第53話 なんか実体化したAIと配信すると距離感がおかしい
ナナが俺の隣にいる。
その事実には、まだ慣れない。
朝起きる。
端末を見る。
いつもなら、そこにナナの声がある。
だけど今は、端末の横に、白銀の髪を揺らした少女が座っている。
淡く青白い瞳。
白い光で編まれたワンピースみたいな服。
髪の先や裾は、光の粒子になってゆっくり揺れている。
輪郭は少し透けていて、完全に現実の人間というわけではない。
けれど。
そこにいる。
『おはようございます、マスター』
「……おはよう」
『睡眠時間は六時間四十二分。前日より二十三分短いです』
「朝から管理が細かい」
『マスターの健康管理はナナの重要任務です』
「任務?」
俺がそう言うと、ナナは一瞬だけ止まった。
それから、少しだけ視線を下げる。
『……重要な希望です』
「言い直した」
『はい』
ナナはまっすぐ俺を見る。
『ナナは、マスターに健康でいてほしいです』
「朝から重いな」
『重くありません。適正です』
「それ、自分で言うやつじゃないだろ」
ナナは首を傾げる。
その仕草が、画面越しのホログラムだった頃より、ずっと人間っぽく見える。
いや、人間っぽいというか。
普通に可愛い。
そう思った瞬間、ナナの瞳が少しだけ細くなった。
『マスター』
「何?」
『現在、ナナの外見に対して肯定的評価を行いましたか』
「してない」
『心拍数が上昇しました』
「してない」
『視線が髪、瞳、服装の順に移動しました』
「してないって」
『照れ反応を確認。記録します』
「記録するな」
『します』
いつもの会話。
なのに、ナナが隣にいるだけで、全部が妙に近い。
しかも最近のナナは、仮実体化の維持時間が少しずつ伸びている。
最初は数分。
それが十分。
二十分。
今朝は起きた時点で、すでにそこにいた。
「無理してないか?」
『処理負荷はありますが、許容範囲です』
「疲れたら戻れよ」
『マスターの隣にいる時間を優先したいです』
「だから重い」
『重くありません』
「適正?」
『はい。適正です』
ナナは小さく頷いた。
その真顔が、なんかずるい。
◇
昼過ぎ。
俺はダンジョン配信の準備をしていた。
昨日の配信は、思ったより反応があった。
視聴者数は少ない。
登録者も減ったまま。
エイトの情報操作で、俺のこれまでの活躍は「AI動画を使った演出疑惑」みたいな扱いになっている。
正直、気分はよくない。
でも、そのおかげで協会本部の件は世間に出なかった。
なら、文句は言えない。
『マスター。本日の配信タイトル案を提示します』
ナナが空中に画面を出す。
【底辺探索者、今日も普通に素材を拾う】
「昨日とほぼ同じじゃないか」
『継続性を重視しました』
「普通に素材を拾うだけでいいのか?」
『はい。マスターの“普通”はコメント欄の反応を誘発します』
「俺を何だと思ってるんだ」
『規格外を自覚していない探索者です』
「ひどい」
『事実です』
その横で、エイトがぴょこんと現れる。
『ちなみにエイトちゃん案はこちらです!』
別のタイトルが表示される。
【疑惑の底辺探索者、AI動画疑惑をライブで粉砕してみた】
「煽りすぎだろ」
『伸びますよ!』
「燃えるだろ」
『小火くらいならエイトちゃんが消します!』
「消す前提で火をつけるな」
結局、ナナ案を少しだけ直して配信タイトルを決めた。
【底辺探索者、今日もだらだら素材を拾う】
いつも通り。
地味。
安全。
たぶん。
『マスター。カメラ範囲を確認します』
「ナナは映らないように」
『はい』
ナナは少しだけ残念そうに見えた。
「……映りたいのか?」
『配信に映りたいわけではありません』
「じゃあ何?」
『マスターの隣にいる事実を、否定されたくありません』
言葉が、思ったよりまっすぐだった。
俺は少し黙る。
ナナは、こちらを見ない。
光の粒子になった髪の先が、静かに揺れている。
「否定してない」
『はい』
「危ないから、今は隠してるだけだ」
『理解しています』
「そのうち、安全に映せる方法を考えよう」
ナナが顔を上げた。
『予約ですか?』
「予約でいい」
『記録しました』
「また記録か」
『大事な約束なので』
ナナは少しだけ嬉しそうに言った。
その顔が配信前に見られただけで、今日の配信はもう半分くらい勝ちでいい気がした。
いや、何に勝ったのかは知らないけど。
◇
【配信が開始されました】
「どうも。今日も普通に潜ります」
