第30話
意識が、ぼんやりとしている。まるで、身体が溶け出しているような感覚。
締め付けるように、身体が、胸が苦しくて、もどかしい。
熱で、頭が浮かんでいるようで――。
その額に、そっと冷たい感触がふわりと心地よく広がっていった。
「――あ……」
それをきっかけに、だんだん、意識が浮上していく。
「――っと、氷の数を作りなさいよ、カグヤ」
「うるさいですねえ、姉さま。そういう貴女も、早く氷を砕いて下さい」
さわがしい声が、聞こえてくる。目を開けると、ぼんやりとした視界の中で、金色が揺れている――それを視線で追いかけていると、視界が晴れてきた。
見えたのは、短い金髪の少女が、タライの中で氷を砕いている姿と。
金髪ツインテールの少女が、そのタライに魔術で氷を量産している姿。
一緒の空間にいることをよしとしない二人が、肩を並べて作業している――。
信じられない光景に思わず、目を見開いた。
その気配に気づいたのか、シュリが振り返り、ぱっと顔を輝かせる。
「レオン、起きたのね!? 大丈夫?」
「レオンさん、良かった、です……」
二人が傍に寄ってくる。まだ身体が動かないレオンは目線だけで辺りを見渡した。
「ここ、は……」
「私、カグヤの部屋です。本当は、診療所に運ぼうと思ったのですが、今日は休みでして。担いで運ぶにも、非力なものだったので――不本意ではありますが、姉の力を借りました」
「ええ、本当に不本意だけど、あたしの部屋はこんなに広くないから、妹の部屋に運んだの。レオンは、大丈夫――じゃないわね。熱が、まだありそう」
「ああ……すまん、あまり意識が、まだはっきりしなくて……」
鈍く頭の芯が疼くようだ。思わず額を押さえると、濡れタオルが指先に触れる。
看病、してくれたようだ。二人は、同時に手を伸ばし――弾かれたように睨み合う。
「姉さま、もういいんですよ。あとは、私がレオンさんの看病をします」
「いいえ、手伝うわ。第一、レオンがこうやって倒れているのは、貴女の魔術が原因でしょう」
「だから、看病するのです。しかも、私だけが原因じゃなくて、貴女も一因があるくせに」
「なら、あたしも手伝うのが筋よ。ありがたく思いなさい」
二人の口論が、飛び交う。いつもは綺麗に思う、澄んだ声と冷たい声だが、今は頭に響いて辛いだけだ。思わず、呻き声をあげる。
「シュリ、カグヤ――」
それだけで、二人は気づいてくれたのか、口をぴたりと噤んだ。気まずそうに視線を落とす二人に、レオンは少しだけ力を振り絞り、痛む喉を酷使する。
「お願いだ。今日だけは、喧嘩、しないで欲しい……ちょっと、しんどい」
「……分かったわ。不本意だけど」
「……分かりました。不本意ですが」
一瞬のためらいの後に、二人は視線を交わし合い、嫌そうな顔で頷き合う。思わず安堵の息をついて目を細める。
(ほんと、悪い子たちじゃないんだよな……)
安心したせいか、頭がまたぼんやりとしてくる。レオンはベッドに身体を埋めながら、深く吐息をこぼしながらつぶやく。
「すまない――二人とも、面倒をかけている……もう少しだけ、甘えていいか」
最後の言葉は、弱気が差して思わずつぶやいていた。
少しだけ情けない言葉だった、と自嘲する間もなく、二人の声が降ってきた。
「そんなの、当たり前よ」
「今日は、しっかり甘えて下さい」
頼もしい声。二人はいがみ合うこともしていない。それが何より嬉しくて。
穏やかな気持ちのまま、彼は眠るように意識が呑まれていった。
◇
レオンが、穏やかな寝息を立てている。
それを見て、シュリとカグヤはほぼ同時に安堵の息を漏らした。だが、互いに嫌そうに眉を寄せて、視線も合わせずに言う。
「――感謝しなさい、レオンに。ここでやり合っても、別に良かったんだから」
「そちらこそ、レオンさんに感謝して下さい。追い出しても、良かったのです」
今からでも、二人が争おうと思えば、争うことができる。だが、それをしないのはやはり、レオンを気遣ってのことであった。二人は沈黙の後、ほぼ同時にため息をこぼす。
「仕方ないわね。カグヤ、今日は、一時停戦よ」
「全く、レオンさんは……仕方ありません。今日だけです」
「なら――あたしは、料理を作るわ。カグヤは作れないから、仕方ないわよね」
「イラッと来ますが、事実です……では、私は氷を作っておきます」
「ええ。じゃあ、台所、借りるわよ」
「散らかさないで下さいよ」
「――全く、今日ぐらい減らず口を慎みなさいよ……」
シュリは不愉快そうに言うものの、いつものように言い返さずに、台所に向かう。氷冷式の戸棚を開き、中から食材を取り出し、馴れた手つきで料理を作り始める。
海藻を煮て出汁を取りながら、米を洗って土鍋に入れる。
空いた時間で野菜を細かく刻むなどの、下ごしらえも同時並行で行っていく――。
普段から自炊しているものの、手際の良さだ。
