になってるから平地に出るような普通の妖魔はあんまり現れないし、山の上に棲む妖魔は滅多に降りてこないから」

「いいなあ~行ってみたいなあ」

「だけど妖魔の代わりに冬は寒さが厳しいし、楽園とは程遠いところよ?」

「それでも妖魔がいないだけいいよ。魔災はヤダもん」

 妖魔に土地を奪われる環境で育ったファルカの考えが妖魔とはほとんど無縁の地で育った自分とは違うことをわきまえてローズは頷くに留めたが、そうでない者もいた。

「そうなの?」

「当たり前じゃん!妖魔さえいなきゃって思わない?狼は家畜や人を襲っても土地は奪わないし、畑も荒らさない。猪は畑を荒らしても家畜は襲わない。でも、妖魔は人も家畜も襲うし、土地や家だって奪うんだよ?」

 首を傾げて問いかけたマリにファルカが信じられないというふうに答える。

「う~ん……妖魔だって結局は獣と同じだと思うけどなあ」

「ええっ!違うよ、妖魔は邪悪なんだよ。それに獣と妖魔じゃ被害が全然違うじゃん」

「でもさ、被害が大きいのって天災も同じじゃない?」

「違うよ。台風や洪水は一瞬だけど妖魔はずっと邪魔するもん」

 まだ、ローティーンの二人は自分たちの感覚の違いを理解できずに白熱しはじめる。

「「プッ……ハハハハ」」

 期せずして傍観していたローズとマーティンが異口同音に笑いだし、

「「「「………………」」」」

 笑われたマリとファルカはバカにされたと思ってローズとマーティンを睨み、睨まれた二人は互いにハモってしまったことに不快そうに顔を見合わせた。

「マーティンだけならともかくローズまで……何がおかしいのよ!?」

「俺だけならともかくってなんだよ!」

 半眼で睨むマリにマーティンが突っかかるが、そこは慣れたものでマリは華麗にスルーしている。

「いや、済まない。二人の議論があまりにも……なんというか子供っぽかったものだから……ついな」

 子供っぽい、というフレーズは思春期の少年少女には禁句だが、その年代を脱したばかりのローズにはそこに配慮するだけの経験はない。案の定二人から怒りの眼差しを向けられ、慌てて訂正する羽目になった。

「いや、悪い。言葉が足りなかった。二人の議論はすごく重要なことなんだ。まったく同じ問題で世界各地で戦争が起きている。ただ、二人の言い争いを聞いているとそれがなんだか酷く大人気ないことのように思えたんだ」

「戦争の理由と私たちの口論が同じなの?」

 驚きとあしらわれているのではという猜疑が半々の視線がローズに向けられ、次いで確認するようにマーティンに移る。視線を受けてマーティンが頷き、

「ブレッド……はいねえから、お前説明してやれよ」

「傭兵経験は私より長いんだ。世界のあちこちを見てるだろ?」

「俺は説明する学が無えんだよ」

 疑問が晴れないファルカとマリが「どっちでもいいから早く説明して」と急かすので、やれやれ、とブレッドに向けて嘆息してから、

「ファルカの考え方はアクティース教の考え方だな。光の神(エルオール)を生命の加護者、最高神と定め、考え方が異なり妖魔を是認する闇の神(オスキュリダード)を邪悪な存在と考える。中立の五神は神ではなく、光の神の下に属する神下しんかとしてる」

「そうだよ。だってそれ以外ないでしょ?」

「ファルカ少し考えて。アルケーテロス神話では七神の優劣上下は明言されていないし、善悪も言及されていないでしょ?」

 指摘を受けて、あっ! と口を手で覆うファルカ。

「マリの考え方は古くからあるアルケーテロス神話そのまま。地域や民族によって多少崇拝する神さまに偏りはあるけど基本的には七神を平等とし、それぞれに司るもの、司る考えが違うだけ、というもの。きっと故郷の考え方かしら?」

「正解!詳しいね」

「でも元は同じ神話なのにどうして違うの?」

「この大陸――ビアンチエ大陸の西方は自生する妖魔とスヴァルト大陸から流入してくる妖魔とで妖魔の被害が多いでしょ。アクティース教が唯一神として掲げる光の神(エルオール)は妖魔を退け、儀式で産まれた子どもを加護してくれる。だから、アクティース教は特に妖魔の被害が多い大陸西方で支持されるようになったの」