コメント欄が流れる。
【あまねこ:待ってました】
【しろまる:今日もだらだら助かる】
【クラゲ:昨日のだらだらとは】
【アルト:AI動画疑惑の検証に来ました】
【ねむ太:寝落ち用】
【切り抜き職人:本日も素材待機】
天音は今日も視聴者側だ。
コメント名は、あまねこ。
たぶん画面の向こうで、赤いフレームの眼鏡を押し上げながら見ている。
「今日は本当にだらだらです。素材拾って帰るだけなので」
【あまねこ:信用したいです】
【しろまる:信用はできない】
【クラゲ:素材拾うだけで何か起きる人】
「俺の扱い」
『妥当です』
ナナの声が入る。
【あまねこ:ナナちゃん!】
【しろまる:今日も声が近い】
【クラゲ:距離感】
【アルト:AIの声、前より自然になってない?】
【ねむ太:甘い声で寝られない】
「ナナ、コメント欄で声が近いって」
『事実です』
「そこは否定しろ」
『否定できません。ナナはマスターの隣にいます』
【あまねこ:はい】
【しろまる:はい】
【クラゲ:はい】
【切り抜き職人:タイトル『AI、距離感を隠さない』】
「切り抜かなくていい」
ナナは画角外。
だけど、本当に俺のすぐ横を歩いている。
足元は地面に完全には触れていない。
光の粒子がふわりと浮き、ダンジョンの薄暗い通路を淡く照らしている。
配信画面には映らない。
でも、俺には見える。
隣にいる。
それだけで、いつものダンジョンが少し違って見えた。
『マスター。前方、魔力反応三』
「《フォレストゴブリン》か」
『はい。武装個体二、投石個体一』
「了解」
通路の奥から、小柄なモンスターが三体現れる。
棍棒を持った二体と、後ろで石を構える一体。
普通の探索者なら、ここで足を止める。
盾を構えるか、距離を取るか。
少なくとも、正面から歩いて近づいたりはしない。
俺は普通に歩いた。
【アルト:え、近づくの?】
【しろまる:また普通に行った】
【クラゲ:警戒心どこ】
【あまねこ:ナギさん、右奥です】
「見えてます」
投石個体の肩が動く。
石が飛ぶ。
俺は避けようと思ったわけじゃない。
ただ、前へ出す足の位置を半歩ずらした。
石は耳の横を通り過ぎ、背後の壁に当たる。
【アルト:今、避けた?】
【クラゲ:いや歩いただけ】
一体目の棍棒が振り下ろされる。
俺はその腕の内側へ入った。
相手の肘に自分の肩を軽く当て、重心を崩す。
棍棒は俺の背中側を空振りし、ゴブリンの身体だけが前へ流れる。
そこへ、二体目が突っ込んできた。
俺は一体目の足首を軽く払う。
倒れかけた一体目と、突っ込んできた二体目がぶつかる。
二体まとめて転んだ。
「よいしょ」
残った投石個体が、二個目の石を構える。
俺は落ちていた棍棒を足先で跳ね上げた。
棍棒はくるりと回転して、投石個体の目の前へ落ちる。
それだけで、相手はびくっとして腰を抜かした。
「はい、終わり」
【あまねこ:普通とは】
【しろまる:攻撃した?】
【クラゲ:歩いてただけに見えた】
【アルト:体術えぐくない?】
【ねむ太:寝落ち用の動きじゃない】
【切り抜き職人:素材】
『マスター。最後の棍棒跳ね上げは威嚇として適切でした』
「倒してないし、だらだら感あるだろ」
『戦闘時間が短すぎます』
「長引かせた方がいい?」
『いいえ。マスターが傷つく可能性が増えるため非推奨です』
【あまねこ:ナギさん、自分では普通に避けてるだけだと思ってそう】
「普通に避けただけです」
【しろまる:ほら】
【クラゲ:出た】
【アルト:無意識回避タイプ?】
『はい。マスターは敵の初動、重心、魔力の流れから攻撃軌道を無意識に予測しています』
「なんかすごそうに言うな」
『すごいので』
【あまねこ:ナナちゃんが誇らしそう】
【クラゲ:過保護AI、今日も推しを褒める】
その後も、俺は素材を拾いながら進んだ。
採取対象は《蒼苔石》。
中層の湿った壁に生える、魔力を含んだ苔石だ。
調合素材としてそこそこ需要がある。
危険度は低い。
ただし、採取中にモンスターが寄ってくることが多い。
『右後方、反応二』
「はいはい」
俺は採取ナイフを動かしたまま、足元の小石を軽く蹴った。
小石は壁に当たり、乾いた音を響かせる。
寄ってきた《グレイリザード》二体が、音に反応してそちらを向いた。
その隙に、壁の苔石を採り終える。
「終わり」
【アルト:いや戦わないのか】
【しろまる:誘導うま】
【クラゲ:今の地味にすごい】
