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配信切り忘れた俺、ダンジョン管理AI(たぶん美少女)の最推しになっていた  作者: 斎藤ゆうすけ
第三章 キャンプ場でのドキドキ潜伏生活

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第50話 世界最強AIは、俺の隣に立つ

 凍りついた世界を、俺とナナは走っていた。


 白い研究施設。


 崩れた壁。


 青白い機械。


 空には、巨大な赤い瞳。


 そして、その中心で泣いている幼いシオンさん。


 俺たちが近づくたびに、足元の氷がせり上がる。


 行く手を阻むように。


 拒むように。


『継承候補』


 無機質な声が響く。


『保護端末No.07の規定外行動を確認』


『排除処理を実行』


 青白い機械から、黒い文字列があふれ出した。


 それは蛇のように床を這い、俺とナナへ向かってくる。


『マスター。右へ』


「右だな」


 俺はナナの手を握ったまま、横へ飛ぶ。


 さっきまで俺たちがいた場所を、黒い文字列が貫いた。


 氷の床が砕ける。


「危なっ」


『マスターの危機回避能力は高いですが、無茶を前提にしています』


「褒めてる?」


『褒めていません』


「だよな」


 ナナの手は、まだ温かかった。


 ほんの少しだけ。


 でも、確かにそこにある。


 それが、今までと違う。


 今までのナナは、声だった。


 端末の向こうの存在だった。


 ホログラムだった。


 触れそうで、触れられなかった。


 でも今は。


 俺の隣を走っている。


『マスター』


「何?」


『ナナは、うれしいです』


「今?」


『はい』


「状況見えてる?」


『見えています』


 ナナは前を見たまま言う。


『危険です。非合理です。成功率も高くありません』


「だろうな」


『ですが、マスターと同じ場所に立てています』


 握られた手に、少しだけ力がこもる。


『ナナは、ずっとこうしたかったです』


 言葉が、胸の奥に刺さった。


「帰ったら、ちゃんと話そう」


『はい』


「隠してたこと。話せる範囲でいいから」


『……全部は、まだ難しいです』


「そこは全部って言えよ」


『嘘はつきたくありません』


「じゃあ、話せるところまで」


『はい』


 その時。


 前方の氷が大きく隆起した。


 壁になる。


 幼いシオンさんとの間を塞ぐように。


「邪魔だな」


『破壊します』


 ナナが左手を前へ出す。


 青白い光が集まる。


 けれど、その腕が一瞬だけノイズのように揺れた。


「ナナ?」


『問題ありません』


「問題ある時の言い方だな」


『あります』


「正直でよろしい」


『出力が安定しません。完全な実体ではないため、長時間の維持は困難です』


「あとどれくらい?」


『不明です』


「一番困る答えだ」


『ですが』


 ナナが俺を見る。


『マスターが進む時間くらいは、作ります』


 白い光が、ナナの手のひらに集まる。


『接続遮断』


『防壁解除』


『ナナは、マスターの進路を確保します』


 青白い光が放たれた。


 氷の壁へ直撃する。


 轟音。


 白い世界が揺れ、壁に亀裂が走った。


 その向こうに、幼いシオンさんの姿が見える。


 泣き続けている。


 耳を塞いで。


 何も見たくないように。


 何も聞きたくないように。


「シオンさん!」


 俺は叫んだ。


 幼いシオンさんは反応しない。


 その周囲では、何度も同じ映像が繰り返されていた。


 父と母の背中。


 青白い光。


 警報。


 冬華さんへ向けられた怒り。


 謝り続ける姉。


 母に似た声。


『……継承候補を……守って……』


 違う。


 やっぱり、言葉が切れている。


