世界の崩壊
イカリ通信の暴力支店長、永江滋樹の生い立ちを探る。
暴力支店長「永江滋樹」は北関東の地方都市で生まれ育った。運送業を営む父親の「芳雄」、専業主婦の母親「由美子」、3歳離れた兄「堅一」、そして「滋樹」という4人家族。滋樹が生まれた頃の永江家は、三度の食事に困ることはなかったが家族揃って遠出を楽しむというほどの余裕はない、そんな家庭だった。
両親は特筆すべき学歴こそないものの博学で賢く、義理人情に厚い好人物であった。人格的に優れた親に育てられた永江家の子どもたちは、品行方正で礼儀正しい「いい子」として近所で評判であった。滋樹には、周囲の大人たちから特別に可愛いがられた幼い頃の記憶がある。
基本的な生活習慣、物事の是非善悪、礼儀作法など躾は厳しかったが、そうしたことを除けば両親の子どもたちに対する態度は穏やかで優しく、家庭内は常に笑いに満ちていた。こうした家庭内の和やかな雰囲気は、夫婦仲の良さからくるものだった。滋樹には父母が言い争いをしている場面の記憶がない。両親は考え方や価値観が似通っている典型的なおしどり夫婦で、日頃から会話が多く、判断が必要な場面で衝突することなどほとんどなかった。子どもの精神的成長にとって理想的な家庭環境だったと言えよう。
滋樹は母親にべったり甘えていた。小学校に上がるまで寝る前の母親の抱っこは必須であり、もはや儀式と化していた。温かでふっくらした母の体に包みこまれ、その体から発せられるほのかな甘い香りを嗅ぐと、滋樹はうっとりしてこの上ない幸せを感じた。そして何の不安もなく眠りにつくことができた。
一家に金銭的余裕が出てくると仕事で多忙な父の芳雄を除いて、家族旅行をするようになった。近場の温泉から始まり関西や九州への泊りがけの旅行。山陰地方を訪れたときはわざわざ夜行列車を利用した。子どもたちに「夜行の旅情を味あわせたい」という母、由美子の思いからのものだった。煌めく星空の下、疾走する列車の窓から見える点在する明かりと夜の街並みは滋樹の想像を掻き立てた。そしてガタンゴトンという規則的な走行音がその想像をさらに膨らませていく。そのときの溢れんばかりの感動と胸の高まりは今でも忘れられない。
幼少期の滋樹にとって世界は安寧と秩序に満ちており、悲しみ、寂しさ、不安などという負の感情はその当時の滋樹には無縁のものだった。世界は完璧であり、雲一つない透明な青空は時空を超えどこまでも続いていると信じていた。というよりそれは太陽が東から上り西へ沈むのと同様、滋樹にとっては疑う余地のない絶対的真理であった。
しかし、10歳を目前に控えたあの夏の日、
朝早くから太陽がじりじりと照り付け、
その強烈な日差しが容赦なく大地を焦がし、
湯煙のような陽炎がアスファルトから立ち上り、
昼前の早い段階で真夏日が宣言され、
道行く人々のシャツがじっとりとした汗で濡れ、
そこかしこから「暑いね」といううんざりした声が聞こえ、
温度計がぐんぐん上がりその夏の最高気温を示した日。
その日を境に、
絶対的真理であった世界が、
音もなく崩れ落ちた。
ランドセルを背負い始めてまだ2年と3ヶ月あまりしか経っていない子どもにとって、耳を疑う信じられない出来事が起きた。
「母親が死んだ」




