チョコっとした温かな時間
船が出航してから、早くも一日が経過していた。
最初こそ歓声を上げていたリュシアや黒牙たちも、その単調な景色にはすぐに慣れてしまっていた。
「暇~……」
ぐでっとベッドに寝転がりながら、リュシアが気の抜けた声を漏らす。
その隣では、イリヤも同じようにふわふわと空中に寝そべるような体勢で、だらしなく手足を投げ出していた。
「ひま~……」
駄々をこねる子供のような姿を見て、バニッシュは椅子に腰掛けたまま、苦笑を浮かべる。
「外の景色でも見て来たら――」
「もう見飽きたわよ! 海ばっかりでつまらない!」
言い終わる前に、リュシアが即座に遮る。
(そりゃ、海の上だからな……)
バニッシュは心の中で思うも口には出さず、乾いた笑いをする。
「はは……」
「せめてご飯だけでも美味しかったらよかったのに……」
リュシアはため息をつく。
その言葉に、セレスティナも小さく頷いた。
「そうですね……メイラさんの料理が恋しいです……」
既に遥か昔のことのように、遠い目をしている。
この船の食事は、決して豪華とは言えなかった。
というより――生きるための燃料、と言った方が近い。
船員たちは交代で持ち場につき、常に海の変化に目を光らせている。
いつ嵐が来るかも、魔物が現れるかも分からない状況だからこそ、食事は美味しさよりも効率が優先される。
パンは水分を奪われたようにボソボソで固く、スープは保存のためか塩気が強く、舌に残る。
空腹は満たされるが、満足とは程遠い。
そんな食事を思い出し、バニッシュも思わず苦笑する。
一方で、黒牙も壁にもたれかかるようにして座り込んでいた。
いつもなら目を輝かせて何かに興味を示すはずの彼が、今はただぼんやりと床を見つめている。
その様子を見て、バニッシュは軽く息を吐いた。
「あと少しの辛抱だ。我慢しよう」
なるべく明るく言う。
「「「はぁ~……」」」
三人のため息が、狭い船室に重なる。
その空気に、バニッシュは思わず天井を仰いだ。
ただ何もしないというのは、時にこれほどまでに人を疲れさせるのかと、改めて思い知らされる。
どんよりとした空気が船室を満たしていた時、軽い調子の声とともに扉が開き、ひょこりとリーが顔を出した。
「おやおや~なんだか、みんな元気がないにゃ~」
部屋の様子を一目見て、にこにこと笑う。
場の空気とはまるで噛み合っていない、その妙な明るさのリーをリュシアは半眼で睨みつける。
「……なんでアンタはそんなに元気なのよ……?」
呆れと疲れが混ざった声でリュシアは言う。
だがリーは、気にした様子もなく肩をすくめる。
「そりゃ~こんなに楽しい船旅、楽しまなきゃ損にゃ」
あっけらかんとした言葉に、リュシアのこめかみがピクッと引きつる。
「楽しいって……ただじっとしてるだけなのに、何が楽しいのよ」
ぐいっと体を起こし、リーを指さす。
だがリーは、まるでその反応すら楽しんでいるかのように、にやりと笑った。
「何言ってるにゃ~新しい発見の数々、美味しいご飯――最高だにゃ~」
指を一本立てる。
「新しい発見……?」
黒牙がぱちぱちと瞬きをする。
その言葉に、ほんの少し興味を引かれた様子だ。
一方、セレスティナは小首を傾げる。
「美味しい……ご飯ですか……?」
控えめながらも、はっきりと疑問の色が浮かんでいた。
リュシアに至っては、完全に呆れた様子だった。
「アンタ……不思議な味覚してるのね」
半ば諦めたように言う。
「そうかにゃ?」
本気で不思議そうに首を傾げるその様子に、バニッシュは思わず小さく吹き出しそうになるのをこらえた。
「それじゃ~」
リーが、にやりと意味深に笑う。
「退屈している君たちに~良いものをあげるにゃ~」
そう言って、ひらりと袖を揺らし、どこからともなく、小さな何かを取り出した。
「ほいにゃ」
ぱっと掌を開く。
バニッシュたちは、自然とその手元を覗き込んだ。
そこにあったのは――小さな包み紙にくるまれた、粒のようなものが五つ。
「何よこれ?」
リュシアが怪訝そうに眉をひそめる。
「いいから食べてみるにゃ~」
リーは軽く手を振る。
バニッシュたちは顔を見合わせ、少しの躊躇いはしたが、リーに勧められるまま、バニッシュが一つ手に取った。
それに続き、リュシア、セレスティナ、黒牙、そしてイリヤもそれぞれ一粒ずつ取る。
包み紙を開くと、中から現れたのは――小さな茶色の粒。
「ホントに食べられるの?」
リュシアが疑わしそうにそれを見つめる。
「大丈夫にゃ~ものは試しに食べてみるにゃ~!」
その言葉に背中を押されるように――バニッシュたちは、同時にそれを口へ運んだ。
――次の瞬間、口の中で、すっと溶け、なめらかに、まるで雪のようにほどけていき――濃厚な甘みが、一気に広がった。
「ん~~!!」
リュシアが目を見開く。
「なにこれ……!」
セレスティナも、思わず両手を口元に当てる。
「とても……甘くて……美味しい……!」
イリヤは羽をばたつかせながら歓声を上げる。
「本当にすごく美味しいよ!」
黒牙は目を輝かせていた。
「これは……本当に美味いな」
バニッシュも、素直に驚きを口にする。
ただ甘いだけではない。
深みのある味わいが、ゆっくりと口の中に残る。
「「何なのよこれ!?」」
リュシアとイリヤが同時にリーへ詰め寄る。
完全に先ほどまでの退屈は吹き飛んでいた。
リーはそんな二人を見て、満足げに頷く。
「これはチョコってやつだにゃ~」
得意げに言い放つ。
「チョコ……」
セレスティナが小さく呟く。
「確か、西方の高級なお菓子……ですよね?」
記憶を辿るように言葉を紡ぐその様子に、リーは満足げに頷いた。
「そうだにゃ~」
それを聞いたリュシアが、じとっとした視線を向ける。
「なんでアンタがそんなの持ってるのよ!?」
リーは肩をすくめて笑う。
「ちょっと知り合いに貰ったんだにゃ~」
「それよりも! もっとないの!?」
イリヤが勢いよくリーに詰め寄る。
リュシアも横からぐいっと顔を近づける
二人とも期待に満ちた瞳で、リーの顔を見る。
「そうよ!あれだけじゃ足りないわ!」
二人の圧に、リーはたじろぐ。
「いやいや~……アレだけたにゃ~」
「なんだぁ……」
「えぇ~……」
リュシアとイリヤは同時に肩を落とした。
先ほどまでの輝きが嘘のようにしょんぼりとする様子に、バニッシュは思わず小さく吹き出す。
「いや、でも美味しかったよ。ありがとう、リーさん」
その言葉に、リーはにっと笑い軽く手を振る。
「いやいや~少しはお役に立てて良かったにゃ~」
どこか照れくさそうな様子だった。
その後――リュシア、セレスティナ、黒牙、イリヤの四人は、チョコの話題で盛り上がり続ける。
その声は弾み、どこか楽しげで、退屈に沈んでいた時間が、嘘のように消えていた。
バニッシュは、その光景を静かに眺める。
揺れる船室の中で――小さな甘味がもたらした温かなひとときが、静かに流れていた。




