第45話 暴走の予兆
白い通路を、シオンは歩いていた。
前後を監査官に挟まれて。
腰にあった《氷葬細剣 フリーレン・ローズ》は、すでに取り上げられている。
透明な保管ケースに収められ、別の職員が運んでいた。
まるで、自分が犯罪者にでもなったようだった。
「隔離検査ではなかったのですか」
「その前に、確認事項がある」
先頭の監査官は振り返らない。
「私の両親について?」
「そうだ」
それ以上、男は答えなかった。
エレベーターに乗り、さらに地下へ降りる。
階数表示が消えた。
地下五階を過ぎたところで、数字そのものが表示されなくなったのだ。
「この区画は、協会の施設案内には存在しないはずですが」
「S級探索者にも開示されない区画はある」
「便利ですね。機密という言葉は」
男はシオンの言葉に答えない。
扉が開いた。
そこには、協会本部の他の階とは明らかに違う空間が広がっていた。
壁を走る青白い光。
金属とも石ともつかない材質。
古い文字列が、床の一部に浮かんでは消えている。
シオンは立ち止まった。
「旧施設……」
「気づいたか」
監査官が答える。
「協会本部は、旧施設の上に建設されている」
「そんな情報は聞いていません」
「公表する必要がない」
「誰にとって?」
返事はなかった。
シオンは、胸元へ手を当てた。
先ほどから、青白い紋章が熱を持っている。
凪の右手に反応して現れたもの。
自分の中へ入り込んだ、異質な魔力。
この場所へ近づくほど、その鼓動は強くなっていた。
「こちらへ」
通されたのは、小さな監査室だった。
中央には机と椅子。
壁一面に、大型モニター。
そして、部屋の隅には《氷葬細剣 フリーレン・ローズ》の入った保管ケースが置かれた。
「座れ」
シオンは椅子に座る。
監査官たちは部屋を出ていった。
代わりに、奥の扉から一人の男が現れる。
見覚えがあった。
上ケ屋アリスを救護施設へ運んだ夜。
シオンへ声をかけてきた、協会職員の男。
「また会ったね。氷鉋シオン」
「あなたは、監査部の人間ではありませんね」
「所属など、今は重要ではない」
「私には重要です」
「そう警戒しなくていい。私は君へ真実を伝えたいだけだ」
「真実という言葉を使う人間ほど、信用できないものです」
男は小さく笑った。
「姉君に似ている」
空気が、急激に冷えた。
「姉を知っているのですか」
「氷鉋冬華。君よりも先に、ここへたどり着いた人物だ」
「何を言っているの」
「彼女は何も話していないのか?」
男の言葉に、シオンの胸がざわついた。
姉は昔から多くを語らない。
両親が死んだ日も。
自分を守れなかったと責められた時も。
ただ黙って、シオンの言葉を受け止めていた。
「姉は関係ありません」
「本当にそう思うか?」
男が端末を操作する。
壁のモニターに、一枚の写真が表示された。
薄暗い研究区画。
青白い機械。
その前に立つ、男女の後ろ姿。
顔は鮮明ではない。
けれど、シオンには分かった。
「……お父さん」
隣にいる女性。
長い暗青色の髪。
幼い頃、何度も櫛を通してくれた母の髪。
「お母さん……」
「十一年前に撮影された映像だ」
「嘘よ」
「君が七歳だった頃だ」
「両親は、ダンジョン調査中にモンスターに襲われたと聞いています」
「それが、協会から君たち姉妹へ伝えられた説明だ」
映像が切り替わる。
表示されたのは、古い報告書だった。
【第零研究区画・封鎖事故】
【旧施設信号の異常増大】
【適応実験対象の制御喪失】
【死亡者 二名】
名前の部分は黒く塗りつぶされている。
だが、その下にある識別番号。
氷鉋家の探索者登録番号と、一部が一致していた。
「両親は、モンスターに殺されたのではない」
男が言う。
「旧施設に関わったために死んだ」
「……何をしていたの」
「彼らは、適応済み個体について調査していた」
