負けない、その果てに――
リュシアは荒い呼吸のまま、ゆっくりと腰へ手を伸ばした。
指先が触れたのは、小さなガラス瓶――エメラルド色に輝く液体。
オルムから受け取った完全回復薬。
「……っ」
栓を引き抜き、そのまま一気に――飲み干す。
喉を通った瞬間、全身に熱が駆け巡った。
まるで内側から光が爆ぜるような感覚に、砕けた骨が、軋みながら繋がっていく。
尽きかけていた魔力が、奔流となって満ちていく。
「はぁ……っ!」
リュシアは腕で口元を拭った。
ゆっくりと、右腕を握り込む。
「かっ!」
竜人族が喉の奥で笑った。
「これだけの力の差を見せつけられて――まだ立ち上がるか」
楽しげな声で、それはまるで、強い玩具を見つけた子供のように。
「当たり前でしょ」
リュシアは口角を上げる。
その笑みは、どこか挑発的で――そして、わずかに無理をしている。
「私は、アンタなんかに負けない」
その瞳は、折れていなかった。
「かっ!言うじゃねぇか」
竜人族の目が細まる。
リュシアは、すでに次の魔力を練り上げていた。
「――煉獄爆炎衝!!」
再び、紅蓮の爆炎が解き放たれる。
轟音と共に、炎が竜人族を呑み込む。
視界が、真紅に染まる。
「――今よ! イリヤ!! 行きなさい!!」
リュシアの叫びが、爆炎の中に響いた。
「っ……!」
イリヤは一瞬だけ振り返る。
涙で滲む視界の中、リュシアの背中が見えた。
イリヤは歯を食いしばり、羽ばたき、一直線に落ちてきた穴へと向かって飛び出す。
「無駄だってんだろ!!」
爆炎の中から、竜人族の声が響いた。
空気を吸い込み、その胸が大きく膨らむ。
「――ぶぅぅぅううっ!!」
吐き出された息は、圧縮された衝撃の奔流のように爆風が、爆炎を打ち消した。
紅蓮の炎が、吹き散らされる。
「ぐっ……!」
リュシアは咄嗟に腕を顔の前に構え、爆風に耐える。
足が床を削り、後ろへ押し戻される。
「かっ! あの小さい奴は逃げたのか?」
「追わせはしないわよ」
リュシアは顔を上げ、睨みつける。
「追ったりはしねぇよ。俺は弱い奴には興味がねぇからな」
竜人族は肩をすくめる。
「さて……」
竜人族は、ゆっくりと首を鳴らした。
ゴキリ、と鈍い音が響く。
「邪魔者もいなくなったし……さっきの回復薬で傷も治ったんだろ?」
視線が、リュシアへと固定される。
その問いに、リュシアは何も答えない。
ただ、魔力を静かに巡らせる。
「そろそろ――本格的に、おっ始めようか」
竜人族が、初めて“構えた”。
足を開き、重心を落とす。
両腕が、無駄のない位置に収まる。
圧が、段違いに重くなる。
リュシアの背筋に、冷たいものが走る。
それでもリュシアは、笑った。
「……望むところよ」
紅蓮の魔力が、再びその身に灯る。
「――煉獄爆華陣!!」
リュシアの詠唱と同時に、竜人族の足元へ巨大な魔法陣が展開される。
幾重にも重なった術式が回転し、地面から炎が噴き上がる。
巨大な紅蓮の華が、竜人族を中心にして開花する。
花弁のように広がる炎が、包み込み、焼き尽くす。
リュシアの誇る最強級魔法の一つ。
「竜震脚!」
竜人族は、深く腰を落とした。
ドォンッ!!
踵が大地を打つ。
衝撃が、地を奔り、石床が放射状に砕け、遅れて衝撃波が爆ぜる。
その余波で、紅蓮の華は引き裂かれ、吹き飛ばされた。
「――っ!」
リュシアの魔法が、崩壊する。
だが、リュシアはすでに、次の魔法を完成させていた。
「煉獄爆炎弾!!」
極限まで圧縮された魔力は、太陽を思わせる巨大な炎の弾丸が、轟音とともに放たれる。
直撃すれば、広範囲を焼き尽くす殲滅級の一撃。
「竜閃手」
竜人族の腕が、振るわれた。
手刀によるその一閃は鋭利な刃のように空間を断ち――
ズバァッ!!
