第41話
シュリ視点
バウマンの街では、かつてないほど、緊迫した雰囲気が満ちつつあった。
行商人たちは店をしまい、我先にとバウマンから離れ始め、民衆たちは右往左往とする。街は不穏な空気に包まれつつある――。
それほどに、ゴウル鉱山道からもたらされた報告は、衝撃的だった。
「――まさか、ゴウル鉱山道に、ドラゴンがいた、だと……?」
ギルドセンターの建物――その最奥の応接間には、その街の重役たちが集まっていた。
騎士たちがもたらしたその報告に、町長は呻き声をもらす。騎士の一人は重々しく一つ頷き、視線を同席するシュリに向ける。
彼女は腕を組んでいたが、視線を受けて頷いて口を開く。
「確かに、ドラゴンでした。それに、どうやら指揮する者がいるようです」
「なんだと? ドラゴンを御するものが……」
「それは、私や騎士たちも見ました。ドラゴンの背に乗る、人影がありました。ほぼ、間違いなく魔人です。シュリ殿も確認したそうです」
報告が重なるごとに、だんだんと町長の顔色が青白く染まっていく。今にも失神しそうなほどに血の気を失っている。
だが、辛うじて意識を保ちながら、彼は震える声で訊ねる。
「この街は――攻められると思いますか」
「断言ではできませんが……恐らく、そうでしょう。すでに、残った騎士を王都に向かわせています。増援を連れて来させますが――間に合うか、どうか」
その言葉に、町長の身体がぐらりと揺れた。慌てて、傍の秘書が支える。
その顔面からは血の気が消え去り、もはや死人のような有様。唇を震わせ、身を起こして告げる。
「し、失礼しました――ど、どうにかできないものでしょうか……」
「幸い、バウマンは防壁などが整っています。冒険者に呼びかけ、籠城に移ることのがよろしいかと――私はこの街に残り、その指揮に移りたいと思います」
「た、助かります……では、そのようにしましょう」
その後、騎士とギルド長を中心に、具体的にどうするかを詰めていく――。
その会議の様子を、シュリはどこか上の空で、ずっと聞いていた。
◇
会議が終わり、シュリが外に出ると、空は茜色に染まりつつあった。
街は、息を潜めたかのように静まり返っている。いつもにぎやかな目抜き通りですら、水を打ったように静かさだ。開いている店も、一、二軒しかない。
(当たり前、ね……ドラゴンが襲ってくるとなれば、店よりも命よ)
目端の利く人間は、もうすでにバウマンを脱している。冒険者たちも徐々に離脱し、今残っているのはこの街を離れがたいと思っている者だけだろう。
夕闇に沈みつつある静けさ。自然と、気持ちが自分の内側に向いてくる。
思うのはやはり、あの銃撃手の顔だった。
(レオン――)
彼は体勢を崩したシュリを庇ってくれた。命を賭して囮を買って出た。
言ってしまえば、彼とはただの知り合い、協力関係にあるだけなのに――。
その彼の笑顔を思い出して、胸がきりきりと痛んでくる。いても経ってもいられずに、閑散とした街並みを歩いていく。
どれくらい、そうしていたか――ふと、一軒の店に目が留まる。
(ここは、確か――)
レオンと少し雑談をしたことがある。そこで聞いた、彼の懇意にしている鍛冶屋だ。中に人の気配がするので、なんとなく、シュリは扉を開いてその鍛冶屋に入る。
足を踏み入れた瞬間、見覚えのある顔が目に入った。
「――え、カグヤ、なんでここに……?」
ギルドの会議でも参加しなかった妹が、そこにいた。帰還してからその足で来たのか、ぼろぼろの法衣姿で店の中をうろうろと歩き回っている彼女は視線を上げると、貼りつけたような笑みを浮かべる。
「ああ……姉さまですか。武器の調達ですよ」
カグヤは、その瞳を不気味な光を湛えている。不穏な光を宿した歪な笑みの妹――見たことがないその表情にシュリは思わず言葉を失ってしまう。
そのシュリに視線を向けた彼女は、はっきりとした口調で告げる。
「あの魔人はレオンさんを素材にする、と言っていました。ということは恐らく、生け捕り……助け出す余地がある、ということです。単独でも、私は助けに行きます……絶対に……!」
「お、落ち着きなさい、カグヤ……!」
「そうだぞ、お嬢ちゃん。急いだって何もならねえ」
