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彼女は丸魚頭族という魚人種の一族であった。そして僕を襲っていた魚人は鋭魚頭族という一族で、非常に獰猛な種だということを教えてくれた。
「サハギンとトリトニアン、昔は友好的だったみたいなんだけどね。サハギンが変な神を信仰するようになってから、狂暴になり始めたっておばあちゃんから聞いたわ。確か“秩序にして悪”とかなんとか……」
「信仰ね……」
宗教的な事柄が争いに発展するのは、人間界でもよくあることだった。
「ところで、ナイアは人間にも友好的なんだな」
「うーん……。私が産まれたのは戦後だからね。そりゃあ怖がる人もいるだろうけど、私はそんなにかな」
となると、彼女は十数歳ということになる。その年齢で戦士長、と言っていたか。言動からも分かるが、かなりのしっかり者だ。
「あ、見えてきた。あれが私たちの村よ」
海辺に面した穏やかそうな村だった。丸太で組まれた円形の小屋に藁の屋根が乗っている。満潮時には水位が上がるのだろう、浜辺の方は高床式の住居が多かった。
柵で囲われた村の入り口には、銛を片手にした2体のトリトニアンが立っていた。鎧などの防具は身に着けていないが、ナイアより筋肉質で背も高く、まさに番人といった風体だ。
「お帰りナイア。その後ろに連れているのは誰だ?」
「彼らはニンゲンだよ」
「なっ……!?」
彼らは銛をバッ構えて、先端を僕たちに向けた。
「よせ、やめないか。この人たちに悪意はないよ」
「だったら何の用だ。もしかして村に入れようってんじゃないだろうな。ナイアは知らないと思うが、俺たちはニンゲンにされた仕打ちをまだよく覚えている」
「昔のことだろう。それに彼らには関係ない。……先に長老を呼んできてくれ」
ナイアがそう言っても、しばらくにらみ合いを続けていたが、兵士の片方が村の奥へと消えていった。数分後、彼は腰の曲がったトリトニアンを連れて来た。鱗は所々剥がれ落ち、たるんだ皮が幾重にも皺を作っている。
「ニンゲンか……。お前さんたち、近こうよれ」
長老は僕たちを手招きした。長老の前に立った僕たちの頬を一人一人撫でていく。ざらりとした手は冷たく、細い指が絡みつく。爪は黄色く、丸くなっていた。
「……ええじゃろう。入れてやりなさい。魔界のこんなところまでよう来とるわい」
「みんな聞いた? 長老の意思が絶対よ」
ナイアの声に、門番は体をしぶしぶどけた。
「ついてきて、長老の家まで案内するわ」
ナイアはそう言うと、長老の後に着いた。
道中、住民たちは様々な目で僕たちを見つめた。憎しみの混じる目、好奇心の混じる目、畏怖の混じる目、本当に様々だった。
「見るからに歓迎されてないわね……」
エルヴィアは師匠に肩を寄せながら言った。
「大丈夫だろう。ナイアや長老は私たちを好意的に見てくれている」
師匠はその肩に手を回して、安心させるように包んだ。また師匠の楽観癖だ。
しばらく歩くと、村の中心部、ドーム状の小屋までやってきた。他の住居よりも幾分か装飾がされているみたいで、白い貝殻や土を固めた小さな像で彩られていた。長老は入口に掲げてあった松明を取って中へ入る。部屋がゆらゆらと照らされる。
ナイアは長老から松明を受け取ると、それを中央の燭台に移した。手招きされるまま、僕たちも中へ入る。机や椅子なんかは一切ない。代わりに藁で編まれた薄手の敷物や円形の茣蓙が乱雑に敷かれていた。
「おばあちゃん。この人たち、本を探しに魔界まで来たんだって」
「本……。そりゃどんな本かい」
「僕の祖先の本です。なんでも、大魔族と交流していた時代に遺されたもので、貴重な情報が記されているとか……」
僕は師匠をチラリと見た。正直、本のことはあまりよく知らないのだ。師匠は静かにうなずいた。
「なるほどねえ。だけんども、そんなものワシは知らんねぇ」
「おばあちゃんでも知らないかあ。ちょっと期待してたんだけどな。おばあちゃんってホントに物知りなんだよ。何でも知ってるの」
ナイアは松明を入口まで戻した後、茣蓙の上に座った。
「そんなに物知りなのか。……そうだ! あの魔導書に書いてあること、何か分かるんじゃないか?」
師匠は提案した。確かに、見せてみる価値はあるかもしれない。僕は魔導書を取り出すと、長老に手渡した。長老はおもむろにパラパラとページをめくり、ナイアがそれを覗き込んだ。
「何これ! こんな言語見たことない」
