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倉庫が比較的近くにあったのは幸いだった。倉庫の壁は雪と氷で埋まっていて、ひんやりとしていた。おそらくこの辺りは、もっと時期が進むと雪がふるのだろう。それを溜めておいて、年中保存が効くようにしてあるのだ。
ようやく魚を詰め終わると、日は既に傾き始めていた。手には魚の脂と血がべったりとついていて、生臭い。当分は洗っても落ちそうになかった。そういえば、エントの街でも農作業を手伝ったな。農業、漁業とくれば、あとは林業か。どこかで林業を生業にしてる魔族に出会うことになるかもしれない。
そんなことを考えながら長老の小屋に向かうと、香ばしい匂いが漂ってきた。中に入ると、大きな葉に盛り付けられた色とりどりの料理が僕たちを出迎えた。魚もただ焼いただけではなく、蒸したり、揚げたり、はたまた芳醇な香りのするソースがかけられていたり、何かと工夫が施されていた。今朝取れたばかりの魚を、こんな豪勢に味わう機会なんて人間界でもめったにない。
「どうだ。俺が腕に寄りをかけた料理たちは」
小屋の外から、大皿を持ってきたグラットが声をかけた。皿には薄く切られた刺身が綺麗な円形状に盛り付けられており、まるで花が咲いているようであった。彼はどこかの調理場でこしらえた料理を、僕らが戻るだろうこの小屋まで運んでくれていたのだ。
「さすがグラット!この村イチの料理上手ね」
遅れて小屋に入ったナイアが目を輝かせた。
「お前も食うのかよ!?」
「いいじゃない。仕事を紹介してあげたのは私なんだし」
そう言って彼らはお互いを小突き合った。そんな彼らの小競り合いを静めたのは、長老の一声で合った。
「肝心なのはニンゲンの舌に合うかどうかじゃろて……」
「……確かにそんな事考えてなかったな。オイ、とりあえず何でもいいから食ってみてくれ。細かい味の調整ならまだ間に合う」
長老の言葉を飲み込んだグラットは大皿を床に置くと、僕たちに食事を促した。
そんな心配をしなくとも、目の前の料理から溢れ出る香りは、それらが如何に僕たちの腹を満足に満たすことができるかを訴えていた。
ちょうど手の届くところにあった蒸魚を指でつまむと、白い身がほくりと解ける。まだ暖かなその身を口へと放り込む。師匠とエルヴィアもそれに続く。……味の感想は言わずもがなであった。
「……ほほう。そうかそうか、満足そうじゃな」
長老は僕たちの満足そうな笑みを見ると、ナイアとグラットを座らせた。
「折角じゃから皆で頂くとしよう。よいな、グラット?」
長老から名を呼ばれたグラットは、自信ありげに、おう、と頷いた。
──幸せな夜であった。ひと昔前の僕なら、魔族と同じ食卓を囲むことなど、想像もできなかったはずだ。そういえばエントの時も同じように食事を共にしたが、その時とはまた別の感情を抱いていることに気付いた。
エントは魔族と言うより妖精や精霊に近い雰囲気を感じていた。だが今回、トリトニアンらは正真正銘の魔族であり、その種の誰もが僕たちを受け入れているわけではない。
ここにいる人たちがとても友好的で、心優しい事はもちろんだが、同じ言葉で会話を重ねることが、こうまで僕の心を開かせるものだとは知らなかった。
「ライリー。今回はやけに打ち解けてるね」
師匠は僕にそう耳打ちしてきた。
「そりゃあ彼らはとても優しいので……」
「果たしてそれだけかな。オルグの集落にいた時なんかは、魔族との会話はほとんど私が行っていたはずだよ」
……正直よく覚えていない。話すか話さないかなんて、意識的にやってたわけでもない。
「──ライリーもそう思うでしょ!?」
ナイアの少し高い声が響く。彼女はグラットと初めて会った時の話をしていた。幼いころ、どうやらグラットはとても不愛想だったらしく、誰とも馴染めずにいたそうだ。彼の心を開かせるために行った数々の苦労話は未だ尽きないようである。
「いいや、ナイアの距離感がおかしいんだ! 普通初対面であそこまでグイグイ来るもんかね」
グラッドは僕がナイアの同調に応える前に、それを遮った。
彼らはまるで兄弟のようだった。
「私はナイアちゃんに賛成よ! 彼女のフレンドリーさは私も見習いたいくらいだもの!」
エルヴィアはナイアの肩を掴んで抱き寄せた。ナイアはそれに胸をときめかせ、鼻高々にグラットを見下ろした。
「ライリーは俺を分かってくれるよな……!?」
グラットは必死に訴えるように僕の顔を覗き込んだ。一部始終を見守っていた師匠と長老はそれを見て大いに笑っていた。
にぎやかな夜だった。
翌朝。グラットは漁に出ると言って、まだ日の登らないうちに出掛けていたのを覚えている。師匠とナイアはまた早起きをしていて、何かを話していた。
「ねえ、今日は私の稽古場に来ない?同族ばっかで練習しててもあんまり意味ないと思うのよね、ワタシ」
「ナイアは戦士長なんだよね。その若さですごい実力だ」
