第3話
カグヤ視点
その日、カグヤ・ユグドラは後悔していた。
(まさか、ここで裏切られるとは――)
少女を追いかけるように、筋骨隆々の魔物が駆ける。獰猛に牙を向き、二足歩行で棍棒を振り上げる、おぞましい姿の鬼。血走った目つきが、少女を狙っている。
ジャイアント・オーガ。まさか、洞窟の中でこれほどの魔物に出くわすとは。
棍棒の一振りを辛くも躱しながら、少女は息も絶え絶えに駆けながら舌打ちする。
本来なら、一人でこれを討伐するのは無茶だ。不可能だといっても過言ではない。だからこそ、カグヤは万全を期すために二人の戦士を雇っていた。
だが――その戦士たちはこの怪物を目にした瞬間、怯えて逃げ出した。カグヤを、囮にするようにして、真っ先に逃げたのだ。
(あの無能のおかげで、魔術も詠唱することができないです――ッ!)
振るわれた棍棒を、間一髪身を逸らして避ける。唸りを上げた棍棒が耳元で風を切り、背筋が凍る。その恐怖をかみ殺しながら、杖を構える。
だが、その間合いを潰すように、オーガは棍棒を振り上げながら駆ける。
(最初から、もっと金を出して頼りになる戦士を雇えば――)
後悔しても、遅い。集中を放棄し、振り返って駆け出す。
だが、魔術師の彼女に体力の自信はない。見る間に息があがり、オーガとの距離が迫る。
万事休す――それでも、一発は喰らわせたい。
カグヤは振り返りざま、杖を構える。瞬く間に、オーガが肉迫。棍棒を振り上げ――。
その顔面が、弾かれたように血を噴いた。
「ガアアアアアアアアアアアッ!?」
苦悶の叫びをあげながら、目を押さえるオーガ。その顔面へ、破裂音と共に何かが連続でぶつかっていく――強固な肌に弾かれて足元に散らばるそれを見て、目を見開いた。
「銃、弾……!?」
「さすがに、目玉に銃弾は効いても、肌には効かないか」
背後から声がして、振り返る。そこにはいつの間にか、一人の青年が困り顔で立っていた。優しげな顔つき――だが、その目つきは剣呑そのもの。
両手に握られているのは、魔導銃――銃撃は彼の仕業か。
「そこのお嬢さん、もしよければ手伝ってくれるか?」
彼は魔導銃の弾倉を引き抜き、入れ替えながら、散歩に誘うかのような口調で言う。目を見開いたカグヤに対し、茶目っ気たっぷりに片目を閉じる。
「俺が前衛をやる。時間を稼ぐ間に、あいつをぶっ飛ばして欲しい」
「は……貴方、何を……」
思わず、正気を疑う。銃撃士が前衛を担当するというのか?
しかも、敵は普通の魔獣とは違う。拳の一振りで岩を砕くオーガであり、防御力も桁違い。現に銃弾が効いていないというのに。
だが、彼はこともなげに笑い、ちらりと目の前のオーガを見やる。
「ま、上手くやるだけだよ。できないなら、俺があいつの両目を潰して逃げるだけだけど……どうする?」
その試すような口調に、カグヤは自然と笑みが込み上げてくる。
「は、はは――っ、誰に物を言っているですか。これでも私は王立魔術学院を首席で卒業しました。あんなオーガを、ぶっ飛ばすなんて、朝飯前です……っ!」
「よし、なら任せたぞ」
不敵な笑みを浮かべてそう彼が告げると、同時にオーガが怒りの咆吼を上げた。
片目から血を流しながらも彼を睨みつけ、獰猛に棍棒を振り上げて地を蹴る。迫り来る脅威に彼は口角をわずかに吊り上げ、拳銃を鋭く構える。
響き渡る銃声。咄嗟にオーガは顔を背け、銃弾を目から庇う。
その視界が外れた瞬間を逃さず、青年は軽やかにステップを踏んだ。オーガの死角に回り込みながら、さらに発砲を繰り返し、銃弾をオーガの顔に集中させる。
オーガの皮膚は固く分厚い。銃弾が射貫くことはできないはずだ。
だが、それでも群れる羽虫のように鬱陶しいのか、振り払うように、乱暴に棍棒を振り回す――無論、死角に逃れた彼には当たらない。
それを見つめながら、後ろに下がったカグヤは杖を構えながら、悠々と詠唱を重ねていた。
「凍れ、凍れ、大気よ――集え、集え、絶氷よ――」
杖の先端の宝玉に、光が集っていく。徐々に、徐々に光は強く脈打ち始める。
それを抑えこむように、手をかざしながらさらに力を込める。
「絶対たる氷獄となりて、白銀の煌めきと共に、全ての熱を奪い去れ――」
白い閃光が、洞窟の中に溢れ出る。抑えきれないほどの光を宿した杖を、ゆっくりとオーガに差し向ける。それを合図に、青年は踵を返して少女の方に駆ける。
そして、転がるように彼女の脇を駆け抜ける――瞬間、カグヤは魔術の引き金を引く。
「凍てつけ――パルマ・フォルストッ!」
瞬間、轟と唸りを上げて閃光が迸った。白い閃光に塗りつぶされるように、壁が白く染まった。全てが、凍りつく。
それを真正面から受け止めたオーガは、その場で固まった。一気にその土汚れた肌は白く染まり、片目から流す血は一瞬にして凍結。
そのまま、オーガは氷の彫刻となり、二度と動くことはない。
(……終わ、った……?)
