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鈍い頭痛で目が覚める。衝撃が尾を引いて、頭の奥が痛む。そうだ、師匠は──。
ガバッと跳ね起きる。石のレンガで囲われた、薄暗い空間。目の前の鉄格子を見るに、牢屋のようだ。
……師匠とエルヴィアがいない。別の場所に収容されているのだろうか。いや、収容なんかじゃなくて、もっと悪いことが2人の身に起きていたら……。
少しでも外の様子を見ようと、鉄格子に顔を近づける。
1本の通路。その果てにある鉄の扉。そこに取り付けられた小さな窓口からでは、外の様子は良く見えない。
「よお、何か見えたかい」
背後からの声。ぎょっとして振り向く。
そこには茶色いシーツを肩に掛けて座り込む骨ばったバフォルグがいた。細い腕を膝に回して縮こまっている。体毛の所々は抜け落ちていて、薄ピンクの地肌がむき出しになっていた。
「何も見えないだろ。まあ、見えたところで何かできるわけじゃないが」
「あんたは……」
「俺はモウジャック。見たらわかると思うが、種族はバフォルグ。ここに来てもう4,5年になる。お前さんは?」
モウジャック──。あの店主が探してきてほしいと言った名だ。
「……僕はライリー、人間だ。仲間とここに来て、難癖をつけられ全員捕まってしまった」
「ほほぉ、ニンゲンか。こりゃ珍しい。」
彼は身を乗り出した。
「ニンゲンってのは頭がいいんだろ。数を数えるのは得意か? なにしろここじゃ砂粒を数えるくらいしかやることが無い」
彼は乾いた口を小さく開けて、カハハと笑った。
「モウジャック。僕たちが闘技場に来た理由は、地上で会った店主に、地下にいる君の生死を確認してきてほしいと頼まれたからなんだ」
「……もしかして、あのボロ屋の店主か!? こわもての!」
正直バフォルグの顔はみな同じに見えるが、確かに店主は怖かった気がする。
「懐かしいなぁ。美味かっただろ、あそこの飯は」
僕はこくりと頷く。
「そうだろう、そうだろう。なぜか他の奴らはマズイって言って食わないんだけどな」
想いを馳せるモウジャックに、事の経緯を詳しく伝えた。
「はぁ、俺を探すためにここに来たのに、お前らが捕まっちまったと。ずいぶんお人好しなんだな、ニンゲンって」
「そうだな……。師匠の純真さにはあきれっぱなしだ」
「仲間ってのは君の師匠のことだったか。きっと、良いヤツなんだろうな。俺も会ってみてぇ」
彼はそっと目を伏して、地面を撫でた。
ギギギギギギ──
鉄と岩がこすれる音。通路の先から聞こえてくる。
「看守が来たみてえだ。大人しくした方がいいぜ」
大きな体躯が鉄格子の先からぬっと現れる。
「お前が噂のニンゲンか……ずいぶん小せえな」
鉄の鎧に身を包んだバフォルグ。ただでさえ巨体なバフォルグだが、鎧のせいでまるで要塞のように見える。彼の手に握られた松明が、牢屋を照らす。
「普通は労働が先なんだが、お偉いさんたちは早くお前をお披露目したいらしい」
彼はガチャリと鉄格子を開け、僕に外に出るよう促した。
今……逃げられはしないだろう。この体格差では勝てないし、もし逃げ延びてもこの先がどうなっているか分からない。
おずおずと立ち上がり、外に出る。するとすぐに彼は、僕の両手をがっしりとつかみ、プレート状に延ばされた鉄の手枷をはめた。
「ッチ……。これでギリギリかよ。枝みてぇな腕しやがって」
鎖のついた大きな手枷がずっしりと重くのしかかる。
彼は牢の鍵を閉め、僕の後ろに立つと
「さあ、歩け」
と言って、背中をバンと叩いた。
牢屋を通り過ぎる間、モウジャックはただ黙って体を縮こまらせていた。
鉄の扉をくぐって、脇に合った階段を上る。ここはずいぶん地下の深い所みたいで、いくら登っても出口が見えない。
息切れを感じ始めたころ、ガヤガヤとした喧騒と共に、実況のようなアナウンスが聞こえてきた。
『本日の予定を変更いたしまして、只今から特別ショーを開催いたします!』
一段登る度、薄暗い階段に光がさしこんでくる。それと同時にアナウンスの声がだんだんと鮮明になる。
『我々は今日、あの珍妙な生物がこの闘技場に侵入しているとの情報を得ました。さらに驚くべきことに、借金のせいで地下まで連行されていった模様です。なんと愚かな生物でしょう!』
階段を登りきると、鉄格子のハマった扉があった。隙間から見えるのは平たんな砂地とそれを一段上の座席から取り囲む大勢の観客だ。異種族混合の、多くの魔族がその時を待っている。
後ろから付いてきていた要塞バフォルグが、僕の首にひもをかけて、薄くテカテカした白いマントをつけた。そして鍵を使って手枷を外す。
『その生物をご覧に入れましょう!───ニンゲンンンンだァァァァ!!』
彼は別の鍵を使って鉄格子を開けると、銀色の剣と共に、僕を蹴り飛ばすようにして会場へ放り込んだ。
───ワァァァァァァ!!!