「……あんまりあなたたちに言うべきじゃないかもしれないんだけど、戦争で強い戦士はみんな死んじゃってね。巡り巡って私が戦士長になったってわけ」
「……すまないことを聞いたな」
「いいえ、本当に気にしないで! 実際私が強いのは本当なんだし!」
ナイアは腕を曲げて、力こぶを作ってみせた。細い腕に見合わない、力強さがそこに現れていた。
「とにかく一緒に行こうよ! 魔界を生き抜いたあなたたちの実力も見てみたいわ」
そう言うと、彼女は僕たちを引っ張っていった。
村の少し離れたところに、修練場はあった。大きな叫び声と共に、木槍のはじける音が響き渡る。砂埃が舞いあがる中で、数十のトリトニアン兵士がしのぎを削りあっていた。
「はい。みんなちゅうもーく。今から実践練習はじめるわよ!」
ナイアが手を叩くと、兵士たちは続々と彼女の方に注意を集め始めた。
「さ、彼と戦いたい勇気ある兵士はいるかなー?」
すると突然、ナイアは僕の手を掴み、高々と挙げた。
「ちょっと……!僕そんな実践なんてできないよ!」
「大丈夫、大丈夫。危なくなったら私が止めるし。何より、あなたちょっと強いでしょ。サハギンとの戦闘見てたんだからね?」
ナイアは右目をパチリと閉じてウインクしてみせた。すると、ひときわ背の高い兵士が僕たちの前へ出た。体から生えているヒレは、心なしか他のトリトニアンより大きい。そして彼の額には十字の深い傷が刻まれていた。
「……ナイア。これは何かの冗談か? ニンゲンを村に入れるだけじゃ飽き足らず、こんな所にまで連れ回してくるとは。それとも、俺に敵討ちをさせてくれるってのか?」
「落ち着いて、ネレウス。彼らは戦争とは何も関係ない。それに同族だけだとつまらねぇって言ってたのはアンタでしょ」
「……いいだろう。一旦は受け入れてやる。だがコイツが死んでも知らねーぞ」
ネレウスと呼ばれた男はぶっきらぼうにそう言うと、首を左右にひねった。たたずまいからだけでも、彼が強者であることが伝わってくる。
「ライリー、武器は何にする?木槍だったら小さいサイズもあるよ」
ナイアは準備運動を始めるネレウスを気にも留めず、僕へ語り掛けた。いや、僕に戦う気はないんですけど……。
いつの間にか兵士たちが円形に広がって、戦場を確保している。一応最後の望みで、師匠の方を見てみたが、彼女は黙って腕を組んでいるだけで、むしろ観戦を楽しみにしているのではないかとも思えてきた。
「はぁ……武器は得意じゃないから、素手でやるよ……」
いよいよ観念して、拳を構える。
「素手ね……。遠慮はせんぞ」
ネレウスは僕から数歩距離を取って、長い木槍を構えた。
立ち合い特有の沈黙が流れる。何か開始の合図があるわけでもない。既に戦いは始まっていることを、彼の殺気にも似た気配が物語っていた。
先に動いたのはネレウス。大きく槍を引いたかと思うと、長いリーチを存分に活かして真横に薙ぎ払う。びゅおんと風を切りながら槍が迫る。間合いの外に逃げるのは間に合わないと判断した僕は、身を縮めてそれを躱す。
ネレウスは即座に槍を構えなおし、今度は大きく踏み込みながら、地に伏した僕めがけて鋭いひと突きを放つ。尖った先端に貫かれた風は、今度は音すら鳴らなかった。
体を右へ回転させながら、頭蓋めがけて刺しこまれる槍を躱す。勢い余って地を突いた槍の柄を、今度は僕が掴む。思い切り引っ張ると、彼は驚いたように体制を崩した。
その隙を逃すまいとした瞬間。ネレウスは前のめりになりながら全体重を槍に乗せ、棒高跳びでもするみたいに、大きく飛び上がった。そのまま槍を手放し、天から鋭い爪を振り下ろす。今度は完全に避けきることはできず、頬をかすり血が飛び出る。
だがその着地、一瞬出来た硬直に、僕は左こぶしを振り抜く。驚いたことに、彼はそれに反応してみせた。しかし完璧には回避できなかったのは彼も同じ。かすった頬の鱗がはがれ、血が垂れる。
「──そこまで!!」
ナイアの天にも届きそうなその大きな声で、僕は我に返った。
「素晴らしいファイトね。まだ見たい気持ちもあるけど、両者に拍手を!」
彼女の声で、半ば習慣化されてきたであろう拍手がパラパラと起こった。
「……あと数刻続けていれば、俺の拳はお前を貫いていたはずだ。フン、命拾いしたな。」
彼はそう言うとくるりと振り返り、兵士の円を突っ切って修練場を去っていった。死ぬ前にナイアが止めてくれて本当に良かった……。
「ネレウスってば本当に負けず嫌いね。でも内心ではあなたのことを認めたはずよ。いずれリベンジを仕掛けてくるでしょうけど」
リベンジは恐ろしいな……。さすがに道端で突然襲い掛かってくることはないと信じたい。
「今の試合、みんなも見たでしょ! 異種族との練習なんてめったにない機会よ。存分に相手になってもらいなさい」
ナイアは残った兵士に向かって言った。始めは誰も動こうとしなかったが、そのうちの1人が、お願いします、と僕に手合いを申し込んできたのを皮切りに、続々と列をなし始めた。




