第47話 ナギVSシオン 氷姫は止まれない
「次は、止められないわ」
シオンの声とともに。
部屋の温度が、一気に落ちた。
吐いた息が白くなる。
床を覆っていた氷が隆起し、鋭い刃へ変わっていく。
『マスター、後退してください!』
「下がったら、シオンさんに近づけないだろ」
『近づけば斬られます!』
「それは困るな」
『困る、で済ませないでください!』
ナナの声が珍しく荒れている。
次の瞬間。
シオンが消えた。
「右です!」
ひよりの声。
考えるより先に身体を倒す。
俺のいた場所を、青白い細剣が通り過ぎた。
検査着の肩が薄く裂ける。
少し遅れて、皮膚に赤い線が走った。
「速っ」
『シオンちゃん、通常時の一・八倍速でーす!』
エイトが明るい声で報告する。
『なお、加速中! チート乙!』
「本人に言ってやれ」
「聞こえているわ」
背後から声。
振り向く。
目の前に、シオンがいた。
《氷葬細剣 フリーレン・ローズ》。が俺の胸へ迫る。
「《衝牙》!」
横から飛び込んできたりくの拳が、剣の腹を殴った。
甲高い音。
軌道が逸れる。
細剣は俺の脇を抜け、背後の床を突き刺した。
氷が爆発する。
「ナギ! ぼさっとすんな!」
「助かった」
「礼はあと!」
りくが俺を庇うように前へ出る。
シオンさんは床から剣を抜いた。
その表情は苦しそうだった。
「りくちゃん。退いて」
「嫌だ」
「あなたまで傷つけたくない」
「だったら、早く戻ってこいよ」
りくは拳を構えた。
「ナギもひよりも、お前が戻ってくるって信じてる。オレもそうだ」
「……簡単に言うのね」
「難しいことは苦手だからな」
りくが笑う。
「でも、信じるだけなら簡単だろ?」
シオンさんの瞳が揺れた。
ほんの一瞬。
青白い光が弱くなる。
「今です!」
ひよりが叫ぶ。
「胸元の流れが細くなりました!」
『感情変化による接続低下を確認』
ナナが続ける。
『シオン個体自身の意識が、外部適応処理へ抵抗しています』
「じゃあ、話しかけ続ければいいのか?」
『それだけでは不十分です』
シオンさんの周囲に、再び氷の薔薇が咲く。
今度はさっきより多い。
数十。
いや、百を超えている。
『同期率、五十八パーセント!』
エイトが空中に数字を表示する。
『抵抗すると下がる! でも旧施設側が力ずくで上げてくる! 綱引き状態ですね!』
「綱を切る方法は?」
『現在検索中! しばし待たれよ!』
「待ってくれそうにないけど」
氷の薔薇が一斉にこちらを向いた。
花びらが刃へ変わる。
「散ってください!」
ひよりの声で、全員が別方向へ飛ぶ。
無数の氷刃が降り注いだ。
りくは拳で砕く。
ひよりと天音は頭を抱えて、柱の陰へ飛び込んだ。
「私、戦闘なてんしたことないんですが!?」
『天音ちゃん、右へ三歩!』
エイトが叫。
「右!? それって私から見て右ですか? エイトさんから見て右です?」
混乱する天音。
『あ、えっとエイトちゃんから見て右かな……ってとこは、やっぱり左!』
「どっちですか!?」
天音が転がるように移動した直後。
氷の刃が柱へ突き刺さる。
「死ぬかと思いました!」
『生存しているのでセーフです!』
「判定が雑すぎます!」
エイトは明るい。
けれど、そのホログラムにはノイズが増えていた。
旧施設の干渉を受けているらしい。
「エイト、大丈夫か?」
『余裕です!』
身体の一部が一瞬だけ消える。
『この程度、古のネット回線に比べれば爆速ですよ!』
「比較対象が分からない」
俺は床を蹴った。
シオンとの距離を詰める。
剣が振られる。
一撃目を避ける。
二撃目を腕で受ける。
検査着が裂け、血が飛ぶ。
『マスター!』
「浅い!」
三撃目。
細剣の軌道を、右手で弾く。
青白い紋章と刀身が触れた瞬間。
視界が反転した。
◇
白い部屋。
泣いている少女。
今よりずっと幼いシオンだった。
その前には、背を向けた女性がいる。
長い暗青色の髪。
『姉さんのせいよ』
幼いシオンさんの声。
『姉さんが、お父さんとお母さんを守れなかったから』
女性は何も答えない。
『どうして何も言わないの』
それでも答えない。
『謝ってよ』
小さな拳が、姉の背中を叩く。
女性は振り返らないまま。
ただ、小さく言った。
『ごめんなさい』
映像が崩れる。
別の記憶。
父と母の背中。
青白い光。
警報。
母らしき声。
『……継承候補を……』
違う。