店の奥から、シュリに賛同する声が応じる。カウンターの向こうから、のれんをくぐって一人の男が姿を現した。むさくるしいひげを生やした、中年の男だ。
手に抱えた箱をカウンターに置き、それの蓋を開けながら言う。
「ご注文の護符だ。中の魔法陣は俺の独学で描いたものだ。役に立つか?」
彼女はそれを一枚手に取ると、視線を走らせてから頷いた。
「十分すぎるほど、いい魔法陣です。こんな店に、置いてあるとは思いませんでした。ありがとうございます」
「なに、ウチのお得意様の危機だ。品はいくらでも出すぜ」
そう言った店主はちらりとシュリを見やり、少しだけ口角を吊り上げた。
「噂のユグドラ姉妹の、姉の方だな。レオンから噂はかねがね――俺は、アレスタ。この店をやっている鍛冶屋だ」
「――シュリ・ユグドラよ」
「好きに店を見てくれ。何か入用なら物を作る」
アレスタはにかっと笑みを浮かべて気さくに告げた一方で、すぐにカグヤに視線を向けてたしなめるようにゆっくりと声をかける。
「妹さん、助けに行くのは結構だが、焦っても仕方ねえぜ」
「貴方に何が分かりますか。時間がないのです」
突き放すような冷たい口調。カグヤの怜悧な眼差しにシュリは思わず呆れ果ててため息をつく。
(レオンと出会ってマシになったと思ったけど……まだこの癖は抜けないわね)
この態度のせいで、何人もの冒険者がカグヤを見限られてきたらしい。それでも遠ざけなかったのはレオンくらいなものだ。
普通の人なら不興を買ってしまうのだが、アレスタは苦笑いを浮かべるだけだ。
「ま、落ち着けや。妹さん。いずれにせよ、装備は必要だろう? そのぼろぼろの法衣だけで行くつもりかい?」
その指摘にカグヤは自分の姿を顧みる。その法衣は魔獣の爪や牙を防いできたが、あの猛攻の中を駆け抜けたせいで、とっくに限界を迎えていたのだろう。ぼろぼろに破れてしまい、防具としての意味をなしていない。
それを理解したのか、カグヤは深く息をこぼすと視線を上げる。
「……分かりました。お金に糸目はつけません。いいものをお願いします」
「もちろんだ。ちっと待っていろ」
アレスタはカウンターの奥へ引っ込む。その一方で、カグヤは武器の棚にある小刀を品定めしていく。それを見つめながら、シュリは訊ねる。
「ドラゴンと無数の魔獣を相手に、一人で突っ込む気?」
「ええ、一人でも行きますよ」
「貴方らしくなく冷静を欠いているわね。いつも、人の揚げ足を取るくらい、思考も回るカグヤらしくない」
「……姉さまに、私の何が分かるんですか」
その言葉は、自嘲するような声だった。肩がわずかに震え、俯き加減に彼女は告げる。
「いつも、そうですよね……姉さまは、私のことを見てくれなくて……勝手な、思い込みばかりを押し付けてくる……」
そう言って顔を上げた彼女の目から、ぽろりと大粒の涙が零れ落ちた。
今にも崩れ落ちそうな、儚い笑みを浮かべて――彼女はささやくように告げる。
「――姉さまは、いいですよね……強くて。遮二無二、剣を振っていれば――敵を倒せる。何も考えなくてよくて……」
カグヤはそこで言葉を切ると、濡れた瞳で弱々しくつぶやいた。
「姉さまみたいな強さがあれば、護られずに済むのに……」
「カグヤ……」
その姿が昔のカグヤと重なって見える。病弱でいつも熱を出していたカグヤ。彼女は熱を出していると悔しそうで、私も頑張りたい、とつぶやいていた。
元気でいるときも、家の中で頑張って仕事をしようとしてくれて。
カグヤはいつだって頑張り屋さんだった。
(そっか……今も昔も、そういうところは変わらないのね)
そして、意地っ張りのところも。そう思うと、いつもは憎たらしい生意気な口ぶりも、どこか愛おしくさえ感じられる。
そう感じるようになったのは、多分、レオンのおかげなのだろう。
彼がいつも間に入ってくれて、なだめてくれたからこそ落ち着いて妹のことを見つめ直すことができる。
(だから……ここで何か言っても、多分、カグヤの気分を逆撫でるだけよね)
意地っ張りだから、ここで声をかけてもますます意固地になるだけだろう。
(彼なら――カグヤに向かって、どう接するのかしら)
口をつぐみ、しばらく妹の顔を眺めてから、シュリは迷いながら口を開いた。