シオンの脳裏に、凪の姿が浮かんだ。
右手に青白い紋章を宿した少年。
どれだけ危険な場所でも、気の抜けた声を崩さない。
自分が傷つくことを、危険だと思っていない少年。
「大豆島凪……」
「そう。彼は、君の両親が追っていたものと同じ存在だ」
「同じとは限りません」
「《Leviathan》は彼を継承候補と認証した」
「配信で流れた情報です。誰でも知っています」
「では、なぜ君にも同じ紋章が現れた?」
シオンは答えられなかった。
「君の両親は、旧施設の研究中に何かを見つけた。協会が隠し続けてきた、世界の根幹に関わるものを」
「それが、凪くんだと言うの?」
「彼自身ではない。彼の中にあるものだ」
男が再び端末を操作する。
音声データが再生された。
激しいノイズ。
警報音。
誰かの荒い息。
その奥から、女性の声が聞こえる。
『……継承候補を……守って……』
シオンの心臓が止まりそうになった。
声は不鮮明だった。
母の声に似ている。
けれど。
幼い頃の記憶しか残っていない。
本当に母なのか、判断できない。
「これは……」
「事故直前の記録だ」
「音声はいくらでも加工できます」
「そう思うなら、それでもいい」
男は余裕を崩さない。
「ただし、君の身体は反応している」
胸元の紋章が強く光る。
ずきりと、心臓の奥が痛んだ。
部屋の隅で、保管ケースが震えた。
《氷葬細剣 フリーレン・ローズ》。
透明なケースの内側に、白い霜が広がっていく。
「君の武器も反応している」
「この剣は、両親とは関係ありません」
「本当に?」
男の問いに、シオンは眉を寄せる。
「その細剣の核に使われている青晶石は、どこから持ち込まれたものだ?」
「協会の工房で製造されたと」
「協会は、何を材料にした?」
保管ケースに亀裂が走った。
ぱきり。
小さな音が、やけに大きく響く。
「君も、大豆島凪も、同じ場所へ繋がっている」
「……」
「彼を連れてこなければならなかった理由が、分かっただろう」
「凪くんをどうするつもりですか」
「調べるだけだ」
「その言葉は、もう聞き飽きました」
シオンは男を睨む。
「彼を傷つけるつもりなら、私は協力しません」
「君に選択権があると思うのか?」
男の声から、わずかに温度が消えた。
「穂保ひよりを守りたいのだろう?」
「彼女に手を出したら」
「出さない。君が協力する限りは」
床に薄い氷が広がる。
男は、それを見ても動じなかった。
「さらに言えば、君の両親の死を隠した者たちは、今も協会の中にいる」
「誰ですか」
「それを知りたければ、大豆島凪を観察しろ」
「凪くんを利用しろと?」
「真実へ近づく鍵としてな」
「……最低ですね」
「世界を守るためには、綺麗な手段だけでは足りない」
シオンは拳を握る。
爪が手のひらへ食い込む。
母の声に似た音声。
父の背中。
姉の沈黙。
凪の右手。
自分の胸に浮かんだ紋章。
何が本当で。
何が嘘なのか。
分からない。
ただ一つ確かなのは。
この男を信用してはいけないということだった。
「資料を渡してください」
「持ち出しは禁止されている」
「なら、証拠とは呼べません」
「慎重だな」
「あなたよりは」
男は笑う。
「いいだろう。君はすぐに決断しなくていい」
そう言って立ち上がった。
「だが、時間はない」
「どういう意味ですか」
「同期が始まっている」
男がシオンの胸元を見る。
「君と大豆島凪のな」
その瞬間。
保管ケースが内側から弾け飛んだ。
《氷葬細剣 フリーレン・ローズ》が宙へ浮かぶ。
青白い光が、刀身を走った。
「……っ!」
シオンが手を伸ばす。
剣が吸い寄せられるように、その手へ収まった。
直後。
頭の中に、無機質な声が響く。
『第二対象』
『外部適応処理を継続』
『感情負荷を確認』
『記録領域を開放します』
「やめて……!」
