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ルディア戦記  作者: 足立葵
第一話「戦場の青き薔薇」
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第一章 三つ首の番犬要塞攻略戦 9

 しかし、第一の首(エアスターハルス)攻防戦に託した一縷の望みも虚しく潰えたことでローズを責めることは誰にもできないだろう。

 僅か五百に満たない麾下の兵たちを見捨てることなく、見事に第二の首(ツヴァルスターハルス)へと撤退したローズは負傷者も少なくない中それでも全員で撤退する道を模索した。

「ミエル!ありったけの火薬を南の橋に集めろ!橋を落として時間を稼ぐぞ!」

「南!?」

「そうだ、南は奴らの策で地獄絵図だ!しかも、わが軍は総崩れで合流もままならいだろう。焼け出されて怒り狂う妖魔のいる南岸に落ち延びても助かる見込みはない」

 リスティッヒ元帥の執務室から撤退する途中、その眼で確認してきた事実を手短に説明しながら地図を広げる。

「対して北岸は第三の首(ドリッターハルス)のみ、ここから先しばらくは要塞も大きな街もない。敵の手薄な北岸の方が帰還できる可能性が高い。ブロンテー川を東へと辿っていけばクリュスタッロス山脈の麓へ進める。山裾にはかつてのスタリア王国から南へと通じていた間道がある。そこを通れば黄昏の城(クレプスケール)へ通じる街道に出られる」

 それがルディア王国の絶対防衛線である黄昏の城(クレプスケール)への最短ルートと言える。妖魔の跋扈する森が多いことや入り組んだ山路があること、間道が狭いことは軍を進めるには不向きだが連隊だけならなんとかなるだろう。

「たしかに蛇行した街道を妖魔と戦いながら逃げるよりは可能性は高いかもな」

 同じく大隊長のジルも同意する。

第三の首(ドリッターハルス)についたら馬を確保しろ!」

 第二の首(ツヴァルスターハルス)は河に浮かぶ城だけに余分な空間がないこともあって厩はなかった。あとは第三の首(ドリッターハルス)に在ることを祈るだけだ。最悪、市街には民間のものがあるだろう。民間人の馬を略奪したりはしたくないが。

「突破したら馬が潰れるまでとにかくひたすらに走らせろ。どうせ敵も大将首を狙う。我々のような少数の小者に大群は割いたりはしないさ」

 軽く笑いが起こる。

「それと食糧と金銭をこの城で調達しておけ!途中で略奪するくらいなら敵兵の食い扶持を少しでも削いでやろう!」

 そいつはいい、と笑い応じる部下たち。

「ここから先は一人でも多く逃げ延びる戦いだ」

 一気に笑いが掻き消える。一人でも多く逃げ延びる戦い、ということは倒れた者、ついて来られない者は見捨ててひたすらに走らなければならないということだ。

「しかし、仲間を蹴落とすな!助け合え!ルディア軍人の誇りを失うな!人間、追い込まれた時こそ人としての真価が問われるぞ!」

 理想論にすぎる発言だが、ローズを笑う者はいない。自分だけが逃げ出すどころか、みんなを逃がすため自分が犠牲になる、そういう選択をする隊長であることを皆知っている。だから、ローズを信じて危険な撤退を行う。

「生きてルディアに帰るぞ!」

 オオオオオォォォ。

 今日一番の雄叫びで気持ちを一つにし、敗戦で折れてもおかしくない心を鼓舞して各々逃げ支度に入る。

 ミエルが第二の首(ツヴァルスターハルス)に蓄えられていた火薬を集め、橋を落とす準備をする間ローズが南の防衛を指揮する。行軍することは計算されているためかなり幅広の橋だが、南側は第一の首(エアスターハルス)が陥落した場合を想定して迎撃をしやすい造りになっている。

