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闇に咲く桃花  作者: しんいち
第二章

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十四話目 喰らうモノ

 その瞬間だった。

 

 ――ズ……。

 

 地面が、震えた。

 

「……え?」

 

 私は思わず息を呑む。

 倒れていた狒々王の指が――動いた。

 

 一本。

 また一本。

 

 ゆっくりと地面を掴む。

 

 そして。

 

 ――ズズズ……。

 

 首を失った巨体が、ゆっくりと上半身を起こしていく。

 

「う、嘘……」

 

 声が震えた。

 首がない。

 それなのに。

 

 狒々王は、まるで何事もなかったかのように立ち上がろうとしていた。

 

 そして首を失った傷口から、赤黒い炎が噴き上がる。

 

 ゴォォォ……。

 

 炎は空へと伸び、まるで失われた頭蓋を形作るように渦を巻いていく。

 

 まるで――。

 怒りそのものが炎となって、この巨体を動かしているようだった。

 

 その異様な光景を前に、病衣の鬼が初めて動きを止めた。

 

「……グ……」

 

 裂けた口から、低い声が漏れる。

 その姿には、明らかな動揺があった。

 

 ――怯えている。

 

 私は、そう感じた。

 やがて赤黒い炎が収束する。

 そこに現れたのは、新たな頭部。

 

 そして、その顔に浮かび上がった二つの青い瞳が、ゆっくりとこちらを向いた。

 

「これは……我が主。」

 

 地の底から響くような低い声が、辺りの空気を震わせる。

 

「お起こしでしたか。」

 

 桃花くんは刀を肩に担いだまま、軽く手を振った。

 

「狒々王、遊んでるところ悪いんだけどさ。」

 

 まるで、友達に用事を頼むような口調だった。

 

「今日中に片付けたいんだ。だから、そいつをすぐに始末して欲しい。」

 

 狒々王の青い瞳が細くなる。

 一瞬だけ。

 桃花くんへ、不満そうな視線を向けた。

 

 けれど――。

 すぐに病衣の鬼へと顔を戻す。

 

「……御意!」

 

 その声と同時に。

 狒々王の巨体が、大地を踏み締めた。

 

 ――ドンッ!

 

 地面が大きく沈み、足元の土が波打つ。

 

 巨体が腰を落とす。

 

 両手を広げ、右の腕から赤黒い炎が吹き上がる。

 

 その姿を眺めながら。

 桃花くんは、ほんの少しだけ口角を上げた。

 

「……さて」

 

 その声は、先ほどまでとは明らかに違っていた。

 

 ふざけた調子もない。

 笑みさえない。

 

 ただ、戦いを待ち望む者だけが持つ、冷たい声音だった。

 

 私はその横顔を見つめる。

 そして、ようやく理解した。

 

 ――この戦いは、すぐに終わる。

 

 何が起こるのか。

 私は固唾を呑み、二体の異形を見つめた。

 

 病衣の鬼が、ゆっくりと腹の傷を撫でる。

 

 すると。

 ぐじゅ……。

 肉が蠢いた。

 

 裂けていた腹部が、まるで生き物のように蠢きながら塞がっていく。

 

 その代わりに――。

 肩が、大きく膨れ上がった。

 

 ミシ……。

 ミシミシ……。

 

 骨が軋む。

 皮膚を突き破り、そこから新たな腕が一本。

 

 さらにもう一本。

 

 合計四本となった腕をゆっくりと広げ、病衣の鬼は異様な姿へと変貌していく。

 

 まるで――阿修羅。

 

「キェェェェェェッ!」

 

 耳をつんざくような咆哮。

 その瞬間、病衣の鬼の全身から黒い煙が噴き出した。

 

 煙は地面を這い、周囲を覆い尽くす。

 

 そして――。

 

 突進。

 地面を蹴り砕き、狒々王へと一直線に迫っていく。

 

 狒々王は動かない。

 ただ、迫り来る異形を睨み付けている。

 

 病衣の鬼が、その巨体へと食らいつこうとした


 ――その時だった。

 

 ザッ!

 

 地面を蹴った。

 

 ドォンッ!