火球は、十字に裂かれ四散した炎が、無秩序に爆ぜる。
「……くっ!」
リュシアの息が詰まる。
竜人族が地を蹴り、高速で一気に距離を詰めてくる。
その圧に対し、リュシアは即座に符を叩きつけた。
「――転移!」
セレスティナから貰っていた転移符。
光が弾け、リュシアの姿がかき消える。
次の瞬間、数メートル後方へと転移する。
「――爆炎翔衝!!」
間髪入れず、追撃を放つ。
紅蓮の奔流が再び一直線に放たれる。
だが――竜鱗回受。
再び、爆炎はねじ曲げられ、弾き飛ばされる。
「はぁ……っ、はぁ……っ……」
リュシアは肩で息をする。
大魔法の連発による魔力の消耗は激しい。
だが、その瞳はまだ死んでいない。
竜人族は楽しげに笑う。
「かっ! 大技の連発とはやるじゃねぇか!」
肩を鳴らしながら、言葉を続ける。
「なかなかの魔力だ。あの《《ババア》》よりやるんじゃねぇのか!?」
嘲るようでいて、どこか本気で感心している声音。
「だが、バカの一つ覚えのような攻撃じゃ、俺は倒せねぇぜ!」
「はぁ……はぁ……」
リュシアは呼吸を整えながらニヤリと、笑った。
「バカは……そっちよ」
「……何?」
竜人族の目が細まる。
その瞬間――気配に気づき竜人族は、ゆっくりと視線を巡らせた。
「……こいつは」
広間の空間を埋め尽くすように――無数の小さな火球がいつの間にか、漂っていた。
「これなら……流石に防ぎきれないでしょ!! ――煉獄火球陣!!」
リュシアが、ぐっと手を握ると同時に――空間を埋め尽くしていた火球が、一斉に動いた。
四方八方、縦横無尽に不規則な軌道で、竜人族へと殺到する。
竜人族は、静かに息を吐いた。
そして、両足を踏みしめ、武術の型ををとる。
全身が、一つの武へと収束する。
「かはぁ……」
深く、息を吸い。
そして、迫り来る火球を、竜人族は一つ残らず叩き落としていく。
まるで舞うように、流れるように、無数の火球を一つ残らず落とし切る。
「う……ウソでしょ……」
リュシアは、目を見開いたまま呟いた。
無数の火球による全方位攻撃――そのすべてを叩き落とされた。
リュシアはただ唖然とする。
その視線の先で、竜人族の動きが変わった。
まるで時間が引き延ばされたかのように、スローモーションのような動作。
「……何……?」
リュシアが眉をひそめた、その瞬間、目の前にいた。
緩急をつけてた動きにより、リュシアは反応すらできなかった。
「今度の一撃は――ちっとばかりキツいぜ」
竜人族は静かに低く告げる。
そして、衝掌打がリュシアの腹部へ、正確無比に叩き込まれる。
その衝撃はなく、一瞬、世界が止まったかのような気さえした。
何も起きていないようにすら思えた、その刹那――ドォンッ!! と衝撃が遅れて爆ぜた。
「――がはっ……!!」
身体の内側を衝撃が突き抜ける。
まるで体内で爆発が起きたかのような痛み。
内臓が軋み、骨が震え、血が逆流する。
口から、大量の血が溢れ、ボタボタと床へ落ちる。
そのまま、ゆっくりと倒れた。
竜人族は、何事もなかったかのように構えを解いた。
「竜活気――俺達、竜人族の種族特性だ」
拳を軽く握り、解く。
「体内の“気”を放ち、相手の内部に衝撃を貫通させる。これをくらったら……」
ちらりと、倒れたリュシアを見る。
「流石に立ち上がれねぇだろ」
「……ぐ……」
リュシアは、わずかに身体を震わせた。
だが、声を発することができず、呼吸すらまともにできない。
「……終わりだな」
竜人族は、興味を失ったように背を向けた。
「さて……俺もやることをやって……」
ぶつぶつと呟きながら、遠ざかっていく。
その背中が――やけに遠く感じた。
(……ま、け……たく……ない……)
リュシアの意識が、沈んでいく中で、願うように叫ぶ。
(力が……欲しい……)
イリヤと約束をした。
絶対に負けないと、そして、ダンジョンを何とかすると、リュシアは薄れゆく意識で思い返す。
(アイツに……勝てるだけの力が……欲しい……!)
その為に願うように叫ぶ。
意識の奥で、脳裏に焼き付いた光景が浮かぶ。
――暗闇の中、闇に溶けるような玉座に、肘掛けに肘を預け、頬杖をつく、魔王モンプチ。
リュシアの父であり、世界の脅威となる存在。
ゆっくりと顔を上げ、その口元がニヤリと歪む。
リュシアは、手を伸ばした。
それは、自身の中に眠る魔王から受け継ぎし、崩壊と災厄の力。
これまで何度もその力を解放しては、破壊し、壊してきた。
力は徐々に増し、制御できず、何よりいずれ力に呑み込まれ、大切な場所も人も何もかもを壊してしまうのではないかと、恐れていた力。
その力に頼りたくない、頼ってはいけないだが――それでも、リュシアは手を伸ばしてしまう。
勝つ為に、その手で闇を掴んだ。
ズドオォンッ――!!