大歓声。360°どこを見ても、魔族がひしめいている。
ボッという音と共に、目が焼けるほどのスポットライトに照らされる。
『群体ならいざ知らず、単体のニンゲンはなんと小さく、ひ弱で、可哀そうなのでしょう。それに相対するは、つい先ほども勇者たちを軽々と飲み込んでしまった怪物!』
向かいの鉄格子がガラガラと開く。奥の暗闇から赤い目だけが煌々と光るのが見える。
『グルムゥゥゥゥ・ファァァァァング!!』
獣が一歩、闘技場の砂を踏む。
のそり、のそりとしなやかに歩くその姿からは、豹を連想させる。ただ、爪は太く凶悪で、裂けた顎から、粘液まみれの牙がのぞいている。黒い剛毛で覆われた全身が、ライトに照らされてぬらりと輝いた。
魔獣と真正面から相対したのは、これが初めてだった。自分が狩られる側として、品定めされているような感覚。恐怖で足がすくむ。
──カァァァァァン!!
どこからか鳴り響くゴングの音。
『戦いの火ぶたが今、切って落とされたぁぁ!』
魔獣は大きな音も観客の目も全く意に介していないようだった。ゴングの余韻が終わるのも待たず、一目散に飛び掛かってきた。数十メートルの距離を一息で駆け抜け、跳躍する。
避けることなんて、到底不可能だ。事実、獣が視界に収まっていたのは、わずか数秒程度だった。
次の瞬間には、馬車に吹っ飛ばされたかのような衝撃が全身を巡る。
宙を舞った後、砂地に倒れこむ。自分が仰向けになっていることすらも、理解が遅れる。
ズドンという鈍い衝撃。巨大な爪で腹を押さえつけられる。ギラりと光るその鋭爪は、いともたやすく僕の肉を切り裂いた。剣はとうに僕の手を離れ、遠くに転がっている。
動けない。眼前にはこれでもかと口を大きく開けた獣。ああ、死ぬんだ。
今更そんな浅い感想が脳裏をよぎる。きっと現実を受け止め切れていないからだろう。
虐殺が始まる。いや、獣にとってはただの食事か。僕はここで喰われて死ぬんだ。
でも、そんな中、この考えだけは思考をほとんど放棄した脳内でも鮮明に思い浮かべることができた。
こんな時、師匠ならどうするのか──。
昔から窮地に陥った時は、いつもこんな考えが浮かぶ。だって、彼女なら、決して諦めはしないから。あの純真な瞳には、死を受け入れるなんて選択肢は存在しないはずだ。
そして、他人にもそんな選択をしてほしくないと思っている。お人好し、と言っていいのかどうか……。
師匠の顔が思い浮かぶ。フワフワした浮遊感、諦めにも近い脳の逃避行が消え、突如として現実世界に引き戻される。
「デァァァッッッ!!」
右拳を、獣の目に向かって思い切り突き刺す。
──ヴァァァアッッ。急な反撃に気を取られた魔獣が少しだけのけ反る。
拘束が緩んだ瞬間に、身をよじって抜け出す。地面には、僕の血の跡がくっきりと残っていた。
黒い獣はよろよろと後退した後、か弱い生物に反撃されたのがよっぽど堪えたのか、威嚇するように大きく咆哮した。
その雄叫びに比例して、観客もヒートアップする。
『抜け出したっ!これは面白くなってきたぞぉぉっ!!』
実況に大歓声が続く。だが、そのほとんどは僕の耳に届かない。僕の頭はここからの打開策を考えるのに夢中だった。何か、何かないか。ここから生き延びる方法は。
