王都招集
クラウゼリアを発ってから、すでに数日が立った。
一度、ミスティリアに戻り、準備を終えてから海路で王都へと向かったミュレア、タナトス、黒牙の3人。
王都の港から石畳を踏みしめる馬車の音が、乾いた音を立てて王都の大通りに吸い込まれていく。
三人は無言のまま、王都の中心部へ馬車に揺られ向かって
いた。
かつてこの都は、昼夜を問わず賑わいに満ちていた。
商人の威勢のいい声、子どもたちの笑い声、吟遊詩人の歌が奏でられていた。
だが、今は違う。
視線を動かせば、要所ごとに配置された衛兵の姿がある。
剣を携え、槍を構え、鋭い眼差しで通行人を監視している。
通行証の確認、荷物の検査、道を横切るだけで、じろりと値踏みするような視線が向けられる。
活気は消え失せ、あるのは――重苦しい緊張だけとなっていた。
まるで国全体が、何かに怯えているかのようだった。
ミュレアは何も言わず、馬車に揺られていた。
その隣で、タナトスがほんの僅かに視線だけを動かす。
街角ごとの兵の配置、屋根の上の影、遠巻きにこちらを観察する文官らしき男。
全てを一瞬で把握し、頭の中で情報として整理していく。
黒牙は喉をひくりと鳴らした。
街の緊迫した空気に黒牙も緊張から身体が強張り、身震いしている。
三人は、王城正門へと辿り着くと、衛兵たちはすでに通達を受けていたらしく、形式的な確認のみで門が開く。
重厚な城門が軋む音を立て、ゆっくりと開かれ、王城内部は、外よりもさらに静まり返っていた。
侍従や侍女たちも、普段のような余裕ある足取りではない。
どこか急ぎ、どこか怯え、視線を合わせないように歩いている。
やがて三人は、エントランスホールへと通される。
高い天井。巨大なシャンデリア。赤い絨毯が正面階段へと続く。
その中央に、一人の男が立っていた。
深緑の官服に身を包み、年季を感じさせる落ち着いた佇まい。
だがその額には、薄く汗が滲んでいる。
執政長官は三人が近づくと、一歩前へ進み、深々と頭を下げた。
「ミュレア=ティーレ様。此度は我々の要請にご足労頂き、誠に感謝いたします」
丁寧な物腰だが、その声の奥底には――明確な焦りがあった。
ミュレアは静かに執政長官を見下ろす。
その瞳は、氷のように澄んでいる。
「随分と物々しいようですが……これは、やはり――」
タナトスは穏やかな声音のまま、わずかに顎を引いた。
その視線は柔らかい。だが、観察する眼は鋭い刃そのものだ。
執政長官の瞳の揺らぎ、呼吸の浅さ、汗の量――全てを拾い上げるように見据える。
執政長官は一瞬だけ言葉を選ぶように沈黙し、額の汗を拭う。
「……はい。魔王の侵攻による被害。更には……黒の勇者の影響で暴動を起こす者もおり、その鎮圧の為でございます」
低く、押し殺した声には、微かに疲労が滲んでいた。
王都を覆う緊張の正体、それは魔王だけではない。
黒の勇者によって混乱し、暴徒と化した国民もまた平和を揺るがす存在となっていたのだ。
「ふむ。確かに、魔王の侵攻に関しては我々も把握しております。いくつか陥落した国があることも……」
タナトスは顎に手をあてたまま、その視線を執政長官に向ける。
「……しかし、黒の勇者は、数ヶ月前に既に討たれたはずですが」
確認するような声色だが、その視線は相手の心の内側を見透かすかのようだった。
執政長官は目を伏せる。
「おっしゃる通りでございます。黒の勇者が討たれたという情報は、私共も把握しております。しかしながら――その事実を確認する術がなく、何より、勇者という存在の影響力は計り知れませぬ。未だに彼を崇拝する者たちが存在しております」
その拳が、僅かに震えていた。
方々手を尽くしたのだろう、それでも、黒の勇者カイルのカリスマ性は、衰えることはなかった。
討たれたという噂が立ったとしても、その姿が見えなくなっても、未だに黒の勇者の名の下に暴徒化した国民が、荒くれ者達が集い、勢力を増している。
――黒の勇者だったカイルは、数ヶ月前に確かに討たれた。
