第27話
ぽちゃん、と水の滴る音を聞きながら、レオンは一つ吐息をついた。
見渡す限り、そこはごつごつとした岩場――北の村はずれに、その温泉はあった。
湯につかれば、程よい湯加減。じんわりと浸み込んでくる熱が、身体中の疲れを溶かすように解きほぐしてくれる。その感覚に身を委ねながら、周りをぼんやりと見渡す。
村人が定期的に使うのか、周りが整えられ、歩きやすいように整地もされている――見下ろせば、宴会で盛り上がっている村の灯りがよく見えた。
そして――頭上で広がる、降り注がんばかりの星空も。
(上手く、大岩が周りを隠しているから、見られることもない――格別だな、ここは)
ラルゴが米酒や水、それと軽い山菜の摘まみを置いて行ってくれた。星を眺めながら、酒を口にする――淡い口当たり。温泉ということもあって、すぐ酔ってしまいそうだ。
心地よい温かさに包まれながら――ふと思うのは、あの姉妹のことだ。
シュリは人当たりがよく、快活としている。少しドジなところもあるが、基本的にはしっかりとして頼りになる子だ。いろいろと世話を焼いてくれる面もある。
カグヤはプライドが高く、とっつきにくいところはあるが、蓋を開けてみれば甘えん坊なところがある。困ったときは、すぐに頼ってくれるし、頭もすぐに回る。
戦士と、魔術師――二人とも実力派で、悪い子たちではない。
(だけど、あんなになんで喧々囂々とやり合っているのか――)
つまらない意地の張り合いにも見えるし、何か根の深い話なのかもしれない。
そこまで付き合う義理は、レオンにはないはずなのに――何故か、放っておけない気持ちになっていた。どうにかして、二人を和解させてあげたい気もする。
前々から抱いていた、その気持ちは二人のことを知るうちに大きくなっていた。
そうすれば、レオンが喧嘩に巻き込まれることもなくなる。
(その上――面白いことが、できるようになるかもしれないし)
そんなことを考えながら、酒を口につける――ふと、人の近付く気配に気づき、振り返った。
「ラルゴさんか? 入っても構わないぞ」
その足音は、遠慮しがちだった。眉を寄せていると、衣擦れの音が聞こえる。
妙にその時間が長い。嫌な予感がする。思わず岩陰に置いた魔導銃に手を伸ばしかけ。
現れた人影に思わず、目を見開いた。
そこにいたのは、金髪の少女だった。
満天の星の下に、真っ白な肌をさらした彼女は、そっと大事なところを手で隠しながら、もじもじとしている。白い湯気に抱かれ、長い金髪がぼんやりとした輝きを放っている――。
どうしようもないほど、目を奪われてしまう――そんな美しさが、そこにある。
「そ、その――あまり、見ないで下さい……」
か細い声に、思わず我に返り、慌てて視線を逸らした。
「す、すまん、まさかカグヤだと思わなくて……」
「入るまで待ってください。そちらに、行きますから」
ちゃぽん、と水音――近づいてくる気配に、レオンは視線を逸らしたまま訊ねる。
「出た方がいいか?」
「いえ、折角ですので一緒に……だ、ダメですか?」
声がにじり寄ってくる。諦めて肩を竦めると、視線を戻した。
隣に、カグヤがいた。解いた金髪を湯に漂わせながら、ほのかに頬を赤らめている。白濁した湯のおかげで、彼女の裸体が隠れているのが救いだ。
ぎこちない仕草の彼女から、視線を空に向けてごまかすように言う。
「ここの星空は、綺麗だな。ぜいたくな、温泉だ」
「はいです――いつも、この湯を借りています。ここは、素敵です」
しばらく、二人で星を眺める。美しい景色と、心地よい熱、そして、互いの気配。それが徐々に二人の間のこわばりを溶かしていった。
なんとなくため息をこぼすと、カグヤのため息と重なり合う。思わず視線を交わし合い、おかしくなって少し笑い合う。その笑顔の中で、カグヤは小さく口を開いた。
「――ありがとう、ございます。レオンさん」
「礼を言われることは、何もしていないが?」
「いえ、十分してくれましたよ。あの魔獣との戦いのとき、私の我が儘を聞いてくれたじゃないですか。本来なら、一旦逃げた方が得策なのに。それに――」
彼女は一息つくと、瞳を微かに揺らしながら微笑む。
「今回だけですけど、私を相棒として扱ってくれた」
その一言は、とても嬉しそうに目を細められて告げられた。そっと、湯の中で手がぶつかり合い――ためらいがちに、少女はその手を重ね合わせる。
不自然に高鳴る鼓動。それを押し殺すように、レオンは視線を逸らしながら言う。
「雇われた以上の責務を果たしただけだよ。カグヤ」
「そういう律儀なところ、私は好きですよ。レオンさん」
くすりと、笑った彼女の距離が縮まる。つぶらな瞳が、潤んで真っ直ぐに見つめてくる。
からかいでも、ましてや、冷たい視線でもない。
柔らかさを帯びた、吸い込まれるような瞳に、レオンは魅入られる。
桃色の唇が、そっと開かれた。
「レオンさん、私の律儀なところも見てくれませんか?」
「え……?」
「私に、お礼をさせてください。貴方の、本当の相棒になって――」
その一言と共に、ぐっと顔が一気に近づき――。
「な、に、を、やっているのかしら――ッ!?」
不意に轟いた怒声に、二人は弾かれたように離れた。振り返ると、大岩の間から、一人の女戦士が姿を現していた。泥でぼろぼろ、傷だらけの彼女――。
だが、その金髪の少女は、見間違いようがない。
思わず固まったレオンの前に、すっとカグヤは進み出て氷点下の声を発する。
「姉さま――何故、こんなところにいるのですか。覗き、ですか」
「そんなわけないわよッ! 緊急のクエストで、必死に駆けてきたのよ! 巨大魔獣が発生、アシュタル村が壊滅の危機にあり、って!」
(なるほど、そういえば救援要請を出していたって言っていたな)
それをシュリが受けてくれたらしい。
村を守るために、必死に、必死に、必死に駆け抜いて――。
「駆けつければ、何よ! あたしのパートナー候補に、色仕掛け、かしら……?」
「貴女の目は、節穴みたいですね。それに、レオンさんはまだどこのパーティーに属していませんから、勧誘は自由です」
「にしても、色仕掛けまでするなんて……! 見損なったわ、カグヤ」
「……言っても聞かなそうですね。なら、実力で――」
カグヤは冷たく吐き捨てると、指先で光を描く。描かれた魔法陣に応じるように、中空から何かが飛んできた。彼女の、杖――それを掴んで、彼女は立ち上がる。
目の前で揺れる、彼女の長い金髪と裸体に、慌てて視線を逸らす。
だが、彼女の始めた詠唱を聞いた瞬間、血の気が引いていった。
「凍れ、凍れ、大気よ――集え、集え、絶氷よ――」
(ぱ、パルマ・フォレストッ!?)
その威力は、すでに見て痛感している。ましてや、温泉とはいえ、水場でやらかせばどうなるか――。
同時に、シュリは地を蹴り、剣を閃かせる。それと同時に、カグヤが大きく杖を振る。
「や、やめろおおおおおおおおおおおお!」
レオンの情けない悲鳴と共に、剣と魔術が激しくぶつかり合った。




