34話 セレナ・アルカード 下
<5年前 セレナ・アルカード、7歳の記憶>
あの時、私は森を走っていた。
「はぁ、はぁ」
「セレナ、大丈夫よ。あと少し……あと少しだから」
「お嬢様!奥方様、もう少しです!!」
隣国との戦争。
何故、戦争が起きたかは分からない。
しかし、私達、アルカード領は隣国の境界付近だった。
そのため、戦争が起きればまず最初の戦場になるのはその当時、理解できた。
お父さんが敵軍の侵攻を食い止めている間に私はお母さんと一緒に安全な場所に逃げていた。
途中で馬車が壊れ、馬たちも逃げてしまった。それからは従者二人を先頭に、お母さんに手を引かれながら森の中を走り続ける。
「お父さん……」
敵軍の侵攻を食い止めるため前線に残ったお父さんのことが私は不安だった。
初めて戦争という実感があったからだろう。
お父さんはこのまま戻らないのではないかとそんな風に思えてしまった。
「大丈夫よ。セレナ」
私の心配を察したのかお母さんが優しく撫でてくれる。
「お父さんはね昔、ある機関に所属していて除隊後もその働きから貴族位を貰った人なの。だから、心配することはないわ」
「うん……分かった」
「だから、今は安全な所へ避難しましょう。それが、お父さんの援護になるから」
そう言ってお母さんは私の手を引っ張って移動する。
「それにゼラスにも心配掛けてはいけないわね。もうすぐ幼年学校を卒業、やっと再会できるのにセレナに何かあったらきっとゼラスは悲しむから」
「ゼラス兄様……」
当時のゼラス兄様は王都の幼年学校での寮生活のため、アルカード領にいなかった。
もうじき卒業するので、あと少しでゼラス兄様と会えることはセレナも嬉しかった。
「うん、私、頑張る」
だから私はただ、走った。
前線にいるお父さんのことも気がかりだが、今は自分達の安全が優先。
それを念頭に私は走る。
お父さんは無事、敵を追い払い、兄がアルカード領に戻ってくる。
そして家族で楽しく暮らす。そんな光景を想像しながら。
ここさえ乗り切ればいつもの平和な日常が戻ってくる。
『あ゛あ゛あ゛あ゛お゛お゛お゛お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!』
「!?」
その時、後方からこの世のものとは思えない大きな叫び声が後方から響いた。
その叫び声から逃げるようにたくさんの鳥が飛び立つ。
そんな異様な事態に私たちは足を止めた。
「お嬢様、奥方様、お下がりください!」
従者の二人は絶叫を上げたであろう方角から私達を守るように前に立つ。
距離はまだあったが、叫び声と木を薙ぎ倒す音からこっちに向かってくるのは明白だった。
従者の一人が先行して前に進む。
後ろの従者も追随しながらもいざとなったら私達を守れるよう一定の距離を取っていた。
絶叫と木々を薙ぎ倒す音がどんどん近くなる。
確実に私達のほうに向かってきている。
「……」
私は言葉にできなかった。
危険な何かが近づいてくる。
絶叫が大きくなってきて、もうそろそろ姿を現すだろうと思った瞬間。
突如、音と絶叫が止まった。
「……」
長い静寂が続いた。
ただ、自分の心臓のバクバクという音だけが聞こえる。
一体、これはいつまで続くのだろうか、私に長い緊張が襲った。
きっと、お母さんも従者たちも同じ気持ちだったのだろう。
やがて……
ガサっ
木々が擦れる音に私たちは身構える。
「キュル、キュル」
「……リス?」
しかし、出てきたのはリスだった。
特別なものではないどこにでもいる小動物。
それが出てきただけだった。
「……はぁ」
私は長い緊張のあまり、出てきたのがリスだったため息を漏らした。
先行していた従者も拍子抜けして深い息を吐いた。
その瞬間だった――。
バキバキバキバキッ!!
