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闇に咲く桃花  作者: しんいち
第二章

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十八話目 正義の味方

 「でもさぁ――」

 

 悠斗くんの声が、急に変わった。

 

 目が吊り上がる。

 口元が歪む。

 そして——

 

 しゃがみ込んだ悠斗くんが恒一さんを、冷たい目で睨みつけた。

 

「こいつ……逃げやがったんだ。」

 

「逃げた……って?」

 

 私は意味が分からず、恒一さんを見る。

 けれど。

 恒一さんは私たちの会話が伝わってないのか、ずっと同じ動作を繰り返している。

 

「見ての通りだよ。」

 

 悠斗くんは呆れたように言った。

 

「簡単に壊れやがった。」

 

 ゆっくりと立ち上がる。

 そして。

 恒一さんを見下ろした。


「姉さんに酷いことをして――」

 

 ドンッ。

 

 恒一さんの身体が揺れた。

 

「母さんを殺して――」

 

 また、蹴る。

 

「僕たちに散々酷いことをして――」

 

 それでも止まらない。 

 

「たった一年だよ!」

 

 悠斗くんの声が、次第に荒くなっていく。

 

「たった一年で……壊れたんだ。」

 

 恒一さんは抵抗しない。

 ただ小さく身体を丸めている。

 

「……けどね」

 

 悠斗くんが、ふっと動きを止めた。

 そして。

 ゆっくりと私を見る。

 

「許すわけないだろ。」

 

 ――ぞくっ。

 背筋を冷たいものが走った。

 

 今の声は。

 子供のものではなかった。

 

 低く。

 冷たく。

 まるで、大人の男が吐き捨てるような声だった。

 

「母さんの力は凄いんだよ。」

 

 悠斗くんは、何事もなかったかのように話を続ける。

 

「すぐにこいつの精神を治して、元に戻せるんだ。」

 

「……精神を?」

 

「うん。怪我だって治せるんだ。」

 

 その時。

 

「へぇ!」

 

 突然、声を上げたのは桃花くんだった。

 私は驚いて彼を見る。

 桃花くんは目を輝かせていた。

 

「精神を治せる……治癒の力。」

 

 そして。

 

「死害の癖に面白い能力持ってるんだね。」

 

 まるで珍しい玩具でも見つけたような声だった。

 悠斗くんは胸を張る。

 

「そうだろ?」

 

 嬉しそうだった。

 

「ほら、母さんは優しいからね。」

 

 隣に立つ黒い影を見る。

 赤い瞳が、ゆっくりと瞬いた。

 

「何でも治せるんだ。」

 

 悠斗くんは笑う。

 

「だから、こいつが壊れるたびに母さんが治してあげた。」

 

「…………」

 

「そうすると、また元に戻るんだよ」

 

 私は恒一さんを見る。

 その姿からは、とても「元に戻る」なんて言葉は想像できない。

 

「でも最近は、壊れる頻度が多くてね。」

 

 悠斗くんが楽しそうに笑った。

 

「母さんも大変みたい。」


 ——アハハ

 

 私は笑えなかった。

 むしろ。

 背筋の悪寒が、さらに強くなっていく。

 

 こんな話をしているのに。

 どうして、この子は笑えるのだろう。

 

 そして。

 どうして桃花くんまで――。

 

「……アハハ」

 

 桃花くんも笑っていた。

 

 私は二人を見比べる。

 

 ――この人も。

 

 壊れているんじゃないだろうか。

 そんな考えが、頭をよぎった。

 

 やがて。

 

 桃花くんはひとしきり笑うと、悠斗くんへ視線を向けた。

 

「ところでさ……」

 

「ん?」

 

「悠斗くんは、いったい何をするつもりだったの?」

 

 悠斗くんが首を傾げる。

 

「何を?」

 

「ほら?」

 

 桃花くんが顎で黒い影を指した。


「お姉さんを使って、あんなに集めてたよね?」

 

 私は、その言葉を聞いて思い出した。

 さっき、桃花くんに私が冗談半分で尋ねたこと。

 

「町でも滅ぼすつもりだったの?」

 

 今度は。

 桃花くんが私の代わりに問いかけている。

 

「おんき……?」

 

 悠斗くんは視線を逸らした。

 少し考える。

 そして。

 

「ああ」

 何かを思い出したように顔を上げた。

 

「あのゾンビみたいなやつね。別に意味はないよ。」

 

「……意味がない?」

 

「うん」

  

「僕たちは、狩ってたんだ。」

 

「……何を?」

 

 私が聞くと、悠斗くんは、当たり前のように答えた。

 

