十四話目 黄泉の入り口
私は、二体の死害が焼け落ちた場所を見つめたまま、立ち尽くしていた。
月明かりに照らされた地面。
そこには、人の形をした黒い焦げ跡だけが残っている。
頭。
肩。
腕。
そして、指先まで。
どう見ても――人間の形だった。
桃花くんは言った。
あれは人間じゃない。
死害だと。
けれど——
目の前に残された跡は、どう考えても「人がそこにいた」証拠にしか見えなかった。
――これで、良かったの?
悠斗くんのお姉さんを。
あんな形で。
あんなにも無惨に。
消してしまって、本当に良かったのだろうか。
答えなんて、分からない。
私にはどうすることもできなかった。
ただ見ていることしかできなかったのだから。
きっと。
これが桃花くんの言っていた――「図々しい」ということなのだ。
人間だった頃の姿に縋って。
死害になった彼女を、まだ人間だと思いたい。
そんな私の勝手な願い。
そう考えていた、その時だった。
「久しぶりに遊ばせて貰い……」
背後から、低い声が響いた。
「喰らわせて頂き、ありがたく存じます。」
振り返る。
狒々王が、満足そうに桃花くんを見下ろしていた。
その青い瞳の目尻が、僅かに下がっている。
「いや、こちらこそ!」
桃花くんはいつもの調子で笑った。
「紗季さんにずっと付いていてくれて、ありがとう。後はもう、僕一人で――」
そこまで言ったところで。
狒々王の視線が、私へ向いた。
ゾッとした。
まるで獲物を品定めするような瞳。
けれど私は、目を逸らさなかった。
怖い。
もちろん怖い。
それでも——
この化け物を、どこか許せないと思っていた。
悠斗くんのお姉さんを。
あんな姿になるまで焼き尽くした、この異形を。
すると。
狒々王の顔が、ゆっくりと私へ近づいてきた。
青い瞳が、目の前まで迫る。
「……人間」
「何よ。」
声が、僅かに震えた。
狒々王はしばらく私を見つめ――。
やがて、口を開いた。
「今度、山へ来い。」
「……え?」
「歓迎してやろう。」
それだけ告げると、狒々王はゆっくりと顔を離した。
私は呆然と立ち尽くす。
――歓迎?
どういう意味?
気を遣っているの?
それとも――。
私は答えの分からない言葉を頭の中で何度も繰り返した。
狒々王は桃花くんへ向き直る。
「では、主よ。」
その言葉を最後に。
巨体が、月夜の闇へ溶けていく。
まるで最初から、そこに存在していなかったかのように。
私は周囲を見回した。
もう、気配はない。
少し生暖かい風が吹き抜け、私の髪を撫でていく。
その風に誘われるように、虫たちが再び鳴き始めた。
「……ねぇ、桃花?」
振り向く。
桃花くんは刀を肩から下ろし、私へ顔を向けた。
「あれ……どういう意味なの?」
「あー……」
桃花くんは困ったように頭を掻いた。
「紗季さん……モテるんだね。」
「モテる?」
「うん。狒々王があんな風に人間へ声を掛けるの、初めて見たよ。」
そして、いつもの軽薄な笑みを浮かべる。
「付き合ってあげたら?」
「嫌よ。」
私は即答して、そっぽを向いた。
「私は細身の人がタイプなんだから。」
吐き捨てるように言った。
その瞬間。
自分でも気付かないうちに、少しだけ肩の力が抜けていた。
そんな自分に気付き、私は小さく息を吐いた。
そして、桃花くんへ向き直る。
「桃花……これからどうするの?」
「ん?」
「今日中に終わらせるって言ってたでしょ。」
戦いの最中。
桃花くんが狒々王に告げていた言葉を思い出す。
桃花くんは少しだけ黙り込んだ。
そして。
「悠斗くんの家に、お邪魔しに行くよ。」
「……」
「紗季さんは来なくて大丈夫。
朝になる頃には——、全部終わらせるから。」
その口角が。
ゆっくりと、不気味に吊り上がった。
――全部終わらせる。
その言葉を、私は心の中で繰り返した。
唇を閉ざし、固く目を閉じる。
先ほどの戦いを見た今なら、想像がつく。
桃花くんが、これから何をするつもりなのか。
――あの一家を。
皆殺しにする。
あの家族は死害なのだ。
