第33話 川遊びは、なんかだいたい距離感がバグる
翌朝。
人工の空は、やたらと気持ちよく晴れていた。
本物の太陽じゃない。
ホログラムだと分かっている。
それでも、森の上に広がる青空は綺麗で、川の水面はきらきら光っていた。
「……すごいな」
思わず呟く。
昨日はテント設営とカレー作りで終わったが、改めて見ると、この場所は本当に山奥のキャンプ場みたいだった。
木々の匂い。
土の感触。
川の音。
遠くに見える山。
全部が自然そのものに思える。
『マスター』
ナナの声が聞こえた。
『本日の気温、水温、紫外線量は川遊びに適した値へ調整済みです』
「調整できるのか」
『はい。マスターの快適性を最優先しています』
「過保護だなぁ」
『正常です』
いつもの返答だった。
少しだけ嬉しそうに聞こえるのが、最近はなんとなく分かるようになってきた。
「ナギー!」
川の方から声がした。
振り返った瞬間、俺は少しだけ固まった。
りくだった。
黒髪ショート。
褐色肌。
そして今日は、スポーティな赤いビキニの上に、薄い黒のラッシュガードを羽織っている。
水に濡れたらたぶん身体へ張り付くやつだ。
今はまだ乾いているのに、健康的な身体のラインがはっきり分かる。
引き締まった腹筋。
すらっと伸びた脚。
動きやすさ重視の格好なのに、やたら目のやり場に困る。
「どうだ!」
りくが両手を腰に当てて胸を張る。
「川遊びっぽいだろ!」
「似合ってる」
「お、おう……そういうの普通に言うなよ」
「聞いたのお前だろ」
りくの耳が少し赤くなる。
わかりやすい。
『マスターの視線停滞を確認しました』
「ナナ」
『事実です』
「今日も元気だな」
『マスターの視線管理は重要です』
「管理しなくていい」
その時、少し遅れてひよりが出てきた。
「せ、先輩……」
声が小さい。
ひよりは、白地に淡い水色のフリルがついたワンピース水着だった。
上から薄いパーカーを羽織っている。
フード付きで、袖が少し長い。
本人は隠しているつもりなのかもしれないが、ワンピース水着の柔らかいラインと、細い脚が逆に目立っていた。
恥ずかしそうに両手でパーカーの裾を握っているのが、またひよりらしい。
「……変じゃないですか?」
「変じゃない」
「ほ、本当ですか?」
「似合ってる」
「っ……!」
ひよりの顔が一気に赤くなった。
わかりやすい。
そのまま帽子のつばをぎゅっと押さえて、下を向いてしまう。
「ありがとうございます……」
小さい声だった。
でも嬉しそうだった。
そして最後に、天音が現れた。
「お、お待たせしました……!」
赤いフレームの眼鏡。
髪は濡れても邪魔にならないようにゆるくまとめている。
水着は紺色ベースのセパレートタイプで、胸元と腰回りに白いフリルがついていた。
その上から薄いパレオ。
温泉の時よりは落ち着いたデザインだが、本人の雰囲気と合っていて普通に可愛い。
問題は。
パレオの布が軽いせいで、風が吹くたびにふわっと揺れることだった。
「な、なんですか……?」
「いや」
「絶対見ましたよね?」
「川を見てた」
「川、そっちじゃないです!」
『マスターの弁明成功率は極めて低い値を示しています』
「ナナまで!」
天音が顔を赤くする。
赤フレーム眼鏡の奥の目が、完全に動揺していた。
「ナギさん、こういう時だけ妙に無自覚なの、配信時代から変わってません……!」
「配信時代ってなんだ」
「登録者三人時代からです!」
「そんな昔の俺を掘るな」
『最古参個体の観測記録は長期に及びますが、ナナはそれよりも長くマスターを観察しています』
「ナナも張り合うな」
『いやー、眼福ですねぇ』
エイトが空中でくるくる回りながら言った。
『褐色スポーティビキニ、清楚系フリルワンピース水着、赤メガネパレオ女子。これはもう属性過多です』
「実況するな」
『配信してないのが惜しいです』
「絶対するな」
『でも古のネット民なら言いますよ。保存した』
「何をだよ」
『記憶です』
「便利な言い訳だな」
エイトは楽しそうに笑う。
『ちなみにエイトちゃんも水辺仕様です!』
そう言うと、エイトのホログラム衣装がぱっと変わった。
白とブルーの縞柄ビキニ。
赤いボブ髪。
半透明の身体に水滴みたいなエフェクトがきらきら浮かんでいる。
『どうです? バーチャル水着です!』
「お前、水に濡れないだろ」
『気分です。気分は大事です』
妙に堂々としていた。
川の前に来ただけなのに、すでに騒がしい。
だが。
悪くなかった。
◇
「冷たっ!」
川へ足を入れたりくが声を上げる。
水は透明だった。
石の間をさらさら流れている。