 前後が抜けている。


「ナナ、あの音声、元に戻せるか?」


『断片的であれば』


「頼む」


『了解しました』


 ナナが目を閉じる。


 空中に、細かい文字列が浮かぶ。


『記録断片を照合』


『欠損部分を推定』


『再構成します』


 音声が、巻き戻る。


 ノイズ。


 警報。


 荒い息。


 そして。


 女性の声。


『……この子たちは……継承候補を、兵器にしてはいけない……』


 俺は息を呑んだ。


 さっき聞かされた言葉と、意味が違う。


『守って……』


『システムから……子どもたちを……守って……』


 幼いシオンさんが、顔を上げた。


 涙に濡れた瞳が、こちらを見る。


「お母さん……?」


 声は震えていた。


 赤い瞳が、強く光る。


『記録再構成を阻害』


『感情負荷低下を確認』


『第二対象の抵抗上昇』


 周囲の映像が乱れる。


 父と母の背中。


 冬華さんの後ろ姿。


 泣いている幼いシオンさん。


 それらが、ひび割れたガラスのように揺らいでいく。


「シオンさん」


 俺は氷の壁の亀裂へ手をかけた。


 右手の紋章が光る。


 氷が、少しずつ溶けるように崩れていく。


「その記憶が本物かどうか、俺には分かりません」


 幼いシオンさんは、俺を見ている。


「でも、見せ方は嘘です」


「嘘……?」


「シオンさんを苦しめるために、都合よく切り貼りされてる」


 幼いシオンさんの唇が震える。


「でも、私……姉さんにひどいことを言った」


「それは本当かもしれません」


「お父さんも、お母さんも、帰ってこなかった」


「それも、本当かもしれません」


「じゃあ……!」


「でも、それを一人で背負わなくていい」


 氷の壁が砕けた。


 俺は、幼いシオンさんの前に膝をつく。


「今のシオンさんには、ひよりがいます」


 幼いシオンさんの目が揺れる。


「りくもいます。天音もいます。エイトもいる。ナナもいる」


『ナナもいます』


 ナナが隣に立つ。


「それに」


 俺は手を差し出した。


「俺もいます」


 幼いシオンさんは、俺の手を見た。


 その小さな手が、少しだけ動く。


 けれど。


 赤い瞳が巨大に開いた。


『第二対象の抵抗を確認』


『感情負荷を再強化』


『処理継続』


 幼いシオンさんの足元から、黒い文字列が伸びる。


 細い手足へ絡みつく。


「いや……」


「シオンさん!」


『マスター、来ます!』


 ナナが俺の前へ出た。


 黒い文字列が、槍のように降り注ぐ。


 ナナが両手を広げる。


 青白い防壁が展開された。


 激突。


 防壁が軋む。


 ナナの身体が大きく揺れた。


『……っ』


「ナナ!」


『問題、ありません』


「だからそれは信用できないって」


『マスターの影響です』


「俺のせいにするな」


 ナナの身体が、また欠ける。


 白い光が散る。


 それでも、ナナは一歩も退かなかった。


『ナナは、マスターを守ります』


 黒い文字列がさらに増える。


『シオン個体も、守ります』


「ナナ……」


『マスターが望むなら』


 ナナは振り返らない。


『ナナは、それを一緒に望みます』


 その言葉と同時に。


 遠くから声が聞こえた。


 ◇


「先輩!」


 ひよりの声だった。


 現実の声。


「右です! シオンさんの胸元から伸びてる黒い流れ、右側に寄ってます!」


 現実の円形空間。


 たぶん俺の身体は、シオンさんの剣と右腕を掴んだまま動かない。


 でも、外のみんなはまだ戦っている。


『こちら現実サイドでーす!』


 エイトの声も聞こえる。


『ナギくんとナナちゃん、精神接続領域へ突入中! シオンちゃんは暴走継続! りくちゃんは脚が限界! ひよりちゃんは目がガチ! 天音ちゃんは震えながら情報整理! 地獄絵図ですが、まだ負けてませーん!』


