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20ページ目

 うぅぅぅぅぅ。おぇぇあぁぁあ──。


 うめき声。反響していつまでも耳に残る。


「今治してあげるからね……」


 眼前に横たわるバフォルグの太腿ふとももには、刃物で切り裂かれたような大きな傷口があった。溢れ出た血は既に固まり、黒くなっている。


 そっと手を触れ、治癒の呪文を口にする。傷がふさがるにつれ、彼の表情も柔らかくなっていった。


 一辺が10mはありそうな大きな牢獄。辺りは無造作に寝ころばされたバフォルグたちでひしめいている。深い傷を手で押さえつけ耐える者、病に伏し呼吸を荒くさせる者、既に事切れて力なく横たわる者。彼らの苦痛に満ちた表情が、天井から吊るされた小さな油灯ランプで照らされる。


 私、カサンドラが監禁されたのは、そのような者たちが一カ所に集まる牢獄だった。ここに来たのが5日前、同日にネズミ姿のエルヴィアを見つけ、ライリーの無事を知ったのは、ほんの3日前のことである。


 その間、横たわるバフォルグたちに治癒の魔法を施していた。治せるのは外傷に限られる上、体力的にも、全員を救えるわけではない。3人の無事が確認できた今、本当は脱獄のことにだけ専念するべきなのかもしれない。しかし、毎日のように運ばれてくる、ひどくやせ細った患者を見殺しにするほど冷酷な判断はできなかった。


「君は……ひどい熱だ」


 彼の体は汗で濡れ、茶色の体毛が銀に光る。


 彼の顔汗を袖で拭う。


「少ないが、食べられるときに食べておいた方が良い」


 硬いパンを半分にちぎり、彼の傍に置く。支給されるパンの数は収容人数に対して明らかに足りていない。この欠片でも一人分の食料とする他ない。


「もう……いいんだ……」


 彼は瞼の隙間から、白く曇った瞳をのぞかせた。


「どうした。何か私にできることがあれば聞こう」


「お前、最近ここの奴らを看病して回ってるな……。もう止めろ……」


「なぜだ。ただでさえ劣悪な環境だ。苦しむのはつらいだろう」


「余計なお世話だって言ってんだ……。どうせ治っても、強制労働に逆戻りか、魔獣のエサになるだけだ。それよりも、ここで腐っていく方がマシだ」


 何も反論できなかった。心の中では分かっていたことだ。ここで私が何をしようと、彼らの運命は決まっている。


 彼は肩肘をついて、ゆっくりと上体を起こした。


「ニンゲンだな。なぜここにいる」


「魔界を旅している。この国で人探しを頼まれて、闘技場を訪れた。そこで黒服に捕まって、ここまで連行された」


「人探しね……。嵌められたな」


 店主の真剣な面持ちを思い出すに、嵌められた、とは思わない。だが彼の何でもない風な言いぐさからは、騙し合いが日常茶飯事であるように感じられた。


「君はどうしてここに?」


「……負けたから……だ」


 彼は声を絞り出して続ける。


「俺は元戦士。十数年前……戦争に負けておめおめと帰国した俺たち戦士を……この国は許さなかった。疲弊した同胞を戦犯だと祭り上げ……そのほとんどを地下に収容しやがった」


 強くなっていく語気に、彼は思わずせき込む。


「だ、大丈夫か」


「……しゃべりすぎたな。分かったら大人しくしてろ」


 彼は再び体を横に倒し、背を向けて寝ころんだ。薄暗い照明と濃い体毛に隠れて、彼の背には無数の傷跡があった。もう古くなったそれは、戦士としての証なのだろう。


 彼がどんな思いで戦い、どんな思いでここにいるのか、私には測りかねる。でも、私自身も、かつて様々な兵士を看取った過去がある。その経験が無意識に感じさせる。


「君の闘志はまだ燻っているように見えるけどね……」


 油灯ランプの炎がゆらりと揺れ、彼の傷だらけの背を照らした。



 翌日。部屋の隅、生暖かい通気口の傍でじっとうずくまる。


 ──タッタッタッタ。


 耳を澄ませば聞こえるくらいの小さな音。戻ってきたみたいだ。


「カサンドラ!やっと地下の全体が把握できたわ」


 白く美しいネズミ《エルヴィア》が小さな口を開いた。ひどく疲れたのだろう、肩を上下に震わせている。


「経路はいくつかあるけれど、どれも看守が最低3人はいる関所を通らないと地上には出られないわね」


 彼女にはこの数日間、地下からの脱出経路を把握してもらっている。ただ、看守の見回りの際には彼女自身の牢に戻らなければならないし、何より変身は体力を大幅に使うのだろう、日に日にやせ細っているのが分かる。


