第48話 奥義は、だいたい身体に悪い
「逃げて、凪くん」
シオンの瞳から、一筋の涙が落ちる。
けれど。
逃げ道はなかった。
上にも。
下にも。
左右にも。
青白い氷の刃が、隙間なく俺たちを囲んでいる。
『《氷界断葬》、発動まで三秒!』
エイトの声が響く。
『回避経路なし! 防御した場合の生存率も、限りなくゼロに近いでーす!』
「明るく言う内容じゃないだろ!」
『暗く言ったら避けられるんですか!?』
「避けられない!」
『じゃあ明るくいきましょう!』
無茶苦茶だった。
でも、エイトの声があるだけで、身体は動いた。
「ひより!」
「見てます!」
ひよりの瞳が、強い光を放っている。
《魔力視》。
無数の氷刃。
シオンさんの胸元。
右腕。
《氷葬細剣 フリーレン・ローズ》。
それらを繋ぐ青白い魔力の流れを、ひよりは必死に追っていた。
「全部の刃が、剣を中心に繋がっています!」
「止められる?」
「無理です!」
「即答!」
「でも!」
ひよりが叫ぶ。
「剣の根元に、魔力が一瞬だけ集まります! 技を放つ直前です!」
『残り二秒!』
その瞬間。
りくが俺の前へ出た。
「なら、オレが止める」
「りく?」
「ほんの一瞬でいいんだろ?」
りくは拳を握る。
褐色の肌に、赤い魔力の線が浮かび上がった。
腕から肩へ。
胸元から腹部へ。
そして、両脚へ。
今まで見たことがないほど濃い魔力だった。
『警告!』
ナナの声が鋭くなる。
『筋肉個体の魔力回路が、許容値を超過しています!』
「筋肉個体って呼ぶな!」
『今はそこではありません!』
「わかってる!」
りくが腰を落とす。
両足の下で、凍った床が砕けた。
「ナギ」
「何?」
「絶対に、シオンさんを連れて帰れよ」
「りくも一緒に帰るんだよ」
「もちろんだ」
りくは笑った。
いつもの、何も考えていないような笑顔。
けれど、その額には汗が浮かんでいる。
「ちょっと身体が痛くなるだけだ」
『ちょっとではありません!』
「うるせぇ! こういう時くらい、格好つけさせろ!」
赤い魔力が爆発した。
りくの薄手のパーカーの袖が、内側から弾けるように裂ける。
黒いタンクトップの脇にも亀裂が走り、ショートパンツの裾が破れた。
露出した褐色の肌に、細い傷がいくつも浮かび上がる。
魔力が身体を内側から傷つけている。
「りくさん!」
ひよりが悲鳴を上げる。
「大丈夫だ!」
「その大丈夫は駄目です!」
「オレの大丈夫は、本当に大丈夫だ!」
「そんなルールありません!」
『発動まで一秒!』
シオンさんの細剣が振り下ろされる。
「来い!」
りくが叫んだ。
「奥義――《震天裂破脚》!」
踏み込んだ。
その姿が消える。
次に見えた時。
りくは、シオンさんの目の前にいた。
振り下ろされる《フリーレン・ローズ》。
そこへ、赤い魔力をまとった右脚が叩き込まれる。
剣と蹴りが激突した。
世界が割れたような音がした。
「うおおおおおおおっ!」
無数の氷刃が、一斉に降り注ぐ。
りくの身体が切り裂かれる。
肩。
腕。
脚。
裂けた服の隙間から、血が飛んだ。
それでも。
りくは脚を下ろさなかった。
「止まれええええええっ!」
赤と青白い光がぶつかる。
氷刃の軌道が、わずかに逸れた。
俺たちの身体すれすれを通過し、背後の壁へ突き刺さる。
轟音。
円形空間の壁が、まとめて凍りついた。
『《氷界断葬》の軌道変化を確認!』
エイトが両手を上げる。
『筋肉ちゃん、マジで止めました! 人間やめてません!?』
「まだ……人間だ……!」
りくは笑おうとした。
だが。
右脚から、嫌な音がした。
「ぐっ……!」
膝が崩れる。
りくの身体が床へ落ちる直前。
ひよりが飛び込んで、その肩を支えた。
「りくさん!」
「重いぞ、ひより」
「今それ言います!?」
「冗談だ」
「全然笑えません!」
りくの右脚が震えている。
皮膚の下で魔力が暴れ、赤い線が明滅していた。
『筋繊維損傷。右脚の魔力回路にも複数の断裂を確認』
ナナが告げる。
『これ以上の戦闘行動は禁止します』
「まだ戦える」
『禁止です』
「でも」
『禁止です』
「二回言うなよ……」
りくは悔しそうに笑った。
その身体を、ひよりが強く抱える。
「もう十分です。りくさんが作ってくれた時間、無駄にしません」
ひよりは顔を上げた。
瞳の光は消えていない。
「先輩!」
「見えてる?」
「はい!」