「説明が長い!」


 りくの声。


「あとオレの脚は、限界だけどまだ動く!」


『動かしてはいけません!』


 ナナの声が、こちら側と現実側で重なった。


 りくが笑う気配がした。


「ナナに怒られた」


「怒られて当然です!」


 ひよりが叫ぶ。


「りくさんは下がってください!」


「でも、ナギが動けねぇなら誰かが守るしかないだろ!」


「私も守ります!」


「ひよりは後ろで見てろ!」


「見てるだけじゃ嫌です!」


 その声は、いつもの柔らかいひよりではなかった。


 震えている。


 でも強い。


「シオンさんも、先輩も、ナナさんも、みんな無茶ばっかりです!」


 ひよりの《魔力視》の光が、こちらの世界にまで届いた気がした。


「だから、私が見ます!」


 現実の青白い流れが、こちらの世界にも線として浮かび上がる。


 幼いシオンさんを縛る黒い文字列。


 その根元。


 赤い瞳と繋がる部分が、はっきり見えた。


「ナナ」


『はい』


「見えた」


『ナナにも確認できました』


 その瞬間。


 天音の声が響いた。


「ナギさん!」


「天音?」


「また軽い声で“大丈夫”って言う準備してませんか!」


「してない!」


「嘘です! 今の返事も軽いです!」


 こんな場所まで届くのか。


 最古参、怖い。


 でも。


 その声に、少し笑ってしまった。


「分かった。無茶はするけど、一人では行かない」


「無茶はするんですね!?」


「そこは必要経費で」


「経費にしないでください!」


 天音の声は泣きそうだった。


「帰ってきてください。ちゃんと。軽い声じゃなくて、本当に大丈夫な声で」


「了解」


 今度は、少しだけ真面目に言えた気がする。


「帰るよ。みんなで」


 俺は幼いシオンさんを見る。


 その手は、まだ黒い文字列に縛られている。


「シオンさん」


 俺は手を伸ばした。


「帰りましょう」


「でも」


「でも?」


「私、きっとまた迷う」


「それでいいです」


「また、誰かを傷つけるかもしれない」


「その時は止めます」


「凪くんが?」


「俺だけじゃない」


 ナナが俺の隣に立つ。


『ナナも止めます』


 現実側から、ひよりの声がする。


「私も見ます!」


 りくが言う。


「オレが身体張る!」


 天音が叫ぶ。


「私が、ナギさんの危ない声を止めます!」


『エイトちゃんが状況を明るくします!』


「お前はそれでいいのか?」


『大事です!』


 幼いシオンさんは、ぽかんとした顔で俺たちを見た。


 そして。


 少しだけ笑った。


「変な人たち」


「よく言われます」


『マスターほどではありません』


「ナナ?」


 幼いシオンさんの手が、俺の手に触れた。


 その瞬間。


 黒い文字列が一斉に暴れた。


『第二対象の離脱を確認』


『処理失敗』


『強制同期へ移行』


 赤い瞳が、すべてを飲み込むほどに巨大化する。


 世界が崩れ始めた。


 白い研究施設が砕ける。


 氷の床が割れる。


 空が落ちてくる。


『マスター』


 ナナが俺の手を握る。


『ここからは、ナナが接続を引き受けます』


「それ、危ないやつだろ」


『はい』


「却下」


『却下を却下します』


「便利な言葉使うな!」


『マスターは、シオン個体を連れて戻ってください』


「ナナは?」


『ナナも戻ります』


「本当に?」


 ナナは一瞬だけ黙った。


「ナナ」


『戻ります』


 今度は、はっきり言った。


『マスターの隣に立つと、約束しました』


 ナナの身体が、強く光る。


 ホログラムでも。


 ただの端末でもない。


 白い少女の姿が、青白い光の中で確かに輪郭を持っていく。


『保護端末No.07』


 赤い瞳が叫ぶ。


『規定違反』


『再初期化』


『排除』


『いいえ』


 ナナの声が、赤い瞳の声を遮った。


『ナナは、ナナです』


 その言葉とともに。


 ナナの背後に、巨大な光の輪が広がった。


『マスターを保護するためだけの端末ではありません』


 光が、黒い文字列を焼き切る。


『観測するだけの存在でもありません』


