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「はぁっ、はぁっ、はぁっ。もう無理です。立てません……」
激しく肩を揺らして座り込む僕に師匠は手を差し出した。そんな師匠も、結構ボロボロである。数十人の兵士を、立った二人で相手していたのだから当然だ。彼らは一人一人がかなりの強者であった。ある程度は体術でなんとかいなせたものの、反撃の隙はほとんど与えられなかった。
ちなみにエルヴィアはというと、余った兵士から簡単な槍術を手取り足取り教えてもらっていた。
「ライリーとカサンドラでしたか……? 想像以上に手ごわい。疲労が蓄積していなければ、あなたたちは最後まで負けなしだったでしょう」
兵士の一人が言った。
「いいや、僕らは避けるのに精いっぱいなだけだよ」
「またそうご謙遜なさる。そもそもネレウスに1対1で傷を負わせた者など、ここにはおりません」
兵士たちは顔を見合わせてうんうんと頷いた。それほどネレウスは強い兵士らしかった。
「うーん。本当は私も手合わせしてほしかったけど、さすがに無理そうね」
ナイアは至極残念そうに言った。彼女はあのネレウスすら束ねる戦士長なのだから、正直少し見てみたい気はする。だが僕の体力も一片すら残されてはいなかった。
「もう日も暮れてくるわ。どう、今夜は私たちと一緒に食事しない? 戦闘の感想戦もしたいしさ」
ご飯の用意、いつもより3人分増やしてて、彼女は兵士にそう言うと、近くにあった宿舎に向かった。
ナイアと兵士たちは、主にその宿舎で寝食を共にしているようだった。そこに僕たちも呼んでくれるのだという。しばらくして宿舎から良い匂いが漂ってくると、どこからか帰宅したネレウスと目が合った。
彼の体は土にまみれ、拳の鱗は所々剥がれ落ちていた。おそらく、一人別の場所で修練を重ねていたのだろう。ナイアが彼を負けず嫌いと言っていたのが分かる気がする。彼は僕たちが夕食に加わることを知ると苦い顔をしたが、他の兵士たちの説得もあってか渋々ながら受け入れてくれた。
宿舎は簡素な造りであった。台所と寝床の他には武道場のように広い空間が広がっていた。壁には様々なサイズの木槍が立てかけられ、持ち手の部分は使い込まれて黒くにじんでいる。その武道場の隅の方に大きな丸机が用意され、僕たちはそこに座るよう促された。
夕食は、ぶつ切りにされた魚と貝類、そして様々な海藻を一緒に煮込んだ鍋のようなものであった。人数分の器が目の前に並べられる。兵士たちと共に円をなして座ると、なんだか僕もトリトニアンの兵士の一員のような気がしてきた。
「……ヴォルクとリュオはどうしたの?いないみたいだけど」
ナイアが兵士に尋ねた。
「今日の練習中に水を飲みに言ったきり、帰ってきてません」
「いつものサボリか……ほっとけ。いずれ戻ってくる」
ネレウスは呆れたように言った。
「アイツら、いつも昔から悪さばっかしててね。でも怒った村人たちがあんまりにも責めるから、かわいそうになって私が引き取ったの。兵士として更生させるって名目なら村人の怒りも収まったわ。まあ確かに気にしてても仕方ないわ。アイツらの分、食べちゃっていいわよ」
ナイアはそう言って、余った2つの器を中央に寄せた。
「気を取り直して、食べましょうか!」
彼女の合図で夕食が始まった。
彼らは勉強熱心でもあるのだろう、戦闘中のどこがダメだったとか、こうしたらどうか、などをしきりに聞いてきた。槍術に関しては全く無知な僕だが、体術はそれなりに通用するようであった。技が通じるというのは、なかなかうれしいことだ。それもこれも、師匠が教えてくれたことである。
しかし、僕は重要なことを失念していることに気付いた。
「どう? 明日は水中戦闘でもする?」
