英赫絆団の影
「リュシア!!」
叫びと同時に、バニッシュたちが広間へと飛び込んできた。
その直前――イリヤは必死に羽ばたき、落ちてきた穴を目指していた。
「開いて……! 開いてよぉ……!」
小さな拳で、必死に壁となった天井を叩く。
パン、パン、と乾いた音だけが返る。
「お願い……! 開いてちょうだい!!」
涙で滲む視界の中、イリヤは渾身の力で――ダンッ!!
叩きつけた。
――ガコン。
その瞬間、鈍い音とともに、閉ざされていた穴がゆっくりと開いた。
「……っ!」
イリヤの目が見開かれる。
考えるよりも早く、羽を打つ。
穴から飛び出すと必死に下への道を探し回っているバニッシュたちがいた。
「わ~ん!! リュシアが……リュシアがぁ……!!」
涙声のまま、バニッシュたちの元へと飛び込んだ。
バニッシュたちもイリヤに気づき、駆け寄る。
ぐす、ぐすと涙声で話している内容は聞き取れなかったが、その様子からバニッシュたちは、すべてを理解した。
すぐに、再び開いた穴へと、一切の躊躇なく飛び込む。
そして――辿り着いた先で、目にしたものは、竜人族の一撃を受け、壁へと叩きつけられ、崩れ落ちるリュシアの姿だった。
「――っ!!」
次の瞬間、セレスティナの中で、何かが弾けた。
紺碧の魔力が、爆発する。
普段、冷静なセレスティナがみせる怒りの激情。
「――氷風穿矢!!」
弓が引き絞られ、解き放たれた矢は五、十と白藍の閃光が、一直線に空間を裂く。
風を纏い、氷を纏い、貫くためだけに研ぎ澄まされた攻撃が、間髪入れずに竜人族へと襲いかかる。
「……!」
竜人族は、その攻撃に気づき即座に反応する。
地を蹴り身体を捻りながら紙一重で矢を避ける。
放たれた矢は、着弾と同時に――ガシャンッ!! と鋭い音とともに床や壁を一瞬で凍りつかせた。
氷はただ広がるのではない。 結晶となって隆起し、刃のように尖り、空間そのものを封じるように侵食していく。
「……こいつは……古代魔法か……」
竜人族は、わずかに目を細めた。
だが――不意に、影が落ちる。
「――っ!」
竜人族が振り向く。
そこにいたのは――バニッシュだった。
「はああぁぁ!!」
振り下ろされる一閃に、竜人族は動じることなく半歩前に出る。
ガギィィィン!!
鈍い金属音が響き渡る。
振り下ろされた剣を、左腕で受け止めていた。
鱗と刃がぶつかり、火花が散る。
「セレスティナ! イリヤ! リュシアを頼む!!」
鍔迫り合いのまま、バニッシュが叫ぶ。
「はい!」
「わ、わかったわ!」
セレスティナとイリヤは即座に反応し、崩れ落ちたリュシアのもとへと駆け寄る。
「かっ! あの女の仲間か!」
竜人族が笑う。
「たああぁぁ!!」
黒牙が、横合いから斬り込んできた。
だが、竜人族は、せり合っていたバニッシュの剣を、軽くいなし、流れを逸らす。
「――っ!」
体勢が崩れるバニッシュに竜人族の膝が、バニッシュの腹にめり込む。
「ぐっ……!!」
続けざまに、裏拳が叩き込まれ、バニッシュの身体が宙を舞い、吹き飛ばされる。
「おじさん!!」
黒牙が叫ぶ。
「よそ見してんじゃねぇ!」
「っ!?」
竜人族の足が、黒牙の腹へと突き刺さった。
――ドォンッ!!
「がはっ……!!」
黒牙の身体もまた、弾き飛ばされる。
床を転がり、壁へと叩きつけられる。
吹き飛ばされたバニッシュは地面を蹴り、無理やり体勢を立て直した。
肺の奥に残る衝撃を押し殺し、即座に魔力を練り上げる。
「――加速陣!!」
足元に複雑な魔法陣が展開され、白銀の光が爆ぜる。
バニッシュ自身の感覚が、極限まで引き延ばされる。
「――魔纏憑鬼!!」
黒牙もまた、立ち上がると同時に闇を纏った。
揺らめく影が身体に絡みつき、輪郭が曖昧になる。
――二人は同時に、動いた。
バニッシュは地を蹴り、加速された身体が、一直線に竜人族へと迫る。
「はああぁぁ!!」
「かっ!」
竜人族は、口角を吊り上げた。
バニッシュの振り下ろす斬撃に対し、左腕を回し、回し受けによって刃は逸らされ流す。
そして、そのまま左肘が、バニッシュの顎を捉えた。
「っ……!!」
視界が揺れる。
怯んだ、その一瞬に竜人族の身体が沈み込む。
――ズドンッ!!
