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四章 “エージェント”9

 日が沈み、私はマイケルと夕食を摂った。カサブルという植物の葉にくるんで焼いたキャッサバとオオイノシシの肉に舌鼓を打っていると、ふいにマイケルが食べる手を止めた。

「ひとつ聞きたいんだけど。兄さんはこのコミューンに定住してくれるんだろう?」

 私はオオイノシシの肉を飲み込み、しばし答えを探した。しかし考えることなどない。結論はひとつだ。

「このコミューンは好きだよ。最初に森から湖の景色を眺めたとき、ここがおれの第二の故郷になる気がした。こんなに美しい土地はほかにはない。静かな湖を森が囲んで、草原には象やインパラやいろいろな動物がいて。食い物も美味いしな。おれは最後のサピエンスなんだから、せめて幸せな環境で天国に行きたいよ」

「そうだよね、兄さんは私たちとは背負っているものが違うんだよね」

「それもチェチェと会って、少し楽になった。彼のほうが、おれよりも辛い立場にあるのかもしれない。なにしろ自分の正体も知らないんだからな。ともかく、おれはここに定住するよ。たぶん、まだどこかにサピエンスがいるはずだけど、どうすることもできないさ。彼らの幸運を祈るだけだよ」

 私はポットに茶葉を入れて言った。

「今夜、森に行くの?」

 マイケルは私の注いだお茶を一口して、ためらいがちに聞いた。

「瞑想なんて経験がないけどな。まだ謎ばかりで、どうもすっきりしない。試しにやってみるまでだ」

 そう、とマイケルは呟いた。とりあえずは私が残ると聞いて安心したようだった。

 私は夕食をすませ、後片付けをした。外に出て、たらいに水を張り、食器を洗う。辺りはとっぷりと日が暮れていた。

 森から賑やかな猿の鳴き声が届く。藁葺き屋根の向こうでざわめく木々の影。そんな暗闇の中、葉こすれの音に耳を澄ませていると、予感めいた衝動にとらわれた。

 これは、なんだろう。私はそう思った。心のひだに、見知らぬ、それでいて懐かしいような感覚が流れ込む。それは霊的触発、いわゆるインスピレーとでも呼ぶべきものだった。

「瞑想か」

 誰かが私を森の中から誘っていた。糸を紡ぐように、神経が鋭敏になっていく。私は洗いものもそこそこに森へと入った。


 夜の森はそれ自体が、実体のない精神空間だった。無数の精気が暗闇に紛れて、惑星衝突のようにぶつかり弾けあう。私は何度となく森で夜を過ごしたが、そんな一面に触れるのは初めてのことだった。だが、驚きも疑問もない。新しい扉を発見したという、軽い興奮があった。

 私にも能力がある。チェチェはそう言った。だとしたら、いま生きる力にあふれた夜の森の姿を感知しているのもそのせいなのだろうか。

 私は故郷を出て三日目の夜のことを思い出した。六年前のことだ。我々は森でルートの確認をしていたのだが、マイケルはノウスの協力を得るために、ドナウ川やカスピ海など複数のコミューンと交信した。リアルな交信だった。周辺の自然環境のイメージまで伝わってきたのだ。それは通常のコンディションでは不可能なことだったが、マイケルは森の精気が意識をきれいにするのだと、私に説明した。マイケルの能力はこの頃、すでに目覚めつつあったのかもしれない。あるいはマルーシュカが危篤状態だったとき、ヘーラからシャクティのことを教えてもらったのも、偶然ではなかったのかもしれない。

 私はやがて、一本の巨木の前に立っていた。太くて堅い木の幹の、ちょうど目の高さには洞があり、そこから伸びた数珠状の光の球が生き物のようにうごめいている。黒々と繁った頭上の葉が、夜空を覆う。私はその巨木に背を預け、胡座をかいた。

 この巨木を選んだのも、瞑想の態勢を取ったのも、そもそも森に入ったことさえも、どこまでが自分の意思によるものなのか私には答えられない。しかし操られていたわけではない。私の中に眠っていたある意識がふいに起き上がり、活動をはじめたのだ。それは強くて純粋な霊的触発だった。

 胡座をかくと、数珠状の光球は幾筋かに分裂し、私の手や足や額や脇腹に接合された。森の精気と瞑想をはじめた私の意識が、ゆっくりと混合されていく。記憶が薄れ、息をしているのかしていないのかも判然としなくなる。混沌たる闇の宇宙。私は一個の存在であることをやめ、その無限の空間をさ迷った。

〈お・・・え・・・・ルース・・な。・・・まえ・・・・スだ・・な〉

 声に包まれる。聞こえるのではない。途切れ途切れのが、私の中へ通じる入り口を探していた。

 私はそれに抗わなかった。一瞬、首筋に強烈な電流が走る。ふと失いかけた意識が戻ったとき、我々の対話がはじまった。


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