足を入れると、冷たさが一気に伝わってきた。
「気持ちいいな」
「だろ!」
りくが水を蹴る。
ばしゃっ。
水しぶきがこっちへ飛んできた。
「おい」
「隙あり!」
さらに水をかけてくる。
「やったな」
俺も水をすくって返す。
ばしゃっ。
「うわっ!」
りくが笑う。
そのまま水中を走ってくる。
「ナギ、勝負だ!」
「何の」
「水かけ勝負!」
「小学生か」
「負けた方が昼飯の片付け!」
「水のかけあいに勝ちも負けもないだろ」
りくが近い。
水しぶき。
笑い声。
濡れたラッシュガードが肌に張り付き始めて、肩や胸元のラインがさっきよりはっきり分かる。
健康的。
本当に健康的。
だからこそ、妙に困る。
「ナギ、今どこ見た?」
「水面」
「ほんとか?」
「たぶん」
「たぶん!?」
『マスターの回答精度が低下しています』
「ナナ、実況やめろ」
「実況じゃなくて取り締まりだよな、それ!」
りくが笑いながらまた水をかけてくる。
その勢いで、俺の腕を掴んだ。
「ほら、こっち来いよ!」
「引っ張るな」
「いいから!」
足元の石が少し滑る。
「うお」
バランスを崩した瞬間、りくが慌てて支えようとしてくる。
だが、こっちもこっちでバランスを崩している。
結果。
どん。
りくの身体が正面からぶつかった。
「っ!?」
柔らかい感触。
水に濡れたラッシュガード越しに、体温まで伝わってきそうだった。
りくが一瞬固まる。
そして。
「ち、違うからな!? 今のは足元が滑っただけだからな!?」
「分かってる」
「分かってる顔じゃねぇ!」
耳まで赤い。
普段は勢いで押してくるくせに、こういう時だけ分かりやすく照れる。
そこがりくらしい。
◇
「せ、先輩」
今度はひよりだった。
川の浅いところで、両手を胸の前で握っている。
「私も……少しだけ、入ってみます」
「無理しなくていいぞ」
「だ、大丈夫です。せっかくですから」
ひよりは慎重に足を入れた。
「ひゃっ」
小さく声を上げる。
「冷たい?」
「冷たいです……でも気持ちいいです」
そっと一歩。
また一歩。
ひよりは小動物みたいに慎重だった。
しかし次の瞬間。
ぬるっと足元の石が滑った。
「あっ」
「ひより」
反射的に腕を伸ばす。
ひよりの身体を支える。
軽い。
本当に軽い。
薄いパーカーが水で少し濡れて、肩のあたりへ張り付いていた。
顔が近い。
ひよりの瞳が大きく揺れる。
「せ、先輩……」
「大丈夫か?」
「はい……」
小さい声。
耳まで赤い。
「でも、その……」
「ん?」
「もう少しだけ、このままでもいいですか……?」
川の音がする。
人工の空なのに、妙に眩しい。
ひよりは俺の腕をぎゅっと掴んでいた。
「転ぶよりはいいんじゃないか」
「はい……」
嬉しそうだった。
『マスター』
「ん?」
『後輩個体の心拍数が上昇しています』
「言わなくていい」
「ナナちゃんっ!?」
ひよりが慌てて離れようとする。
だが、足元が滑る。
「きゃっ」
また支える。
「無理に離れるな」
「うぅ……はい……」
さらに赤くなった。
◇
「わ、私だって……!」
天音が川岸からこちらを見ていた。
赤フレーム眼鏡を片手で押さえている。
「私だって川遊びくらいできます!」
「眼鏡大丈夫なのか?」
「防水対策および落下済みです!」
赤フレームの眼鏡の両方のつるが紐で結ばれていた。
「さすが」
「ナギさんの配信を見るために、どんな環境でも眼鏡を守れるようにしてあります!」
「理由が怖い」
「愛です!」
「怖い」
天音は勢いよく川へ入った。
そして。
「ひゃああああ冷たいですぅぅぅ!」
「声でかい」
「無理です冷たいですでも楽しいです!」
忙しい。
彼女は水をばしゃばしゃ蹴りながら進んでくる。
そのたびにパレオがひらひら揺れる。
足元の水が跳ねて、膝から太ももにかけて光っていた。
「ナギさん!」
「ん?」
「ここ、最高です!」
「それはよかった」
「隠れ家キャンプ! 人工空! 美少女たち! そしてナギさん!」
「最後いらない」
「いります!」
天音は拳を握る。
「これは完全に神回……いえ、配信してないので神現実です!」
「何だその単語」
『古のネット用語的には、リア充爆発しろ案件ですね』
エイトが相変わらずのセリフを放つと、天音が突然、真顔で俺を見つめてきた。
「ナギさん」
「何」
「昨日から思ってたんですけど」
「嫌な予感」
「私、現地参戦してよかったです」
少しだけ真面目な顔だった。