「人間をだよ。」

 

 私は眉をひそめた。意味が分からない。

 

 しかし、悠斗くんは胸を張り、誇らしげに口角を上げる。

 

「僕たちは、悪い奴らを退治してたんだ。」

 

「……退治?」

 

 私の声が小さくなる。

 

「もしかして……あの人たちって?」

 

「そうだよ。」

 

 悠斗くんは即答した。

 そして。

 床に転がる恒一さんへ目を向ける。

 

「みんな、こいつと一緒なんだ。」

 

「…………」

 

「DVをする奴」

 

 一つ。

 

「人を暴力で傷つける奴」

 

 二つ。

 

「欲望の捌け口にする奴」

 

 悠斗くんの顔から笑みが消える。

 

「そういう奴らを――僕は、僕たちは退治してたんだ。」

 

 私は何も言えなかった。

 

「言うなら……」

 

 悠斗くんは、ゆっくりと両手を広げた。

 

「僕たちは正義の味方なんだよ。」

 

 その言葉が、胸に突き刺さった。

 

「酷い奴らから家族を助けて、救ってあげてたんだ。」

 

 そして彼は笑った。

 

「良いことをしてたんだよ。」

 

「…………」

 

 反論できなかった。

 もし。

 少し前の私なら、きっと言っていた。

 

 ――悪い人でも、殺してはいけない。

 ――人を殺すことは、絶対に正しくない。


 そう言い切るはずだった。

 

 けれど――。

 恒一さんを見る。

 

 何度も家族を傷つけた男。

 今もなお、謝罪を繰り返している。

 

 私は、言葉を失った。

 

 ――じゃあ。

 

 この人を殺すことは、本当に間違いなの?

 

 正しいって、何?

 

 こんな人間を、本当に許せるの?

 

 私は答えを出せないまま、恒一さんへ視線を落とした。

 

 そして、首を横に振りかけた。

 

 その時――。

 桃花くんが、私と悠斗くんの間へ割って入った。

 私の視界から、悠斗くんが隠れる。

 

「……話は、これくらいでいいかな。」

 

 桃花くんは耳を掻きながら呟いた。

 そしてその手が、ゆっくりと刀へ伸びていく。

 

「そろそろ――」

 

 桃花くんが笑った。

 

「始めようかな。」

 

 部屋の空気が変わった。

 黒い影の赤い瞳が、すっと細くなる。

 

 悠斗くんの笑顔も消えた。

 そして私は。

 桃花くんの背中を見つめながら悟った。

 

 ――ここから先は。

 もう、話し合いでは終わらないことに。


 私は、もう口を挟むことができなかった。

 

 最初から、無理だったのだ。

 相手は死害。

 人間の常識も、倫理も、言葉も通じない超常の存在。

 

 それは分かっていた。

 

 けど――。

 

 おそらく、そんな問題ですらなかった。

 桃花くんは、このことを知っていたのだろうか。

 

 悠斗くんのことを知ったうえで、私に覚悟を尋ねたのだろうか。

 

 もしそうなら。

 あのときの「状況次第かな」という言葉も――。

 

 今になって、その意味が恐ろしく思えた。

 

 だけど、もう聞く時間は残されていない。

 桃花くんは、すでに刀の柄へ手をかけていた。

 

「そんな物で、母さんに勝てるのかい?」

 

 悠斗くんが挑発する。

 その声に呼応するように、黒い煙がゆっくりと動いた。

 

 美咲さん。

 そう呼ばれていたものが、悠斗くんの隣へ寄り添う。

 

 人の形をしている。

 けれど、その輪郭は絶えず揺らめき、黒い煙の隙間から赤い瞳だけが浮かんでいた。

 

「姉さんをどうやって倒したのかは知らないけどさぁ。」

 

 悠斗くんの目が細くなる。

 

「お兄さん、所詮は人間だろ?」

 

 美咲さんの赤い瞳が、桃花くんを睨みつけた。

 

「今度はゲームみたいにはいかないよ。」

 

 ――一触即発。

 

 空気が張り詰める。

 私でさえ分かる。

 次の瞬間には、何かが始まる。

 

 なのに。

 桃花くんは笑っていた。

 

「ゲームねぇ……」

 

 くすり。

 その笑みは、どこか楽しそうだった。

 

「じゃあ、こうしようか。」

 

 そう言うと、桃花くんは、刀の柄から手を離した。

 

 

 そして。

 私へ刀を差し出してきた。

 

「ちょっと、桃花?」

 

 私は思わず後ずさる。

 

「紗季さんこれ、持ってて。」

 

「は?」

 

