立ち塞がる巨兵――樹骸巨兵《トレント・レヴナント》
短い休憩を終え、バニッシュたちは再びダンジョンの奥へと歩みを進めた。
このダンジョンは、ただ横に広がるだけではなかった。
一定の場所まで進むと、必ず次の階へと降りる階段が現れる。
つまり――明確に階層を持っている。
しかも、その一階層ごとの規模が異様に広い。
浅い階層ですら、通常の迷宮であれば一つ二つの区画に分かれていてもおかしくないほどの面積があった。
それが下へ進むほど、構造は複雑に、そして空気は濃密になっていく。
さらに厄介なのは――下層へ降りるごとに、現れる魔物や魔獣の強さも明らかに増していることだった。
ただ数が多いだけではない。
動きは鋭くなり、連携も巧妙になり、個体ごとの能力すら強まっている。
だが、それでもバニッシュたちは崩れなかった。
セレスティナが先制して敵を射抜き、黒牙がその隙を逃さず前へ出る。
バニッシュは結界で味方を守り、時に黒牙と共に前衛として敵を斬り、リュシアが高火力の魔法で戦況を決定づける。
イリヤは戦えないながらも、皆を応援していた。
連携は、階層を下るほどにむしろ洗練されていく。
そして――気づけば、五階層にまで到達していた。
「……何ここ?」
最初に声を漏らしたのはリュシアだった。
眉をひそめ、周囲を見渡す。
これまでの階層は、いずれも迷宮らしく入り組んだ構造をしていた。
曲がり角があり、分岐があり、視界の先が読めない通路が続いていた。
だが、この五階層だけは、ただ一つの、巨大な空間が広がっているだけだった。
柱も壁もほとんどなく、見渡す限りだだっ広い。
まるで迷宮の中に、ぽっかりと巨大な広間だけをくり抜いたような場所だった。
「前の階とは違って、随分だだっ広い所ね」
「わからんが……気をつけろよ。どんな危険があるかわからないからな」
バニッシュはすぐに表情を引き締めた。
「わかってるわよ」
リュシアはそう返すものの、その声にはどこか軽さがあった。
「でも、これだけ見通しがいいなら、多少のことなら反応できるでしょ」
確かに、視界は良く、これまでのように死角から飛び出される心配は少ない。
だが――バニッシュは、逆にその“見えすぎること”に嫌な予感を覚えていた。
広い空間、隠れ場所のない構造、それはつまり、何か“大きなもの”が動き回るための場所でもある。
「あ、あそこに……!」
黒牙が、はっとしたように指を差す。
「次の階段がある!」
全員の視線が、その先へ向いた。
確かに――広間のちょうど反対側に、下へと続く階段が見えていた。
そこだけが、まるで「ここを通れ」と言わんばかりに開かれている。
「じゃあ、さっさと抜けちゃいましょ」
リュシアが歩き出す。
その言葉に、セレスティナも黒牙も頷き、バニッシュも周囲を警戒しながら後に続いた。
広間の床は、岩盤むき出しではなく、どこか黒ずんだ土と石が混ざり合ったような不気味な質感をしていた。
踏みしめるたびに、わずかに振動が返ってくる。
広い空間のはずなのに、足音が妙に吸い込まれていくようだった。
バニッシュは無意識に歩幅を落とす。
――ちょうど広間の真ん中辺りまで来た、その瞬間。
グォォオオオオオオオッ!!
腹の底を揺さぶるような、凄まじい雄叫びが空間全体に轟いた。
空気が震え、地面が揺れる。
耳ではなく、骨に響くような咆哮だった。
「っ!?」
リュシアが即座に足を止め、セレスティナが弓へ手をかける。
黒牙も反射的に剣を抜き、イリヤはリュシアの胸元へ潜り込むように身を隠した。
その瞬間、バニッシュの背筋に、ぞわりと悪寒が走った。
――来る。
バニッシュは反射的に顔を上げた。
暗い天井の遥か上――そこに、巨大な影があった。
「上だ!!」
バニッシュが叫んだその直後――ズドォォォォォンッ!!