左肩から、全身の力を乗せた体当たりで、バニッシュの身体が、再び弾き飛ばされた。
だが、その背後から影が迫る。
黒牙は闇に溶けるように、音もなく、気配も薄く、竜人族の背後へと回り込む。
振り向きざまに、竜人族は脚を振り抜いた。
――ブォンッ!!
だが――黒牙の身体を、蹴りは通過した。
まるで霧を蹴ったかのように実体が伴っていない。
「鬼人族の種族特性か」
竜人族が低く呟く。
「――影牙斬!!」
黒牙の刃が、影を狙う。
だが、竜人族の姿が――消えた。
「っ!?」
黒牙の刃は空を切り、床に叩きつけられ、石を抉る。
そして、竜人族は、跳躍により空中にいた。
そのまま空中で身体を捻り、二連撃の回し蹴りで、今度は黒牙の実体を捕らえたかのように、黒牙の身体が弾かれ床を転がる。
バニッシュは、ぐらりと身体を揺らしながらも――それでも、立ち上がった。
荒い呼吸、軋む全身、それでも、その瞳はまだ死んでいない。
「……まだ、だ……!」
歯を食いしばり、再び地を蹴る。
だが、その動きは――明らかに鈍っていた。
加速陣による強化で無理やり底上げされているものの、肉体の疲労は隠せない。
踏み込みも、剣速も、ほんのわずかに遅い。
竜人族は、構えすら取らなず、ただ軽く身体を逸らすだけで避ける。
「身体強化でマシになったとはいえ――この程度じゃ、俺は倒せねぇ」
その言葉と同時に――ドンッ!! と左拳が、バニッシュのみぞおちにめり込んだ。
「ぐっ……!!」
身体がくの字に折れる。
竜人族は、流れるように、左手を引き掌底を繰り出す。
「――鏡律封陣!!」
その瞬間に、バニッシュが咄嗟に魔法陣を展開する。
光の結界が、身体の前に張られる。
竜人族の掌が、ぴたりと止まる。
結界に触れる寸前で、動きを止めていた。
「な……!?」
バニッシュの目が見開かれる。
竜人族は、武術の型と共に、左手に、竜活気を集中させる。
――バンッ!!
掌が、結界へと叩きつけられた。
――パキンッ。
バニッシュの結界が音を立てて、砕けた。
「結界破壊……!?」
バニッシュが愕然とする。
しかし、止まることなく竜人族の脚がしなる。
――ドォンッ!!
前蹴りが、直撃した。
「がっ……!!」
バニッシュの身体が、宙を舞う。
そのまま、後方へと吹き飛ばされ、床へと叩きつけられた。
衝撃が広間に響く。
砂塵が舞い上がる中、竜人族はゆっくりと足を下ろした。
「かっ! 二人がかりでこの程度かよ!」
竜人族は肩を鳴らし、愉快そうに笑った。
「これなら――さっきの女の方が強かったぜ!」
「……っ!」
バニッシュは、口元から垂れる血を手の甲で拭った。
ゆっくりと、身体を起こす。
「なんて奴だ……」
吐き出すように呟く。
(今の動き……)
頭の中で、戦いの流れを再構築する。
バニッシュの鏡律封陣を、触れる前に寸止めることで避け、即座に破壊へと切り替えた。
つまり、バニッシュの結界の特性を戦いの経験か、あるいは野生的な勘なのか、見切ったということだ。
そして――黒牙の魔纏憑鬼。
本来、闇魔法と同化し半実体となった黒牙に、物理的な攻撃は通じないはず。
それを捉え攻撃を当てたのだ。
「種族特性……」
バニッシュが低く呟く。
その言葉に、竜人族の口角が吊り上がった。
「お、よく気づいたな。そうだ――これが俺の種族特性」
ゆっくりと拳を握る。
筋肉が軋み、鱗が微かに鳴る。
「――竜活気」
その言葉と同時に、空気がわずかに震えた。
「体内を巡る“気”を操る俺にとっちゃあ――魔法による結界だろうが、魔法を取り込んで半実体になろうが――関係ねぇ」
純粋な生命の力を極限まで鍛え上げた結果の力。
「さて――トドメといくぜ」
竜人族が、一歩踏み出す。
その瞬間――きらりと、小さな光が弾けた。
「……?」
竜人族の眉がわずかに動く。
――きらり、きらり、自分の身体から、光の粒が零れ落ちている。
「なんだ……?」
身体の奥から、何かが抜けていく違和感に、竜人族は、はっとして視線を上げた。
深淵の膜のようなものが、広間全体を覆っていた。
「――……これは」
竜人族の目が細められる。
バニッシュは、ゆっくりと息を吐いた。
その足元には、幾重にも重なった魔法陣。
「――深淵力封結界陣」
低く、呟く。
その瞬間、竜人族の身体から、力が吸い出されていく。
「かっ! 力を吸収する結界とはやるじゃねぇか!」
竜人族は愉快そうに笑った。
だが、その笑みの奥に――わずかな苛立ちが混じる。
「――だがな」
両手を、ゆっくりと腰に据える。
深く、息を吸うと全身の筋肉が軋み、鱗が鳴る。
「――竜活破ぁぁぁッ!!」
咆哮と同時に――体内を巡る気が、爆発した。
――ドォォォンッ!!