「牢の鍵は盗めそう?」


「看守が常に携帯してるから、隙を見て盗るっていうのは難しいかも……。でも鍵そのものは全部共通みたいだから、1つでも盗れればライリーの牢も開けられるわ」


「分かった、ありがとう。良い方法を考えておくよ」


 ネズミは小さくうなずくと、通気口へと駆けていった。


 問題は鍵と関所の突破か。私の力では、看守1人を押さえつけるのが関の山だろう。それだけ彼らとの体格差は大きい。


「──何かたくらんでるな」


 しまった、聞かれたか──。


 振り返ると、顔色の悪いバフォルグが汗を滴らせていた。


「君は、昨日の……」


「前からコソコソ、怪しいと思ったんだ。少し集中すれば、会話が石伝いに聞こえてきたぜ……」


「独り言だよ。こんな所に閉じ込めてるんだ。妄言くらい許してくれ……」


「いいや、違う。下手な嘘はよせ。目を見れば分かる」


 彼はぐいと迫り、私の瞳をのぞき込んだ。


「だから──」


 彼はドシンと座り込み、胡坐あぐらをかく。両の手を膝に付き──


「俺にも協力させてくれ……!」


 ずんと頭を垂らした。


 協力、彼はそう言ったのか。


「脱獄には人手がいるんだろう。体調が万全ではないとしても、お前より数倍力はあるはずだ。それと、地下を自由に移動できる仲間がいるんだろう? ソイツに俺の仲間の場所を確認するよう頼んでくれないか」


 彼はガバっと顔を上げて続ける。


「俺らは互いに人質なんだ。誰かが脱獄を企むと、全員が罰を受ける。でも、同時に脱獄できれば問題はねぇ!」


 彼の目の奥が光る。偶然やってきた希望を取り逃すまいと必死にもがいているように見える。


「……願ってもない話だ。ぜひ協力してほしい」


 手を差し伸べると、彼はそれを両手でがっしりと握った。大きな掌が、私の手を覆う。彼はそのまま私の身体を引き寄せると、彼は耳打ちした。


「俺の名はブレザック。お前はなんという」


「カサンドラだ。よろしく頼む、ブレザック」


 ブレザックは握ったままの手に、再び力を入れた。


「グラドン、バルガス、モルダス、モウラン、ドルゴン、ドレゴス、ザルヴォン。どれも命を預けて戦った俺の仲間だ。必ず力を貸してくれる」


「……それだけ人数がいれば、関所は強行突破できる。よし、詳しい作戦を立てよう」




 作戦決行日。それはライリーの試合当日であった。


 ──ギギギギギギ。カツ、カツ、カツ。


 看守がやってくる合図。大きな麻袋を携えて、足りないパンを投げ入れに来る合図。


 10日もいると、聞き慣れてきた音だが、今日は違った。足音が近づくたびに、見守ることしか出来ない私の心臓もドクンと脈を打つ。


 看守が立ち止まる。袋の中に手を伸ばす。


 その瞬間、彼の背後で人間姿に変身したエルヴィアが、石の入った麻袋を振りかぶって、彼の頭に勢いよく叩きつけた。


 鐘を突いたような鈍い音が鳴ると、彼は体をピンと伸ばしたまま、仰向けに倒れこんだ。


 エルヴィアは看守の腰辺りをまさぐり、一本の鉄鍵を見つけ出した。そして流れるように牢の鍵を開ける。


 不意打ちは成功だ。パンの入っていた袋に、そこら中からかき集めた小石を入れたのだ。こんな鈍器で突然頭を殴られては、さすがのバフォルグも失神せざるを得ないらしい。


「次はブレザックの仲間を開放しに行く。エルちゃん、道案内頼んだよ」


「任せときなさい! 何回も脳内で予行練習したんだから」


 彼女はにこりと笑うと、ブレザックの手を引き連れて暗い廊下を駆けていった。


「今から脱獄を決行する! 待ちはしない、ついてくる者は私に続け!」


 牢の中に呼びかける。一部始終を見ていた者たちは、上体を起こしてぽかんと口を開けていた。人数は大いに越したことは無いが、一人一人に呼びかけている時間はない。彼らが状況を理解するより早く、エルヴィアを追う。