爆発のような轟音が、広間全体を揺るがした。
空気が震え、空間が軋む。
その中心で――倒れていたはずのリュシアの身体から、異質な魔力が噴き出した。
それは、紅蓮とも闇とも違う。
濁り、淀み、しかし圧倒的な密度を持つ――崩壊と厄災の力。
魔力は柱となり、天井へと突き抜ける。
床が軋み、壁が震え、結晶の光さえ揺らぐ。
広間が、悲鳴を上げているかのようだった。
背を向けていた竜人族が、即座に振り返る。
「な、何だこりゃぁ……!」
その目に映ったのは立ち上がる、リュシア、いや、溢れ出る魔力によって浮いている。
そして何より――さっきとは、明らかに違う。
竜人族の全身に、ビリビリと圧が伝わる。
肌を刺すような威圧、骨の芯にまで届く、異様な魔力の密度。
俯いていたリュシアの顔が、ゆっくりと上がる。
赤と琥珀のはずのそれは――黒紫の光を帯びていた。
キッ、と竜人族を睨みつけた、その瞬間――
ドンッ!!
見えない衝撃が、空間を叩いた。
「っ――!?」
竜人族の身体が、わずかに沈む。
空気そのものが押し潰されるような圧力。
リュシアの腕が、ゆっくりと持ち上がり、その手のひらが、竜人族へと向けられた。
次の瞬間――黒紫の炎が、解き放たれた。
崩壊の力を孕んだ爆炎。
「竜鱗回受――!!」
バキィンッ!!
「なっ!?」
受け流すはずの衝撃が、逆に自分を弾き飛ばす。
黒紫の爆炎は、そのまま直進した。
ズガァァァァァッ!!
床を抉り、石壁がまるで炭のように崩れ落ちる。
存在そのものを崩壊させ壊していく。
黒く焼け焦げるのではない。
存在そのものが、崩れていく。
竜人族は、弾かれた腕へと視線を落とした。
ビリビリと――骨の奥にまで残る衝撃。
それを確かめるように、ぐっと拳を握り込む。
「……くっくくく……」
喉の奥で笑いが漏れる。
「はーははははっ!!」
甲高い笑いが、広間に響き渡った。
「いいじゃねぇか!!」
その顔は歓喜に歪んでいる。
「まさか、これだけの力を隠し持ってたとはな!」
口角が吊り上がる。
竜人族は、再び構えをとった。
「負けない……」
リュシアは独り言のように呟き、黒紫の魔力が、さらに濃くなる。
「私は……負けない!!」
両手を掲げ、そこへ溢れ出る崩壊と厄災の力が収束していく。
紅蓮の魔力と、黒紫の力が混ざり合う。
「――崩滅爆炎翔衝!!」
放たれたそれは、もはや炎ではなかった。
紅蓮の中に、黒紫が絡みつき、触れた空間そのものを崩壊させながら、奔流が一直線に突き進む。
「見せてやる!! ――竜人族の武術、その奥義の一つを!!」
竜人族は体内に巡る竜活気を爆ぜさせる。
そのすべてを圧縮し、右腕へと収束させる。
凝縮された気が、熱を帯びた光となって腕を包む。
「天鱗武闘奥義――竜旋破衝!!」
踏み込みと同時に床が砕け、放たれた拳から螺旋の衝撃が放出される。
――ドゴォォォォォンッ!!
黒紫の奔流と、竜の螺旋がぶつかる。
空間が悲鳴を上げる。
互いに押し合い、削り合う。
広間全体が揺れる。
天井の結晶が砕け、光が乱れる。
「ぐ……ぐく……!」
竜人族の足が、わずかに沈む。
「ずぅぇやあぁぁぁぁ!!」
咆哮と共に、筋肉が膨れ上がる。
竜活気が爆発的に増幅し、螺旋がさらに加速する。
――バキィィンッ!!
黒紫の奔流が弾かれ、螺旋がそれを飲み込みながら突き進む。
「――っ!?」
リュシアの瞳が見開かれる。
螺旋の拳が、腹部へと叩き込まれた。
「――がっ……!!」
身体がくの字に折れ、内部から衝撃が突き抜ける。
そのまま壁へと吹き飛ばされ、叩きつけられるように激突する。
ズガァァァァッ!!
その衝撃で壁が螺旋状に抉られる。
石が砕け、粉塵が舞う。
その中心で――リュシアの身体が、崩れ落ちた。
口から血が溢れ、白目がわずかに剥く。
静寂が、広間を包む。
竜人族は、ゆっくりと拳を下ろした。
荒い息を一つ吐く。
だが、その表情には――満足と、わずかな名残惜しさが浮かんでいた。