 何を言っているのか分からない。

 けれど、桃花くんは構わず刀を私の胸元へ押しつけてくる。

 

「桃花、まさか……」

 

「もちろん」

 

 桃花くんは笑った。

 

「素手でいくよ。」

 

「無理に決まってるでしょ!」

 

 思わず声が裏返った。

 あまりにも馬鹿げている。

 相手は、さっき狒々王と戦ったような死害だ。

 それなのに。

 刀まで手放すなんて。

 

「良いから、持っててよ。」

 

 桃花くんは、まるで散歩にでも行くような軽い口調で言った。

 

「すぐ終わらせるからさぁ。」

 

 そして。

 悠斗くんを見た。

 

「ゲームみたいにねぇ。」

 

 その顔には、余裕しかなかった。

 私は震える手で、仕方なく刀を受け取った。

 

 ずしり。

 

 想像していたより重い。

 

 私はそのまま、一歩。

 また一歩。

 後ろへ下がった。

 

 桃花くんは、そんな私を一度も振り返らない。

 ただ。

 ポケットへ手を入れた。

 

「……!」

 

 悠斗くんの身体が沈む。

 警戒している。

 黒い煙も、ゆらりと身体を揺らした。

 

 けれど――。

 桃花くんは、それを見て鼻で笑った。

 

 そして。

 ゆっくりとポケットから手を引き抜く。

 

「…………紙?」

 

 私の目に映ったのは、何枚もの紙だった。

 細長い紙。

 そこには何か文字が書かれている。

 

 ――御札?

 

 私には、そう見えた。

 

 悠斗くんは、それを見て笑い出した。

 

「アハハハハ!」

 

 部屋の中に、子供の笑い声が響く。

 

「桃花兄ちゃん、そんな物で戦うの?」

 

 美咲さんを指差して、悠斗くんは腹を抱える。

 

「アハハハ!」

 

「母さんに効くわけないじゃん。

 それに、素手でやるんじゃなかったの?」

 

 笑いながら首を傾げる。

 

「なんだよぉ。期待して損したよ。」

 

 その瞬間だった。

 桃花くんの腕が――。

 大きく振り上げられた。

 

「え?」

 

 バサッ――!

 

 何十枚もの御札が、一斉に宙へ舞った。

 白い紙片が。

 部屋の照明を受けながら、ひらひらと落ちていく。

 

 攻撃には見えない。

 

 ばら撒いただけ。

 

「……何のつもり?」

 

 私は思わず呟いた。

 

 桃花くんに尋ねようとした。


「……え?」

 

 そこに——

 

 桃花くんはいなかった。

 

 目を疑う。

 さっきまで私の前にいたはずなのに。

 舞い落ちる御札。

 その向こう側。

 

 黒い煙のすぐ隣に――。

 桃花くんが立っていた。

 

 いつの間に。

 どうやって。

 距離を詰めたのか。

 まったく分からなかった。

 

 桃花くんは、美咲さんへ手をかざしていた。

 その顔から、いつもの軽薄な笑みが消えている。

 

 代わりに——

 

 口元だけが、ゆっくりと吊り上がった。

 

「――波動」

 

 ドスンッ――!

 

「きゃあああああっ!」

 

 空気そのものが爆発したような衝撃が、部屋を襲った。

 

 身体が浮く。

 家具が倒れる。

 視界が一瞬で白く染まった。

 

 私は何かに掴まろうと手を伸ばした。

 けれど、指先は何も掴めない。

 

「――っ!」

 

 私は背中から壁へ叩きつけられた。

 

「ぐっ……!」

 

 肺から空気が押し出される。

 頭の中がぐらりと揺れた。

 意識が遠のきそうになる。

 

「痛っ……た……」

 

 私は必死に頭を押さえながら、顔を上げた。

 部屋中に埃が舞っている。

 砂煙のような白い靄。

 その向こうに。

 何かが立っていた。

 

「…………?」

 

 私は息を止めた。

 

 黒い煙。

 いや――。

 

 美咲さん。


 その上半身が、半分……消えていた。

 

 黒い煙が、傷口から絶え間なく噴き出している。  残された赤い瞳だけが、宙をさ迷っていた。

 

 ――ガラッ。

 

 瓦礫の向こうで、何かが動いた。

 

「……?」

 

 私は反射的に視線を向ける。

 

 瓦礫の中から。

 悠斗くんが、ゆっくりと立ち上がった。

 服についた埃を払うこともせず、ただ、目の前の美咲さんを見つめている。

 

「…………母さん?」

 

 その声には。

 

 初めて――

 

 戸惑いが混じっていた。

 


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