第8章 王の資質
「国家を喰らう者……。」
セレナは古文書を見つめたまま呟いた。
朝日が研究室へ差し込んでいる。
だが彼女の背筋には冷たい汗が流れていた。
国家を喰らう。
普通なら比喩だと思うだろう。
しかし石版に刻まれた文字。
黒き王という存在。
北方遺跡。
それらが繋がり始めた今、その言葉を軽く考えることはできなかった。
セレナは急いで資料をまとめ始める。
まだ確証はない。
だがこの発見はアレンへ伝えるべきだと判断した。
その頃、王城ではアレンが執務机に向かっていた。
最近は以前よりも忙しい。
鉄鉱山の管理。
流通の整備。
役人の再編。
各地から上がる報告書。
王子でありながら、すでに国王のような仕事量だった。
それでも不思議と苦ではなかった。
国が少しずつ良くなっている実感がある。
それが支えになっていた。
そんな時だった。
執務室の扉がノックされる。
「失礼します。」
入ってきたのは宰相エドワードだった。
白髪混じりの髪。
穏やかな表情。
先王の時代から国を支えてきた重臣である。
「どうしたのですか?」
アレンが尋ねる。
エドワードは少し考えてから口を開いた。
「殿下は最近変わられましたな。」
「変わった?」
「以前は理想を語る方でした。」
老人は微笑む。
「今は国を見ています。」
アレンは少し困ったように笑った。
自覚はない。
ただ必死だっただけだ。
するとエドワードは窓の外を見る。
市場では人々が行き交っている。
活気が戻り始めている光景だった。
「民は見ております。」
「え?」
「誰が自分たちを見てくれているかを。」
その言葉はアレンの胸に残った。
民を見る。
それは簡単なようで難しい。
貴族たちは数字を見る。
商人は利益を見る。
軍人は戦力を見る。
だが王が見るべきものは違うのかもしれない。
その日の午後。
アレンは久しぶりに変装して王都を歩いていた。
高価な服は着ていない。
護衛も最低限だ。
以前なら考えられない行動だった。
しかし最近は現場を見ることの大切さを知っていた。
市場を歩く。
商人たちの声。
子供たちの笑い声。
焼きたてのパンの匂い。
以前より人が増えている。
鉄鉱脈の発見が少しずつ経済を動かしている証拠だった。
その時だった。
小さな男の子が転ぶ。
持っていたパンが地面に落ちた。
少年は泣きそうな顔でパンを拾う。
服はボロボロだった。
どう見ても裕福ではない。
アレンは足を止める。
そして近くの店でパンを買った。
「ほら。」
少年は驚く。
「え?」
「食べなさい。」
少年はしばらく固まっていたが、やがて頭を下げた。
「ありがとう!」
満面の笑みだった。
アレンは思わず笑ってしまう。
たった一個のパン。
それだけでこんな顔をする。
その瞬間だった。
国家画面を見ていた俺は異変に気付く。
信仰値が増えていた。
15から16へ。
ほんの僅かだ。
だが確かに増えた。
「そういうことか。」
俺はようやく理解する。
信仰値は神殿で祈られるだけではない。
感謝。
信頼。
希望。
人々のそうした感情も力になる。
国家とは人だ。
国民の想いが国家を形作る。
その事実を改めて実感する。
その日の夜。
アレンは城の庭園にいた。
月が綺麗だった。
静かな夜だった。
ふと空を見上げる。
そして呟く。
「俺は良い王になれるだろうか。」
返事はない。
だが彼は続ける。
「正直、自信はない。」
「父上ほど経験もない。」
「宰相ほど賢くもない。」
「騎士たちほど強くもない。」
小さく笑う。
「でも。」
そこで言葉を止める。
「この国を守りたいと思っている。」
その想いだけは本物だった。
その時だった。
風が吹く。
木々が揺れる。
そして久しぶりに、あの声が響いた。
「民を見よ。」
短い言葉だった。
だがアレンは微笑む。
「分かっている。」
もう以前のように戸惑わない。
誰なのかは知らない。
神かもしれない。
精霊かもしれない。
それでも。
自分を導いてくれている存在だと信じていた。
俺はそんなアレンを見つめる。
最初に会った頃とは違う。
まだ未熟だ。
だが確実に成長している。
国家画面が静かに変化する。
アレン・フォン・アルテリア
王としての資質
B
↓
A
「おお……。」
思わず声が漏れた。
数字だけの変化ではない。
彼は本当に王へ近づいている。
その頃。
北方遺跡では。
封印の亀裂がさらに広がっていた。
誰もいない暗闇の中。
黒い霧が溢れ出す。
そして石壁に刻まれた古代文字が赤く光る。
その文字にはこう刻まれていた。
『王が育つ時』
『災厄もまた目覚める』
静寂の中。
何かの笑い声のようなものが響いた。
アルテリア王国滅亡まで――あと1729日。