『ごがあぁ!!』
「!!……ごが!?」
突如森からヒグマの2倍近いだろう巨体が飛び出し、先行していた従者の胴体を真っ二つにした。
「キャァ!?」
私は恐怖を覚え悲鳴を上げてしまった。
従者を真っ二つにしたことだけが恐怖の理由ではない。現れた巨体そのものが、異形だったのだ。
その巨体はサソリのような姿だ。だが、前体には丸い穴のような口、そこに並ぶ牙。さらにしっぽの先端には人間のような顔があった。
こんな生物がこの世に存在していいのか、そう思いたくなるような悍ましい姿だ。
『げがががが、オレ、ボレ、みつげげげげげげげげ』
その尻尾にある顔はこの世のものとは思えないうめき声を上げながら私達に視線を向ける。
まるで自分達に何か話しかけるかのような声は逆に不気味さを一層強める。
「イ、イレギュラー(怪奇種)だ!!」
イレギュラー、私にはそれが何か分からなかった。ただ、目の前にいる怪物が見せる不気味さと狂気が伝わって体が震える。
「お嬢様、奥方様、早く逃げ……」
残った従者がそう叫ぼうとしたがその声は届くことはなかった。
すでにサソリの異形、イレギュラーが自身の尻尾の顔で従者の首を嚙みちぎったのだ。
従者の首筋から鮮血が飛び散る。
従者の首から出る血が勢いが少なくなるとともにバタリと倒れた。
尻尾の顔は噛みちぎった従者の首をペッと吐き捨て、私達に視線を向ける。
『もうぅぅぅぅ、だだだじょうぶ、だじょぶ?、私、俺がががががががががああ』
口角を裂くように笑いながら、イレギュラーは近づいてくる。
私は恐怖に震えて足が動かなかった。
そんな中、お母さんが黙って頭を撫でる。
「お母さん?」
私の頭を撫でてくれたお母さんは優しく笑っていた。
お母さんはいつの間にかイレギュラーの前に出ていた。
「大丈夫よ。セレナ、走って」
短い言葉だったが理解できた。
お母さんは囮になるつもりだ。
『ごがぁあああ!!』
イレギュラーは謎のうめき声を上げながらお母さんに向かってハサミを振り上げようとしていた。
(どうにかしなくちゃ!!どうにかしなくちゃ!!どうにかしなくちゃ!!どうにかしなくちゃ!!)
お母さんを守らなくちゃ、そう思っているのに私はどうすればいいのか分からなかった。
自分には戦える力はない。
あるのは、発動するとそのまま暴走する”規格外”の真名だけ。それは、お母さんまで巻き込んでしまう。
でも、このままお母さんを見捨てられなかった。
私が”規格外”の力のせいでみんなに迷惑を掛けてしまい、落ち込んだときに励ましてくれたお母さん。
いつも、私の悩みや話を聞いてくれたお母さん。
(嫌だ、お母さんが死ぬのは嫌だ!!)
そんな優しいお母さんが殺されてしまう。
私はどうにかしてお母さんを助けたい、そんな気持ちで一杯だった。
「えっ?」
その瞬間、私の体の周りに炎が生み出されていた。
私は気づいていなかった。
すでに戦争が始まった時点で心が緊張状態だった。
そこからイレギュラーという謎の化け物の出現。
極限の精神状態の中、防衛本能というべきか私は無意識に真名を発動してしまったのだ。
「待って!!違うの!!止まって!!」
私は慌てて止めようとする。しかし、その思いとは裏腹に炎は勢いを強くしていく。
「……!!セレナ!!」
お母さんが私の名前を呼ぶ。
しかし、その声の後、炎が爆発するかのように広がり私の周りは烈火に染まった。
「……ん?」
私は目を覚ました。
どうやらあの光景を最後に私は気を失ってしまったようだ。
「……!!えっ!?」
しかし、目の前の光景に私は言葉を失った。
周りが焦土と化していたのだ。
近くには黒焦げになった巨大な物体があった。
『お゛……じょ……ざ……』
その物体は最後に何か発した後、まるでガラスのように徐々にボロボロと砕け散っていった。
一体、何が起きたのか自分にも分からない。
「……!!」
すると、背後から誰かが抱きしめていたことに私は気づいた。
「……セレナ」
そしてその腕の人物は優しく声を掛ける。
その声は私にも聞き覚えがあった。
優しく温かい声、お母さんだった。
お母さんは無事だったのだ。
「お母さん!!」
私は嬉しさのあまり、振り向こうとお母さんの腕に触れた。
けど、その腕を見てすぐに固まった。
その腕は明らかにおかしかったからだ。
ひどい火傷と爛れた跡。焼けた臭いだけが、それが人の腕であることをかろうじて伝えていた。
これがお母さんの腕とは思えなかった。
だが私は気づいた。気づいてしまった。
自分でも止めることができない真名を誰が止めたのだろうか。
私が初めて真名を暴走したときは高い霊力を持ったお父さんのおかげで人的被害が無く無力化することができた。
しかし今、お父さんはいない。誰が私の真名を止めたのか。
私の真名を軽減、無力化できる人間はそうそういない。
そう、”命がけ”でやらない限りは。
「……私にもできたみたい。セレナの真名を……止めることが」
お母さんの言葉に私は恐る恐る後ろを振り向く。
そして私はお母さんと目が合った。