 備え付けの石弓から矢を放ち、鹵獲した銃を銃眼から放って敵の接近を許さない。いかに行軍を想定しているとはいっても所詮は逃げ場の限られた橋の上、押し寄せる兵士はいい的だ。しかも、第一の首(エアスターハルス)とその下の市街が妖魔とルディア軍、ブルトルマン軍の三つ巴の混戦にあるため背後に回される兵士は少ないから防衛も苦はない。

 眼下ではミエルの部隊が木樽や木箱を並べて橋を爆破する準備を着々と整えている。決して長くはない時間で橋は火薬砲弾の詰まった木樽、木箱で封鎖された。

 下にいるミエルが見上げ、ローズが頷くとミエルの部隊が城内に退避する。城門が閉ざされ、味方が避難したことを確認してから、

「放てェッ!!」

 射角を下げた火矢が木箱のバリケードへ降り注ぐ。

 火矢に切り替えるためにわずかに射撃に間があったために押し寄せていたブルトルマン軍がその様子を見て、単なるバリケードではないと理解して退避していく。

 直後、鼓膜が破れたのではないかと疑うほどの轟音を超えた衝撃波に襲われた。

 顔を庇った両腕の隙間から慌てふためくブルトルマン軍の逃げ遅れた数人が橋を這うように広がった爆炎に呑みこまれたのが見えた。だが、それも一瞬のことで粉塵と黒煙を纏った火柱が多い隠し、南側の視界を奪う。

 衝撃と破壊された石橋の残骸の礫が飛んでくるのが止むのを待って橋の被害を確認する。

 大きく抉れた石橋はアーチの頂点に仕掛けたために見事に崩れ落ちている。両端のわずかに繋がりを保つ石組みもボロボロと欠け落ちて緩やかに流れるブロンテー川の水面に水柱を立てて消えていく。

 少なくとも、すぐに軍勢が追撃できるような状態ではないことを確信してから踵を返して城内へと向かう。連鎖的に橋が崩落したのだろう、背後から大きな音がして、続いて石造りの建造物が崩落し静かな水面を叩く音が聞こえてきた。

 北門へと向かい、門を開いて打って出る。

「賽は投げられたぞ!進めぇッ!!」

 城門が開かれきる前から駆け出す。

 状況が伝わりきっていなかった第三の首(ドリッターハルス)の敵兵たちはまさかルディア軍が打って出てくるとは思わずにいた。元々多くはない数の敵の意表を突けば決死の逃避行を覚悟している部隊が負けるはずがない。北の橋に立塞がっていた敵兵を瞬く間に蹴散らして、門を閉ざされる前に第三の首(ドリッターハルス)へと突入すべく突き進む。

 いくら意表を突いても、敵が少数でも倒れていく仲間はゼロではない。

 第三の首から放たれる砲火、倒れた敵兵や石造り橋に足をとられて転倒する者はいる。しかし、手を差し伸べることもできずに駆ける。見捨てたくはないが多くを生かすためには城門を閉めさせるわけにはいかない。

 ローズとミエル、そのほか十に満たない兵が城門の閉ざされる前に駆け込むことに成功した。門を閉ざされないように門の付近で大立ち回りを始める。最初は劣勢だったが、徐々に滑り込み、数増す味方によってたちまち城門がこじ開けられた。

「ミエル、馬を探して!私はここを食い止めるッ!!」

 援護射撃に最後まで第二の首(ツヴァルスターハルス)で粘ってくれたジルの部隊はまだ橋を渡り切れていない。彼らが来るまで門をこじ開けておく必要があった。

 アイコンタクトだけで了解の意思を示すとミエルが半数ほどの部下を連れて駆け出す。

 ローズたちが決死の覚悟ということを差し引いても第三の首(ドリッターハルス)のブルトルマン軍はいささか脆かった。おそらくブルトルマン軍の戦力は第一の首(エアスターハルス)とその城壁の守備と森に火を放った別動隊に注ぎ込まれていたのだろう。