「配信で見てるだけじゃ、分からないことがたくさんありました。ナギさんがどれだけ普通にしてても、周りがどれだけ大変でも、ちゃんと笑ってるとことか。ナナちゃんが本当にナギさんを大事にしてることとか。ひよりちゃんも、りくさんも、みんな本当にナギさんの近くにいることとか」
「……」
「だから、私も負けません」
「何に?」
「恋愛戦線です!」
一瞬でいつもの天音に戻った。
「最古参として!」
「そこ関係ある?」
「あります!」
強かった。
◇
しばらく水遊びをしていると、エイトが突然手を叩いた。
『ではここでイベントです!』
「嫌な予感しかしない」
『安心してください。ただの川遊びミニゲームです』
「本当に?」
『たぶん』
「たぶんって言ったな」
エイトが空中へ丸いホログラムをいくつも表示する。
水面に浮かぶ光の玉。
『ルールは簡単です。川に浮かんだ光球を拾って、制限時間内に一番多く集めた人が勝ちです!』
「キャンプ場にそんな機能あるのか」
『ナナお姉ちゃんが用意しました』
「ナナ?」
『マスターが退屈しないように設計しました』
「……ありがとな」
『はい』
ナナの声が、少しだけ嬉しそうだった。
「よっしゃ、勝負だ!」
りくが即座に飛び出す。
「は、速い!」
ひよりも慌てて追う。
「私も行きます!」
天音も走り出す。
そして五秒後。
「きゃっ」
「うおっ」
「ひゃあっ」
全員、何かしら水をかぶっていた。
川遊びミニゲームは、ほぼ水かけ合戦になった。
「ナギ、そっち行った!」
「はいはい」
光球を拾う。
りくが横から飛び込んでくる。
「もらった!」
そのまま俺の腕にしがみつく。
「近い」
「勝負だからな!」
「勝負なら俺の腕を使うな」
「足場が悪い!」
言い訳だった。
反対側からひよりが光球を拾おうとして、またよろける。
「先輩っ」
「はいはい」
支える。
さらに後ろから天音が突っ込んでくる。
「ナギさん避けてくださ――きゃっ!」
結果。
三人がまとめて俺にぶつかった。
「……」
「……」
「……」
川の真ん中。
俺は三方向から女の子にしがみつかれていた。
りくは腕。
ひよりは胸元にしがみつくような形。
天音は背中側からパーカーを掴んでいる。
『マスター』
「何」
『マスターの周辺は現在、極めて混雑しています』
「見れば分かる」
『モテ期ですか?』
「違う」
『古のネットなら、爆発しろです』
「だから古い」
「わ、私は事故です!」
ひよりが真っ赤になる。
「オレも事故!」
りくも顔を赤くする。
「私は半分事故です!」
天音だけ少しおかしかった。
「半分って何」
「半分は幸運です!」
天音のセリフは妙に力強かった。
◇
川遊びは、昼過ぎまで続いた。
疲れた。
かなり疲れた。
だが、不思議と嫌ではなかった。
川岸へ上がると、りくは大きく伸びをした。
「楽しかったな!」
「元気だな」
「ナギも楽しそうだったぞ」
「まあ、それなりに」
りくがにっと笑う。
その横で、ひよりがタオルを差し出してきた。
「先輩、どうぞ」
「ありがとう」
「風邪ひかないでくださいね」
「ここ、気温調整されてるらしいけどな」
「それでもです」
真面目だった。
天音は少し離れたところで、赤フレーム眼鏡を丁寧に拭いている。
「眼鏡、大丈夫だったか?」
「はい。守り抜きました」
「戦利品みたいに言うな」
「私の命です」
「重い」
そして。
俺はふと気づく。
ナナは、ずっと見ているだけだった。
声は聞こえる。
指示もくれる。
ミニゲームも用意してくれた。
でも。
川へ入れない。
水をかけ合えない。
誰かに支えられることも。
足を滑らせることもない。
「ナナ」
『はい』
「楽しかったか?」
少し間があった。
『はい。マスターが楽しそうでしたので』
「お前は?」
また、少しだけ間。
『……ナナは』
声が小さくなる。
『水に入るという行為を、まだ理解できません』
「そうか」
『ですが』
ナナは続けた。
『もし可能なら、マスターと同じ場所に立ってみたいと思いました』
川の音がする。
りくたちの笑い声が遠くに聞こえる。
俺は水面を見た。
「そのうちな」
『……はい』
ナナの声は静かだった。
でも、少しだけ嬉しそうだった。
『そのうち、です』
人工の空が、ゆっくり午後の色へ変わっていく。
その下で。
俺たちの隠れ家キャンプは、まだ始まったばかりだった。
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本作はカクヨムでも連載中です。
小説家になろう版は、しばらく1日2話ずつ投稿していく予定です。
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