第一章 三つ首の番犬要塞攻略戦 10
三つ首の番犬要塞の攻防戦から二日、ブロンテー川の北岸を森があろうと、川原が開けていようと馬を休ませることなく走破して、それでもローズは歩みを止めようとはしなかった。
「ローズ!」
騎乗する騎馬の鼻づらが視界に見えるから隣といっても差しさわりない程度の斜め後ろからミエルがローズを呼び止める。
「ローズ!!」
「なんだ?」
少し険の籠もったローズの声にもたじろぐことなくミエルが訴える。
「このままじゃ馬が持たないわ。少し休ませましょ」
「どうせ馬など長くは持たない。振り切れるだけ振り切った方がいい」
「貴女はできても馬に不慣れな者もいるのよ?すでに二晩騎乗したまま走り通し、落馬でもしたらどうするの?」
ミエル言葉に見回せば確かに何人かは船を漕いでいつ落馬してもおかしくない。
「冷静になって、ローズ」
ミエルの声音が噛みつくようなものから労わるような響きへと変わる。
「そうだな、不慣れな者のことを考慮してなかった」
頭の中で地図を広げて休息に適した場所を探す。敵に見つかるリスクを避けるために川沿いとはいえ森の中を走っていた。森の中の方が見つかりにくいかもしれないが、妖魔の脅威に怯えては精神的に休まらない。長居しなければ問題はないだろう。
「この先にもう少しいったところでこの森を抜ける。そこで休もう」
ミエルがローズの瞳を覗き込む。冷静さが立ち戻ったことを察してか異論を挟まず、
「いいわ、そうしましょ。みんな森を抜けたら休息できるわよ、もうちょっと頑張って!」
ミエルの号令に応える声もどこか弱弱しい。
「……すまない」
心の内で呟いたつもりの一言が微かな肉声となって漏れ出す。
「気にしないで。貴女が気負いすぎたら私が降ろす。ずっと、そうだったじゃない」
「……あ…ああ」
今の「すまない」はミエルに向けた言葉ではなかった。最後の訓戒がまったく頭に入っていなかったことをジルに詫びたのだ。
しかし、ミエルの忠告でそれが気がつけたのもまた事実だ。
「ありがと」
「どういたしまして」
この状況で笑みを返してくれる友人の存在は大きい。
いかに、ローズがしっかりしていようとも、一騎当百の腕前を誇っていようとも、まだ二十歳前の少女の残り香ある女なのだ。ただでさえ、難しい作戦に部下を巻き込んでしまったという罪悪感があるところに、頼れる先輩であったジルが死に彼女の双肩にかかる重みは倍に増した。そして、これからの逃避行は隊長である彼女の判断一つが生死を分ける。気負うな、というほうが無理な話である。
「ねえ、今さらいっても意味ないけど、リスティッヒの首を獲って第一の首を落として立て籠もるっていう手もあったんじゃないの?」
話の内容はともかく、会話はそれ自体が気持ちが沈み込むのを少しでも浮上させる効果がある。少し考えさせられる問いかけに悩んでから、
「たしかに、その方法もあった」
「なら、どうしてそうしなかったの?」
「その方法は外の部隊が的確な対応をしてくれること……城門を閉ざし、死に物狂いで第一の首を落とすことが前提だからだ」
だが、おそらくそうはならなかったという確信がある。あのとき外から聞こえてきた喧騒はすでに叫喚に近いものだった。おそらく、あの時点からではリスティッヒ元帥の首を落としても妖魔の乱入した城壁内で、妖魔に慣れないルディア軍が平生を保って戦えるとは思えない。それにヴェニティーにその勇断ができたとは思えない。
「なるほどね。……ねえ、リスティッヒはどうして森に火を放ったりしたのかしら?」
「ヤツには我が軍を駆逐する以上の策があったようだが…………」
「策って?」
これには首を振る。
森一つを焼き払うということは眠りについていたAランク以上の妖魔を起こすということだ。Aランクで台風や竜巻、Sランク以上になれば地震や火山の噴火にも匹敵する災害が妖魔の気が鎮まるまで――新たな棲家を手に入れるまで――続く。しかも、もし、その妖魔が別の妖魔の縄張りを荒そうものなら被害はさらに酷くなる。
