9話 森と異世界 上
「はぁ、はぁ」
夜の森、カイトは月明かりだけを頼りに森へと駆けこんだ子供の背を追っていた。
(追いつかない。……あの子、なんて身のこなしだ)
暗い森にもかかわらず、子供は迷う素振りもなく木々の間を抜けていく。
(くそ!!)
木の根に足を取られそうになりながらもカイトも必死に食らいつく。
服は擦り切れ、顔には小さな切り傷ができていた。
月夜の明かりだけを頼りに走る中で子供の姿を見失わなかったのは奇跡に近かった。
やがて、森の木々が途切れ、わずかに開けた場所へ出る。
すると、さっきまで追っていた子供が急に立ち止まった。
子供の急な行動にカイトは思わず足を止める。
(止まった……?)
子供がかぶっているぼろのフードの隙間から覗くセミショートの茶髪が月光で輝いていた。
顔立ちは幼く、少年か少女か判別つかない。
だが、その瞳は……カイト自身を警戒しているのか冷たい目でじっと見つめる。
(茶髪の子供……いや、あんな恰好の子供、村にいたっけ?)
服装はフード越しでしか見えないが村よりも上質そうだ。しかしその服も年季が入っている……いや、ボロがでていると言った方が正しい。
片手には何か詰めたのかぼろい麻袋を持っていた。
カイトも村の子供達を全て把握しているわけじゃないがそんな恰好をする子供がいるとは思えなかった。
息が詰まるような静寂。
森の虫の声さえ、いつの間にか消えていた。
(えっ!?)
その瞬間、視界が暗転した。
「……!!……!?」
何が起きたか分からず、カイトは叫ぼうとした。
しかし、叫んだつもりの声が、何も返ってこない。
それだけではない。音も、匂いも風の感触も何も感じない。
(なんだ!?何が起こったんだ!?)
カイトは困惑していた。
まるで真っ暗な空間に放り込まれ、重力すら失ったかのような……そんな感覚がカイトを襲う。
そんな状態が続く中、突如、視界がもとに戻った。
「……えっ!?」
「動くな……」
視界だけでなく、そのほかの感覚が戻った時、カイトは気づけば地面にうつ伏になっていた。
同時に背中の重みを感じ、息を吸い込む間もなく、首筋に冷たいものが押し当てられた。
金属の感触……ナイフだ。カイトは息を吞む。
視線を動かすと、さっきまで目の前で立ち止まっていた子供がカイトを背後から押さえつけていた。
押さえつけていた茶髪の子供は冷たい視線のまま、低く問いかけた。
「……まず一つ質問だ。仲間がいるのか?近くに何人潜んでいる?」
「えっ?仲間って……」
「質問に答えろ」
刃先が僅かに喉を押す。
月光が金属を鈍く照らした。
「い、一人だよ!君が一人で森に入るのが見えたから、止めようと……」
「はっ?」
「え?」
茶髪の子供は困惑していた。
カイトは自分の言葉に何かおかしなことでも言ったのか分からなかった。
「……俺を捕まえにきたんじゃないのか?」
「捕まえる?いやいや、君こそなんで森に入ったの?今、危ないから安全な場所に避難を……」
「……は?」
「……??」
お互いに首を傾げる。
どうにも話が噛み合わない。
夜風が二人の間をすり抜け、妙な沈黙が落ちた。
その時……
「早く!!走れ!!」
「アレン、待ってよ!!」
「待てこの餓鬼ども!」
森の奥から悲鳴と怒鳴り声が響いた。
子供達の叫び。複数の足音。乱れた枝の音。
「……ちっ」
茶髪の子供は短く舌打ちし、カイトの拘束を解いた。
だがすぐに、カイトの襟を掴む。
そしてそのまま体をぐいと引き寄せられた。
「おい。来い」
小さな体からは想像できないほどの力でそのまま木々の陰へと引きずり込まれる。
「えっ、ちょっと」
「黙ってろ」
カイトが何か言い切る前に茶髪の子供に手で制止させられる。
息をひそめたまま、カイトと茶髪の子供は森の向こうを見た。
「急げ!!もう来ちゃう!」
「どうしよう。アレン」
「うぐうぇーん」
「泣くな!せっかく隙を見つけて全員で逃げれたんだ。ここで捕まってたまるか」
すると、ある子供達が泣きながら走ってきた。
(あっ、あの子たち!!)