シオンさんの剣。
りくの蹴りを受けたことで、青白い魔力の流れが大きく乱れている。
「今なら、剣の方へ流れをずらせます!」
『有効時間、推定八秒!』
エイトが空中へ数字を表示する。
『カウントダウンスタート! 七、六……』
俺は床を蹴った。
シオンさんとの距離を詰める。
「来ないで!」
シオンさんが細剣を振る。
さっきまでの速度はない。
りくの蹴りで、剣を持つ右腕も傷ついたらしい。
一撃目を避ける。
二撃目は避けきれず、検査着の胸元が裂けた。
冷たい刃が皮膚を浅く切る。
『マスター!』
「まだ動ける!」
「またその声です!」
天音の叫びが飛んできた。
彼女は柱の陰で、赤いフレームの眼鏡を押さえている。
「ナギさん、右です!」
「右?」
「昔の配信で、剣を持ってる相手に近づいた時です! ナギさん、相手の利き手側から入ってました!」
「普通は逆じゃないか?」
「普通に避けるより、相手が迷うって言ってました!」
言った気がする。
登録者がほとんどいなかった頃。
そんなことを適当に喋りながら戦っていた。
「シオンさんは右利きです!」
「見ればわかる!」
「なら、迷わせてください!」
簡単に言ってくれる。
でも。
天音はずっと俺を見てきた。
俺自身が忘れている動きまで。
「了解」
俺は左へ身体を振った。
シオンさんの視線が追う。
その瞬間、右へ踏み込んだ。
「っ!」
シオンさんが迷う。
ほんの一瞬。
けれど、それで十分だった。
『あと四秒!』
俺はシオンさんの右腕を掴んだ。
冷気が腕へ突き刺さる。
皮膚が凍る。
「離して、凪くん!」
「嫌です」
「このままだと、あなたまで繋がる!」
「繋がらないと、助けられないだろ」
「どうして……!」
「約束したんで」
「誰と」
「みんなと」
りく。
ひより。
天音。
エイト。
そして。
ナナ。
俺は左手で《氷葬細剣 フリーレン・ローズ》の刀身を掴んだ。
手のひらが裂ける。
血が青白い刃へ落ちた。
『マスター、待ってください!』
ナナの声。
『直接接続は危険です!』
「でも、これしかない」
『他に手がないとは言っていません! 別の方法を演算します!』
「何秒かかる?」
ナナは答えなかった。
『あと二秒!』
エイトが叫ぶ。
ひよりが、俺たちを見つめる。
「先輩! 胸元から剣へ、流れが動きます!」
「わかった!」
「でも、全部受けたら先輩まで引っ張られます!」
「そこは何とかする!」
「何とかって何ですか!?」
「これから考える!」
『ノープラン乙!』
「エイト、今は黙ってろ!」
『明るさ担当なので黙りません!』
シオンさんの胸元に浮かんだ紋章が輝く。
青白い流れが右腕を通り、剣へ向かう。
俺の右手の紋章も、それに呼応して光を放った。
「凪くん」
シオンさんの声が震える。
「お願い。離して」
「嫌です」
「あなたまで壊れる」
「壊れませんよ」
「どうして言い切れるの」
「ナナがいるんで」
『……マスター』
「ナナが俺を守ってくれる」
ほんの一瞬。
ナナが黙った。
「だから、シオンさんは俺が助けます」
『あと一秒!』
青白い光が爆発した。
俺の右手。
《フリーレン・ローズ》。
シオンさんの胸元。
三つの紋章が、一本の光で繋がる。
視界が真っ白になった。
「――凪くん!」
シオンさんの声。
『マスター!』
ナナの声。
どちらも遠くなっていく。
身体の感覚が消える。
足元がなくなる。
俺は、深い青白い光の中へ引きずり込まれていた。
◇
目を開ける。
そこは。
どこまでも続く、凍りついた世界だった。
白い研究施設。
崩れた壁。
青白い機械。
その中央で。
幼いシオンが、一人で泣いている。
そして。
その背後に。
巨大な赤い瞳が、ゆっくりと開いた。
『継承候補』
『接続を確認』
『保護端末の介入を排除します』
頭の中へ、無機質な声が響く。
同時に。
今までずっと聞こえていたナナの声が、途切れた。
「ナナ?」
返事はない。
「おい、ナナ」
何度呼んでも。
世界は、静かなままだった。
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本作はカクヨムでも連載中です。
小説家になろう版は、しばらく1日2話ずつ投稿していく予定です。
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