それだけのリスクを承知で樹海に火を放ったからにはそれ相応の目算があるはずなのだ。しかし、一士官に過ぎないローズには判断すべき情報が足りない。
「森を焼くなんて暴挙にでるヤツの考えはわかんなくて当然か……」
「それがわからないことも撤退を選んだ理由の一つだ。仮に賭けに勝って第一の首を落としていたとしても野営地はやられていた。食糧武器がなければ長くは持たないし、ヤツの策が判然としなければいつ撤退できるかもわからない」
「でも、落とした砦には運んできた備蓄があるでしょ?そこまで落ち延びれば……」
「私たちが落とした砦はおそらくすべて使い物にならない。オーリュトモス将軍も全軍を率いて撤退を余儀…なく……」
不意にローズが黙った。それを訝しんだミエルが、どうしたの、と問いかける。
「オーリュトモス将軍……父親の方の率いる本陣は今どうしている?」
「えっと……」
落とした各砦に分散配置したを除いても半数以上が近日中に合流する予定で北上していたはずだ。だとすれば、日数から考えて二つ前の砦の前後にいるはずである。
「あっ!そっか!!」
妖魔、とりわけ荒れ狂う妖魔というのは獲物、つまりは人気の多い場所を襲う。大きな街の無い南岸一帯において一万五千以上の本隊は三つ首の番犬要塞と並んで人気のある場所だ。上位の妖魔ならあんな矮小な砦など無いも同然だ。
「じゃあ……」
「おそらく妖魔は三つ首の番犬要塞とオーリュトモスの本隊の二手に分かれている……だろうな」
「待って!妖魔に襲われたらオーリュトモスは……」
「一個師団以上の軍が即座に全滅するとは考えづらい。おそらく食い千切られながら撤退するだろうな」
もし、そうならなくとも南に続く砦には少数とはいえ南岸一帯にある町に比べれば多い兵士が駐留している。それらを辿るようにしていけば行きつく先は一つしかない。
「妖魔の大群を連れたまま牙の城にご帰還だな。……なるほど、妖魔を利用して我らを徹底的に潰し、あわよくばそのまま牙の城も落とす気だろう。リスティッヒのヤツめ……やってくれるッ!!」
牙の城はルディア王国の最西端にして西方の橋頭堡である。三つ首の番犬要塞に勝るとも劣らぬ堅牢な要塞都市だが、それでも妖魔の大群を相手にはどうなるかわからない。
「でも、それって敵も追撃できないってことでしょ?牙の城が甚大な被害を受けても間に妖魔がウヨウヨしてたらブルトルマンだって……」
「いや、敵はそのことを承知で森を焼き払った。何がしかの手を考えているのが妥当だろう」
絶望的な観測に絶句するミエル。
「ドレイファス将軍も逃げ延びたとすれば牙の城を目指すわよね……」
「あの状況で落ち延びられればだがな。むしろ、捕虜になっていてくれた方が安全だ」
ただの兵卒は捕虜になれば食糧だけを与えられ、労働に従事させられるが佐官以上ならば情報提供を条件に在る程度の待遇を保証されるし、将軍ともなれば政治的な取引材料にもなるからそれほど悪い待遇を受ける心配はない。
「まあ、将軍のこともそうだがまずはわが身の心配だな」
ドレイファス将軍の身を案じたところで、何ができるわけでもない。彼女たち自身が逃避行の身であり、しかも敵の領地深くに取り残されているのだから。
「敵は私たちの追撃にどのくらいの兵力を割くかしら?」
「たった千足らずの兵を追撃するのにも安全を考えればその倍は必要になるそれほど割いてはこないと願いたいが、こればかりはな」
そうこう言っているうちに森が開けてきた。背後から安堵の声が上がる。
「煮炊きはするなよ!煙で敵に居場所を察知されたくないからな」
了解、と応じる声が聞こえて皆がそれぞれ休息を取り始める。
包帯を替えて傷の手当てをする者、調達したわずかな干し肉やパンで腹ごしらえをする者、水辺で返り血を洗い流して汚れを落とす者、皆それぞれに休息をとっていく。
「はい」
