最強の一撃――深淵力封結界陣・解放《アビス・ドレイン・カージ・バースト》
ラギウスが立ち去った後、バニッシュは急激に力が抜ける感覚に襲われた。
――ふっ、と張り詰めていた緊張の糸が、音もなく切れたようだった。
「……っ」
バニッシュの膝が、崩れ落ち、ガクンと床に片膝をつく。
全身の力が抜けていく。
呼吸が荒く、胸の奥が焼けるように痛む。
(……終わった、のか……)
ほんの一瞬、そう思った。
だが――バニッシュは、歯を食いしばり、ふらつく身体を押し上げ、視線を巡らせる。
「黒牙……!」
倒れたまま動かない黒牙に、バニッシュは足を引きずるようにして駆け寄った。
「大丈夫か? 黒牙!」
「……ん……」
黒牙のまぶたが震え、ゆっくりと開く。
「……おじさん……?」
焦点の合わない目が、バニッシュを捉える。
「よかった……」
バニッシュは、ほっと息を吐いた。
黒牙は、痛む身体を押さえながら起き上がる。
「ごめん……おじさん……僕……何も……できなくて……」
悔しさと自責の念が、その言葉に滲んでいた。
「大丈夫だ。無事で良かった」
バニッシュは、優しく微笑む。
そして、手を差し伸べる。
「……うん」
小さく頷き、握り返した。
ぐっと力を込めて、引き上げられる。
二人はそのまま、歩き出す。
セレスティナと、リュシアの元に向かう。
セレスティナは、崩れ落ちたリュシアをしっかりと抱き支えていた。
「リュシアは……?」
バニッシュが、息を整えながら問う。
セレスティナは、ゆっくりと頷いた。
「先ほど……エリクシルを飲ませましたので……大丈夫です」
「……そうか」
バニッシュは、深く息を吐いた。
張り詰めていたものが、わずかにほどける。
胸の奥に溜まっていた不安が、少しだけ軽くなる。
リュシアの呼吸が落ち着いてきたのを確認し、ようやく場にわずかな安堵が戻る。
その空気を破るように、イリヤがぷくっと頬を膨らませた。
「それにしても、アイツ何なのよ!」
小さな身体でぷんすかと腕を振り回す。
「樹骸巨兵なんかよりも、よっぽど化物じゃない!」
先ほどの戦いを思い出したのか、肩を震わせながら声を上げる。
だが、その表情には恐怖だけではなく――どこか悔しさも滲んでいた。
「ああ……」
バニッシュは、ゆっくりと頷く。
「確か……英赫絆団とか言っていたな……」
「それって何なの?」
黒牙が首を傾げる。
「……聞いたことがあります」
静かに口を開いたのは、セレスティナだった。
その一言に、全員の視線が彼女へと集まる。
セレスティナは一度、記憶を辿るように瞳を伏せる。
「冒険者をしていた頃……当時所属していたパーティーの者たちが、よく話していました」
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「確か……冒険者ギルドが誇る、最強の四つのパーティー――その一つだったと思います」
その場に、わずかな沈黙が落ちた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
イリヤが慌てて声を上げる。
「冒険者ギルドって味方なんじゃないの!? 何で襲ってきたのよ!?」
最初にダンジョンの事を話した時、冒険者ギルドの事を聞かされていた為、イリヤは困惑したように問いかける。
「それは……分かりませんが……」
セレスティナは、困ったように首を振る。
バニッシュは、小さく息を吐いた。
胸の奥に、わずかな違和感が残る。
(……あの男)
ラギウス=ドラグニス――もし本当に冒険者ギルドに所属している者なら、何か目的があったはず。
もし、目的が同じであれば話合えば、戦う必要はなかったかも知れない。
だが――と色々と思考を巡らせる。
(……今は考えても仕方ないか)
思考を振り払うように、軽く首を振る。
そして、視線を前へと向けた。
「ここで考えていても仕方がない。とにかく、今は――迷宮核を」
広間の中央の巨大な台座の上に浮かぶ、紅い結晶。
禍々しく脈打つそれを、見上げる。
このすべての元凶。
これを破壊、あるいは制圧するのが目的だった。
「そうね! これでダンジョンは攻略ね!」
イリヤが小さな拳をぐっと握り、勢いよく腕を上げた。
――その時だった。
グォォオオオオオオオッ!!
地の底から響くような、雄叫び。
広間全体が、びりびりと震える。
「――っ!?」
全員の身体が、反射的に強張る。
空気が、一瞬で張り詰めた。
紅い迷宮核が、ドクン、と大きく脈打つ。
「この声は……!」
バニッシュの背筋に、冷たいものが走る。
「まさか……!」
セレスティナの声が、わずかに震えた。
「ウソ!? ウソでしょ!? そんな……!!」
イリヤは顔を青ざめさせ、小さな身体を強張らせる。
次の瞬間――ミシ……ミシミシ……!