お母さんの顔、それは普段の優しく綺麗な顔とは違った。
顔半分が黒こげで、片目は焼け落ちたのか無くなっている。
傷口から出る血は蒸発している。
ひどい火傷を負ったお母さんが私を優しく撫でる。
「……よかった無事で」
そう笑顔で話しかけたのを最後に崩れ落ちるように倒れた。
「あっ……あっ……」
私はこの光景に何も言えなかった。
いや、現実を受け止めることができなかったのだ。
私はお母さんを殺した。
* * *
<現在、山賊の拠点にて>
「あぁ……ああ」
激しい業火の中、私はうずくまる。
何故、今になって思い出したんだろう。
もう、思い出したくないあの記憶を。
お母さんが死んだ後は覚えていない。
正確にはあの後、ティグおじさんが助けに来てくれた後、気を失ってしまった。
そして全てが変わってしまっていた。
お父さんは戦争で亡くなり、ゼラス兄様が戻ってきて領主になった。
しかし、その時の戦争の責任を受けることになり地位は降爵され、領地も縮小し今まで住んでいた場所とは違う場所で暮らすことになった。
その影響からか、他の貴族や商人から完全に離れてしまいアルカード家は孤立してしまった。
ゼラス兄様もそんな状態で必死に領地を運営しようと忙しく私と一緒にいる時間は無くなってしまった。
しかし、それを責めることはできない。兄様は今、辛い立場にいるのだ。それなのに自分の我がままを言うことはできない。
いや、自分にそんな資格はなかった。
自分のせいで兄様を苦しめ、お父さんを死なせて、そしてお母さんを殺した。そんな私だ。
炎が広がる。その炎は自分に大きな傷を与えないが、焼けつくような感覚が私の体を蝕む。
全てを壊した私を周りは責めることはなかった。メアリもティグおじさんも私に優しくしてくれた。バルサおばさんとルブルスおじさんも一人でいる私に声を掛けてくれた。兄様も忙しくて一緒にいることはほとんどなかったが私のことを気に掛けているのは分かっている。
だから、辛かった。自分のせいなのに。
だから、せめて自分で何か報いなきゃいけないと思い頑張った。一人でも周りに心配掛けないように元気を振舞ったり、勉強も昔より真剣に頑張るようになった。
いつか、お母さんが言ったように誰かの役に立てるように。
カイトの時もそうだ。
カイトと初めて出会ったときは異世界人だと思っていなかった。ただの通りすがりだと思っていた。だから、山賊が追いかけたとき、私は怖くても囮になろうと思った。また自分のせいで誰かを失うのが怖かった。誰かに迷惑を掛けない、自分だけで解決できるように。
山賊達と向き合うのは怖くて仕方がなかった。でもそれが自分の義務、贖罪だと思っていた。
でも、カイトはそんな私を手を引っ張って逃げてくれた。私を守ってくれたのだ。
その時、私の心はどこか安心感と共に罪悪感があった。
炎がどんどん強くなる。私は既に抑える気力がなくなっていた。
その後、カイトが異世界人でしばらく保護すると知った私はカイトの力になろうと思った。
助けてくれたお礼もあるが、そうすることでどこか心の重石が少し軽くなった。
右も左も分からず不安であろうカイトを私が支える。少なくとも助けてくれた人への恩を返すことだと思った。
いや、違う。そう思いたかった。
私は、ただ目を逸らしたかった。
自分が産まれたせいでみんな苦しんだこと、優しかったお母さんを殺した現実から逃げたかったのだ。
「……全部、私のせいなんだ」
あの時、お父さんと同じ力の真名は私じゃなくてゼラス兄様が持つべきだった。
あの時、戦争で戦うのはお父さんじゃなくて私だった。
あの時、死ぬのはお母さんじゃなくて私であるはずだった。
私が全てを奪った。
「……私なんて生まれてこなけばよかったんだ」
私は目を閉じた。
どうか、もうこのまま目を閉じたままでいてほしいと願った。
「……!!」
その時、私の後ろから腕を回して優しく抱きしめる感覚を感じた。
私は思わずビクッとして目をゆっくり開ける。
その光景はあの時、死んだお母さんと重なった。
だがその腕は明らかに違っていた。
まず腕は女性というより男性、それも青年のような腕だ。
だが、それ以上に驚くべきことは、その腕が爛れるどころか火傷の跡すらないことだった。
周りは私の生み出した炎で灼熱と言っていい状態なのにだ。
しかし、その腕には見覚えがあった。その腕は私を引っ張ってくれた腕だ。
もう一人で悩まなくていい、そう言ってくれたかのように感じた腕だ。
私はゆっくりと後ろを振り向く。
「……カイト?」
私はその男の名前を口にした。
「もう、一人で悩まなくていい!!俺がいる、セレナさんが悲しいときは俺もセレナさんの傍にいるから!!」
その男、カイトは私の傍に来てくれていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次回の投稿は10月3日(土)、18時の予定です。
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