ミエルが差し出すパンと水筒をありがたく受け取って口へと運ぶ。
河を遡って吹いてくる風に灰と煤の臭いが混ざっている。その臭いに敗戦の二文字を思い出したミエルがぼそりと呟く。
「オーリュトモス親子の失態ね……これで奴らはもう再起できないわね」
「そのために何千の兵が死んだと思う?」
「わからないわよ。私たちだってこれからその中に入らないとも限らないんだから」
幸運なことに森で妖魔に出くわすことはなかったが、この後もその幸運が続くとは限らない。それに敵の追っては必ずかかる。ここにも長時間留まっているわけには――
「空を見ろッ!」
誰かが叫んだ。空を見上げると蛇とトカゲの中間の体に猛禽のような二本の足、蝙蝠の羽を持つ生き物がこちらに向かって急降下を始めていた。
「敵の飛竜部隊かッ!」
竜は妖魔の中でも強力な部類でもっとも弱いものでもAランクを下回ることはない。それだけに気位が高く決して人には懐かないとされる。
しかし、南方のとある島の竜使いの民のような例外がわずかながら存在する。それらの民が竜の卵を盗ってきて人の手で育てる。そうすると本来四足で巨大な体躯を持つはずの竜が発育不全で二本足、三~五メートルほどの矮小な体になる。これを騎として馴らし、出荷している。南西の大国イースウェア公国ではワイバーン、ブルトルマンではリントヴルム、ルディアではヴイーヴルと呼び軍事力として多大な力を発揮している。
五騎いたリントヴルムは一騎が翻って別方向へと飛び去り、残る四騎が急降下をかけてくる。
「森へ隠れろッ!」
蜘蛛の子を散らしたように部隊の全員が森へと入っていくが間に合わない。森から遠くにいた部下は確実に殺られる。
ここで数人の部下を見捨てることはできる。しかし、それでは何にもならない。敵に頭を抑えられては逃げることも叶わず、一騎が呼びに行ったであろう追撃隊から逃げられない。
「ミエルッ!」
長年一緒にいる相棒の名を呼ぶ。それだけで察したことは目を見ればわかった。二人の女騎士が逃げ遅れた兵士と襲いかかるリントヴルムの間に躍り出る。
一歩先んじたミエルが敵のランスを弾く。
そのミエルの背を踏み台にしてローズが跳ぶ。奇襲に失敗したリントヴルムが上昇に転じようとした刹那にリントヴルムの上に跳びだした。
「ヒッ!」
短い悲鳴、あるいは驚嘆。それを掻き消すかのように横薙ぎに剣を振るって敵の首を落とすと、空いている左手で手綱を奪い、相手の体を蹴落とす。
主が変わったことにも気づかずリントヴルムが飛翔する。
地上では部下たちが歓声を上げている。
「ミエル、私が飛竜部隊を足止めする。皆を率いて先に進んでくれッ!」
「それなら私が……」
「私が馬上槍個人戦で負けなしだということを忘れるなよ。行けッ!」
残る三騎はリントヴルムが奪われたのを見てこれ以上奪われないために地上に近づくのをためらっている。もう一騎倒すことも可能だろうが、翼をはためかせる以上馬のように二騎同時に操って誰かに渡すこともできない。
ローズの考えを理解してミエルが部下たちの指揮をとって出立の支度をする。
「さあ、お前たちの相手は私がしてやろう」
いうやいなや敵へ目がけて飛ぶ。
飛竜同士の戦いは難しい。
戦いでは投槍を空中から投下するだけという単調な戦術をとることが多い飛竜で騎馬のような一騎打ちをやる機会が少ないからだ。要領は騎馬の戦いと同じだが飛竜と騎馬の操る難度の違いは天地ほどもある。地を駆ける馬はすれ違いざまに一撃を加える。
しかし、飛竜は空を舞う。頭上や背後、腹下に入る術、敵がどこにいるのか把握する認識力が必要になる。三対一で囲まれたら不利になる。まして、敵の得物は長物のランス。対してローズの得物は剣。間合いを埋めなければ勝てない。
そう判断して三騎に突っ込んだ。激突寸前で飛竜を操り螺旋に飛行させ敵の頭上に回り、中央の敵の片腕を切り落とす。
「ガアァァァァッ!」
悲鳴と鮮血を置き去りにして飛び去る。