ナイアは言った。そう、彼らはもともと海を生業とする魔族。陸上より圧倒的に水中戦の方が得意なのだ。
「……遠慮しておく。まず5分と息が持たないよ」
「軟弱な。水中でも酸素の一つや二つ取り込めるようにしておくんだな」
ネレウスは首のあたりにあるエラをピクピクさせながら得意げに言った。
「いいじゃないかライリー。水中戦なんて中々経験できるものじゃない!」
僕と違って師匠はやる気を満ち溢れさせた。僕はやりませんけどね。
翌日。水中戦の舞台として連れてこられたのは、白く波立つ海であった。風に揺られ、大きな波が海岸に打ち寄せる。
海に飛び込んだ兵士たちは、陸上よりも生き生きとしていて、まるで弾丸のように泳ぎ回った。
そうして今度は、彼らに傷1つ付けられないまま練習が終わった。僕と師匠は、まずは泳ぎの練習から教えてもらうべきだったと深く反省した。
そして昨日のうっぷんを存分に晴らしたネレウスは、実に満足そうであった。
その調子でなんと数週間もの間、僕たちは宿舎に寝泊まりさせてもらった。始めは多くとも数日間だけ滞在するつもりだったが、長老から魔導書の解読にもっと時間が必要だとの連絡を受けたのに加え、兵士たちも、もっと手合わせしたいと張り切っていたことも理由の一つだった。
ちなみにこの間、何度かナイアと試合を行ったが、彼女の強さは圧倒的だった。攻撃全てが重く、速く、いなす事すら容易ではなかった。
「本当にお世話になりました。僕にとっても、かなり学びのある日々を過ごさせてもらったよ」
宿舎の前、一列に並んだ兵士たちの前で僕は頭を下げた。もはや僕たちを蔑むような目で見る者はいないようだった。いや、最初は僕の方が、彼らをそのような目で見ていたのかもしれない。だが、彼らと寝食をともにする日が増えるほど、お互いの心が少しずつ開かれるような充足を感じた。
「確かに、内輪だけの修練には限界があった。お前らが来たおかげでいい刺激になった。……今更だが、初めて会ったときの態度を詫びよう」
整列した兵士の中から、ネレウスが一歩前へ出て言った。
「そんなこと、最初から誰も気にしてないよ」
「ああ、そうだとも。見ず知らずの私たちに宿だけでなく飯までふるまってくれるなんて、感謝してもしきれない」
師匠は毎食、本当に美味しそうに様々な魚料理をほおばっていた。僕は内心いつ食事代を請求されるかとハラハラしていたのに。
「じゃあ、私はライリーたちを長老のところまで送ってくるから。それと今日は私も長老のところに泊ってくるから、夕食はいつもより4人分少ないこと、忘れないでね」
ナイアはそう言うと、僕たちを先導して歩き始めた。
兵士たちは、僕たちの姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。ネレウスはそれに隠れて、小さく二本指だけを挙げていた。
ナイアとこの数週間のことを振り返りながら歩いていると、行きよりもはるかに少ない体感時間で長老の小屋まで戻ってきていた。
僕たちがこうして宿舎を離れたのには理由がある。長老から、魔導書の解読が済んだと連絡が来たからだ。
「ただいま!おばあちゃん。あの本のこと分かったんだって?」
ナイアは元気よく長老に飛びついた。ここだけ見ると、年相応の無邪気な孫娘のように見える。だがここ数週間の彼女はまさに別人。多を率いる戦士長にふさわしい強さと威厳を兼ね備えていた。
「とりあえず座んなしゃい……。それとナイア、近くに誰もいないか確認してこんか……」
長老はそう言って、僕たちが座るよりも早く腰を下ろした。ナイアは小屋の辺りを一通り見回って、誰もいないことを確認すると、長老の隣に座った。
「まず、この魔導書は呪われておる。使用者が魔法を選ぶのではなく、魔法が使用者を選ぶ。そういう性質をもった魔導書じゃて。」