幸いなことに、獣はまだ警戒態勢にあるらしく、安易に襲ってはこない。不幸なのは、銀の剣は獣のちょうど足元に落ち、もはや砂にも埋もれつつあるということだった。最後の希望を求めて、砂の上をよろよろと彷徨う。切られた腹から血があふれ出す。
黒い獣は、距離を離すまいと、じりじりと詰め寄る。次は仕留めるとばかりに、目を丸く見開いている。
8,7m。
起死回生のアイデア。現実はそう都合の良いことばかり起こりはしない。頭では分かっていても、今はかすかな希望を探し出すしかなかった。
6,5,4m。
もう、とっくに一息で飛び掛かられる距離にまで迫っていた。
足元には腹から垂れた血が、赤いシミを作っている。よく見れば、砂地にあるのは僕の血だけではない。過去に散っていったであろう“勇者”の血も数多く混ざっていた。
そこにひと際、まだ赤々しさを保っている血だまりを見つける。おそらくさっき戦わされてたバフォルグたちの……。
「……!」
それに気を取られた隙を、獣は見逃さなかった。
魔獣は前足を大きく蹴り上げ、一気に飛び掛かる。魔獣は、血だまりに足をすくわれたのか、思わず尻もちをつく僕を見て、勝利を確信したのだろう。今度は頭をかみちぎろうと口を大きく開いた。禍々しい牙が僕を襲う。
──ここだっっっ!!
血だまりの下に埋まっていたもの、それは銀色に輝く1本の剣。
それをそのまま、あんぐり開いた獣の口に突き刺す。硬そうな剛毛で覆われた皮膚と違い、口内は柔らかいようで、剣はそのまま脳天を突き破った。
獣は2、3回ビクビクと痙攣すると、その場に突っ伏してしまった。
『な、ナニィィィィィィイ!!!!』
闘技場全体が揺れる。
『しょ、勝者、ニンゲンンンンンン!!!』
──ワァァァァァア!!!
3度目の大歓声。
「アイツ勝ちやがった!」
「どうやって、なんで、いやそれよりも……」
「どうすんだよぉ。俺、全額魔獣に賭けちまった」
そんな会話。僕には関係ないことだ。
腹を抑えた左腕に、生暖かく、ぬめりとした感触。血が止まらない。とにかく止血しなければ。
入場してきた鉄格子が再び開く。鎧を着たバフォルグが手招きしている。僕をここまで連れてきた看守だ。
よろよろと歩み寄ると、彼は僕を近くの木箱に座らせた。最初は気が付かなかったが、ここにはたくさんの積み荷があった。中に入っているのは剣や防具、それに魔獣用と思しきエサの数々。
「応急処置はしてやる。そういう決まりだからな。それにしても……さっき死んだ奴らの剣を使うとは。急遽の試合で装備品の回収が疎かになってたんだろう。運営のミスだな」
彼は僕の上着を引き裂くと、露になった傷口を拭い始めた。手際の良さを見るに、幾度も経験してきたのだろう。
「ミス……? お前らが日々同族を奴隷のように扱ってるからだろう。彼らの尊厳なんてどうでもいいんだ。……あの剣だって、腕が付いたままだった。せめて遺体の回収ぐらい丁寧にしていたら、剣も回収し忘れることは無かったはずだ」
「ニンゲン風情が……よく言うぜ」
腹部から流れていた血が止まる。最低限塞がれた傷口の上から、白い包帯がぐるぐると巻かれた。
彼は再び僕の両手をつかむと、金属プレートの手枷をはめ込んだ。そして、再び地下へと連行した。段々と遠くなる喧騒に、暗くなる光。師匠たちは無事だろうか……。
地下牢に戻るや否や、看守は僕をぞんざいに投げ入れられると、すぐに立ち去った。