放たれた竜活気は、衝撃波となって周囲へと叩きつけられる。
爆風のように広がり、空気を引き裂き、地を震わせる。
――バキィィンッ!!
深淵力封結界陣が、砕け散った。
「な……――!」
バニッシュの目が見開かれる。
「――深淵力封結界陣が……!」
現状、バニッシュが展開できる中で最強の結界。
それが――いとも簡単に、力で破壊された。
思考が、一瞬だけ止まる。
その隙に竜人族は、バニッシュの目の前まで来ていた。
一瞬の出来事でバニッシュも反応が遅れる。
そして――掌が、突き出される。
――ドンッ!!
リュシアを打ち倒した、あの一撃をバニッシュの胸に打ち込む。
――ドォンッ!!
遅れてくる衝撃が内側から爆ぜた。
「ごはっ……!!」
血が噴き出す。
骨も、臓も、まとめて叩き壊すような衝撃で、バニッシュの身体が崩れ落ちる。
竜人族は、その姿を見下ろす。
「もう終わりか?」
「……っ」
バニッシュの指が、動いた。
胸を押さえながら、床に手をつく。
――ガリッと、石床を削るように、指が食い込む。
「……まだ、だ……」
血を吐きながら、絞り出す声。
竜人族は、ふんと鼻を鳴らす。
「じゃあ――後はあの女をやって終わりだな」
その視線の先には――セレスティナがいた。
腕の中には、意識を失ったリュシア。
その瞳が、真っ直ぐに竜人族を睨み返す。
「……ま、待て……」
かすれた声が、響いた。
竜人族の足が止まり振り返ると、バニッシュが、立ち上がっていた。
「俺の……仲間に……手を出すな……!」
歯を食いしばり、睨み上げる。
「かっ!」
竜人族は笑った。
「よく立ち上がったと言いたいところだが――そんな状態で、何が出来る?」
「……みんなは……俺が……守る……!!」
「だったら――しっかり守ってみやがれ!!」
竜人族の左拳が、唸りを上げて放たれる。
対して――バニッシュは、前に出た。
満身創痍の身体で、もはや踏み込む力すら残っていない。
避けることも、防ぐこともできない。
直撃、するはずだった拳は、ほんの僅かに軌道が逸れ、バニッシュのこめかみを紙一重にかする。
竜人族の目が見開かれる。
(避けられた……? いや――俺の身体が、流れたのか?)
だが、それも違う。
違和感は、そこではない。
もっと根源的な“何か”。
竜人族は、瞬時に理解する。
これは――避けたわけでもなく、身体が流れたのでもない。
――“逸れさせられた”のだ。
まるで、世界そのものが、その一撃を“外すように導いた”かのように。
視線が、バニッシュへと向く。
その身体が――淡い光に包まれていた。
そして――その瞳、静かで、揺るがない光を宿したその目は、竜人族のよく知る“それ”と、同じだった。
「……ッ!」
竜人族の脳裏に、過る。
血と誓いで結ばれた、冒険者ギルド最強のパーティー――英赫絆団。
その頂点に立つ男――アーク=ライオット。
「これは……アークと同じ……」
竜人族は回し蹴りを放つ。
空気を薙ぎ払う一撃は確実に捉えたはずの軌道だがそれすらも、逸れた。
「……なっ!?」
初めて、竜人族の表情に困惑が浮かぶ。
そして――バニッシュは迷いなく振り上げられる剣は淡い光を纏い、残光の軌跡を残す。
――ザシュッ!!
