始動!? 境界都市美姫選定戦
その日――境界都市クラウゼリアでは、実にどうでもよく、しかしなぜか妙に人の心を掴む“ある催し”の火種が生まれていた。
きっかけは、本当に些細な一言だった。
昼下がりの都市外縁の整備区画では、作業を終えた男たちが木箱や資材の上に腰を下ろし、それぞれ汗を拭いながら束の間の休憩を取っていた。
鍛冶の熱気、石材の匂い、遠くを行き交う荷車の音。
多種多様な種族が集う境界都市クラウゼリアでは、それすらも日常の一部でしかない。
そんな、どこにでもある昼休みの雑談の中で――一人の男が、何気なく口を開いた。
「しかしよぉ……この街の女って、いい女が多いよな」
それは酒場でなら毎晩のように転がっていそうな、ありふれた話題だった。
だがその男は、そこで終わらなかった。
「いや、普通に綺麗な人が多いってだけじゃねぇぞ? 特に――上に立ってる女たちは格別だよな」
一瞬、周囲の男たちが「おっ」と顔を上げる。
クラウゼリアという街は、種族も文化も出自も違う者たちが寄り集まってできた境界の都だ。
だからこそ、多様な美しさがそこかしこにある。
だが、その中でも街の中枢や重要な役割を担っている女性たちは、なぜか揃いも揃って目を引く者ばかりだった。
「ああ~、わかるわ」
すぐさま別の男が、深く頷きながら乗ってきた。
「全員、漏れなく美人か美少女だからな。あんな女と一緒になれたら最高なんだけどな」
「お前なんかじゃ相手にされねーよ」
「いや、夢くらいみさせろ」
どっと笑いが起こる。
そんな中、最初に話を振った男が、にやりと口元を歪めた。
「で? お前ら、結局誰が好みなんだよ」
おお、と男たちの顔にいたずらっぽい熱が宿る。
「俺か~?」
腕を組み、少し考える素振りを見せた一人が、待ってましたとばかりに口を開く。
「俺はやっぱり、セレスティナさんかな」
「お、エルフ派か」
「そりゃそうだろ。あの整った顔立ちに、エルフ特有の神秘的な雰囲気。しかも落ち着いてて、知的で、話すと柔らかいのがまたいいんだよ。近寄りがたいようでいて、ちゃんと人を見てる感じがたまらん」
「わかる」
「わかるわ……」
「妙に説得力あるな、お前」
周囲から賛同の声が上がる。
すると、後ろから木箱を運んでいた別の男が会話を耳にしたのか、「待て待て」と割り込んできた。
「いや、俺はリュシアさんだな!」
その声は無駄に大きく、思わず数人がそちらを振り返る。
「皆の相談をちゃんと聞いてくれるし、困ってる奴がいたら放っとけねぇって顔してるだろ? ああいう、引っ張っていってくれる姉御肌がいいんだよ! 強くて頼れて、それでいて情に厚い。最高じゃねぇか!」
「熱量がすげぇなお前」
「でもリュシアさん人気はわかる」
「面倒見いいからなぁ……」
うんうんと頷く者は多かった。
美しさだけではない、性格や立場、人となりまで含めて語られ始めたあたりで、もはやこの場の男たちは本気である。
「俺は大人の色気で言うならツヅラ様だな」
腕の太い獣人の男が、しみじみとした口調で言った。
「あの落ち着き、包容力、あと時々見せる妖艶な笑顔。あれは反則だろ。あんなふうに微笑まれたら、明日から三倍働ける」
「お前それ、昨日も言ってたぞ」
「実際働いてるから問題ねぇだろ」
即答に再び笑いが起きる。
「俺はフィリアさん派だな。お硬そうに見えて実は茶目っ気がある感じがいい。あの鋭い口調で罵られたい」
「お前、変態なんじゃねーのか?」
「うるせぇ。趣味趣向は自由だろ」
さらに別の男が、やや小声で、しかし妙に真剣な顔で言った。
「……俺は、セラフィ様かな」
一瞬の沈黙。 そして次の瞬間、周囲から一斉に視線が突き刺さる。
「お前それは」
「流石に、恐れ多いだろ」
「一応、女神様だぞ?わかってんのか?」
だが男はひるまなかった。 むしろ胸を張る。
「わかってるさ! でも、あのふわふわした感じで守ってあげたくなる雰囲気とか、小さくてカワイイのが堪んねぇんだよ!」
「それただのロリコンなだけだろ!」
「お前はただのロリコンだ!!」
盛大なツッコミが飛び、周囲は爆笑に包まれた。 本人は「違う!」と必死に抗弁しているが、残念ながら説得力は薄い。