 さすがの統率力を示し、ジルの大隊もそれほどかからずに全員が橋を渡り切った。

「済まない、遅くなった」

 軽く笑み、急ごう、といって駆け出す。城内の敵は粗方ミエルが片づけてくれたらしく、敵らしい敵はほとんどいなかった。麓よりも橋の側からの攻撃に備えられた少し変わった造りの城を抜け、街道へと繋がる門へ向かうとミエルの部隊が馬をそろえて待機していた。

 北の市街も昨日遠目に見た南側と同様、丘陵の上に城、そこからつづら折りの街道が下りていた。しかし、違うのはその麓、ほとんど平地を持たずに城壁が囲んでいた遠目にも狭苦しい南の市街とは違い、北は麓に大きな街が広がっている。さすがブルトルマン帝国の玄関口なだけはある栄華。すべての戦火はブロンテー川を境に防がれていることがわかる繁栄。

 しかし、その広い街並みが今は敵になる。街が大きければ城門までの距離は伸びるし、相応に守備兵も多くなる。

「目指すは東門だ!」

 抜き身の剣で東に見える巨大な城門を示し、一度振り上げ、

「迷わず突き進めッ!!」

 振り下ろして号令する。同時にジル、ミエルを先頭に馬術に長けた者が駆け出す。わずかに遅れてローズも手綱を打ち馬を走らせる。

 街道を荒く駆け抜ける騎馬の軍勢に、戦乱は対岸の火事、と安心していた北岸の街の人々が悲鳴をあげて逃げ惑う。ローズたちも略奪や虐殺などするつもりは毛頭ないから無視して進む。

 しかし、中には恐怖で動けなくなったり、人波に揉まれた結果倒れてしまった人などもいる。

 先頭を行く馬術に長けた集団は巧みにそれらの人々を躱し、飛び越えて進んだが、少し遅れる二次集団からは蹄の音に混じり恐怖ではなく、苦痛に喘ぐ一段低い悲鳴が聞こえてきた。

 謝罪とせめて助かっていてくれと祈りを込めて黙祷する。

 しかし、彼らにも悪気があるわけでない。徴兵後の基礎訓練で馬を走らせるくらいの技術は身につけているが、馬を駆る機会が与えられない兵士たちの多くは走らせることしかできないし、それすらも全力で走らせれば自らがしがみつくので精いっぱいだ。

 つづら折りの街道が恨めしい。直線で下っていければ数分の一の時間でたどりつく麓までの道のりを無駄に長くしている気がしてしまう。

 ようやく坂を下り終えた先は皮肉にも市街の西側。

「チッ」

「機嫌がワリぃな」

 坂を下る間に先頭集団の先頭まで来ていたローズにジルが軽口を叩く。苛立ちもあってつい睨むような険しい目つきで振り向くと当のジルはおどけた顔で受け流し、

「気ぃ静めろよ。指揮官が苛立ってもいいことないぜ」

「……すまない」

 毒気を抜かれて、恥入りながら小さく謝る。

 裾野に沿った緩やかなカーブがブロンテー川を背に半円型を描く街の中心へと向かい、そこから真北へ伸びる大通りを進み、十字路をまっしぐらに駆け抜ける。大通りの中ほどで交差する十字路を右折し、東門へと向かう。

 ようやく――時間としてはかなり短いが心情的には――東門にたどりつく。ローズたちに気づいた敵兵が門を閉じようとする。それを阻止するための戦いが始まる。

「ローズ!?」

 騎馬から舞い降り、城壁を駆け上がるローズを見てミエルが名を呼ぶ。門前で戦うだけでは上にいる兵から狙い撃たれるので上の兵を削りに行くのだが、それがわからないミエルでもあるまいに、と怪訝に思いながら振り返る。

「私が行くから貴女は……」

「ダメだ!!」

 ローズと鍛錬を重ねているからミエルの実力は十分。だが、魔の性質を持つディミクリュの鎧の副作用というべきか、鎧を纏っている間は獣に嫌厭されるという欠点がある。馬に乗りなおすのに手間がかかるであろうミエルにこの仕事は任せられない。