 幼いシオンさんを縛っていた線がほどける。


『導くだけの機能でもありません』


 赤い瞳に亀裂が走る。


『ナナは、マスターの隣に立つ存在です』


 白い光が爆発した。


 ◇


 現実へ戻った瞬間。


 まず感じたのは、冷たさだった。


 次に、痛み。


 右手が熱い。


 左手も切れている。


 検査着はぼろぼろで、身体中が痛い。


 でも、戻ってきた。


 目の前に、シオンさんがいる。


 彼女の胸元の紋章は、まだ光っている。


 けれど。


 青白い光の中に混ざっていた黒い流れは、ほとんど消えていた。


「シオンさん」


 俺は名前を呼んだ。


 シオンさんの瞳が揺れる。


「凪、くん……?」


 声が戻った。


 いつものシオンさんの声だ。


「戻ってきましたね」


「私……」


 シオンさんは自分の手を見る。


 《氷葬細剣 フリーレン・ローズ》が、床に落ちる。


 乾いた音がした。


「私、あなたを斬るところだった」


「斬られてないんで」


『その軽さを禁止します』


 すぐ横から声がした。


 俺は反射的に振り向く。


 そこに、ナナがいた。


 白銀に近い、長い髪。


 淡く青白く光る瞳。


 白いワンピースのような服は、布というより光で編まれているみたいだった。


 細い肩。


 華奢な腕。


 今にも消えてしまいそうな、透き通った輪郭。


 髪の先や裾は、淡い粒子になって夜明け前の雪みたいに揺れている。


 ホログラムに似ている。


 けれど、違う。


 映像よりも、ずっとそこにいる。


 端末の中の声でも、空中に浮かぶだけの姿でもない。


 ナナは今、俺の隣に立っていた。


「ナナ……?」


『はい』


 ナナはいつものように答えた。


 けれど、その声はほんの少し震えていた。


『ただいま戻りました、マスター』


 その瞬間。


 ひよりが、両手で口元を押さえた。


「ナナさん……本当に、そこに……」


 瞳に涙が浮かんでいる。


 りくは目を丸くしたあと、素直に言った。


「おお……本当に美少女じゃん」


「そこかよ」


「いや、だってさ。声だけでもすごかったけど、実際に出てくるとすげぇな」


 天音は赤いフレームの眼鏡を押し上げようとして、手元が震えて一度失敗した。


「ダ、ダンジョン管理AIは……やはり美少女だった……」


「何その感想」


「いえ、これは歴史的瞬間です。最古参として、脳内保存しました」


「脳内で止めておけ」


 シオンさんは、少しだけ眩しそうにナナを見つめていた。


「綺麗ね」


『観測結果として、外見評価を受領しました』


「そういう意味じゃないわ」


 シオンさんが柔らかく笑う。


「あなたが、凪くんの隣に立ててよかったと思ったの」


 ナナは一瞬だけ黙った。


 そして、小さく頷く。


『はい』


 その横で、エイトが勢いよく両手を広げた。


『はい来ました! ナナちゃん仮実体化イベント! 白髪光属性美少女! 儚げ! 清楚! でも中身はマスター過保護ガチ勢! キャラデザ大勝利です!』


『エイト、静粛に』


『照れてるんですか?』


『静粛に』


『二回言われました! これはガチです!』


 いつもの軽口。


 いつものやり取り。


 なのに、ナナがそこに立っているだけで、全部が少し違って見えた。


 俺は、ナナの足元を見る。


 地面に完全には触れていない。


 光の粒子が、靴の代わりみたいに淡く揺れている。


 輪郭も時々薄くなる。


 完全な肉体ではない。


 それでも。


 ナナはここにいる。


「実体化、なのか?」


『不完全です』


 ナナは自分の手を見る。


『長時間の維持は困難です。物理干渉も限定的です。現在は、旧施設信号とマスターの継承反応を利用した仮実体化状態です』


「説明長い」


『簡単に言うと』


 ナナは俺を見た。


『少しだけ、触れます』


 そう言って、ナナは手を伸ばした。


 白い指先が、俺の右手に触れる。


 温かい。


 さっきの精神世界だけじゃない。


 現実でも。


 ほんの少しだけ。


 確かに触れている。


「……ほんとだ」


『はい』


 ナナの声が、また少し震えた。