境界都市クラウゼリア――いや、当時はまだ名もなき拠点だったその地に攻め込み、そして、バニッシュ=クラウゼンによって斃された。
だが、それは拠点内部で起きた戦い、結界の内側で起きた事実、外部へと流れた情報は限られている。
ゆえに――噂だけが、歪みながら広がった。
「勇者はまだ生きている」
「封印されただけだ」
「王家が真実を隠している」
混乱は火種となり、やがて暴動は激しさを増していく。
王都は今、二つの不安に挟まれていた。
「それで……あのあり様ですか」
タナトスは静かにそう呟いた。
声音には皮肉も嘲りもない。
「……はい」
執政長官は短く答え、再び額の汗を拭った。
王都の現状を説明するには、この場はあまりに開け過ぎている。
それを悟ったのか、彼は一歩身を引き、恭しく手を差し出した。
「詳しい話は後ほど致します。まずは控え室の方へ」
ミュレアは無言で頷き、黒牙がその後ろをついて行く。
タナトスは顎に手を当てたまま、思索の色を浮かべつつ後に続いた。
案内された先は、王城内部でも格式の高い応接区画だった。
重厚な扉が開かれる。
広い部屋に豪奢な長く立派な一枚板のテーブルが中央に鎮座し、その両側には上質な装飾椅子が整然と並んでいる。
背もたれには王家の紋章が金糸で刺繍され、足元には厚手の絨毯が敷かれていた。
壁際には侍従と侍女が静かに控えている。
微動だにせず、視線も落とさず、命令を待つ人形のように。
タナトスはぐるりと室内を見渡す。
すでに何名か、各種族の代表らしき者たちが到着していた。
真っ先に目に入ったのは、小人族。
椅子にふんぞり返るように座っているが――足が床に届いておらず、ぷらぷらと揺れている。
テーブルの縁からちょこんと出ている頭だけが、こちらを値踏みするように見ている。
少し離れた場所では、背筋をぴんと伸ばし、腕を組んで静かに座る竜人族。
彫像のような威厳と僅かに揺れる尾、規則正しい呼吸が場に流されぬ絶対の自制かのようだ。
さらに視線を滑らせると壁際に異質な空気が漂う。
どうやって持ち込んだのか、明らかにこの部屋の調度と系統の違う豪奢なソファ。
そこに優雅に横たわるダークエルフ族。
片肘をつき、気怠げに笑い、隣の女の顎を指先で持ち上げて戯れている。
緊張感はないが、その瞳の奥には冷たい知性が潜んでいる。
遊んでいるようで、全てを観察している目だ。
タナトスは僅かに目を細める。
そして――視線を落とした先には、テーブルの一角に、数人で固まる影。
獣人族のようだが、質素どころか、ややみすぼらしい衣装。
警戒と不安が入り混じった眼差しで、周囲を窺っている。
さらに、少し離れた位置にも同じように不安な表情を浮かべるエルフ族。
整った容貌、整然とした衣装だが、どこか浮いている。
竜人族のような威圧感も、ダークエルフのような余裕もない。
「あの方たちは?」
タナトスは穏やかに問いかけた。
だが、その視線は明確に――獣人族とエルフ族の一団へ向けられている。
執政長官は一瞬だけ逡巡し、視線を同じ方向へと向けた。
「……あの者たちは、ルガンディアとエルフェインの生き残りの者たちです」
陥落した国と魔王侵攻の被害を受けた地。
「現在は我が王都で保護しております。……今回の会議にも、参加して頂こうかと」
言葉は丁寧だが、保護という響きの裏に、どこか距離がある。
「なるほど」
タナトスは短く答え、改めて彼らを観察した。
衣服は最低限の清潔さを保っている。怪我も目立たない。食事は与えられているだろう。
保護はされているが、尊重はされていない。
それは、扱いを見れば一目瞭然だった。
獣人族の若者が、警戒するようにこちらを見る。
エルフ族の女性が、不安を隠すように手を握りしめている。
王都は彼らを匿っている。
だが――王都は、彼らの味方ではない。
「それでは、私はこれで」
執政長官は一礼すると、どこか逃げるように控室を後にした。
重い扉が閉まる。