その子供達はカイトにも見覚えがあった。
「なんだ、知っているのか?」
「えっと、……あの子たちを探してたというか」
「……なるほど、俺はその子供達と一緒にされてたわけだ」
村で行方不明となった子供達であり、今朝カイトが見知った子供達だった。
先頭でアレンが必死に他の子供達を連れて逃げているがその眼には涙が浮かんでいた。
アレン達が必死に逃げる中、後ろから岩の塊が飛来し彼らの後ろの地面に着弾した。
「うわ」
「ライト!」
その衝撃で子供達の一人が転んだのを見たアレン達は立ち止まり助けようとする。
「ちっ、やっと追いついたぜ」
しかし、そこに身なりが粗末な革鎧を身に着けた男が一人、片手に松明を持ちながらアレン達の前に現れ、もう片方の手のひらをアレン達に向ける。
「全く、ふざけやがってよりによって俺だけが見張りの時に逃げだしやがって……おおい!!」
すると、手のひらから岩の塊が形成された後、男は八つ当たりするかのように手のひらで形成した岩の塊をそのままアレン達に飛ばす。
外れたが着弾した地面には大きく抉れた後が残っている。
それだけでアレン達は立ち上がることもできずへたり込んでしまった。
「どぉしてくれるんだぁ!?お前らが逃げたせいでサイレルの野郎に無能と小言、言われるじゃねぇかよぉ!!自分が無能じゃないのに無能と呼ばれるのって一番、腹立つよなぁ!!」
そう言いながら男は更に手のひらに岩を形成して次々にアレン達の方に飛ばす。しかし、それは逸れて……いや、逸れているがだんだん、アレン達に当たるか当たらないかの場所に着弾するようになってきた。
そのたびにアレン達は震えている。
その様子は男がアレン達を嬲るのを楽しんでいるようだった。
(まずい。このままじゃ……)
「ちっ……」
「!?」
すると、茶髪の子供がカイトの拘束を解いたのを見てカイトは困惑する。
「お前が俺を追った理由は理解できたからな。これ以上、関わらないなら気にしねぇ。後は勝手にしろ」
そう言って茶髪の子供はこの場から離れる。
しかし、途中で足を止めカイトに振り向いた。
「けど、お前が何かできるとは思えないけどな」
「えっ?」
「動きから見て分かるぜ。素人丸出しだ。”真名”も使えるのか怪しいくらいだ。……そんなお前が助けようとしたところで無駄な犠牲者が量産されるだけだな」
茶髪の子供はそう言い残して再び足を進めた。
(あっ)
その時、カイトは気づいていた。
拘束が外れているのに足が震えて動かなかったことに。
カイトは思い出した。
あの時、初めてセレナと出会い、山賊に襲われたとき、自分はセレナを連れて逃げることしかできなかった。
山賊に立ち向かう勇気はなかった。
もしゼラスに助けてもらえなかったら殺されていたかもしれない。
そう思うと、今のこの状況がカイトにとって怖くて仕方がなかった。
もし、アレン達に向かえば殺されるのは確実だったから。
(誰か、助けを呼ばないと……)
カイトは辺りを見回そうとしたが気づいてしまった。
今、この場には自分、一人しかいないことに。
「きゃぁ!!」
「ライト!?」
一方、男が放った岩の塊がアレン達の一人に当たったのか腕から血が出ていた。
「もうさ、最悪だよなぁ。お前らのせいだからよぉ」
男は遊びが終わりだと言わんばかりに手をアレン達に向けた。そしてさっきより大きな岩の塊を作りアレン達に照準を定める。
「捕まえる際に誰か一人、二人、殺しても文句言われないよなぁ?勝手に逃げたお前らのせいだから俺がそれやっても当然の権利だよなぁ?」
「ヒィ」