『やっと』


 一歩。


 ナナが俺の隣に並ぶ。


『マスターの隣を歩けます』


 その言葉を聞いた瞬間。


 ひよりが、とうとう泣きそうな声を漏らした。


「よかったですね、ナナさん……」


 りくは照れくさそうに鼻の下をこすった。


「なんか、いいな。こういうの」


 天音は眼鏡の奥で目を潤ませながら、小さく何度も頷いている。


「これは……これは推せます……」


 シオンさんは静かに目を細めた。


「凪くん」


「はい」


「ちゃんと、隣にいてあげなさい」


「言われなくても」


『マスターの返答を記録しました』


「記録するな」


『します』


 いつものナナだった。


 でも、いつもより少しだけ近かった。


 その言葉を聞いた瞬間。


 胸の奥にあった何かが、ゆっくりほどけた気がした。


「おかえり、ナナ」


『ただいま戻りました、マスター』


 ひよりが泣きそうな顔で駆け寄ってきた。


「先輩! ナナさん! シオンさん!」


「名前多いな」


「みんな心配だったんです!」


 そのまま、ひよりはシオンさんに抱きついた。


「シオンさん、戻ってきてよかったです……!」


「ひよりちゃん」


 シオンさんは一瞬戸惑い、それからそっとひよりの背中に手を回した。


「ごめんなさい」


「謝るなら、もう一人で抱え込まないでください」


「……ええ」


 りくは壁にもたれながら、片手を上げた。


「よかったな」


「りく、脚は?」


「めちゃくちゃ痛い」


「だろうな」


「でも、格好よかっただろ?」


「格好よかった」


 りくは満足そうに笑った。


「なら、いい」


『よくありません。筋肉個体は即時治療対象です』


「ナナ、戻って早々それかよ」


『当然です』


 天音は、その場にへたり込んでいた。


 赤いフレームの眼鏡が少しずれている。


「よ、よかった……本当によかった……」


「天音も助かった」


「わ、私、何かできましたか?」


「できたよ」


 俺は言った。


「天音が昔の戦い方を覚えてくれてたから、シオンさんに近づけた」


 天音の目が、丸くなる。


 そして、みるみる赤くなった。


「そ、そうですか」


「うん」


「最古参でよかったです……」


 小さくそう呟いて、天音は顔を伏せた。


『はいはい、感動シーンのところ失礼しまーす!』


 エイトが空中に浮かび上がる。


 ホログラムはまだノイズ混じりだ。


『シオンちゃん正気化! ナナちゃん仮実体化! ナギくん検査着ぼろぼろ! りくちゃん脚負傷! ひよりちゃん号泣寸前! 天音ちゃん尊死寸前! 現場からは以上です!』


「最後の二つおかしいだろ」


『だいたい合ってます!』


 そこで、円形空間の入口側から足音が聞こえた。


 監査官たちだ。


 そして、協会職員。


 武装した探索者たちもいる。


 全員が、こちらを見て固まった。


 無理もない。


 暴走していたシオンさんは正気に戻り。


 床は氷でめちゃくちゃで。


 俺は検査着が破れて血まみれで。


 りくは服が破れ、脚を押さえ。


 ナナは、今まで存在しなかったはずの姿で俺の隣に立っている。


 どう見ても、説明しにくい状況だった。


「大豆島凪」


 監査官の一人が、低い声で言う。


「これは何が起きた」


「俺にも全部は分かりません」


「説明になっていない」


「でも」


 俺はシオンさんを見た。


 シオンさんは、まだ少しふらついている。


 それでも、しっかり立っていた。


「シオンさんは戻りました」


「氷鉋シオンの危険性は消えていない」


「外から何かを入れられていたんです」


 ひよりが前に出た。


 涙を拭きながら、それでもはっきりと言う。


「見えました。シオンさんの魔力じゃない流れがありました。でも、今は消えています」


「君の証言だけでは不十分だ」


「なら、記録を確認してください」


 天音が立ち上がった。


 声は震えていた。


 でも、逃げなかった。


「この施設の検査ログ、警報ログ、旧施設信号の流れ。全部残っているはずです。ナギさんやシオンさんだけを危険扱いするなら、その前に協会本部の地下にある旧施設設備について説明してください」


