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ルディア戦記  作者: 足立葵
第一話「戦場の青き薔薇」
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第二章 人間と妖魔 2

 ローズが蜘蛛の森(シュピンネヴァルト)で巨大蜘蛛と死闘を演じている頃、ヴェニティーら残存兵もまた妖魔の脅威に震えていた。

「なんですの…………アレは?」

 鉄の森(アイゼンヴァルト)には妖鳥、怪鳥はほとんど生息していない。妖魔の猛威はもっぱら地上を蹂躙するオルトロスやガルム、ジェヴォーダンといった妖狼魔犬だけだった。にもかかわらずヴェニティーたちは震えていた。

 恐怖に震えていたのは人間だけではない。騎乗しているヴイーヴルやヒッポグリフも震えて、前進することを拒んでいた。

「なんですの…………アレは?」

 回答を求めて、というよりは呆然とただ繰り返す。

 もっとも近かった砦、ヴェニティーの父シヤン・オーリュトモス将軍率いる本隊が駐留していたであろう最前線の砦は跡形もなくなっていた。妖魔に襲われたからと言って削り取ったように砦が消えるなどあり得ない。

 わけもわからず、しかし、立ち止まって調査するような度胸も時間も余力もなく、仕方なしに続く砦を目指して飛んだ。

 そうして今日、ようやくたどり着いた二つ目の砦もやはり跡形もなく消えていた。しかし、ここには前の砦とは違う点が一つあった。それがヴェニティーのいう「アレ」。

 ヴェニティーの発した一言に答えるように誰かが呟く。

「アイゼン……」

「何!?」

 震える声は聞こえづらい。疑問を解消してほしい欲求と恐怖から厳しい口調聞き返す。それヴイーブルに跨る騎士が答える。

「ブルトルマンの奴らが焼き払った森は鉄の森(アイゼンヴァルト)……です」

「だから、どうしたというのです?」

 作戦会議に参加していなくとも地図さえ見ていれば誰もが知っていることだった。森の名前を思い出したところで疑問は解消されないし、無限に湧いてくるような恐怖の源がわかるわけでもない。しかし、そのことから何かに気づいた側近が目を見開く。

「襲いかかってきた妖魔は妖狼魔犬ばかり……」

「そんなことも分かっています。それがなんだというんですッ!?」

 苛立ち、怒鳴りつけるヴェニティー。しかし、側近は今さらヴェニティーの怒声に怯えるようなことはなかった。慣れているのではない。主の怒りによってもたらされる恐怖など砂粒以下に思える恐怖が彼女の頭を埋め尽くしていた。

「妖狼魔犬……そして、鉄の森(アイゼンヴァルト)……だったらアレは……」

 

 アルケーテロス神話 第一章第七節「神々の決別」にはこうある。

 