タナトスはその後ろ姿を一瞥し、小さく息を吐いた。
「どうぞ、ミュレア様」
タナトスは静かに椅子を一つ引いた。
ミュレアは一言も発さず、すっとその椅子へ腰を下ろした。
背後に、タナトスが立ち、さらにその隣に、黒牙が並び立つ。
しばらくの間、控室には、各種族の思惑と沈黙が重く沈殿していた。
その時、廊下の向こうから、騒がしい声が響く。
「――だから! 違うって言ってるでしょッ!」
甲高く、よく通る女の声。
続いて、慌てたような別の声。
「で、ですから……お静かに……さい……!」
執政長官の声だ。
控室の面々が一斉に扉へと視線を向ける。
声は次第に近づき――勢いよく扉が開かれた。
「それではこちらになりますので! しばらくお待ちください!」
半ば押し切るような執政長官の声と同時に、小さな影がぽん、と室内へ押し出される。
ぱたぱた、と軽い羽音と共に現れたのは――妖精族。
緑の髪、紫の瞳、人形のように整った愛らしい顔立ち。
背には、女神のような荘厳な翼ではない。
虫を思わせる、薄く小さな四枚の羽。
だがその周囲には、淡い光の粒が舞っている。
掌に収まるほどの小さな身体。
それでも、そこに立つ姿は妙に堂々としていた。
――ぱたん。
執政長官は妖精を中へ入れると、間髪入れず扉を閉める。
逃げるように足音はすぐに遠ざかっていった。
「ちょっと!」
妖精は声を上げ、慌てて扉へ飛ぶ。
小さな両手で取っ手を掴もうとするが――届かず、引っ張ってみるが、びくともしない。
「もうっ!」
ぷく、と頬を膨らませる。
羽音を立てながら、ふわりと空中へ舞い上がり、近くの椅子の背もたれへ移動し、ちょこんと腰を下ろす。
椅子の装飾の彫り込みが、まるで巨大な城壁のように見える。
小さな足をぶらぶらと揺らし、口を尖らせるその姿は、怒っているというより拗ねているようだ。
静寂の中、妖精族の不満げな羽音も次第に収まり、各種族はそれぞれの思惑を胸に沈黙していた。
そして――控室の扉が静かに叩かれ、ゆっくりと開く。
姿を現したのは、腰の曲がった老臣だった。
「……それでは皆様方、此方のほうへ」
老臣は踵を返し、歩き出す。
各種族の代表たちは無言で立ち上がった。
重厚な廊下を進む、高い天井、長く続く赤絨毯、壁に並ぶ歴代王の肖像。
やがて辿り着いたのは――王都・政庁評議の間。
大扉がゆっくりと開かれる。
広大な円形の空間。
中央には巨大な会議卓。
卓を囲むように、種族ごとの席が設けられている。
椅子の意匠、旗の色、彫刻の意匠。
それぞれが自らの誇りを主張するように異なっていた。
小人族の席は背もたれに精緻な装飾が刻まれ、竜人族の席は重厚な黒鉄で縁取られている。
獣人族とエルフ族の席は質素ながらも整えられているが、明らかに他より簡素だ。
ダークエルフ族の席だけは、艶やかな黒木で造られ、座面には濃紫の絨毯が敷かれている。
代表たちが順に席へ着く。
タナトスと黒牙も、ミュレアの後ろに並び立った。
竜人族は背筋を伸ばし、微動だにしない。
小人族は椅子によじ登るようにして座る。
獣人族はやや緊張した面持ちで、エルフ族は周囲を慎重に観察する。
そして――ダークエルフ族だけは、悠然と椅子に腰掛け、その膝には先ほどから連れている女を乗せている。
耳元で何かを囁き、女がくすりと笑う。
緊迫した評議の場に似つかわしくない光景。
最後に老臣が定位置に立つとやや遅れて、執政長官が壇上へ進み出た。
室内が静まり返る。
重厚な扉が閉じられる音が、やけに大きく響いた。
執政長官はゆっくりと周囲を見渡す。
集結した種族の代表たち。
疑念、誇り、不安、野心、それらが複雑に絡み合う視線が交差する。
「――これより種族連合臨時評議を、はじめる」
その宣言が、評議の間に重く落ちた。
この円卓の上で――世界の針路が問われようとしていた。
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