そんなふうに、誰が好みか、どこが魅力か、どんな瞬間に心を掴まれたか――男たちの語りは次第に熱を帯びていった。
種族も年齢も立場も違う男たちが、なぜかこの話題では妙に団結している。
誰かが推しを語れば、誰かが頷き、誰かが異論を唱え、また別の誰かが「いや待て、それなら――」と新たな名を挙げる。
最初はただの休憩中の雑談だったはずなのに。
いつの間にかその場には、妙な熱気が渦巻いていた。
「で、結局さ」
誰かが、ぽつりと漏らす。
「誰が一番人気なんだ?」
その一言で、場がぴたりと静まった。
今までは好き勝手に“推し”を語っていただけだ。
だが、その一言は、この街にいる“上に立つ女たち”の中で、誰が最も多くの支持を集めているのか――そんな、どう考えても平和で、どう考えても危うい話へと踏み込むことを意味していた。
「……決めるか?」
「いや待て、これはちゃんとやるべきだろ」
「ちゃんとやるって何だよ」
「投票だ、投票」
「なんでそんな無駄に本格的なんだよ!」
「無駄じゃねぇ。男には退けねぇ戦いってもんがある」
真顔で言い放たれたその言葉に、何人かが無駄に深く頷いた。
かくして、誰かの何気ない一言から始まった雑談は、いつしかクラウゼリア全体を巻き込むことになる、なんとも平和で、しかし妙に熱量だけは高い催し物――その前触れへと、姿を変え始めていたのである。
その話を、聞いてしまった男がいた。
ミスト・コネクション――境界都市クラウゼリア支部きっての商売人肌。
金の匂いと面白事の気配に関しては、犬より鼻が利くと一部で噂される狐の獣人――ゴンタである。
ちょうどその時、彼は資材搬入の確認を終え、鼻歌交じりに整備区画の近くを通りかかっていた。
すると耳に飛び込んできたのは、男たちのやけに熱の入った会話だった。
「だから俺はセレスティナさん推しだって言ってるだろ!」
「いやいや、総合力ならリュシアさんだろうが!」
「ツヅラ様の大人の色気を理解できねぇとはな……」
「セラフィ様は可愛いんだよ! 可愛いは正義なんだよ!」
「お前は黙ってろロリコン!」
ゴンタの足がぴたりと止まる。
「ほほう……?」
細い目が、すうっと細められる。
明らかに、頭の中で算盤を弾き始めた顔だった。
「人気投票……推し……誰が一番……」
ぶつぶつと呟きながら、ゴンタの脳内で言葉と言葉が繋がっていく。
雑談、投票、催し、屋台、特設会場、記念品、賭け……は怒られそうだから一旦置いておくとして。
とにかく、人が集まって、盛り上がって、話題になって、ついでに金も動く匂いがする。
次の瞬間、ゴンタの目がぎらりと光った。
「――これは儲けの匂いがするでやんす!!」
そう叫ぶや否や、ゴンタは踵を返した。
さっきまでのんびり歩いていたとは思えない速度で、尻尾をぶんぶん振り回しながら石畳を駆けていく。
その背中には、もはや“商機”の二文字しか見えていなかった。
目指すはミスト・コネクション、クラウゼリア支部。
支部の扉を勢いよく開け放ち、ゴンタはそのまま中へ飛び込んだ。
「ポン殿ー!! 大変でやんす!! いや、大変じゃないでやんす!! むしろ大チャンスでやんす!!」
書類整理をしていた支部員たちが一斉に顔を上げる。
そんな中、カウンター奥でいつものように柔らかな笑みを浮かべていた狸の獣人――ポンが、ぱちりと瞬きをした。
「おやおや。ゴンタさん、どうかされましたかな?」
「妙案を思いついたでやんす!!」
ポンはふっと目を細める。
「それで、妙案というのは?」
ゴンタは待ってましたとばかりに身を乗り出した。
そして先ほど耳にした男たちの会話を、必要以上に臨場感たっぷりに再現してみせる。
クラウゼリアの女たちは皆美人だの、中でも上に立つ面々は格別だの、誰が一番人気かで揉めただの、それをいっそ投票で決めようという空気になっていただの。
ゴンタが身振り手振りを交えて語るうち、支部の空気がじわじわと変わっていく。
最初は「何を言い出すんだこの人は」という顔をしていた周囲も、次第に「……あれ? 意外とこれ、いけるのでは?」という表情になっていった。
そして話を聞き終えたポンは、机の上で指を組み、いつもの穏やかな声音でこう言った。
「――それは、面白そうですねぇ」
