第40話 シオン外伝③氷姫の決断
探索者協会本部。
地下査問室。
白い壁。
白い机。
白い照明。
そこには、温度というものがなかった。
氷鉋シオンは、椅子に座っていた。
向かい側には、協会の監査官が三人。
その後ろには記録係。
全員が、冷たい目をしている。
慣れている。
S級探索者になってから、何度もこういう視線は向けられてきた。
期待。
警戒。
恐怖。
利用価値。
そのどれか。
けれど、今日の視線は少し違った。
裁く側の目だった。
「氷鉋シオン」
中央の監査官が口を開く。
「本日付で、君のS級探索者資格を一時停止する」
白い部屋に、その言葉だけが落ちた。
シオンは表情を変えなかった。
「理由を伺っても?」
「協会への報告義務違反。第六層における独断行動。大豆島凪との接触における中立性の欠如。そして、戦闘能力値の異常変動に伴う安全確認だ」
淡々と読み上げられる。
まるで、あらかじめ用意された文章を処理しているだけのようだった。
「第六層での独断行動については、報告書を提出しています」
「報告が遅い」
「救護対象がいました」
「上ケ屋アリスの件か」
監察官の一人が資料をめくる。
「未成年探索者が危険区域に侵入し、負傷した。現場には君がいた」
「彼女は私の指示で第六層へ来たわけではありません」
「だが、結果として負傷した」
「私が救助しました」
「救助した事実と、管理責任は別だ」
言葉が、冷たい刃のように返ってくる。
シオンは静かに息を吸った。
感情を出してはいけない。
この場では、感情を見せた方が負ける。
「それで」
シオンは監察官を見る。
「本題は、大豆島凪くんですか」
室内の空気が、わずかに変わった。
正解だったらしい。
「大豆島凪は、現時点で協会の最重要監察対象だ」
「知っています」
「君には、彼の危険性を判断する役割が与えられていた。S級探索者として、必要なら対処することも含めて」
「はい」
「だが、君の報告書には彼を危険視する記述が少ない。むしろ、擁護する内容が目立つ」
「現場で見た事実を書きました」
「情が移ったのではないか」
シオンは、すぐには答えなかった。
大豆島凪。
低い声。
気の抜けた態度。
なのに、誰よりも危険な場所へ踏み込む少年。
彼を危険ではないと言うつもりはない。
むしろ危険だ。
あの力も。
彼の周りに集まるものも。
そして、彼自身が無自覚に抱えている何かも。
だが。
「大豆島凪は、危険因子ではあります」
シオンは言った。
「ですが、同時に保護対象です。少なくとも現時点で、制圧対象ではありません」
「それを判断するのは君ではない」
「現場で判断するために、私を配置したのでは?」
監査官の眉がわずかに動いた。
記録係の指が止まる。
「言葉には気をつけたまえ」
「事実です」
シオンは目を逸らさなかった。
その時、別の監査官が資料を一枚持ち上げた。
「君だけの問題ではない」
「……何の話ですか」
「穂保ひより」
その名前が出た瞬間。
シオンの指先が、ほんのわずかに動いた。
「彼女にも、協会公認サポートスタッフとして監察補助の役割が与えられていた」
「ひよりさんは、私の補助として現場にいただけです」
「彼女の《魔力視》は高レベルの感知スキルだ。大豆島凪の魔力異常、適応反応、旧施設との接続兆候。それらを観測する役割としては十分に有用だ」
「彼女は、その任務の本質を理解していませんでした」
「理解していなかったで済む話ではない」
監察官の声が少し硬くなる。
「彼女の報告にも、大豆島凪を危険視する記述はほとんどない。むしろ、彼を信頼しているような記述が散見される」
「それは、彼女が現場を正しく見たからです」
「君の影響を受けた可能性もある」
「ありません」
即答だった。
それまで平静だったシオンの声に、初めて明確な硬さが混じる。
「ひよりさんは関係ありません」
「関係ないとは言えない。彼女も協会に登録されたサポートスタッフだ」
「彼女はまだ学生です。協会の命令を十分に理解していたとは言えません」
「それを言うなら君もまだ学生だろう。それだけでは彼女に責任能力がないとは言えないな」
「責任を問うなら、私に問うべきです」
シオンはまっすぐ監察官を見た。
「現場責任者は私です。監察判断も、報告内容も、すべて私の責任です」
「穂保ひよりを庇うのか」
「庇うのではありません。事実を述べています」
「では、君が責任を負うと?」
「はい」
短く答えた。
迷いはなかった。
ひよりは、自分を慕ってくれる後輩だ。
同じ学校の後輩。
少し抜けていて、素直で、危なっかしい。
協会の思惑など、深く理解していたはずがない。
それを利用したのは、協会側だ。
ならば。
彼女に刃を向けさせるわけにはいかない。
「よろしい」
中央の監察官が、ゆっくりと書類を閉じた。
「では、氷鉋シオン。君のS級探索者資格一時停止は正式に受理される」
シオンは黙って聞いた。
「ただし、解除の道がないわけではない」
「条件は?」
「大豆島凪を協会本部へ連れてこい」
空気が、一段冷えた。
「任意同行だ。聴取に応じさせろ」
「彼が拒否した場合は?」
「必要に応じ、君の判断で制圧しても構わない」
シオンは、ほんの少しだけ目を細めた。
「凪くんを、ですか」
「彼は危険だ」
「まだ、そう決まったわけではありません」
「だから確認する」
監察官は、淡々と言った。
「彼が危険ではないという君の判断が正しいのなら、君自身の手で証明しろ」
「……」
「それに」
別の監察官が、低い声で続けた。
「君の両親の死についても、再調査が進んでいる」
シオンの呼吸が、わずかに止まった。
氷鉋家。
両親。
失った日。
そして、姉の背中。
忘れたことなど、一度もない。
「その情報も、審査結果によっては開示可能になるかもしれない」
「……それを、取引材料にするのですか」
「協会は、協力者に対して必要な情報を提供する」
吐き気がするほど、整った言い方だった。
怒りが胸の奥に立ち上がる。
だが、シオンはそれを凍らせた。
ここで怒れば、ひよりにも火の粉が及ぶ。
ここで拒めば、凪にも手が伸びる。
そして、両親の死の真相も遠のく。
「命令書を」
シオンは言った。
監察官が一枚の書類を差し出す。
そこには、簡潔な文字が並んでいた。
【対象:大豆島凪】
【任務:協会本部への任意同行】
【必要に応じ、戦闘制圧を許可】
紙が、ひどく重く感じた。
凪くんを敵だとは思っていない。
けれど、協会は彼を危険だと言う。
ひよりさんを守るため。
両親の死の真相へ近づくため。
そして、彼が本当に危険ではないと証明するため。
私は。
氷姫は。
彼の前に立たなければならない。
「……ごめんなさい、凪くん」
誰にも聞こえないほど小さく、シオンは呟いた。
命令書を握る指先に、白い霜が走る。
胸の奥で、氷が軋む音がした。
彼を守りたい。
けれど。
彼を守るために、私は彼へ刃を向けなければならない。
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