映像の一部が、不自然に切れている。
言葉の前後が繋がっていない。
これは記憶じゃない。
誰かが、シオンの感情を揺らすために組み合わせたものだ。
◇
「凪くん!」
シオンさんの声で意識が戻る。
目の前には、剣の切っ先。
俺は首を逸らした。
頬が切れる。
血が流れる。
シオンさんが、息を呑んだ。
「どうして避けないの!」
「避けましたよ」
「完全には避けていないでしょう!」
「全部避けたら、触れないんで」
「馬鹿なの?」
『ナナも同意します!』
「今それ言う?」
俺は《氷葬細剣 フリーレン・ローズ》を掴んだ。
手のひらが切れる。
冷気が骨まで刺さる。
それでも離さない。
「シオンさん。見せられた記憶、切り貼りされてます」
「……何を」
「お母さんの言葉。途中が抜けてる」
シオンの顔が強張った。
「嘘よ」
「シオンさんも気づいてるだろ」
「黙って」
「本物かもしれない。でも、全部が本物とは限らない」
「黙って!」
冷気が爆発する。
俺の身体が吹き飛ばされた。
床を転がり、背中を壁へ打ちつける。
「ナギ!」
りくが駆け寄る。
「平気だから」
「その言い方やめろって!」
「それ、本当に平気じゃない時の声です!」
天音の声だった。
柱の陰から、こちらを見ている。
「今は戦ってるから仕方ないだろ」
「仕方なくありません!」
天音は震えていた。
怖いはずだ。
戦う力もない。
氷の刃が飛び交う場所で、立っているだけでも怖い。
それでも逃げていない。
「ナギさん、昔も同じことをしてました」
「昔?」
「二層で迷子になった時です!」
「その話、今する?」
「します!」
天音が赤いフレームの眼鏡を押し上げる。
「壁から魔力が逆流して、出口が全部閉じた時。ナギさん、流れに正面から逆らわなかったですよね」
思い出す。
まだ登録者がほとんどいなかった頃。
浅い層で道に迷った。
壁を壊そうとしても、魔力が戻ってきて出口が塞がる。
だから。
「流れを一回、別の道へ逃がした」
「はい!」
天音が頷く。
「シオンさんの中の流れも、切れないなら、ずらせないんですか?」
『……可能性はあります』
ナナが答えた。
『接続を強制切断すれば、シオン個体の精神や魔力回路に損傷を与える恐れがあります。しかし、一時的に別経路へ流せれば』
「その隙に、シオンさんを引き戻せる」
『はい』
「別経路は?」
ひよりが、シオンを見つめている。
《魔力視》の光が、これまで以上に強くなっていた。
「あります」
「どこ?」
「剣です」
ひよりが《氷葬細剣 フリーレン・ローズ》を指す。
「シオンさんの胸元から入った流れが、腕を通って剣にも繋がってます。剣の方へ全部流せれば、少しだけシオンさんの中が空くかもしれません」
『解析します!』
エイトが空中へ無数の画面を展開する。
『魔力経路確認! 接続ポイント三か所! 胸、右腕、フリーレン・ローズ! ひよりちゃん大正解! 花丸百点!』
「今、褒められても……!」
『褒められる時に褒められときましょうよ!』
方針は決まった。
あとは、シオンさんに近づいて、剣へ魔力を流す。
簡単だ。
近づければ。
「シオンさん」
俺は立ち上がる。
「もう少しだけ付き合ってください」
「……来ないで」
「無理です」
「どうして」
「助けるって約束したんで」
シオンの顔が歪む。
怒っているのか。
泣いているのか。
本人にも分からないのかもしれない。
「あなたは、いつもそう」
足元の氷が砕ける。
「自分が傷つくことを、何とも思っていない」
「何とも思ってなくはないですよ。痛いし」
「なら、止まりなさい!」
シオンさんが剣を振り上げた。
氷の魔力が、天井まで噴き上がる。
円形空間全体が震えた。
床から巨大な氷柱が立ち上がり、青白い魔法陣を形作る。
『魔力値、急上昇!』
エイトが叫ぶ。
『シオンちゃんの最大出力を超えてます!』
「何が来る?」
りくが身構える。
シオンさんの唇が動いた。
「《氷界断葬》」
空間そのものが凍った。
俺たちの周囲を、数えきれないほどの氷の刃が囲む。
上にも。
下にも。
左右にも。
逃げ道はない。
『回避経路、ありません!』
エイトの声。
『直撃します!』
シオンさんの瞳から、一筋の涙が落ちる。
「逃げて、凪くん」
でも。
もう、どこにも逃げる場所はなかった。
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