カグヤはそれを一瞥もせず、無言の魔術で氷の塊を作り、タライの中に氷水を作る。そこで、タオルをしっかりと濡らして絞ると、レオンの額のタオルと取り換える。
少し前に換えたはずなのに、それは蒸しタオルのように熱くなっていた。
(レオンさん……)
思わずカグヤが胸を締め付けられながら、寝顔を見つめ――熱いタオルを、氷水で冷やす。
その間にも、換気をして空気を入れ替えたり、水を用意しておいたりと、こまめに動き回って彼が寝やすいようにしておく。
一通り終えて、またタオルを取り換える――また、タオルは熱くなっていた。
しばらく、無言で作業し続けていた、シュリとカグヤだったが、互いに一段落してレオンの傍に寄る。シュリは髪を弄りながら、小声で訊ねる。
「あとは彼が起きたら煮込むだけだけど――レオンの様子は、どう?」
「熱は、下がりません。魔術で診たところ、過労のようですが……」
「――そう、ね……」
そこでシュリは口ごもると、弱音をこぼすように小さくつぶやく。
「あたしたち――ううん、あたしのせいよね……いろいろと振り回しちゃったし」
「私のせいです。あんなところで、私が意地を張らなければ……」
二人の視線は、レオンを見つめたままで――どこまでも、穏やかな雰囲気だ。シュリは傍らの椅子に腰を降ろし、その寝顔を見つめながら言う。
「この人は――本当に、お人好しね。あたしたちのケンカに首を突っ込んで……」
「私たちが、巻き込んでいる節がありますけど……レオンさん、逃げませんよね。絶対に」
「大体、おろおろして何もできないだけなんだけどね」
「何で、ですかね。この人、結構、強いじゃないですか」
「強いわよね。暴れ回っている相手に、平然と狙った場所を撃ち抜くし」
「気配察知も、曖昧ではありますが、魔術と同じくらい――化け物ですか」
「そのくせ、大したことないって言い張って、あたしの方がすごいって無邪気に褒めるし」
「花を持たせてくれ、っていう割に、美味しいところ譲って、花を持たせてくれるし」
「なんだかんだで、気遣いできる上に、呼吸も合わせてくれて」
「それで、甘えさせてくれる――この人、カッコ良すぎです」
二人は同時にため息をつき、ふと、視線を合わせる。どちらからともなく、苦笑いが漏れた。
「なんだ、そっちもなのね」
「そちらも、そんな感じですか。気の多い人です」
「そうなると、他の人にも優しくしそうね。早めに、パーティー組みたいけど……貴女、絶対に遠慮しないわよね……知っているけど」
「当然です。そちらこそ遠慮してくれればよろしいのでは?」
「ぬけぬけと言うわね。まあ、それだけレオンが魅力的なんだけど……譲らないわよ。貴女みたいな、弱い冒険者には、必要ないじゃない」
「これでもA級です。いつのように、思い知らせてもいいんですが……今は止めておきます。レオンさんに、感謝して下さい」
少し言い合いになるもの、小声でいつもの殺気はない。なんだかんだで、レオンを気遣う二人。
(というか、もし殺気立ったとしたら、レオン――)
(――レオンさん、絶対に感づいて起きますからね)
レオンは殺気とか敵意に恐ろしく敏感なのは、一緒に戦った二人が一番実感していた。
気遣う方も、楽ではない。やれやれと二人は首を振る。カグヤはタライに手を突っ込み、タオルを取り出して絞る。シュリはレオンの額からタオルを取り上げると、椅子から腰を上げた。
「代わるわ。カグヤ。冷たいでしょう?」
「あら、姉さまが気を利かせるなんて、天変地異の前触れですか」
「貴女ねぇ……」
「冗談です。そろそろ、姉さま、冗談を分かって下さい」
お互いの立ち位置を交換する。カグヤは冷たいタオルをレオンの額に上に載せ、枕元の椅子に腰を降ろす。ついでに、ハンカチで彼の額を拭きながら、思わず笑みを浮かべる。
「まさか――貴女とこんなに穏やかに話せるときが来るとは、思わなかったです」
「子供の頃は、話していたじゃない。だけど、いつの間にか、カグヤ、反抗期になって」
「反抗期ではないです。成長期と言ってください。バカ姉」
「な――これだから、この妹は……この減らず口がなくなれば、仲良くしてあげてもいいのに」
「上から目線なのが、腹立ちます――やはり、前言撤回です。穏やかな心地にすらなれません」
「こっちだって同じよ。全く――見直して損したわ」
むむむ、と二人は睨み合う。だが、やはりレオンを気遣って、覇気のないものになる。やがて視線を逸らし、自然と二人はレオンの寝顔を見つめる。
「やはり、この停戦は今日限りね……レオンに、感謝しなさい」
「姉さまこそ、この平和を噛み締めて、レオンさんに感謝するといいです」
その捨て台詞の後に、しばらく沈黙が訪れる。だけど、そこに殺気は一切なく。
二人は、彼が目覚める前で、交代で甲斐甲斐しく彼の看病を続けていった。




