19ページ目
「生き残ったかライリー! 無事……じゃねぇみたいだが」
隅で縮こまっていたモウジャックが駆け寄る。彼は懐から硬い石のようなものを取り出した。
「ほら、食え。ちょっと汚れてるが……」
彼はその石ころを軽くこする。表面に付着した灰色のカビが薄れ、つるつるとした小麦色の表面が現れた。パン、だろうか。
「ありがとう……。でも今は食欲が湧かなくてね」
「なんだ、石パンは嫌いか?食える時に食っておけ、次は死ぬかもしれんぞ」
彼は壁にパンを叩きつけ、小さな欠片にした。カチんという音が牢屋に鳴り響く。
その音に驚いたのか、
──チュウ。
小さな鳴き声が聞こえた。隅にある、通気口の方からだ。のぞき込んでみると、その奥には白く小さなネズミがいた。鼻をヒクつかせ、僕たちの様子をうかがっている。
通気口は腕一本が入るかどうかの太さだが、小動物ぐらいならなんなく潜り込めるのだろう。
試しにおいでと手招きすると、それを見たネズミは一歩、また一歩と部屋に近づいた。こんな状況だと、ネズミ一匹でもかわいらしく見えてくる。
ネズミは通気口から顔をのぞかせた。丸く黒い目がチャーミングだ。
「とうりゃっっっ!!」
突然、モウジャックがネズミに飛び掛かる。
「運が良かったな、久しぶりの肉だ!」
彼は猫のような姿勢でネズミを抑え込み、満面の笑みでそう言った。
「い、いや、食べないよ……」
「なんだ肉も嫌いなのか、ニンゲンってのは。難儀だな」
彼は不思議そうに首を傾げた。そういう問題じゃないんだがね……。
「……っと、……っと!」
するとどこからか、声にもならないような音が聞こえた。その声はモウジャックにも届いているらしく、2人できょろりと辺りを見回す。
「ちょっ……、……っと!」
上じゃない、下の方からだ。それも部屋の隅、ちょうど通気口のあたり……。
「ちょっと!いい加減放しなさいよ!」
モウジャックの手の下。ネズミが大きく口を開けて叫んだ。驚いたモウジャックが手を跳ねさせる
ネズミが喋った……?
人語を介するネズミなんてのが、魔界にはいるのか!いや、じゃあなぜ魔界育ちのモウジャックも驚いているんだ。
「ライリー! 無事だったのね!」
ネズミは俊敏な動きで、僕の膝元までやってきた。
「その声……もしかしてエルヴィアか!?」
「ええ、そうよ! ここって案外広くて、探すのに手間取っちゃったわ!」
そうか、彼女はもともと精霊だ。あの少女のような見た目も、仮の姿にすぎない。原型の無い精霊だからこそ、他の生物に変身が可能なのだろう。
「そうだ……! 師匠、師匠は無事なのか」
「ええ、無事よ。彼女も別の牢で見つけたわ!」
3人とも無事だ……、良かった……。ほっと胸をなでおろす。
「……ねえ、どうしたの……この傷」
彼女はネズミの小さな前足で、僕の腹部を撫でた。さっきまで白かった包帯に、いつの間にか赤色がにじんでいる。
「上で魔獣と戦った。痛みはあるけど、大丈夫」
「魔獣……?どうして戦っていたの?」
「闘技場の奴隷として魔獣と戦わされた。何とか生き延びたけど、次も生きれる保証はない。エルヴィアたちもいつ戦わされるか分からない。だから一刻も早く逃げ出さないと……」
「そうなの……。本当はもっと作戦を話し合いたいけど、いつ看守が戻ってくるか分からないわ。とにかくカサンドラに君の無事を伝えてくるわね。あんまり短時間で何度も変身できないけれど、またすぐに来るから」
ネズミはそう言い残すと、ぴょんぴょんと跳ねるようにして、通気口に入っていった。
「喋るネズミ……。あれもお前さんの仲間なのか?」
一連の話を黙って聞いていたモウジャックは珍妙な面持ちをしていた。
「本来は精霊なんだが、人間以外に小動物にも変身できるみたいだ。僕も初めて見た。」
「精霊とはまた珍しい。でも無警戒だな。俺が今の話を看守に報告したら一発アウトだぜ?」
「……報告するのか?」
「まあ、それで旨い飯でも食えるんならなぁ」
彼は手を頭の後ろで組んで、続ける。
「でも俺は偏食家なんだ。こんな狭い牢獄で何を食わされたって、美味いとは思わねえ。それに美味い飯って言ったら、あの店の飯しか思いつかなねえよ。だからお前さんたちが食わしてくれよ。俺をここから連れ出してさ」
彼はにやりと笑い、右手を差し出す。
「……そうだな」
差し出された手を握る。ガサガサで固くなった掌から、彼の温もりが伝わってきた。
「ところで、なぜモウジャックはこの闘技場で4,5年も生きてられるんだ?」
ここの試合は、毎回生き延びられるほど生ぬるいものじゃない。毎回が生死を賭けた戦いのはずだ。
「投獄されてからすぐに闘技場に狩りだされることはまず無いからだ。君がイレギュラーなんだよ」
「そういえば、看守もそんなことを言っていたな」
「元気な内は労働力として、地下拡張の作業をやらせるんだ。そこで弱ってきたら闘技場に呼んで魔獣のエサにするのさ」
出場者が全員やせ細っていたのはそのせいか。あの闘技場は労働も満足に行えなくなった奴の処理場って事だろう。
「だが俺もここ最近、労働には呼ばれなくなった……。おそらく──」
ギギギギギ──。コツ、コツ、コツ。
鉄の扉が開く音。それを合図に、僕たちは静まり返る。看守だ。手にいくつかの麻袋を抱えている。
「おいニンゲン。先の試合はえらく評判だったみたいだ。噂を聞きつけた者たちが次の試合を待ち望んでいる。聞けば国の上層部も興味を持ってるそうじゃねえか。良かったな、人気者だぞ」
彼は麻袋を牢屋へ投げ入れた。それはコンと音を立てて壁にぶつかり、中から拳ほどのパンが2つ転がり出た。
「次の試合は10日後だ。今度こそ死ぬだろうが、せいぜい余生を楽しんでおけよ」
彼は黄色い歯をのぞかせて、ガハハと笑った。
「観客は僕の戦いを望んでいるんだろ。そんなに簡単に僕を死なせていいのか」
「何言ってんだ。お前の“戦い”が見たいんじゃない。お前の“死にざま”が見たいんだよ。なに、心配するな。代わりは2人もいるんだ。お前が死んだあとは、そいつらで稼げばいい」
彼は残った袋を持ち直すと、またコツコツと音を鳴らして立ち去って行った。
「期限は10日後ね……。どうすんだ、ライリー?」
モウジャックは床に散らばったパンを拾い上げ、僕に一つ差し出した。