「バフォルグの国でもらったんだ。私たちも何が書いてあるかよくわからなくてね」
長老のページをめくる手が止まる。
「何日か時間をもらってもええかね。古い書物と照らし合わせたら、何か分かるかもしれんべ。その間、ここで長旅を癒すとええじゃろ。ナイア、世話してやんなしゃい」
長老はそう言うと、ナイアの頭をポンと撫でた。
「頼りになるでしょ?うちのおばあちゃん」
ナイアはニコリと笑った。もしかして、彼女は長老の娘じゃなかろうか。そんな思いが浮かんだが、わざわざ聞くほどではなかった。
その晩は長老の小屋に泊めてもらうことができた。藁の布団は思ったより暖かく、風を防げる場所で寝たのも、久しぶりだった。ナイアにこれまでの旅のことを話すと、彼女はそれをとても面白がった。
そして意外にも、エルヴィアと最も気が合うようだった。僕と師匠が眠りにつくまで、彼女たちは仲睦まじそうに会話を続けていた。
翌朝、波がさざめく音で目が覚めた。ナイアと師匠はもう起きているようで、何か談笑をしていた。
「ありがとうナイア。私たちをここまで受け入れてくれるなんて。何かお返し出来る事があったら言ってくれ」
「お返しねえ。そういえば以前、グラットが漁の人手が足りないって言ってたっけ。もしよかったら手伝いに行かない?」
ナイアの提案に異論はなかった。グラット、と呼ばれる人物は村のすぐ近くにある波止場にいるらしかった。
波止場には、多くの木船がつないであった。いくつかの船からは、網に入った大漁の魚が降ろされていた。潮と生魚の匂いがあたり一面を覆っている。
「グラット! 人手を連れて来たよー」
「ナイアか! そりゃありがたい。何しろ最近は漁が出来なかったからな。獲れるときに獲っておきたい……」
グラットと呼ばれたその魚人は、掴んでいた網を落とす。
「ニンゲンかよっ……! なんで寄りにも寄って……!」
「そんな事言うなよ。彼らは優しいし、長老も認めてるんだぞ」
「……そうはいっても、なあ」
彼はしばらく考え込んでいたが、ナイアが言うなら、と僕たちを受け入れてくれたようだった。彼女は村人にかなり信頼されているみたいだ。
「俺はグラット。あんたたちは?」
「僕はライリー。こっちはエルヴィアと、師匠のカサンドラ。よろしく頼む」
僕が差し出した右手を、彼はおずおずと握りこんだ。
「……言っとくが、手伝ってくれるというなら容赦しないからな」
グラットは細い目で僕たちを睨んだ。
魔界の漁は、想像していたよりも何倍も過酷だった。なんと言っても、木船に魚が自ら飛び乗ってくるのだ。細かな牙がびっしり生えた口を開け、僕たちを捕食しようと嚙みついてくる。それを何とか避けながら、時には足ではたき落としながら底網を引き揚げていく。数回繰り返すと、船は魚でいっぱいになった。
細かなかすり傷を無数につけて波止場に帰ってきた僕と師匠を、エルヴィアが出迎える。彼女の仕事はこれからだった。何百キロもある魚の塊を、複数に分けて運んだあと、エルヴィアはそれを鮮やかな手つきで捌いていった。森の精霊だというのに、魚が捌けるとは器用なヤツだ。周りには何人かのトリトニアンが同じように魚を捌きながら、僕たちを好奇な視線で見つめていたが、僕たちの働きを見る内にその粘っこい視線は薄れていった。
「やるじゃないか……」
グラットは積み重なった切り身の山を見てそうつぶやいた。
「正直ここまでやってくれるとは思わなかった。本当に助かったぜ」
「こんな大仕事、君は毎日やってるのか……?」
額に汗をにじませながら師匠は尋ねる。
「……いや。最近は漁に出られなくてな。またいつ出られるか分からねえから、いつも以上に蓄えてるんだ」
「そういえば、そんなことを言っていたね。天候が安定しないのかい?」
「それならまだマシだったさ。……最近この海域に海獣がうろつくようになってな。漁船も仲間もかなりやられてる。長老曰くリヴァイアサンっていうらしいんだが、ソイツの目撃情報があってからは海に出るのはやめてるんだ。それがここ最近はやっと見かけなくなってね」
彼は仲間の顔を思い浮かべるように空を見た。
「まあ、そんなこと言っても仕方ねえ。お前らの仕事に免じて、今日は俺がご馳走をふるまってやる。その代わり、コイツらを全部倉庫に運んどいてくれ。脂は蝋に使うから取り分けて別の倉庫な!」
グラットは捌かれた魚のうち、脂乗りが良さそうなのをいくつか手に取ると、さっさと立ち去った。
これを3人で、かぁ……。
目の前に積まれた魚の山を、僕はしばらく呆然と見つめていた。