「それがどうして争いが起こってるの?」

「今マリとファルカが揉めたのと同じよ。普段仲が良くても妖魔の被害で辛い目にあってるとアクティース教のいうように『妖魔は悪だ!』って考え方になるけど、マリみたいに妖魔と渡り合って生きている人たちには獣と大差ないの」

 もっともアクティース教が他の信仰や民族、国家と諍いを起こしている理由はただの考え方の齟齬では済まないのだが、子どもにそこまでいうこともない。

「ローズって物し……」

 バアァァァン

 物知り、と言おうとしたファルカの賛辞はローズの耳に届く前に轟音に掻き消された。次いで突風に建物が吹き飛ばされたように、バリバリ、ベキベキ、という木材がへし折れ、引き剥がされる音が聞こえてきた。

「なっ!?」

 突然の事態が信じられなかった。多少は大きなファーデンの町は周囲を柵で囲み、柵に有刺鉄線を巻きつけて防壁を気づいているし、見張りだって立っていた。しかし、この襲撃に際して何の警鐘もなかった。

「私、見てくる」

 空気を震わせる振動と家屋に吹きつける風圧の騒音の中、隣に座るマリが制止する間もなく立ち上がりファルカが外へと飛び出していった。

「止めろッ!」

「ファルカッ!」

「待て、バカ!!」

 三者が叫び、隣に腰かけていたマリが椅子からひっくり返りそうになりながら伸ばした手もファルカの背を掠めただけで捕らえることはできなかった。

「私、ファルカ連れ戻してくる!マーティンはシュテフィをお願いッ!」

 マリがファルカを追って消えたのと入れ替わりに仕事部屋からシュテフィが現れ、

「ファルカは……?」

 マーティンが首を振るとシュテフィの顔から血の気が引き、くずおれる。それをマーティンが抱き留めて問う。

「地下室はッ!?」

 指し示す先には四角形の床板の異なる場所がある。石造りの城壁の無い小規模の町や村では妖魔に襲われたときのため食糧貯蔵庫の意味合いも持つ地下室が一家に一つ必ずある。緊急時はここに入り危険をやり過ごすのが常識なのだ。

「私が二人を連れ戻しに行こう。二人は地下室へ」

 マーティンが異論を挟まずに頷くのを見て駆け出す。

 表に出たと同時に町の中心部で風が吹き荒れているのが目に飛び込んできた。まるで局所的な嵐が町を駆けているようだった。

「風の妖魔……?」

 風を纏う、あるいは風そのものの妖魔かと思った。しかし、地を駆けるように荒れ狂う風は妖魔の正体でも能力でもなく軌跡にすぎなかった。

 バアァァァン

 という轟音とともに中心部からシュテフィの店の数件隣りの店まで爆発するように吹き飛び、疾風を伴う何かが駆け抜けていった。

 間違いなく人間業ではない。魔人や獣人なら不可能ではないかもしれないが、だとしてももはや人の域とは言い難い速度と破壊力だ。

「マリ!」

 左右に視線を振っても二人と思しき人影は見えない。いや、人っ子一人見当たらない。非常事態には各自自宅の地下室に避難するという習慣が身に染みついている。だから、誰も表に出てこない。

「ファルカ!」

 舞い散る木片から顔を庇いながら名を呼ぶ。しかし、反応はない。そもそも、轟音と突風で聞こえているかも怪しい。

 風が止み、瓦礫の崩れる音が収まるのと反比例して町の中心部から人の狂奔する声が聞こえてきた。酒場など盛り場ではまだまだ人がいる時間帯だ。当然、全員が隠れられるようなスペースも時間もなかっただろう。あぶれた人々が身を隠す場所を求めて逃げ惑っているのだ。

 二人がそちらに向かった可能性に賭けて、中心部へ向けて駆け出すと、少し先の角からブレッドが両脇に二つの物体を抱えて姿を現した。

「マリ!ファルカ!」

「よう、ローズこいつらを?」

「ああ、探しに来た。マーティンとシュテフィは地下室に隠れている」

「ならいい。だが、もう隠れる必要はなさそうだ」

 突風のような妖魔はあのまま駆け抜けて行ったらしく、すでに町中で騒ぎは収まりつつあるようだ。少なくとも、もう家屋が吹き飛んだりということは起こっていない。

 ブレッドが小脇に二人を抱えたまま店へと帰ると状況を説明する。

「アポドミティカだな」

 マーティンとシュテフィが地下室から這い出して、全員が机を囲むと開口一番にブレッドが言った。

「襲ってきた……つーよりかは怒り狂って暴れてるって感じかな」

鉄の森(アイゼンヴァルト)が焼かれて川のこっち側の妖魔も落ち着きがなくなってるってのは本当みてえだな」

アポドミティカは災異を伝播する。一所で森に異変が生じたり、主たる大妖魔が暴れたりすればたちどころに逃げ出す。そして、逃げ出した先の妖魔たちが彼らと激突して新たな災異となり、そこにいたアポドミティカがさらに移動して別のところで災異を起こす。