 

 爆発でも起きたかのように、大量の土煙が吹き上がる。

 

 視界が、一瞬で奪われた。

 

「……っ!」

 

 私は思わず目を覆う。

 何も見えない。

 二体の姿が、完全に土煙の向こうへ消えた。

 

「ねぇ、桃花!」

 

 私は思わず声を上げる。

 

「大丈夫なの!?」

 

 返事はない。

 隣を見る。

 桃花くんは刀を肩に担いだまま、土煙の向こうを眺めていた。

 

 そして――。

 不敵に笑う。

 

「あんなことで、狒々王を倒せるわけないだろ。」

 

 その声が響いた直後だった。

 

 ――ドスンッ!

 

 空気そのものが、震えた。

 

「――っ!」

 

 衝撃波が辺りを駆け抜ける。

 舞い上がっていた土煙が、一瞬で吹き飛んだ。

 

 そして。

 私は目の前の光景を見て、言葉を失った。

 

 ――決着は、もうついていた。

 

 狒々王の拳が、病衣の鬼の腹を貫いている。

 その体は宙に浮き、四本の腕が力なく垂れ下がっていた。

 

 けれど。

 それだけではなかった。

 

 狒々王のの手の中には――。

 

 もう一体の鬼が、捕らえられていた。

 逃げることも。

 抵抗することもできない。

 

 ただ、その身体を赤黒い炎に包まれながら、苦しそうに蠢いている。

 

 狒々王は二体の鬼を見下ろし――。

 

 ゆっくりと、口元を歪めた。

 その光景を見て。

 私はようやく理解した。

 

 ――最初から、勝負になどなっていなかったのだ。


「ほら、言ったろ。」

 

 桃花くんはそう呟くと、何事もなかったかのように歩き始めた。

 

 向かう先は、狒々王のいる場所。

 

「ちょっと、待ってよ!」

 

 私は慌てて後を追った。

 けれど、二体の死害が視界に入った瞬間――足が止まりそうになる。

 

 私は思わず桃花くんの背中に隠れるようにして、その場へ近づいた。

 

 病衣の鬼は、腹を貫かれぐったりと項垂れている。

 突き破られた腹部から黒い煙を吐き出しているものの、もう抵抗する力すら残っていないようだった。

 

 そして――。

 狒々王の手に握られていたもう一体。

 それは炎に包まれていた。

 手足は焼け落ち、もはや元の姿などほとんど残っていない。

 

 それでも。

 

 かろうじて残った顔だけを見て、私は息を呑んだ。

 

 ――子供!なんで?

 

 そう思った。

 そのとき。

 

「我が主。」

 

 低い声が響いた。

 狒々王の青い瞳が、桃花くんを見下ろしている。

 

「遅れて申し訳ありません。」

 

「いや、僕こそごめんね。

 遊んでる最中に、急がせちゃったね。」

 

 ……遊んでいた。

 

 今まで目の前で繰り広げられていたものを。

 私は思わず桃花くんを見つめた。

 

 目の前には、焼け焦げた死害。

 

 そのすぐ隣で、桃花くんはまるで友達と雑談でもするように笑っている。

 

 その笑顔が――。

 怖かった。

 

 いや。

 

 それ以上に。

 

 気持ち悪かった。

 

「では、主よ。」

 

 狒々王がゆっくりと口を開く。

 

「約束通り……」

 

「ああ」

 

 桃花くんは頷いた。

 

「約束だからね。」

 

 そして。

 何でもないことのように狒々王に言う。

 

「――喰らっていいよ。」

 

「ちょっと待って!」

 

 思わず叫んでいた。

 桃花くんと狒々王が、同時にこちらを振り返る。

 

「……喰らうって、どういう意味?」

 

「そのままだよ」

 

 桃花くんは首を傾げた。

 

「食べるんだ。」

 

 あまりにも当たり前の口調。私は息が止まりそうだったが、無理やり押し出す。

 

「ねぇ……ちょっと待ってよ。」

 

 私は震える声で続ける。

 

「その前に……この人、助けられないの?」

 

 私は狒々王に貫かれた死害を見た。。

 

 人だった頃の面影は、ほとんど残っていない。

 それでも。

 かろうじて分かる。

 

 女性の顔。

 

 この人は……。

 悠斗くんのお姉さん。

 

 胸が締め付けられる。

 

「ねぇ、元に戻せないの?」

 

 私は桃花くんを見る。

 

「彼女……人間だよ。」

 

 必死に言葉を探す。

 

「何か悪いものに取り憑かれてるとか、そういうんでしょ? だったら……」

 

 その瞬間だった。

 桃花くんの笑顔が消えた。

 

 ほんの一瞬で。

 