残る二騎が回り込むようにして追随してくる。
空中戦を演じながら地上をみれば地上を駆けるローズの部隊が見える。
森の向こうには別の人影が見えるおそらく追撃部隊だろう。なんとか逃げ延びれるかは五分と五分といったところだろう。
そんな思考に捕らわれて反撃の手がわずかに弛んだローズを空中ドッグファイトの中で数の利を生かして追いつめようとする。
縦横無尽の飛行でそれを巧みに躱して一回転する。何とか躱した二騎に隙を見て斬りかえそうと考えていた矢先だった。
巨大な翼がはためく音とともに前方に一つの影が現れた。
「なっ!?」
最初に片腕を切り落とした一騎がローズの行く手に立塞がった。
馬と同様に飛竜を片手で操ることはできる。それはわかりきったことだ。しかし、隻腕で駆って立ち塞がるとは思わなかった。
躱しきれずに激突する。墜落こそ免れたものの大きく軌道を乱され、コントロールを失った。
その好機を残る二騎は逃さなかった。左右同時にランス突き出して殺りに来きた。
避けきれないと判断したローズが飛竜の背から跳ぶ。
直後、目の前のランスが飛竜の鱗に覆われた革を突き破り、肉を貫く。巨大なコウモリのような翼が力を失い、降下を始めてランスが抜けると血飛沫が舞う。背後でも血飛沫の噴き出す音がローズの耳に届く。
しかし、その音が耳に届くよりも早く、構うこともなく剣を振りかぶって躍りかかる。
「オオオオオォォォォォォォォ」
咆哮とともに剣を振り下ろす。
しかし、剣が敵に届く前にローズの腹に飛竜の牙が食い込んでその体を空中で捕らえた。
「よくもやってくれたな、この女ァァァアッ!」
隻腕の竜騎士が怒りの形相でローズを睨む。
「咬み殺せッ!」
主人の怒号とともにローズの腹を咥えていた口に万力のような力が加わり、細い体を護る鎧に牙がめり込む。
「ガッァ」
鎧自体が万力と化してローズを圧する。肋骨が嫌な音をたてて軋み、痛みに呻きながらも剣を逆手に持ち替えて振りかぶる。
ローズの目的に気がついた騎士が慌てて邪魔をしようとしたが遅かった。
振りかぶった剣を飛竜の首に突き刺した。
絶命した飛竜とともに落下する先は森。地上数十メートルの戦い、知らず知らずの内に生い茂る森の真ん中へとやってきていた。
残る二人の竜騎士が仲間を助け、ローズ捕らえるために急降下する。片方の騎士が仲間を助け、残る一人がローズへと近づく。
近づいてきたら隙をみて騎士の首を殺ろう、と見据えていたローズの眼前で竜騎士と飛竜が白い物体に捕らえられた。そして、同じものがローズを咥えたままの絶命した飛竜の死体も捕らえた。凄まじい力と速度で飛竜が引かれ、反動でローズが吹き飛ばされた。
視界が激しく回る。帳が下りたように視界が闇に覆われ、ローズの意識が途切れる。
「どうする?」
仲間を助けた竜騎士が片腕を失った仲間に問う。
「悔しいけど引くしかねえ。蜘蛛の森に近寄ったら命がいくつあっても足りねえ」
「だな。お前の腕の仇は蜘蛛の餌ってことだ。怨みは奴の仲間を捕らえて晴らすんだな」
「ああ、仕方ねえ」
悔しそうに呟く。旋回して連隊が向かった方向へ飛び立つ。
空中で行われたドッグファイトはミエルたちにも見えていた。ペールブルー煌めきが森へと放り出される光景を見てミエルが絶叫した。
「ロォォォォォォォォォォォォォォォォォォズ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
駆け戻ろうとするミエルを他の者が抑える。
「放して!ローズが!ローズがぁぁあ!」
「いくら連隊長だってあれじゃ助かりません!」
「ジル隊長に次いでローズ隊長もいない今、貴女には後を引き継いで部隊を率いる義務があるでしょうッ!」
口々に説得する言葉もミエルの絶叫に掻き消される。
「ロォォォォォォォォォォォォォォォォォォズ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」