竜人族の肩を、斬り裂いた。
「ぐっ……!」
鮮血が舞い竜人族が、後退する。
ほんのわずかだが――確かに、距離を取った。
「こいつ……」
竜人族が、低く唸る。
「まさか……――天選者か……?」
その言葉が、静かに空間へと落ちた。
「くっくくく……」
低く、喉の奥で笑いが漏れる。
やがてそれは堪えきれず――
「はーはははははッ!!」
広間に響き渡る哄笑となった。
竜人族は、血の滲む肩を気にも留めず、愉快そうにバニッシュを見据える。
「まさか……こんな所で、アークと同じ――天選者と出会うとはな……!」
その目が、ぎらりと輝く。
「いいぜ……」
ゆっくりと足を開き、重心を落とす。
これまでとは違う。
明確な構えをみせる。
「なら――俺も本気でやらせてもらうぜ!!」
空気が変わる。
圧が増し、竜活気が、さらに濃く、重く、場を満たしていく。
「……っ」
バニッシュもまた、剣を握り直し、身構える。
本気の竜人族を相手に最後の死闘を繰り広げようとしていた。
その瞬間――ポーンと、場違いな音が響いた。
まるで、呼び鈴のような軽い音が――ポーン、ポーンと鳴り続ける。
一瞬、空気が止まる。
竜人族の眉がぴくりと動いた。
そして、深いため息を吐く。
「チッ……」
懐へと手を入れ、取り出したのは小さな水晶。
淡く光を放つそれを、鬱陶しそうに見つめる。
「何だ――?」
ぶっきらぼうに応答する。
『――何だ、じゃないでしょーが!!』
水晶から、甲高い女性の怒声が炸裂した。
「っ……!」
鼓膜をつんざくような声量に、竜人族は思わず顔をしかめる。
そして、うるさそうに左の小指で耳を塞いだ。
『貴方、今どこにいるの!?』
「あー……?」
面倒くさそうに頭をかきながら答える。
「んなもん――ダンジョンの最深部に決まってんだろ」
『はあ!?』
水晶の向こうで、女性が絶叫する気配が伝わる。
『何で一人でそんなとこまで行ってるのよ!?』
「んなもん……成り行きだ」
口元に、にやりと笑みを浮かべて応える。
『貴方って人は……!!』
ワナワナと怒りを堪えるような声が震える。
『あ~、ラギウス』
今度は、その怒声を遮るように、落ち着いた青年の声が水晶から響いた。
『とりあえず、戻って来てくれないか?』
「あぁ!?」
竜人族――ラギウスは、露骨に不満げな顔をする。
「今、いいところなんだよ!」
視線をバニッシュへ向けて、不満そうに声を荒げる。
『頼むよ』
だが、その青年の声は穏やかでありながら、どこか“逆らえない”響きを持っていた。
ラギウスは、しばし黙る。
「……はぁ」
深いため息を吐き。
「……わかったよ、リーダー」
渋々といった様子で、そう答えた。
『じゃあ、俺たちは地上で待ってるよ』
『いいからさっさと戻って来なさいよ!!』
青年の声と、女性の怒鳴り声が重なる。
そして、通信が切れたように、水晶の光がすっと消えた。
「チッ……」
竜人族――ラギウスは舌打ちをひとつ。
手にしていた水晶を乱暴に懐へと押し込み、くるりと背を向けた。
そのまま、何事もなかったかのように歩き出す。
「ま、待て……!」
バニッシュのかすれた声が、背中へと投げられる。
「何処に行くんだ……!?」
「あぁ?」
ラギウスは足を止めることなく、わずかに首だけを傾けた。
「招集がかかったから帰るんだよ」
当然のように、そう言い放つ。
その言葉に――バニッシュは一瞬、言葉を失った。
それでも、歯を食いしばり、問いを投げる。
「お前は……いったい何なんだ……!?」
その声に、ラギウスの足が止まった。
「俺か?」
ゆっくりと、振り返り、口元が吊り上がる。
「俺は――英赫絆団の一人、ラギウス=ドラグニスだ」
「――英赫絆団……?」
バニッシュが、呆然と呟く。
「そうだ」
ラギウスは軽く肩を鳴らす。
そして、にやりと笑った。
「ついでだ。お前の名前を聞いといてやる」
視線が、真っ直ぐにバニッシュを射抜く。
バニッシュは、ゆっくりと息を吸った。
「……バニッシュ=クラウゼンだ……」
「バニッシュ……」
ラギウスはその名を一度転がすように呟き――
「かっ! 覚えといてやる。お前らとは――また何処かで出会えそうだ」
そう言い残し、ラギウスは踵を返す。
――トン。
軽く地を蹴った、その瞬間、その姿は――掻き消えた。
広間には、静寂が戻る。
残されたのは――戦いの爪痕と重く刻まれた、圧倒的な差の記憶だけだった。