「ああ、酒場で聞いた話じゃ南岸ではマーナガルムが暴れだしたらしい」

「「「「「マーナガルムッ!!!」」」」」

 発言者のブレッドを除く全員が驚愕に口をそろえた。何しろ神話級の妖魔だ。光の神から創造の力を喰いちぎったとされる狼の長よりも強大と言われるマーナガルム。それが暴れ出したとなれば住民の大避難となってもおかしくはない。

「でも……そんな…………」

 ありえない、と言いたげなシュテフィの言葉を察し、

「軍が口止めしてるんだろうさ。神話級の妖魔を自分たちの作戦でたたき起こした、なんて国民に知られたら大騒ぎになるからな。それにマーナガルムはどうやら南下しているらしいって話だからこっち側には被害がないと考えてるんだろう」

 言いながらブレッドの視線がローズに向く。

 川の向こう側にいた仲間たちの生存が絶望的だという事実に血の気が多少引いたもののシュテフィ、ファルカに気づかれないように狼狽を見せず、平静を装う。

「まただッ」

 怨租の色濃い、吐き捨てるような声の主は小さな拳を握りしめて震わせているファルカだ。

「リスティッヒの所為だ。アイツさえい……」

「ファルカ!」

 シュテフィが嗜めて、ファルカが口を噤む。

「………………ゴメン……なさい」

 もう寝なさい、とシュテフィが告げ、渋るファルカをマリが連れていき、シュテフィ自身も作業の続きをするといって仕事部屋に戻っていった。

 三人の背を見送ってから、

「さっきもそうだったが、リスティッヒ元帥の所為で何か酷い目にでもあったのか?」

「他人ん家の事情に首突っ込むんじゃねえよ!」

「おい、そういう言い方は無いだろ!」

 ローズの踏み込んだ質問にマーティンが噛みつくように咆え、それをブレッドが諌める。

「いや、私が礼を欠いた。立ち入ったことを聞いてすまない」

「リスティッヒの名前が出てくりゃ意識にするのは仕方ないし、二度もあんな様子見りゃ気になるのも無理ない。実際俺たちだって気になって聞いたんだからな。けど、悪いが俺たちの口から教えるわけにはいかない。……まあ、言えるのは二人の家の問題だってことくらいかな」

 ローズが頷くのを見て、話題の切り替えを図る。

「しかし、町があのありさまじゃ一日遅れたら報酬踏み倒されてたかもしれないな」

 町の惨状は全体的に見れば台風程度だろう。だが、被害の程度の差が激しく一様には語れない。シュテフィの店のように全く無傷の店も多いが被害を受けた店は文字通り木っ端みじんだった。襲ってきた妖魔のランクはCは固い。

「何が襲って来たんだ?」

 一瞬見ただけの姿では乏しい知識ではなんという妖魔なのか判別できない。

「さあな、俺もよく見えなかったから……適当なことは言いたくない。どうせ明日になれば役場が正式な発表するさ」

「でもこの辺で今の時期のアポドミティカったらアレだろ?」

「さあな、もっともアレだとしてももっと頭数いないと無理だ。それに……もし、アレだったら頭数うんぬん依然にダメだ。平時だって危険なのに今は怒り狂ってる。連中を相手にするには条件が悪すぎる。依頼が来ても絶対受けんじゃねえぞ!」

 弱きとも取れるブレッドの発言にやや警戒をつのらせる。森で見たブレッドの射手としての腕前は超一流だ。そのブレッドが無理だといい、わざわざ念を押すからには『アレ』というのは相当高位の妖魔なのだろう。

(まあ、服を受け取ったら仲間を追わなければならない……関わっている暇はない、か)

 協力できることならしたいが、ローズにとって優先すべきは自分が背負うべき部下に追いつくことだ。義理人情を粗末にする気はないが危険な任務と逃避行に付き合わせてしまった部下の命に対する責任がある。

 そこからは疲れもあってブレッドも眠そうにしていたし、ローズも疲れていたので特に会話もないままいつの間にか眠りに落ちていった。

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