男は手のひらに形成してある岩を打ち出そうとしているのを見てアレン達は震える。
それを見た瞬間、カイトの頭に何かが切れた。
それとともにさっきの迷いが晴れ……さっきまであった恐怖はなかったかのようにカイトの足は動いていた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
その時、木々に隠れていたカイトが飛び出し男に向かってタックルを繰り出した。
「な!?ふごぁ!??」
男も暗闇から突然の奇襲を避けることができず、カイトのタックルを直に受けた。
その衝撃で男は持っていた松明を手放しカイトに押し倒されるように倒れこむ。
「「「「えっ!?」」」」
「はぁ、はぁ、はぁ」
突然の出来事でアレン達は目を丸くしていた。
一方、カイトも男を押し倒したまま頭が真っ白になっていた。
(えっと、どうしよう?この後、どうしよう?)
アレン達が男に本当に殺されると察したや否や後先、考えず突っ込んでしまった。
すでにカイトの頭はパニック状態である。
(……そうだ!!子供達を逃がさないと!!)
カイトはアレン達の方に視線を向ける。
アレン達はただ、茫然とカイト達を見ていた。
「早く逃げろ!!」
「お前……あの時の」
「早く!!」
「……!!」
カイトの叫びに我に返りほかの座り込んでいる子供を立ち直らせながら男から遠くへ逃げるように離れていく。
「ふざけんな!逃がすわけないだろうが!!」
男は倒れたまま、手のひらから形成した岩をアレン達に向け狙いをつける。
「くそぉ!!」
「なっ」
それをカイトが横に寝返る形で男の腕を発射する直前で逸らす。
その結果、岩が明後日の方に飛びアレン達とは離れた木に着弾した。
砕けた木の破片が月夜を照らす夜空に舞い、パラパラと地面に落ちていく。
その時にはすでにアレン達はカイトでもどこにいるか分からないくらいもう離れていった。
(よかっ……!!)
「うわ!」
「このガキ!!全部、お前のせいだ!!」
もう、アレン達が逃げきれたことにカイトは安心した瞬間、男に押し返され、尻もちを付く。
「おらぁ!!」
「ぐえっ!?」
それと同時に男の蹴りがカイトの腹に当たりその蹴られた衝撃でカイトは転がるように飛ばされた。腹が引き裂かれそうな痛みがカイトを襲う。
「ぐぅ……」
「ん?てめぇ、どこかで見覚えが……」
すると、男はカイトのことを知っているのか凝視していた。
それはカイトも同じだった。
カイトもこの男に見覚えがあったのだ。
(この人って……確か、セレナさんを襲った山賊の一人?)
男の正体はカイトが転移したばかりの時に出くわした山賊だった。
「思い出した。……アルカード家の令嬢を攫おうとしたときに邪魔したガキか」
そして山賊の男もカイトを思い出し口元を歪める。
「確か、アルカードのガキに保護された異世界人なんだろ?全く、落ちぶれ貴族も馬鹿だねぇ。まぁ、馬鹿だから落ちぶれたんだろうが」
その言葉にカイトは驚いた。
(俺が異世界人って知っている!?知っているのはゼラスやセレナさん、アルカード家の人達しか知らないのに?)
カイトはゼラス達以外に自分のことを異世界人だと公表していない。
少なくとも村の人たちに言っていない。
どこで漏れたのか疑問に思っていた。
「まぁ、お前を俺たちを雇っているお貴族様経由で”機関”に引き渡せば、逃がしたガキ共を差し引いてもお釣りがくるか」
山賊はそう言うと手のひらに岩の塊を形成してカイトに狙いを定めた。
(どうしよう?戦う?勝て……生き残れるの?)