長老は魔導書を手元に置いて、ゆっくりと話し始めた。
「書かれておったのは、辺り一面に超広範囲の大火炎を発生させる魔法じゃった。ここまでの威力の魔法はワシも初めて見た。……おそらく一国を滅ぼすために作られた魔法。強い憎悪と怒りによって爆発する、ある意味呪詛のようなものじゃ」
「……なぜそんなものを隊長は僕たちに渡したのでしょうか」
口から出た疑問を長老が拾う。
「隊長、とな」
「バフォルグの……戦士長みたいな人が、僕たちにこれをくれたんです。彼の言いぐさ的には、戦闘の助けになるような魔法だと感じたんですが……」
「なるほど。それで合点がいった」
長老は目を閉じて深くうなずいた。
「どうして解読にこれだけ時間がかかったのか。この本は、自分の本来の意味を隠すように単語の意味が逐一変化するんじゃ。おそらく認識阻害に似た術がかけられておる。微妙なニュアンスの違いが、どれだけ解読の妨げになったか……。おそらくその隊長とかいうヤツも、それに騙されたんじゃろう」
「それじゃあこれを書いた人は、誰にも知られたくなかったってことかしら? そうじゃなきゃわざわざ認識阻害なんてかけないでしょうし」
エルヴィアは腕を組んで言った。果たしてそうだろうか、これを書いた人物と認識阻害をかけた人物は別人かもしれない。
「それじゃあ、こんな危険な魔導書をずっと持っておくわけにもいかないな。どこかで処分した方が良い」
師匠は魔導書を手に取ろうと腕を伸ばしたが、長老がそれを遮った。
「それで、最初に話した呪いちゅうのがここで厄介になる。この魔法は使用者が選ぶのではない。この魔法は、おぬし、お前を選んどる」
長老は皺が無数に入った長い指を僕に向かって突き出した。
「ライリー。おぬし、この魔導書をどれだけ持っていた……?」
「え、ええと。隊長から本を受け取って、この村に来るまで……」
「約2週間だ」
師匠は僕が計算するよりも早く応えた。
「2週間か……。良くて1割、下手すると3割くらいは、おぬしの魂に魔法が刻み込まれておるやもしれん」
「僕の魂に……?」
魂。あまり聞きなじみのない言葉だった。
「まあ安心せい。魔法、特に古代のモノはとてつもなく強い信念、覚悟がなきゃ発動できん。それこそ、自分や仲間の命を投げうつほどのな」
長老は優しく諭すように言った。
「それじゃあ、やっぱり魔導書は処分してしまった方が……」
師匠は前のめりになりながら言った。
「最後まで話を聞かんか。……今、ライリーの魂には中途半端に魔法が刻み込まれとる。水が入った水筒をぶつ切りにしたようなもんじゃ。そのままだと魔法が溢れてしまうかもしれん。それならいっそ、筒を完成させて魔法をその中で安定させといた方が良い。それにこんな呪いの籠ったもん、うかつに処分しようものなら何が出てくるか分かったもんじゃねえべ」
「じゃあこれはしばらくライリーが持っておいた方が良さそうね……」
ナイアは魔導書を僕に差し出した。師匠もそれに頷き、カバンの底へと仕舞った。得体のしれない凶器を手にしてしまったみたいで、恐ろしい。そんな青ざめた僕の顔を見かねた長老は口を開いた。
「だからそんなに怖がらんでええわい。発動しようと思ってできるもんでもなし。そもそも普通にしてれば、その存在自体気付かん。ああ、疲れた疲れた。割に合わん仕事よ……」
長老はそう言って立ち上がると、腰をさすりながら小屋を出た。
「なんだか厄介なものを背負っちゃいましたね……」
「大丈夫か、ライリー。でも長老の言ってることが事実なら、あまり気にするのも良くなさそうだね」
「事実に決まってるでしょ! おばあちゃんが嘘つくはずないもの!」
それもそうだ。こんな破壊に満ちた魔法を使おうとする怨念も使命も、僕には無い。戦時中だったらともかく、今後も背負うことは無いだろう。