 人は爪も牙も持たない無力な存在であるが故に知を与えられた。

 しかし、人より出でし巨人は数多の存在の中でもっとも強き力を持つものの一つであった。

 光の神は言った「人は弱き存在である故に知を与えられたのだ」

 光の神は怒り、光の民を従えて巨人を捕らえ、これを滅ぼした。

 地の神は言った「滅ぼすのはやり過ぎが、巨人は力を得たのだから知を持つべきでない」

 風の神と金の神もこれに賛同した。

 地の民より出でし岩の巨人は地の神によって知を奪われ、人ではなくなった。

 風の民より出でし森の巨人は風の神によって知を奪われ、人ではなくなった。

 金の民より出でし鋼の巨人は金の神によって知を奪われ、人ではなくなった。

 闇の神は言った「巨人は掟には反してはいない」

 水の神と火の神もこれに賛同した。

 闇の民より出でし闇の巨人は暗き世界にいる限り自由を許された。

 火の民より出でし炎の巨人は火の神に尽くす限り自由を許された。

 水の民より出でし水の巨人は水の神の懐にいる限り自由を許された。

 各神々それぞれの処置に思うところあれどそれぞれの民について異論を述べなかった。

 しかし、知の民より出でし知の巨人の扱いが問題となった。

 光の神は言った「滅ぼすべし」

 地の神、金の神、風の神は言った「知を奪うべし」

 闇の神、水の神、火の神は言った「今のままおくべし」

 光の巨人が滅ぼされ、岩、金、森の巨人が知を奪われたのを見て、知の巨人は恐れた。

 知の巨人の長は一族に言った「なぜ、巨人というだけ奪われ、滅ぼされねばならない?」

 知の巨人の一人が言った「我ら自らの存在を護るべし」

 知の巨人の一人が問うた「如何にして?」

 知の巨人の一人が提案した「巨人放逐を唱える神の住まう地を別つべし」

 知の巨人たちは力を合わせて大地を引き裂き、光の神の住まう地を極東へと投げ飛ばした。

 知の巨人たちは力を合わせて大地を引き裂き、風の神の住まう地を天空へと投げ上げた。

 知の巨人たちは力を合わせて大地を引き裂き、金の神の住まう地を水底へと沈めた。

 自らである大地を引き裂かれたことで大地の神の力は大きく減じた。

 地を裂いたことで知の巨人は神々の怒りに触れた。

 光の神は天より眺めて知の巨人を探し、光の矢をもって知の巨人を滅した。

 風の神は天地を駆けて知の巨人を探し、風の刃をもって知の巨人を斬った。

 地の神は耳を澄まして知の巨人を探し、岩の鎚をもって知の巨人を潰した。

 金の神は食物を廻って知の巨人を探し、鉱の毒をもって知の巨人を毒した。

 知の巨人が閃いた「我らにして我らならざれば神々も滅せまい」

 知の巨人は他のものと血を混ぜることで己の存在を遺した。

 あるものは知の民と血を混ぜた。

 生まれた子は巨人にしては小さかったがいずれ彼らの子が巨人を甦らせると信じた。

 あるものは獣と血を混ぜた。

 生まれた子は巨大な獣だったり、獣と人を混ぜた姿だったり、姿を自在に変じた。

 光の神は訴えた「これは悍ましき行いである」

 闇の神は擁護した「新たな姿、新たな存在が生まれただけで問題はあるまい」

 神々は判断しかねた。

 地の神は言った「まず、罪を犯した知の巨人を裁き、子については後に考えればよい」

 そんな中ある巨人の女が鉄の森に棲む狼の長と仔を成した。

 光の神は仔を生む前に罪人である巨人の女を裁くことにした。

 しかし、闇の神の娘はこれを哀れんだ。

 闇の神の娘は闇の神に訴えた「胎の中の子に罪はない」

 闇の神は答えた「しかし、母親が罪を犯したのも事実」

 闇の神の娘は言った「巨人を恐怖で追いつめたのは神々だ」

 闇の神は言った「残念だが、生まれるまで狼の長が守り抜くことを祈るしかない」

 闇の神の娘は水の神の息子と密かに協力して狼の長たちを光の神から匿った。

 そして、巨人の女は狼の長の仔を生んだ。

 長子はどんな熱にも屈することない強靭な毛皮を持って生まれた。

 次子はどんな闇でもものを見ることができる目を持って生まれた。

 しかし、もっとも大きな三子はなかなか生まれ出ることができなかった。

 そこに光の神が光の民を連れてやってきた。

 狼の長は巨人の女と胎の中の三子を護るために戦った。

 そこに闇の神の娘が駆けつけ、狼の長を止めた。

 闇の神の娘は言った「見逃してはくれまいか」

 光の神は答えた「ならぬ。巨人の女は咎人だ」

 闇の神の娘は言った「巨人を恐怖で追いつめたのは神々だ」

 光の神は尋ねた「闇の神の娘が我を非難するのか?」

 闇の神の娘はしばし黙し、口を開いた「せめて三子が生まれるまで待ってほしい」

 光の神は答えた「ならば、狼の長を差し出せ」

 闇の神の娘は問うた「狼の長は自分の子を護ろうとしただけで罪はない。なぜだ?」

 光の神は問うた「罪人を匿った罪はどうなる?」

 闇の神の娘は言った「巨人の伴侶となったものの扱いについて神々の裁可は降りていない」