ゴンタが、ばっと勢いよく腕を振り上げる。
「それじゃあ!! クラウゼリア春の催し物として――境界都市美姫選定戦を始めるでやんす!!」
次の瞬間、支部員たちの間にざわめきが走った。
「美姫選定戦!?」
「名前だけ聞くとすごい物騒ですね……」
「いやでも語感は悪くない」
「春の催し物って、そんな軽いノリで決めていいんですか?」
好き勝手な反応が飛び交う。
しかしゴンタはもう止まらない。
一度火がついた商人の頭は、もはや暴走列車である。
「投票用紙を配るでやんす! 会場も作るでやんす! 当日は屋台も出すでやんす! 記念品とか限定札とか、応援用の小物も売れるでやんす! 春の祭りとして仕立てれば、街全体が盛り上がるでやんすよ!」
「さりげなく商売の話が中心ですねぇ」
「当然でやんす!」
胸を張るゴンタに、ポンはくすりと笑った。
だが、その笑みの奥には、単なる面白半分ではない計算も見えていた。
クラウゼリアは多種族が共に生きる境界都市だ。日々、大小さまざまな摩擦や緊張も起こる。
だからこそ、こうした“平和な熱狂”は思いのほか大きな意味を持つ。
誰かを讃え、街全体で笑い合い、話題を共有する。
それは案外、都市の空気を柔らかくするのに役立つのだ。
「ふむ……ただの人気投票ではなく、“春の催し”として整えれば、街の活気や一体感を高める効果もありそうですねぇ」
ポンがさらりと付け足すと、ゴンタは何度も頷いた。
「そう! そうでやんす! 儲かるし、盛り上がるし、皆ハッピー! 完璧でやんす!」
「一つ目が少し強すぎませんかねぇ」
「気のせいでやんす」
だが、ポンはそれ以上は突っ込まなかった。 代わりに、机の上の書類を脇へ寄せ、白紙を一枚引き寄せる。
「では、企画として形にしましょうか」
「待ってましたでやんす!」
こうして、ミスト・コネクション支部の一角で、急ごしらえの企画会議が始まった。
タイトル案、開催趣旨、候補者の選定基準、投票方法、景品の有無、当日の会場運営、都市内の各区画との調整事項、騒ぎになりすぎないための注意書き、そして、何より――長に提出するための建前と理屈。
「“美姫選定戦”だけだと刺激が強いですねぇ。副題で“春の親睦祭”などを添えるのはどうでしょう」
「おお、それっぽいでやんす!」
「あと、“外見のみを評価するものではなく、日頃の功績や人望も含めた感謝と敬意を示す催し”と書いておけば角が立ちにくいかと」
「さすがポン殿、言い回しがうまいでやんすなぁ……!」
ゴンタが感心しきりに唸る横で、ポンはさらさらとペンを走らせていく。
文字は柔らかいが、内容は妙にしっかりしていた。
単なる悪ノリに見えて、その実、きちんと都市運営の文脈に繋がるよう整えられていく企画書。
そこにゴンタが「ここで限定販売!」「応援札!」「支部協賛印!」などと商魂たくましい案を書き足していくせいで、若干胡散臭さも混ざったが、それでも全体としては妙に完成度が高かった。
数十分後、一枚、二枚、三枚と書類をまとめ終えたポンが、最後に表紙を整え、綴じ紐を通す。
その隣でゴンタは、腕を組みながらうむうむと満足そうに頷いていた。
「……よし。これなら通るかどうかはともかく、読んではもらえそうですねぇ」
「読まれたら勝ちみたいなところあるでやんす」
「その発想はどうかと思いますけどねぇ」
だが、否定の声もどこか楽しげだった。
そして二人は、完成した企画資料を見下ろす。
表紙には、達筆すぎるポンの字でこう記されていた。
『クラウゼリア春季親睦催事企画書――境界都市美姫選定戦 開催案――』
ゴンタがにやりと笑う。
「これを長に送るでやんすよ」
その“長”の名は、もちろん一人しかいない。
境界都市クラウゼリアの中心に立つ男。
多種族をまとめ、誰よりも面倒事を引き受け、そしてだいたいこういう厄介事の最終判断を押しつけられる苦労人――バニッシュ。
ゴンタとポンは顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。
そして、クラウゼリアに新たな騒動の種を投げ込むことになるその企画資料は、長であるバニッシュのもとへと送られたのである。