広間へと続く一本道、その通路の天井が悲鳴を上げるように軋み始めた。
嫌な予感が、全員の胸を貫く。
「来るぞ……!」
バニッシュが叫ぶ。
――ドガァァァンッ!!
轟音とともに、天井が崩落した。
石と土煙が弾け飛び、その中から“それ”が姿を現す。
樹木と岩石が混ざり合った、巨大な異形――樹骸巨兵。
「まだ、動けたのか……!」
バニッシュの声に、驚愕が滲む。
「まさか……僕たちを追って……!」
黒牙が息を呑む。
「どんだけしつこいのよコイツ!!」
イリヤが悲鳴混じりに叫ぶ。
両腕は、リュシアとバニッシュたちの猛攻によって、焼き落とされ、斬り落とされ失われている。
それでもなお――ズ……ズズ……と、巨大な体躯を引きずりながら、地を這うように前進してくる。
まるで、執念だけで動いているかのように。
その虚ろな眼窩の奥に、なお消えぬ敵意が灯っていた。
「……っ!」
セレスティナは、ぎゅっとリュシアを抱きしめる。
まだ意識を取り戻していない彼女を庇うように、一歩も動けない。
「くそ……!」
バニッシュは歯を食いしばり、剣を構えた。
だが、その腕はわずかに震えている。
体力も、魔力も――先ほどの戦いでほとんど使い果たしていた。
胸の奥に残る鈍い痛み。
呼吸をするたびに、焼けるような感覚が走る。
「はぁ……っ……」
黒牙もまた、剣を構える。
だが、その足取りは重く、闇の揺らめきも先ほどのような鋭さはない。
それでも、二人は前に立つ。
「……来るぞ」
バニッシュが低く呟く。
ズ……ズズ……!
樹骸巨兵は、ゆっくりと距離を詰めてくる。
その巨体が動くたび、地面が震え、瓦礫が跳ねる。
両腕を失ってなお、圧倒的な質量と威圧感。
それが、容赦なく迫ってくる。
(……まずいな)
バニッシュは、内心で舌打ちする。
この状態で、あれを相手にするのは――あまりにも分が悪い。
連戦による消耗で全員が限界に近い。
ならば――とバニッシュは最後の賭けに出る。
ズズン――と、地を抉るような振動。
這い寄る樹骸巨兵の巨体が、目前に迫る。
「……っ!」
黒牙は歯を食いしばり、一歩前へ出ようとした。
「待て、黒牙」
だが、バニッシュの強く制する声。
「で、でも……!」
黒牙は振り返る。
その瞳には焦りと悔しさが滲んでいる。
「大丈夫だ」
バニッシュは、ゆっくりと前に出る。
「コイツは――俺がやる」
その言葉は、静かだったが、決して揺るがない確信が込められていた。
「……っ!?」
黒牙は何も言えず、拳を握りしめる。
バニッシュは一度、深く息を吐いた。
肺に残る痛み、軋む身体、限界は、とっくに越えている。
バニッシュは、ゆっくりと手をかざす。
かつて展開した結界、その真価を今この瞬間に解き放つ。
――深淵力封結界陣。
相手の“力”を吸収する結界。
吸い上げた力は、ただ消えるのではない。
内に蓄えられ、圧縮され――やがて一つの“奔流”となる。
そして、それは――バニッシュの中で渦巻く、膨大な力。
以前、吸収したカイルの力、そして、さっきの戦闘で吸収したラギウスの力。
「……ふぅー……」
もう一度、息を吐く。
震える腕を、強引に押さえ込む。
制御しなければ、自分ごと吹き飛ぶ。
(これが……最後の切り札だ)
視線の先には、樹骸巨兵が、目前に迫る。
その巨体が、押し潰すかの如く覆いかぶさる。
「――深淵力封結界陣・解放!!」
瞬間――轟ッッ!!
内に溜め込んでいた力が、解き放たれる。
黒き深淵と、荒れ狂う竜気が混ざり合った、歪な輝き。
圧縮された力の奔流が、一閃となって放たれる。
空間が裂ける。
地面が抉れる。
空気が、悲鳴を上げる。
一直線に――樹骸巨兵へと、突き刺さる。
――ズドォォォォンッ!!
光が巨体を呑み込み、その一閃は、容赦なく貫いた。
分厚い樹皮も、岩の装甲も、すべてを無意味とするかのように。
一直線に――樹骸巨兵の胴体を、貫通した。