カイトはこの状況をどうすればいいのか必死に考えをめぐらす。
考えず必死でアレン達を助けたカイトにとってこの後……自身に狙いを変えた山賊の対処など考えていなかった。
「全く異世界人って聞いたから警戒していたが見た感じ”真名”も使えないようだし楽な仕事だぜ」
山賊は下卑た笑みを浮かべる。
「殺しちまうと、こいつが異世界人だって証明できないな。手足、引きちぎるか」
カイトは恐怖で足が動かなくなる。
山賊の形成した岩がカイトに放たれようとした……その瞬間だった。
「……は?」
「……!!」
山賊が突然、崩れるように地面に倒れこんだ。
形成した岩も倒れた衝撃で霧散するように消えた。
「なんだ視界が!?…!!声!?何が起こってるんだぁ!!?」
山賊は自分の身に何が起こっているのか分からず叫びながら倒れたまま手足をばたつかせている。
まるで、自分の体が言うことを聞かないかのように。
(これは一体!?)
突然の出来事にカイトは唖然としていた。
「全く、あの野郎、とんでもないこと言いやがって」
すると、後ろから声がしてカイトは振り返った。
声の正体はすでに離れたと思っていた茶髪の子供だった。
「おい、お前。確認したいことが……いや、その前に」
茶髪の子供はそのまま、手足をばたつかせて騒いでいる山賊に近づいた。
「てめぇ!!何しやがったんだあ!??」
山賊の声は恐怖に震えている。
「うるさい」
茶髪の子供は躊躇うことなく、大ぶりなナイフを山賊の首元に突き刺した。
「ごぷ……」
山賊は声も出ないまま手足を激しくばたつかせている。
やがて、その動きは痙攣に変わり……最終的に、ぴくりとも動かなくなった。
(え?……死んだ?……死んでるの?)
カイトは目の前で起こったことが真実とは思えず息をするのも忘れていた。
人の死を目の当たりにするのはこの世界どころか生まれて初めて見る光景だった。
改めてカイトは茶髪の子供に視線を移す。
茶髪の子供は山賊が死んだのを確認すると差したナイフを抜き血を適当な布で拭きフードの中にしまい、カイトの方に視線を向ける。
「おい、この男がさっき言ったこと本当か?」
「え?」
カイトは茶髪の子供が指差している男こと……山賊の方に目を向ける。目が白目を剥き舌を出したまま首筋の傷口から血が流れているのを見てカイトは一瞬、目を逸らす。
もし、夜じゃなかったらナイフと口元から流れ出る血溜まりでカイトは卒倒していたかもしれない。
カイトは顔を青くしながら茶髪の子供が言った言葉の意味を問いただす。
「えっと、さっき言ったことって?」
「全くいちいち、言わないといけないか……えっと、あの男が言ってたこと……お前が異世界人だっていうのは本当なのか?」
茶髪の子供はまるで慎重に聞いている感じだった。
カイトは応えるべきか分からない。
ティグからは自身が異世界に転移したことを他言しないように言われている。
しかし、茶髪の子供には正直に答えた方がいい気がした。
理由が分からない。ただ……この子も自分と同じ「何か」がある気がしたのだ。
「……はい。俺が異世界人、転移してきた人です」
それが正しい判断だったかは分からない。
しかし、その心配は杞憂だった。
茶髪の子供はそれを聞いて、ふっと表情を緩めた。
まるで長い間探していた何かを見つけたかのように。
「そうか……異世界人なのか…俺と同じ」
茶髪の子供の言葉に、カイトは息を吞んだ。
(この子も……俺と同じ異世界人?)
カイトは息を吞んだまま言葉が出なかった。