周りに、もう敵はいない。それを感じると、緊張の糸が思わず切れ、その場で思わず座り込んでしまう。吐き出した息が真っ白だ。その横からそっと手が差し出される。
「お疲れ様。見事な魔術だった」
「――貴方も、そこそこ、でしたよ。えっと、名前は――」
「レオンだ。レオン・ケンフォード」
「レオンさん――その、助かりました。ありがとうございます」
思わず視線を逸らしながらも、手を掴む。その手は、温かくて大きい。
どこか縋りたくなる手を掴みながらも――足に力が入らずに立ち上がることができない。それでも立ち上がろうとすると――そっと足元に手が滑り込んだ。
「ごめんな、少しだけ我慢してくれ」
その声が頭上から聞こえ、ふわりとした浮遊感――。
気が付けば、カグヤは彼の腕の中で抱き上げられていた。お姫様だっこだ。
「え、あ――」
優しく揺れないように、彼が歩いていく。その中で彼女は困惑して――だけど、優しくて温かい腕の中が心地よくて。その胸に甘えてしまう。
頬を赤らめながらも、素直になれずに唇を尖らせる。
「別に――少し、疲れただけで……貴方に頼らなくても、大丈夫、です」
「ああ、知っているよ。だけど、たまには花を持たせてくれてもいいだろう?」
「そう……これは、貴方に花を持たせて、あげるだけ、です……」
「ああ、ありがとう。カグヤ」
「特別ですかね。レオンさん――それにしても、少し慣れていませんか。抱きかかえ方」
「何で、だろうな。最近、気を失う女の子がいてな」
「レオンさんは、優しい人なんですね……」
そうつぶやく言葉が、だんだん覚束なくなってきている。意識が、薄らいでいく。
だけど、悪い気がしない。でも、彼の声を聞いていたい――。
そう思いながらも、睡魔に逆らえずに意識が闇に呑まれていく。
気が付けば、カグヤは病院の一室にあった。数時間前、青年が彼女を運び込んできたらしい。寝てしまったことを悔やみながら、彼女は窓の外を見やる。
(レオンさん――優しい人、でした。お礼を、言いたいのに――)
それに、とカグヤはベッド脇に立てかけてある自分の杖を見る。
思い返すのは、彼の立ち回り方。
普通、銃撃士というのは一撃必殺だ。遠距離から銃弾を放ち、仕留められればそれでよし、仕留めきれなければ大人しく尻尾を巻いて逃げる。
あまり見ない戦士ではあるが、どこか臆病なイメージがあるのが銃撃士だ。
事実、彼はどこからか物陰に隠れ、オーガの目を狙撃した。
(そこで仕留められなければ、逃げればよかったのに――)
彼は、逃げなかった。それどころかカグヤを信じて、前衛を買って出て。
銃を狙撃に使わず、攪乱に利用。ひたすらにオーガの攻撃をかき回し、カグヤが魔術を構築する隙を作った。そして、撤退するタイミングもぴったり――。
(まるで、息が合っているみたいで……)
そう思うと、何故か胸の奥がわずかに疼く。甘い響きにカグヤは吐息をこぼすと、視線を外へと向ける。窓の外は澄み渡るほどの青空だ。
もう一度会いたい。必ず、会うんだ――。
そう思いながら、カグヤは高鳴る鼓動を押さえるように、胸に手を当てた。
――だが、彼女も知らない。
数日前、同じことを決意した少女がいたことを――。
そして、三人は知らない。
その二人が犬猿の仲である、姉妹であることも――。




