第43話
地底から響いてくるような――低い重低音。
空気が通り抜けるような音にも聞こえるそれに、レオンの意識が徐々に戻りつつあった。
(ここ、は……くっ……)
身を起こそうとした瞬間、焼けるような痛みが迸る。
どくん、どくんと背中が熱を持ったように鼓動する。それを堪えるように目を閉じる。深呼吸を二度してから気力を振り絞り、身を起こす。
そこは、廃坑のようだ。ごつごつとした固い岩肌の上で、無造作にレオンは転がされていた。
辺りを見渡し――思わず、それが目に入って息を呑む。
間近な位置に、ドラゴンが寝そべっている。その腹が大きく浮いたり沈んだりを繰り返している。
(そうか――さっきからの重低音は、こいつの呼吸か……)
独特の臭気がたちこめており、思わず顔をしかめる。まるで、血が焼けているような、鉄臭い匂いだ。努めて無視し、自分の身体を確かめる。
背中はひどい痛みがするが、血が流れている気配はない。一方で身体はロープで縛りつけられている――どうやら囚われの身のようだ。
(装備は――当たり前だが、ない、か)
拳銃やベルトのポーチはもちろん、服の中に忍ばせてあった狩猟ナイフまで奪われている。思わずため息をこぼすと――不意に、レオンの頭上から声が降ってきた。
「よぅ、起きたみたいだな」
「……ああ、まだ寝不足だが」
気配は、感じていた。
レオンは平然とした口調で答えると、目の前にひらりと人影が舞い降りる。ドラゴンを御していたあの青年――魔人だ。
間近な距離のおかげで、その顔がよく分かる。まだ年若い顔つきに不敵な表情を浮かべている。その額にあるのは一本の立派な角。
「改めて、俺の住まいへようこそ。俺はベルグだ」
「親切にどうも。俺はレオン」
「やぁ、レオン。あんた、随分と頑丈なんだな。背中にグランド・ベアの爪を食らったと思ったけど、背中には打撲だけだったぜ」
(――それは恐らく、アレスタの護符のおかげだな)
胸元を意識すると、微かに金属片が胸に当たる気配がある。衝撃は殺し切れなかったが、どうやら致命傷だけは避けてくれたようだ。
アレスタに内心で感謝しながら、レオンは視線をベルグに向け直した。
「……で、なんで俺は生かされている?」
用心深く伺うと、ベルグはにやりと口角を吊り上げた。むき出しになった牙が不気味に輝き、食い気味に身を乗り出して告げる。
「そんなところだ。喜べ、俺の実験の被験体にしてやるからよ」
「実験……?」
「おうよ――俺の強魔実験の素材にしてやる。なぁに、しくじっても拾った命を失うだけだ。気にすんな」
(気にするに決まっているが……なるほど、だから『素材』か)
なんだか、口が軽そうだ。レオンはさらに踏み込んで訊ねてみる。
「その強魔実験、っていうのは何なんだ?」
「まあ、端的に言えば、魔獣共を強化する実験だな。たとえば、ライト・ベアにグランド・ベアの血肉を与えてみる。あるいは、シャドウウルフの身体に、ポイズンフェネックの血を混ぜてみる。いろいろ試してみたぜ?」
ベルグはすらすらと答えてくれる。むしろ、気をよくしたのか饒舌に語っている。なるほど、とレオンは納得しながらわずかに目を細める。
「あの黒いザリガニも、ベルグの作品か」
「お、よく知っているな。あいつはこの廃坑から逃げ出したんだが」
カマ掛けのつもりだったが、さらりとベルグは答えてくれる。つまり、アシュタル村を襲ったあのザリガニはこの廃坑から逃げ出した、ということなのだろう。その先がたまたまアシュタル村の上流の泉だったのか。
そんな実験を繰り返し生まれたのが――。
「このドラゴンも、その強魔実験の一つ、か」
「おおよ、こいつは特に最高傑作だ。何しろ、逆鱗がない」
ベルグの上機嫌な言葉にレオンは思わず目を見開く。
「逆鱗が、ない……? そんな馬鹿な……」
生物にはどうしても弱点は存在する。
グランド・ベアも剛毛で囲まれているが、眉間の部分だけは毛が薄かったり、シャドウウルフは鋭い嗅覚のせいで、臭いの攻撃に弱かったりする。
一見ないように見えても、長所が転じて災いすることがある。
ドラゴンの場合は、逆鱗――喉元の鱗がそうだ。しなやかな首であるために、そこの鱗は柔らかく、弱点になりやすいはずなのだが――。
ベルグは自慢げに笑い、その目を貪欲に輝かせながらドラゴンの首筋を撫でる。
ドラゴンは不快そうな唸り声を上げる。だが、ベルグが手をかざしただけで、その唸りがぴたりと止んだ――その手には、不思議な紋様が浮かんでいる。
あの術式で、恐らく、魔物たちを従わせているのだ。それに満足げに頷きながら、ベルグは熱っぽい口調でつぶやいた。
「そうだ、俺の研究は常識も超越する。それを理解することができなかった連中に見せつけてやるのさ――ははっ」
(……魔人は、人間が魔力に堕ちたもの、か)
もしかしたら、ベルグは魔力を研究する研究者だったのかもしれない。だからこそ、貪欲な知識欲で魔術式を使いこなし、魔獣たちを従えている。
そして、レオンを素材として確保しているのは恐らく、人間も素材とするため。
このままだとレオンが魔の手にかかり、恐らくはバウマンの街も――。
(どうにかして、食い止めないと……)
焦りをわずかに滲ませながらそう思った瞬間、ふと、肌に何かが触れるような感覚がして、視線を上げた。
「――あん? どうした、レオン。実験が待ちきれねえか?」
「……さすがに死ぬかもしれないのに、そこまで肝は据わっていないな」
「へっ、小心者め。実験が成功すれば、お前も俺たちの仲間だ――楽しみだな?」
ベルグはいっそ無邪気に目を細めて笑う。その目を見つめ返しながら、レオンは先ほどの感覚を思い返す――どこかなじみ深い、魔力の波動。
(もしかして、彼女たちが来ているとすれば――)
ここがどうなるか、分からない。そのときに備えて心構えは作っておくべきだ。
幸い、切り札はまだ、残されている。懐にある小さな固い感触を感じ取りながら、レオンは口角を吊り上げてベルグに答えた。
「ああ――楽しみだな。ベルグ」