「でも、部隊長の貴女が離れるのはマズイでしょッ!?」

 確かに、この奇襲部隊の指揮官はローズだ。第一の首(エアスターハルス)第三の首(ドリッターハルス)のような単なる分業とは違う。一番逃げ遅れる可能性の高い任務に隊長がつくのはマズい。まして、これからの撤退は予定された作戦プランなど無い。指揮官が一つ一つ判断して、その判断が部隊の命数を左右する。だから軽はずみに先行するわけにはいかない。わかっていたが焦る気持ちが身体を押し動かしてしまった。

 中隊長の誰かに任せようと視線を泳がせるより早く、任せてください、と躍り出た部下たちと代わって騎乗し直し、地上の指揮を採る。

 後続が来るまでのしばらくの間が苦しい戦いを強いられたのは第三の首(ドリッターハルス)の時と同じだったが、今度は一際長かった。何しろ慣れない街を馬術に慣れないものが慣れない馬で駆けるのだから当然と言えば当然のこと。

 ようやく全軍が駆けつけて来て城門の前後が騎馬で埋め尽くされたのは傾いた日が昼間の白い光から黄色の光を経て紅に変わり始めた頃だった。

「自分が最後ですッ!」

 そういった少年は相当に馬術が達者なのだろう。自らも右腕を負傷して吊っているのに二人のもケガ人を乗せて馬を駆っていた。

 仮にこの少年より後ろに残っている者がいたとしてももはや待てない。他の門の兵や市街の警備兵などが集まりつつあったからだ。これ以上待つことは助かる部下の命まで危険に晒すことになる。

「行くぞ!」

 すまない。

 いるかいないかわからない落伍者に心の内で詫びつつも、切り捨てる。

「集まりつつある敵に構うなッ!城壁さえ突破してしまえばこっちのものだ!」

 群れていた騎馬たちが馬首を東へ向けて駆け出す。背後から城壁伝いに駆けつけた別の門の衛兵が銃撃を浴びせてくるが、振り返らずに手綱を打ち、馬を急かす。

 

 三つ首の番犬要塞ドライ・ハルス・ヴァハフントブルク攻防戦はルディア軍大敗に終わった。

 後に生存者から上げられた報告によると南から第一の首(エアスターハルス)に攻め込んだルディア軍は城壁に囚われたまま撤退することもできずに投降か、戦死かの二択を迫られた。

 第一旅団は多くが投降。

 第二旅団はフォンテーヌ将軍の意地もあって奮戦するも将軍の戦死を受けて壊滅。

 第三旅団のクレマン将軍は第一、第二旅団の投降、壊滅を受けて部下の生命を護るために投降を決断。

 第四旅団に関しては指揮官クラスの生存者が帰還しなかったため定かではないが、交戦した第五旅団の報告によると壊滅。

 その第五旅団はドレイファス将軍の負傷後も奮戦するも、元々半数近くを奇襲部隊に割いたこともあって多くが戦死、わずかな生き残りは投降を余儀なくされた。

 ルディア軍先陣一師団一万二千五百の内、実に九千が戦死、二千が投降。五百の飛竜部隊はヴェニティーの後を追って南へと落ち延び、ローズ麾下の千弱が東へと落ち延びた。

 

 敵の追手がかかる前に少しでも距離を稼ぐためにローズ率いる連隊は夕日を背に受けて赤く染まった世界をひたすら東に敗走した。ようやくわずかな安堵を得られ、息を切らした馬を並足に落としたのは夕焼けの赤が星空の群青に変わったころだった。

 河原沿いに立塞がる森に入れば妖魔の危険はあるが、敵兵の眼は欺ける。そう考えてローズは安堵の息を吐いた。ひとまず生き延びた安心感から逃避気味に、ドレイファス将軍たちは生き延びただろうか、と思いを西へ向けていた。心ここに在らずだったローズは、隣でジルが前のめりになり、馬首を抱くようにして走っていた不自然さに気づくことができなかった。

 ジル・トゥルニエが落馬したのは川沿いの道から森へと入ったときだった。

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