耳をつんざく轟音とともに、巨大な何かが上から叩き落ちた。
衝突の瞬間、凄まじい土煙が巻き上がり、広間全体が震える。
衝撃波が、空気を叩きつけるように広がった。
バニッシュたちは咄嗟に腕を顔の前へ構え、その爆風に耐える。
「くっ……!」
風圧で髪が乱れ、細かな土砂が肌を打つ。
だが――それは、ただの“塊”ではなかった。
土煙の向こうから現れたのは、樹木と岩石が無理やり融合したような異形。
ねじれた幹が筋肉のように絡み合い、岩が甲殻のように全身を覆っている。
腕は巨木そのもので、肩から背にかけては、尖った岩塊が幾重にも突き出していた。
その姿は、まるで樹と石で造られた巨人。
しかも、その体長は八メートルを優に超えている。
「な、何よ……コイツ!?」
リュシアが土煙の向こうを睨み、思わず声を上げる。
セレスティナも、弓を構えたまま息を呑む。
黒牙は剣を握る手に力を込めた。
イリヤに至っては、言葉もなく震えている。
「……樹骸巨兵……!」
バニッシュが低く呟く。
その名を、直感的に口にする。
樹骸狼とは比べものにならないほどの異質さ。
まるでこのダンジョンそのものが形を持って立ち上がったかのような存在感だった。
「こいつが……」
バニッシュは唇を引き結ぶ。
「このダンジョンの主なのかもしれん……!」
そう考えるしかないほどの威圧感があった。
だが、考える時間など与えてはくれない。
次の瞬間――樹骸巨兵が、鈍く唸るような音を立てながら腕を振り上げた。
その動きは巨体に似合わず速く、巨木のような腕が、空気を引き裂きながら上へ持ち上がる。
「まずい!!」
バニッシュの声が走る。
「避けろ!!」
その叫びを合図に、全員が一斉に散る。
ドゴォォォォンッ!!
振り下ろされた一撃が、大地そのものを叩き割る。
広間の床が砕け、破片と衝撃波が爆ぜる。
「っ!!」
直撃は避けたはずなのに、その余波だけで身体が持っていかれる。
バニッシュは結界を張る間もなく吹き飛ばされ、地面を転がる。
リュシアも体勢を崩し、セレスティナは壁際まで弾き飛ばされ、黒牙は剣を地面へ突き立ててどうにか勢いを殺す。
土煙の中で、樹骸巨兵が、再び咆哮を轟かせた。
グォォオオオオオオッ――!!
広間全体が震える。
その巨体が、余波で吹き飛ばされたバニッシュたちを見下ろしながら、間髪入れずに次の一撃を叩き込もうと腕を振り上げる。
まるで、こちらに立て直す隙など一切与えぬと言わんばかりの猛攻だった。
「この……!」
リュシアが歯を食いしばる。
吹き飛ばされた勢いを殺しながら足を踏み込み、その場に立ち直った。
「舐めるんじゃないわよ!!」
次の瞬間、彼女の全身から紅蓮の魔力が噴き上がる。
空気が熱を帯び、周囲のピカリ苔の光すら赤く染まって見えた。
魔法陣が幾重にも展開される。
リュシアは両手を前へ突き出した。
「――爆炎翔衝!!」
轟、と放たれた爆炎は、紅蓮の奔流となって一直線に伸び、空間そのものを焼き裂くように樹骸巨兵へ向かって突き進む。
熱風がバニッシュたちの頬を打つ。
樹骸巨兵は、その攻撃を避けようともしなかった。
むしろ真正面から迎え撃つように、振り上げた巨腕をそのまま振り下ろす。
――ドゴォォォッ!!
紅蓮の爆炎と、巨兵の拳が正面から衝突した。
爆ぜる火花。
揺れる空気。
広間の床が二つの力の激突に耐えきれず、ひび割れていく。
「ぐっ……!!」
リュシアの表情が歪む。
真正面からぶつかった力は、想像以上に重い。
巨兵の拳は、燃えながらもなお押し込んでくる。
木と岩の塊でありながら、その一撃には“質量”そのものを叩きつけるような凶暴さがあった。
爆炎の奔流が、じわじわと押し返されていく。
足元が削られ、リュシアの靴が地面を擦り、後方へずるりと下がった。
樹骸巨兵は雄叫びを上げる。
グォォォォォオオオオッ!!
その咆哮とともに、さらに力が込められる。
「「リュシア!!」」
バニッシュとセレスティナが叫ぶ。
だが――リュシアは、一歩も引かなかった。
瞳の赤と琥珀が、燃えるように輝く。
「……負けるかぁぁぁあ!!」
その叫びとともに、彼女の魔力がさらに膨れ上がった。
紅蓮の魔法陣が一段と激しく回転する。
押し返されかけていた熱線が、今度は逆に唸りを上げて前へと突き進んだ。
ゴォォォォォッ!!
リュシア自身の意地と怒りと誇りが、そのまま炎へと変わったかのような猛威だった。
樹骸巨兵の拳が軋み、岩が焼け、木が爆ぜる。
そして――紅蓮の奔流が、ついに巨兵の拳を押し返した。
爆炎はそのまま腕を呑み込み――巨兵の腕ごと、焼き払った。