悠斗くんのお姉さんと同じ。
人の姿をしているだけの、異形の存在。
でも。
――悠斗くんは違う。
そう思いたかった。
あの家族の中で。
あの子だけは、まだ人間に見える。
それが私の希望なのか。
それとも――ただの願望なのか。
分からない。
悠斗くんは私の友人だ。
私にとっては、弟のような存在でもある。
そして。
私のことを慕ってくれている、大切な男の子。
救いたい。
どうにかして救う方法を見つけたい。
もし、それが無理だったとしても。
せめて。
最後まで、見届けたい。
あの子が死ぬ瞬間まで。
一人にはしたくない。
それがどれだけ身勝手な願いでも。
どれだけ図々しい願望でも。
私は、そう決めた。
「……着いていくわ。」
静かな夜の中で。
私は桃花くんに、そう告げた。
訝しげに私を見る桃花くん。
けど、私の意思は変わらない。
それを察したのか桃花くんは溜め息を漏らして私に言った。
「はぁ、もう好きにして良いよ。」
そう言って田園の中を歩いていく。
私は彼の背中を追い、小さく「よし!」と気合いを入れた。
★☆
私は、桃花くんの背中を見つめながら、来た道を戻っていた。
夜の住宅街。
さっきまで聞こえていた虫の声が、妙に遠く感じる。
前を歩く彼は、何もなかったかのように歩き続けている。
私はその背中を追いながら、少しずつ歩幅を速めた。
そして。
「ねぇ、桃花。」
「う~ん?」
振り返りもしない、面倒臭そうな返事。
私は彼の横まで追いつく。
「あの死害……悠斗くんのお姉さんは、あそこで何をしてたの?」
「……」
「怨鬼だっけ? あんなに集めて……」
少しでも緊張を紛らわせたくて、私はわざと軽い口調で続けた。
「もしかして……町でも滅ぼすつもりだったの?」
自分で言っておいて、馬鹿馬鹿しいと思った。
まるで漫画の中の話だ。
けれど。
桃花くんは、クスクスと笑った。
「町を滅ぼす……。面白いことを言うね。」
桃花くんは笑いを堪えながら私に答える。
そんな彼に私はギロッと睨み返した。
落ち着くように手を振った桃花くんが、少し真面目な顔に戻し話を始めた。
「死害は怨念の塊だけど、生前の能力はそれなりに反映されるんだ。」
「能力?」
「運動神経が良かった奴なら身体能力も高い。頭が良かった奴なら、当然頭も良い。」
「ふーん……」
私は興味深そうに頷く。
こういう話なら、少しは気が紛れる。
そう思っていた。
「ただね。」
桃花くんの声が、少しだけ低くなった。
「今回みたいに、自分自身の能力が大したことない奴は――」
私を見た。
「仲間を作るんだ」
「仲間を?」
「ああ」
桃花くんは夜道を歩きながら、淡々と説明を続ける。
「仲間を増やして、いざという時に備える。
怨鬼の中には空を飛べる奴もいるし、巨大な身体を持つ上位種もいる。」
私は黙って聞いていた。
「場合によっては――死害が怨鬼を喰らって、自分の力を高めることもある。」
「え~ぇ!」
思わず足が止まりそうになる。
「仲間を……食べるの?」
顔を歪めながら尋ねると、桃花くんは、堪えきれなくなったように吹き出した。
「アハハハ!」
「な、何よ……」
「そうだよ」
桃花くんは笑いながら振り返った。
「怨念が怨念を喰らって強くなるんだ。
道理が通ってるだろ?」
「……どこが?」
私は引きつった笑みを浮かべた。
全然、道理が通っているようには思えない。
けれど。
この世界では、それが当たり前なのだろう。
そう思うしかなかった。
そんな私を見て、桃花くんはまた歩き出す。
「それより、さっきの祠だけど——」
「うん?」
「あそこは、現世と黄泉の境目なんだ。」
桃花くんは、何でもないことのように告げた。
「――黄泉比良坂の扉」
聞き覚えのある言葉だった。
「『よもつひらさか』って……古事記に出てくるやつでしょ?」
即答すると、桃花くんが目を丸くした。
「へぇ!」
「何よ?」
「よく知ってるね。」
少し驚いたような顔。
「若い女の子で知ってる人、初めて見たよ。」
「ふん」
私は胸を張り、片頬を少し上げた。