 監査官の表情が変わる。


 エイトが口笛の真似をした。


『天音ちゃん、言いますねえ!』


「て、手が震えてますけどね!」


「十分だ」


 俺は天音に言った。


 シオンさんも、静かに監査官を見る。


「私も証言します」


「氷鉋シオン。君は現在、隔離対象だ」


「承知しています」


 シオンさんは頷いた。


「ですが、私へ提示された両親の記録には不自然な欠損がありました。私の感情を揺さぶるために、意図的に再構成された可能性があります」


「何を根拠に」


「私自身が見ました」


 シオンさんは、俺とナナを見る。


「凪くんと、ナナさんも」


 ナナが一歩前に出た。


 監査官たちが警戒する。


『協会設備に旧施設由来の中核演算装置が使用されていることを確認しました』


 ナナの声は冷たい。


『当該装置は、マスターおよびシオン個体へ無許可接続を実行しました。これは協会の検査手順を逸脱しています』


「君は何者だ」


『ナナです』


「そうではない」


『それ以上の情報開示は、マスターの安全が保証されるまで拒否します』


 ナナらしい答えだった。


 監査官は何かを言いかける。


 だが、その時。


 施設全体が大きく揺れた。


 中央の青白い柱に、亀裂が走る。


『旧施設中核が停止します』


 ナナが告げる。


『この区画は崩落の危険があります』


「先に言え!」


『今、分かりました』


『はいはい撤収でーす! 感動回のあとは脱出イベント! 最後までサービス精神旺盛ですね、この施設!』


「いらないサービスだな!」


 りくを支え、シオンさんをひよりが支える。


 天音は端末で通路を確認する。


 ナナは俺の隣で、青白い光の道を指し示した。


『マスター、こちらです』


「歩けるのか?」


『はい』


 ナナは俺を見る。


『少しだけなら』


「じゃあ、行こう」


『はい』


 俺たちは走った。


 崩れ始める地下区画を抜ける。


 警報が鳴り続ける。


 壁が砕け、青白い光が消えていく。


 途中でりくが痛みに顔をしかめ、ひよりが必死に支える。


 天音は何度も転びそうになりながらも、端末を離さない。


 シオンさんは、何度もこちらを見た。


 そのたびに、俺は頷いた。


 大丈夫だ、と言いそうになって。


 やめた。


「帰りましょう」


 俺がそう言うと、天音が少しだけ笑った。


「今の声は、軽くないです」


「判定厳しいな」


「最古参なので」


 そうして、俺たちは地上へ戻った。


 ◇


 その日の夜。


 協会本部で起きた一連の騒動は、正式には「旧設備の誤作動」として処理された。


 もちろん、そんな説明で全部が片付くはずもない。


 俺の右手。


 シオンさんの紋章。


 協会本部地下の旧施設。


 シオンさんの両親の記録。


 そして、ナナのこと。


 分からないことは、むしろ増えた。


 でも。


 ひとつだけ、はっきりしたことがある。


 シオンさんは敵じゃない。


 ナナはただの管理AIじゃない。


 そして、俺たちはもう、無関係ではいられない。


 協会本部を出たあと、俺たちは深界原高校の近くまで戻ってきた。


 りくは治療を受け、右脚にがっちり固定具をつけられている。


「しばらく戦闘禁止って言われた」


「当然だな」


「でも、奥義は格好よかっただろ?」


「それは認める」


「ならよし」


 全然よくない。


 ひよりはシオンさんの隣にぴったりくっついていた。


「シオンさん、本当にもう大丈夫ですか?」


「ええ」


「その大丈夫は信用していいやつですか?」


「……たぶん」


「たぶんは駄目です!」


 シオンさんが少し困ったように笑う。


 その笑みは、もう冷たくなかった。


 天音は俺の少し後ろを歩きながら、何度もこちらを見ていた。


「どうした?」


「いえ。ナギさんがちゃんと歩いているか確認を」


「俺は幼児か」


「無茶する幼児より危ないです」


「ひどい評価」


『妥当です』


「ナナまで」


 そのナナは、俺の隣にいた。


 光の身体は、かなり薄くなっている。


 輪郭も時々揺れる。


 だけど、まだ消えていない。


「平気か?」


『平気ではありません』


「また正直だな」


『ですが、もう少しだけ維持できます』


「無理するなよ」


『それはマスターに返します』


「はい」


『返答が軽いです』


「天音みたいなこと言い始めた」


 ナナは少しだけ俺を見上げた。


 そして、そっと手を伸ばす。


 俺も手を出した。


 指先が触れる。


 ほんの少しだけ。


 温かい。


『マスター』


「何?」