 光の神は答えた「それに神に牙剥いた狼の長を許すわけにはいかない」

 闇の神の娘は言った「光の神の独断で狼の長を裁かせるわけにはいかない」

 光の神は告げた「ならば、待たぬ」

 光の神はそのまま巨人の女の首を刎ねた。

 狼の長は怒り狂い光の神の手、創造の力を喰いちぎった。

 光の神は創造の手と引き換えに狼の長の首も刎ねた。

 狼の長の怒りの籠もった血は浴びた者に狼の呪いをかけた。

 狼の呪いを受けたものは同族以外のすべての者を殺戮するものとなった。

 父と母を殺された狼の長の長子は怒り狂って光の神を襲った。

 狼の長との戦いで力を使い果たしていた光の神は逃げるように極東へと帰っていった。

 狼の長の長子は光の神を追ったが東の果てで水の神の懐に阻まれた。

 父と母を殺された狼の長の次子は父を止めた闇の神の娘を怨み、襲った。

 体中を咬まれ傷を負いながら闇の神の娘は父の元へ帰っていった。

 闇の神の娘の受けた傷は未だに消えることなく残っている。

 狼の長の次子は闇の神の娘を追ったが水の神の息子が彼女を覆い隠した。

 誰もいなくなった鉄の森で巨人の女の骸を食い破って狼の長の三子が誕生した。

 狼の長の三子は兄のどちらよりも大きく、強かった。

 狼の長の三子は母の骸と父の骸を喰った。

 狼の長の三子は森の巣穴に戻って眠りについた。

 光の神は失った手を掲げ、叫んだ「変容を認め、力を許容した結果がこれだ」

 闇の神は言った「光の神が強引に過ぎた」

 火の神は言った「神に逆らった狼の長は裁かれて当然だ」

 水の神は言った「子が生まれるまで待てば狼の長も牙剥きはしなかっただろう」

 地の神は言った「狼の長の裁きを独断で行った罰だ」

 風の神は言った「巨人を匿った時点で狼の長も咎あるもの」

 金の神は言った「狼の長は死に巨人は裁かれたならばすでに議論の必要はない」

 光に神は言った「巨人の子の処遇を定めていない」

 巨人の子の処遇を巡って神々の意見が割れた。

 光の神は「すべて裁くべし」と説いた。

 闇の神は「子に罪はない」と説いた。

 水の神と金の神が「掟になきことで裁いてはならぬ」と説いた。

 これを受けて地の神が「掟を増やし、次からは裁くべし」と説いた。

 火の神と風の神も地の神に賛同した。

 しかし、新たな掟についても神々の意見は割れた。

 光の神は神に刃向かうほどの力を得るものをこれ以上増やしてはならないと考えた。

 光の神は二度と反逆者を生まぬために新たな掟を宣下した。

 一つ「雌雄のまぐわいによって子を生すことを禁ずる」

 光の神の宣下に従ったものと従わぬものとがいた。

 従ったものは子を成すのに光の神の定めた儀に則った。

 儀によって生された子は光の神の与えた姿のまま、過度の力を得ることはなかった。

 従わぬものはまぐわい、子を生し、代を重ねることで力を増し姿を変えた。

 光の神の定めた掟に従ったものと従わぬものの力の差は広がり続けた。

 力を増した従わぬものは力の変わらない従ったものを襲うようになった。

 星を読みこれを知っていた光の神は、自らの儀で生された子に光の加護を与えていた。

 光の加護を授かった子は生まれに際して血の穢れを免れる。

 以来、光の加護を授かった子は加護の力で守られ、血に穢れた子は光の神に従わぬものに襲われる定めとなった。

 しかし、神々の合意を得ずに新たな掟を敷いた光の神を神々は責めた。

 闇の神は言った「世界に在るものたちに自由を返すべきだ」

 地の神は言った「光の神だけが子を生す儀を取り仕切るのは我らを蔑ろにしている」

 水の神は言った「我らは等しくあるべきだ」

 風の神は言った「掟は我らの合意で定めるべきだ」

 金の神は言った「儀の内容を定め直すべきだ」

 火の神は言った「掟を定め直すべきだ」

 しかし、光の神は譲らなかった。

 光の神は言った「汝らは掟を定めることを我に委ねたはずだ」

 神々はこの新の掟を廻って言い争い、ついに袂を別つことになった。

 

 神話で狼の長が巨人の女と暮らしたとされる森、鉄の森(アイゼンヴァルト)。そして、事実この森では多くの妖狼魔犬が生息している。そのうちの一つガルムは狼の長の三子の子孫と言われている。

 この世界の誰もが知る神話にようやく思い至りヴェニティーの口が自然と呟く。

「…………鉄の森(アイゼンヴァルト)に眠る巨狼……」

 神話級の妖魔……かの狼の長をも超えるとさえ言われる最強の狼。

「………………マーナガルム」

 聞こえるはずもないほどの呻くような微かな声で呟いた彼のものの名。

 それに反応したかのように巨大な尻尾が揺れる。

 すべての死肉を喰らい、死肉がなければ生者を死肉に変えて喰らう最強最凶の狼が緩やかに立ち上がった。

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