シオンの視界が白く染まる。
冷たい。
身体の内側から、すべてが凍っていく。
◇
一方。
検査室に残された俺たちは、閉じた扉を睨んでいた。
「シオンさんをどこへ連れていったんだ」
監査官は答えない。
「隔離検査だ」
「両親の死について確認するって言ってただろ」
「君に開示する情報ではない」
「本人に見せていい情報なら、俺たちに隠す必要あるのか?」
「大豆島凪。君は自分の立場を理解していない」
「重要監察対象だろ。さっきから何度も聞いた」
『マスターの理解力に問題はありません。協会側の説明能力に問題があります』
「ナナ、煽らなくていい」
『事実です』
監査官の顔が引きつる。
りくが、扉の前で拳を鳴らした。
「もう壊していいか?」
「まだ待て」
「まだ、なんだな?」
「そこ拾うな」
ひよりは、さっきから何も言わずに壁を見ていた。
瞳に淡い光が宿っている。
「ひより?」
「シオンさんの魔力が、遠くに動いてます」
「場所は分かる?」
「この階より、もっと下です」
天音が首をかしげる。
「でも、エレベーターの階数表示はここが最下層でしたよね」
『隠し階層乙、ですね!』
エイトが明るく言う。
『協会本部、秘密の地下フロア完備! 怪しい組織ポイントが加算されました!』
「エイト。経路は分かるか?」
『通常の施設図面にはありません。ただし、旧施設信号を辿ればワンチャンあります!』
「ワンチャンで地下に潜るのか」
『大丈夫です! こういう時のワンチャンは、だいたい当たります!』
「根拠は?」
『古のネット民の勘です!』
「信用できないな」
などと話していると、ひよりが、急に胸元を押さえた。
「……っ」
「どうした?」
「シオンさんの魔力が、急に強くなりました」
床の下。
見えない深い場所から、青白い光が立ち昇る。
ひよりにしか見えないはずなのに。
今は、俺にも感じた。
右手の紋章が熱を持つ。
それに呼応するように、協会本部全体が低く震えた。
『外部適応反応、急速増大』
ナナの声が硬くなる。
『シオン個体の同期率が上昇しています』
「どのくらい?」
短い沈黙。
『三十七パーセント』
「さっき二十四だったよな」
『はい』
「上がるの早すぎないか?」
『異常です』
ひよりが顔を上げる。
その瞳には、不安が浮かんでいた。
「先輩」
「何?」
「シオンさんが、泣いてます」
「見えるのか?」
「姿は見えません。でも、魔力が……すごく悲しい色になってます」
次の瞬間。
建物の奥から、激しい衝撃が響いた。
白い壁に霜が走る。
天井から氷の欠片が落ちた。
警報が、再び鳴り始める。
【第二対象 同期率上昇】
【感情負荷 危険域】
【外部適応処理 継続】
『はいはい、最悪の更新入りました!』
エイトは明るい声のまま、両手を広げた。
『シオンちゃん、絶賛暴走準備中です!』
俺は検査台から右手を引き剥がした。
皮膚が裂け、血が滲む。
『マスター!』
「シオンさんのところへ行く」
「ナギ、やっとか!」
りくが笑って扉の前に立つ。
天音は赤いフレームの眼鏡を押し上げた。
「私も行きます」
「危険だぞ」
「置いていかれる方が嫌です」
ひよりも頷く。
「私が案内します。シオンさんの魔力を追えます」
監査官が前に出た。
「待て。これ以上の行動は認められない」
「なら、止めてみてください」
自分でも驚くほど、声は軽かった。
天音がすぐに俺を見る。
「ナギさん。またその声です」
「今は言わなくていい」
「言います。絶対に一人で行かないでください」
「分かってる」
右手の紋章が、強く光る。
その光が、床の一点へ線を伸ばした。
隠された地下への道を示すように。
そして。
遥か下から、氷が砕ける音が響いた。
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