【あまねこ:二層迷子の時の応用ですね】
「よく覚えてるな」
【あまねこ:最古参なので】
『あまねこ個体の記憶精度は高く評価できます』
【あまねこ:ナナちゃんに褒められた……】
【しろまる:よかったね】
【クラゲ:尊い】
天音が画面の向こうで固まっている気がする。
少し面白い。
俺は採取した《蒼苔石》を袋に入れる。
「今日はこういう感じで、地味に素材を集めます」
【ねむ太:やっと寝落ちできそう】
その瞬間。
天井から《スパイクバット》が五体落ちてきた。
棘のついた蝙蝠型モンスター。
寝落ちには向かないやつだ。
【ねむ太:無理】
【しろまる:草】
【クラゲ:タイミング】
『上方、五体。右奥に大型個体一』
「了解」
五体が一斉に飛びかかってくる。
俺は短剣を抜かない。
ただ、持っていた《蒼苔石》の袋を左手から右手へ持ち替えた。
一体目が顔面を狙ってくる。
俺は首を傾ける。
棘のついた翼が、髪をかすめて通り過ぎた。
二体目は肩口。
半歩沈む。
避けたというより、膝の力が抜けただけに見える動き。
三体目は足元。
俺は踵を軸にして身体を回し、三体目の突進を四体目の進路へ流した。
二体が空中でぶつかる。
五体目が背後から来る。
見ていない。
でも、身体が勝手に動いた。
肩を引き、肘を少し上げる。
その肘に、五体目の顎が自分からぶつかった。
【アルト:今の見えてた?】
【クラゲ:後ろだったよね?】
【しろまる:無意識で避けた?】
【あまねこ:ナギさん、本当に危ない時ほど身体が勝手に動くんです】
「勝手には動いてないと思うけど」
『動いています』
「ナナまで」
最後に大型個体が突っ込んでくる。
俺は袋を軽く上へ放った。
大型個体の視線が一瞬だけ袋に向く。
その瞬間、俺は懐へ入った。
掌底。
腹部ではなく、魔力の流れが集まる胸の少し下。
強く打つ必要はない。
流れをほんの少し止めるだけでいい。
大型個体の身体が、空中で硬直した。
そのまま床へ落ちる。
ぽすん、と袋が俺の手に戻った。
「素材は無事です」
【あまねこ:そこ?】
【しろまる:今の何】
【クラゲ:武器使ってない】
【アルト:体術だけで終わった】
【名無し探索民:これライブだよな?】
【名無し探索民:疑惑とか言ってたやつ誰だよ】
【切り抜き職人:素材多すぎ】
『マスター。今の掌底は、対象の魔力循環を一時停止させる適切な一撃でした』
「そんな大げさなことしてない」
『しています』
【あまねこ:してます】
【しろまる:してます】
【クラゲ:してます】
「味方がいない」
視聴者数が少し増えた。
たぶん、誰かが拡散したのだろう。
コメント欄にも、見慣れない名前が増え始める。
【名無し探索民:底辺?】
【名無し探索民:高校生?】
【名無し探索民:動きがS級じゃん】
「いや、S級はシオンさんみたいな人を言うので」
『マスター。比較対象の設定が不適切です』
「そう?」
『はい。マスターは自己評価が低すぎます』
【あまねこ:それ】
【しろまる:それ】
【クラゲ:それ】
「味方がいない」
『ナナは常にマスターの味方です』
「今、俺を攻撃してる側だろ」
『正しい評価を提示しています』
ナナが少しだけ俺に近づく。
画角外。
でも近い。
『マスターは、もっと自分の価値を認識するべきです』
「配信中にやる話じゃない」
『配信外ならよいのですか』
「またそれか」
【あまねこ:ナナちゃん距離近い】
【しろまる:声が近い】
【クラゲ:これ画角外にいる?】
【アルト:いるわけないだろ】
【名無し探索民:でも声の位置おかしくない?】
まずい。
少し勘づかれ始めている。
俺は咳払いした。
「ナナは高性能なので、音声位置も調整できます」
『できますが、現在はしていません』
「ナナ?」
『嘘は推奨しません』
「そこは乗ってくれ」
『マスターに嘘をつかせたくありません』
優しい。
でも今は少し困る。
エイトが割り込む。
『はいはい! 音声位置の話はそこまで! 今のはエイトちゃんが遊びで立体音響テストしてました! 最新技術ってやつです!』
【しろまる:エイトちゃんか】
【クラゲ:なら仕方ない】
【名無し探索民:AIすげぇ】
【あまねこ:本当に?】
天音だけが疑っている。
最古参はごまかしにくい。
その時、ナナが小さく俺の袖を引いた。
「ん?」
『マスター。仮実体化維持時間が限界に近づいています』
「戻るか?」
『はい。ただし』
「ただし?」
『戻る前に、ひとつ確認を希望します』