「こう見えて、勉強はできる方なのよ。」
……もちろん、嘘だ。
私は昔からオカルトが好きだった。
だから、古事記について少し調べたことがある。
それだけ。
それよりも——
「でも……」
私は先ほどの祠を思い出した。
「あんなところに、なんで黄泉比良坂の入り口があるの?」
「入り口はね。」
桃花くんは前を向いたまま答える。
「知られていないだけで、意外といろんな場所にあるんだよ。」
「いろんな場所……?」
「町の片隅にひっそり建ってる、何を祀ってるのか分からない祠。」
「……」
「神社の中にあることもある。」
桃花くんは少し考えるように間を置いた。
「中には、嘘の由緒書きを作って祀ってある場合もあるかな。」
「ああ……」
私は頷く。
「由緒書きのない神社なら、聞いたことがあるかも。」
桃花くんは軽く頷き返した。
「人間はたくさんいるからね。」
そして、妙に明るい声で続けた。
「入り口が一つしかなかったら、渋滞するだろ?」
「……」
冗談なのか。
本気なのか。
分からない。
けれど、その直後。
桃花くんの表情が僅かに曇った。
「ただ……問題はそこなんだ。」
「問題?」
私が首を傾げる。
桃花くんは頭を掻きながら、少しだけ口をへの字に曲げた。
「死害が、その入り口を使って――」
一瞬の間。
「怨鬼を作ってるんだよ。」
「……え?」
私は思わず立ち止まった。
足が、動かない。
「怨鬼を……作ってる?」
「そう」
桃花くんも足を止め、こちらを振り返る。
「黄泉比良坂へ向かう魂。
入り口でさ迷ってる魂を捕まえるんだ。」
桃花くんの声が、夜の静寂に溶けていく。
「でも、普通の魂じゃ駄目なんだ。弱すぎるからね。」
淡々とした説明。
なのに。
聞いているだけで、背中が寒くなる。
「怨念」
「恨み」
「憎しみ」
「未練……」
桃花くんは、一つずつ言葉を並べていく。
「そういう強い感情を抱いたまま死んだ魂を選ぶ。
そして――」
桃花くんの目が細くなる。
「仲間にする。」
私は無意識に喉を鳴らした。
「……特に、今回のケースは最悪だ。」
桃花くんが言葉を止める。
そして。
何もない虚空を睨み付けた。
「最悪って……どういうこと?」
私の問いに。
桃花くんはすぐには答えなかった。
やがて。
「……あいつら」
静かな声だった。
「わざわざ、そういう感情を抱きそうな人間を選んでた。」
「……どういうこと?」
桃花くんは答えなかった。
ただ、夜道の先を見つめている。
その横顔から、さっきまでの軽さが消えていた。
「……紗季さん。」
「なに?」
「僕が言った行方不明事件の事覚えてる?」
「え……?」
私は記憶を辿る。
学校で噂になっていた人。
A組の川口さんのお父さんの話。
「……普通の人じゃなかった?」
私は首を横に振った。
――DV。
学校では、そんな噂が流れていた。
A組の川口さんのお父さん——あの人も、そうだった。
桃花くんが、静かに口を開く。
「分かったかい。」
その声が、妙に冷たかった。
「普通じゃない人間を選んで」
一拍。
「殺したんだよ。」
頭が理解することを拒んでいる。
人を殺して。
その魂を怨鬼にする。
そんなことを。
あの家族が――?
桃花くんは、そんな私の反応を見ながら、一歩近づいて——ニヤリと笑う。
その瞬間。
頭の中で、これまでの出来事が一気に繋がった。
行方不明になった人たち。
祠。
死害。
大量の怨鬼。
そして――。
朝霧家。
私は何も言えなかった。
人を殺して。
怨鬼を増やす。
そんな恐ろしいことを。
あの家族がしていたのか。
――悠斗くんも。
関わっているということなのか。
私は拳を握り締めた。
それでも。
まだ信じられなかった。
いや。
信じたくなかった。
あの小さな手。
無邪気な笑顔。
私を見上げる、あの瞳。
その全部が。
偽物だったなんて――。
どうしても、考えることができなかった。
――でも。
もし、本当に偽物だったのなら。
私は今まで――。
何を見ていたのだろう。