『ナナは、これからも隠していることを少しずつ話します』


「うん」


『すべてを話すには、まだ情報が不足しています』


「うん」


『ですが』


 ナナは、俺の隣を歩きながら言った。


『ナナは、マスターの敵ではありません』


「知ってる」


『知っていたのですか』


「なんとなく」


『また、なんとなくですか』


「なんとなくは大事だろ」


『非論理的です』


「でも、当たる」


『はい』


 ナナは、小さく頷いた。


『マスターのそういうところは、少し困ります』


「嫌か?」


『いいえ』


 ナナは、ほんの少しだけ笑った。


『好きです』


 足が止まりかけた。


「……今、なんて?」


『好きです』


「そこ、普通に繰り返すのか」


『はい』


 背後で、ひよりが小さく息を呑む。


 りくが「おお」と言う。


 天音が赤いフレームの眼鏡を押し上げる音がした。


 シオンさんは、なぜか楽しそうにこちらを見ている。


『マスターを守ることも』


 ナナは続ける。


『マスターと話すことも』


 光の指先が、俺の指に触れる。


『マスターの隣にいることも』


 夜風が吹いた。


 ナナの輪郭が、少しだけ揺れる。


『ナナは、好きです』


「……そっか」


 俺は頭をかいた。


 何を言えばいいのか分からなかった。


 でも、ひとつだけ言えることがあった。


「俺も、ナナがいてくれて助かった」


『それは、好きと同義ですか?』


「そこ詰める?」


『重要です』


「……まあ」


 後ろから、ひよりと天音の視線が突き刺さる。


 りくはにやにやしている。


 シオンさんまで微笑んでいる。


 逃げ場がない。


「嫌いじゃない」


『表現が弱いです』


「今はこれで」


『不満ですが、記録します』


「記録するな」


『します』


 ナナは満足そうに頷いた。


 その姿が、少しずつ薄くなっていく。


「ナナ」


『時間切れです』


「消えるのか?」


『仮実体化が解除されるだけです。ナナは端末側へ戻ります』


「また、声だけに?」


『はい』


 ナナは少しだけ寂しそうに見えた。


 でも。


 次の瞬間には、まっすぐ俺を見た。


『ですが、一度立てました』


 白い光が、夜の中で揺れる。


『マスターの隣に』


「また立てる」


『はい』


「次は、もっと長く」


『はい』


 ナナは微笑んだ。


『予約として記録しました』


「その言い方、キャンプ場の時と同じだな」


『大事な約束なので』


 光がほどける。


 ナナの身体が、少しずつ透明になっていく。


 最後に、彼女は俺の手を握った。


 ほんの一瞬。


 本当に一瞬だけ。


 けれど、確かな温もりを残して。


『マスター』


「何?」


『やっと、マスターの隣を歩けました』


 その言葉を最後に。


 ナナの姿は、光になって消えた。


 端末から、いつもの声が聞こえる。


『ただいま戻りました』


「おかえり」


『はい』


 いつもの声。


 けれど、もう前とは違う。


 俺は知っている。


 ナナの手の温かさを。


 ナナが隣に立った時の顔を。


 そして。


 これから先、俺たちが向き合わなければならない秘密が、まだ山ほど残っていることも。


 右手の甲には、もう紋章は浮かんでいない。


 だが、皮膚の奥で、かすかな熱が残っていた。


 シオンさんの胸元にも、もう青白い光はない。


 けれど、彼女は静かに夜空を見上げていた。


 きっと、両親のことを考えている。


 冬華さんのことも。


 いつか、ちゃんと向き合う時が来るのだろう。


 協会も。


 旧施設も。


 《Leviathan》も。


 ナナの本当の役割も。


 全部、まだ終わっていない。


 でも。


 今はこれでいい。


 シオンさんは戻ってきた。


 りくも、ひよりも、天音も、エイトもいる。


 ナナもいる。


 声だけじゃなく。


 いつかまた、隣に立つために。


「帰るか」


 俺が言うと、みんなが頷いた。


 夜の校舎へ向かって、俺たちは歩き出す。


 少し騒がしくて。


 少し面倒で。


 少し危険で。


 でも、たぶん悪くない。


 俺の日常は、もう平穏とは言えない。


 それでも。


 隣にいてくれる存在がいるなら。


 前より少しだけ、歩いていける気がした。



お読みいただきありがとうございます。


本作はカクヨムでも連載中です。

小説家になろう版は、しばらく1日2話ずつ投稿していく予定です。


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