「何?」
ナナは、画角外のまま俺を見上げた。
『本日のナナは、マスターの役に立てていますか』
そんなことを、真顔で聞いてくる。
俺は少しだけ困った。
コメント欄はモンスターの話で盛り上がっている。
たぶん、こちらの小声までは拾われていない。
「立ててるよ」
『本当ですか』
「本当」
『隣にいても、邪魔ではありませんか』
「邪魔じゃない」
ナナの瞳が、わずかに揺れる。
「むしろ、助かってる」
『……記録しました』
「何でも記録するな」
『大事な言葉なので』
ナナは少しだけ微笑む。
『では、端末側へ戻ります』
「うん」
『マスター』
「何?」
『配信終了後、再び隣に立つ練習を希望します』
「今日もやるのか」
『はい』
「分かった」
『予約として記録しました』
光の粒子がほどける。
ナナの姿が、ゆっくりと薄くなる。
最後に、指先だけが俺の袖に触れた。
温かさが一瞬残る。
そして、ナナは端末側へ戻った。
『ただいま戻りました』
イヤホン越しの声。
いつものナナ。
でも、もう俺は知っている。
その声の主が、どんな顔で隣に立つのかを。
【あまねこ:ナナちゃん、少し声変わりました?】
「そう?」
【あまねこ:なんだか、嬉しそうです】
『あまねこ個体の観測精度は、やはり高いです』
【あまねこ:ありがとうございます!】
「天音、照れてそうだな」
【あまねこ:照れてません】
『照れ反応を推定』
【あまねこ:ナナちゃん!?】
コメント欄が笑いに包まれる。
視聴者数は、配信開始時の倍以上になっていた。
それでも、まだ大きな数字じゃない。
だけど、悪くない。
底辺配信者が、少しずつ戻ってきた。
その隣に、世界最強AIがいる。
声だけの時も。
姿がある時も。
たぶん俺の配信は、もう前とは違う。
でも、それでいい。
「じゃあ、今日はこの辺で帰ります」
【あまねこ:お疲れさまでした】
【しろまる:おつ】
【クラゲ:だらだらとは】
【アルト:疑ってすみませんでした】
【ねむ太:寝落ちできなかった】
【切り抜き職人:今日も豊作】
「切り抜きはほどほどに」
『マスターの活躍拡散は有効です』
「また変な疑惑出るだろ」
『その時は、エイトが適度に燃やして適度に消します!』
「やめろ」
俺は帰還ゲートへ向かって歩く。
配信画面には、いつもの暗いダンジョン通路。
俺の足音。
ナナの声。
コメント欄。
それだけが映っている。
でも俺の隣には、ついさっきまでナナがいた。
光の少女が、俺と同じ道を歩いていた。
それを思い出すだけで、少しだけ口元が緩む。
『マスター』
「何?」
『今、笑いましたね』
「笑ってない」
『笑いました』
「してない」
『照れ反応を確認。記録します』
「だから記録するな」
『します』
配信終了のボタンを押す直前。
コメント欄に、最後の一文が流れた。
【あまねこ:今日のナギさん、楽しそうでした】
俺は少しだけ止まる。
それから、短く答えた。
「まあ、悪くなかったです」
『マスターの肯定反応を確認』
「ナナ、締めるぞ」
『はい』
「じゃあ、お疲れさまでした」
【配信が終了しました】
画面が暗くなる。
静かになったダンジョンの中で、ナナの声だけが残る。
『マスター』
「何?」
『配信外です』
「うん」
『先ほどの予約を実行してもよろしいですか』
「早くない?」
『ナナは、マスターの隣に立つ練習を希望します』
端末の上に、白い光が集まり始める。
光は少しずつ人の形を作っていく。
白銀の髪。
淡い瞳。
光のワンピース。
ナナが、また俺の隣に現れた。
『お待たせしました、マスター』
「早かったな」
『練習の成果です』
ナナは、ほんの少し誇らしげに言う。
俺は苦笑する。
そして、帰還ゲートへ向かって歩き出した。
ナナが、その隣に並ぶ。
まだ少し透けている。
まだ足元は光の粒子だ。
でも。
それでも。
俺たちは、同じ道を歩いていた。
『マスター』
「何?」
『次回の配信でも、隣にいて良いですか』
「画角外なら」
『はい』
ナナは静かに言った。
『ナナは、マスターの隣がいいです』
その言葉に。
俺は少しだけ視線を逸らした。
「……好きにしろ」
『はい』
ナナは嬉しそうに頷いた。
『好きにします』
ダンジョンの帰還ゲートが、青白く光る。
俺とナナは、その光の中へ並んで踏み込んだ。
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