 さっきまでの柔らかな表情が、嘘だったかのように消え失せる。

 

 代わりに向けられたのは――。

 

 冷たい目。

 凍りつくような視線だった。

 

「……人間?」

 

 低い声。

 訝しげに私の顔を覗き込む。

 

「これが?」

 

 私は息を呑む。

 桃花くんは死害を見下ろし、淡々と告げた。

 

「コイツは人間じゃない……死害だ。」

 

 その言葉が、胸に突き刺さる。

 

「助かるわけないだろ」

 

 桃花くんは一歩近づいてくる。

 

「死害は、その名の通り――死んで、害をなすもの。」

 

 さらに一歩。

 

「コイツの本体は、とっくに死んでる。

 ここにあるのは、人間じゃない。

 ただの――怨霊の塊だよ。」

 

 そして。

 桃花くんは呆れたように髪をかき上げ、私のすぐ目の前まで顔を寄せた。

 

「本当に人間って……」

 

 耳元で。

 囁く。

 

「……図々しい生き物だね。」

 

 背筋が凍った。

 手が震える。

 息ができない。

 

 ――怖い。

 この人……。

 いや。

 本当に、この人は人間なの?

 

 初めて。

 私は桃花くんという存在そのものに、疑問を抱いた。

 

 金縛りに遭ったように動けない私を見て、桃花くんは小さく鼻で笑った。

 そして、狒々王へと視線を戻す。

 

「待たせたね、狒々王。」

 

 その声には、もう一切の温度がなかった。

 

「遠慮なく――喰らっていいよ。」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 狒々王が、病衣の鬼を貫いていた腕を引き抜いた。

 

 ドサッ。

 

 二体の死害が、地面へ転がる。

 逃げることもできない。

 ただ、そこに転がっている。

 狒々王はゆっくりと右手を上げる。

 

 そして。

 二体の死害へ向けて、手のひらをかざす。

 

「……顎門(あぎと)」

 

 ――その瞬間だった。

 闇の中で。

 一斉に、開いた。

 

 ひとつ。

 ふたつ

 みっつ

 青い瞳が、次々と闇の中に浮かび上がる。

 

 十。

 二十。

 いや――。

 数え切れない。

 二体の死害を、何十もの青い瞳が一斉に取り囲む。

 

 その光景はまるで。

 暗闇そのものが、無数の目を持って獲物を待っているようだった。

 

 狒々王の口元が、ゆっくりと歪む。

 

「――喰らいつくせ」

 

 号令。

 その瞬間。

 青い瞳が一斉に動いた。

 

「フギャアアアアアッ!」

 

 二体の死害が絶叫する。

 

 炎が噴き上がった。

 いや――違う。

 

 炎に喰われている。

 身体を包み込んだ赤黒い炎が、肉体そのものを削り取っていく。

 

 悲鳴。

 肉が焼ける音。

 そして、何かが崩れていく音。

 

 私は口元を手で覆う。

 見てはいけない。

 そう思っているのに。

 目を逸らせない。

 

 やがて肉体が崩れ始める。

 灰になった身体さえも炎に包まれ、跡形もなく消えていく。

 

「――っ!」

 

 その中で。

 一瞬だけ。

 病衣の鬼と目が合った。

 

 下半身を失い、身体のほとんどを焼かれながら。

 

 それでも。

 残った骨だけの腕を、私へ向かって伸ばしていた。

 

 助けを求めている。

 そう見えた。

 私は思わず一歩踏み出しかける。

 

 けれど――。

 その手は、私に届くことなく。

 指先から、灰へと変わった。

 

 「…………」

 

 声が出ない。

 喉の奥から漏れそうになる悲鳴を、私は必死に手で押さえ込んだ。

 

 やがて。

 肉体が消えた。

 骨が消えた。

 

 そして――。

 

 灰すらも、炎に呑まれた。

 

 最後の欠片が消えた瞬間。

 赤黒い炎が、ふっと消える。

 

 ――静寂。

 

 何事もなかったかのように。

 闇が戻ってきた。

 

 月明かりだけが、地面を淡く照らしている。

 

 そこにはもう。

 

 二体の死害が存在した痕跡すらなかった。

 

 私はその場に立ち尽くす。

 何も言えない。

 何も考えられない。

 

 ただ。

 闇の中で。

 二つの青い瞳だけが――。

 

 まるで満足した獣のように。

 ゆっくりと、弧を描いていた。


 

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