 廊下を走る私の背後で、2,3人のバフォルグが開いた牢の扉から顔を覗かせていた。



 階段を上って、3番目の角を右、そこにグラドンが。7番目の角を左、バルガスが。無駄のない経路で素早く牢を開放していく。本当は手当たり次第に解放したいが、鍵も時間も足りない。エルヴィアが事前に作戦を伝えた7人の仲間だけを募っていく。


 彼らはブレザックを見ると、旧友に会った時のように、うれしそうに笑った。再開の喜びは地上でかみしめよう、そう気を引き締めるブレザックだったが、彼の口元もわずかに緩んでいた。


 仲間の解放は順調に進み、ついに7人目のザルヴォンを開放した。改めて彼らを見ると、さすが元戦士、体格の大きな者ばかりだ。


「無事に全員揃ったね。関所はこの先だ」


 関所からほど近い牢にライリーがいる。最短で脱獄するには、関所を突破してからライリーを助けるルートが一番早いらしい。


 早く、早くライリーを助けなければ。はやる気持ちを抑え、冷静にひた走る。


 階段を上り、地上に近づくにつれ、喧騒が聞こえてくる。道が広がり、重かった空気が軽くなっていく。


 先頭を走っていたエルヴィアが手を伸ばして私たちを制する。前方には、廊下を塞ぐようにして建てられた木の壁と扉。例の関所だ。窓はなく、中は見えない。ここを突破すれば、地上まであと少しだ。


「手筈通りに」


 2人のバフォルグが両開きの扉の前に立つ。彼らは両腕を組んで、全身にぐっと力を込める。


 そして、その太い肩を盾に、扉に向かって勢いよくタックルを仕掛ける──はずだった。


 仁王立ちしたまま一向に動こうとしないバフォルグたち。覚悟が決まらないのだろうか。それもそのはず、一番初めに突撃するということは、それだけ捕まるリスクも高いということだ。


「安心してくれ。君たちを見捨てるような真似はしない」


 彼らの背に静かに語りかける。


「……ここまででいい」


 喋り出したのはブレザックだった。彼はおもむろに扉の前へ立ち、深く息を吸った。


「連れてきたぞぉぉぉおおおぉぉお………!」


 掠れながらに出す大声。それでも閉鎖されたこの空間では幾度も反響を繰り返した。


「な、なにを……!!」


 彼を制止させようと手を伸ばした瞬間。勢いよく開いた扉から、鎧を纏い、手斧で武装した看守が飛び出してきた。その数、2人や3人ではない。7,8,9……どんどん増える。


 嫌な気配を感じて後ろを振り返ると、そこにも看守がいた。複数人で、私たちを逃すまいと道をふさいでいる。


「嘘じゃなかったようだな」


 鎧の軍団の奥から現れた黒服が、ゆっくりと歩いてくる。


「こ、これで俺たちは《・》助かるんだろう……!」


 ブレザックは必至そうに訴える。


「ええ、君たちバフォルグは解放しよう」


 彼は白手袋をはめた手で手招きした。ブレザックと7人の仲間はいざなわれるように彼の元へ向かう。


「ブレザック……! どういうことだ!」


「仲間の無事と引き換えに、お前らを売った。それだけだ……」


 顔をうつむかせ、目を合わせようともしない。他の仲間たちも同様だった。黒服は看守の隙間を縫って関所へ戻ると、ブレザックらもそれに続いた。最後にザルヴォンが入ると、彼は後ろ手に扉を閉めた。


 狭い廊下に残されたのは大量の兵と私たち2人。震えるエルヴィアの手を握る。


「……私たちにもう1人仲間がいるのは知ってるだろう。彼は今どこにいる」


「まだ牢で待機してるが、もうすぐ試合開始といった所だな。会場も温まってきている」


 リーダー格らしき看守が一歩前へ出た。


「大人しく捕まる。その代わり彼の出番を、私と交代させてくれ」


「ハハハ、ふざけたことを抜かしやがる。お仲間サンには、脱獄の失敗の瞬間をよぉく事細かに説明しといてやるよ」


 さあ、捕えろ!その合図で看守たちが一斉にとびかかる。


「エルヴィア! 君だけでも……!」


 必死で訴える言葉は、鎧ひしめく海へと飲み込まれていった。


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