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闇に咲く桃花  作者: しんいち
第二章

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八話目 夜を歩く女

 「半分って……どういう意味?」

 

 私は眉をひそめる。

 

「それって、結局分からなかったってことでしょ?」

 

 散々私の部屋でゲームをして、遊び倒した挙げ句にその答え。

 思わず呆れた声が漏れる。

 しかし桃花くんは、ゆっくりと首を横へ振った。

 

「違うよ。僕は"分からなかった"じゃなくて、"半分、半分"って言ったんだ。」

 

 口元に小さく笑みを浮かべる。

 

 まるで「分かる?」と試されているような表情だった。

 私は腕を組み、少し考える。

 でも、答えは浮かばない。

 

「……ごめん。」

 

 素直に首を振る。

 

「何が半分なの?」

 

 桃花くんは閉じられた玄関の扉へ目を向けたまま、小さく息を吐いた。

 

「小夜ほど確実じゃない。」

 

 ぽつりと呟く。

 

「でも……悠斗くんから、死害の''匂い''は感じた。」

 

 胸がひやりと冷える。

 

「ただ。」

 

 桃花くんは首を傾げた。

 

「彼自身が死害なのかって聞かれると、それはほとんど分からなかった。」

 

「……どういうこと?」

 

「死害が人間に化けることは確かにある。」

 

 桃花くんの表情から笑みが消える。

 

「でも、昼間からあんなふうに普通に生活して、人と笑って遊んで……。」

 

 一度言葉を切る。

 

「あれは少し、おかしい。」

 

 静かな声なのに、不思議と胸へ重く響いた。

 

「それに。」

 

 眼鏡の奥の瞳が細くなる。

 

「死害は、その名の通り"害をなすもの"なんだ。」

 

 桃花くんは玄関の向こうを見透かすように続ける。

 

「あんなに無邪気で、友好的なのも……違和感がある。」

 

 その言葉には迷いが混じっていた。

 桃花くんでも判断できない。

 それが、かえって恐ろしかった。

 

「ねぇ。」

 

 私は自分の中に浮かんだ考えを口にする。

 

「例えばだけど……。」

 

 一度唾を飲み込む。

 

「催眠術みたいなものは?

 その死害ってやつに操られてるとか、そういう可能性はないの?」

 

 桃花くんは静かに首を振る。

 

「いや、死害はそんな事は出来ない。

 ただ、人を操ることはできる。」

 

 私は首を傾げる。

 

「それは"取り憑く"っていう方が近いかな。」

 

 彼の口調が少し低くなる。

 

「乗っ取られた人間は、自分の意思で動けなくなる。……人形みたいにね。」


 そう言って桃花くんの目が伏せられた。

 

「人形……。」

 

 その一言で、全身に鳥肌が立った。

 

 恒一さん。

 

 同じ動作を何度も繰り返し。

 口をぱくぱくと動かしながら、誰もいない場所へ話しかけていた姿。

 

 あの異様な光景が鮮明によみがえる。

 私は思わず腕を抱いた。

 

「でも。」

 

 桃花くんが再び口を開く。

 

「もっと気になることがある。」

 

 眼鏡の奥の視線が、玄関の扉へ鋭く向けられる。

 

「何、まだあるの?」

 

 思わず聞き返す。

 

「悠斗くんのお母さん。」

 

 桃花くんは短く玄関を見据え答えた。

 

「一瞬だったけど……あの人からも、死害の気配を感じた。」

 

 私はつられて玄関の扉を見る。

 

 さっきまで美咲さんが立っていた場所。

 もう誰もいない。

 なのに、その扉の向こうに何かが立っているような気がしてしまう。

 

「死害そのものなのか。

 それとも、取り憑かれているだけなのか。」

 

 桃花くんは静かに息を吐いた。

 

「今の情報だけじゃ断定はできないね。」

 

 曖昧な答えだった。

 それでも。

 その言葉は鋭い棘になって、私の胸へ深く突き刺さる。

 

 ――やっぱり、美咲さんも。

 

 その時だった。

 

「紗季ー。」

 

 重苦しい空気を断ち切るように、リビングからお母さんの明るい声が響く。

 

「ご飯できたわよ。

 お友達も一緒にどう?」

 

「はい!」

 

 桃花くんは即答だった。

 迷いすらない。

 

 そのまま、くるりと踵を返してリビングへ向かおうとする。

 

「ちょっと!」

 

 私は慌てて肩を掴んだ。

 

「何、普通に食べる気なの!?」

 

 桃花くんは振り返る。

 眼鏡が照明を反射してきらりと光った。

 

「せっかく誘ってくれたんだし。」

 

 悪びれる様子もなく微笑む。

 

「断る方が失礼でしょ?」

 

「そういう問題じゃないわよ!」

 

 私が引っ張っても、桃花くんは気にせずリビングへ歩いていく。

 

 結局。

 晩ご飯までしっかり食べ。

 デザートまで平らげ。

 

 満足そうな顔でお茶を飲み始めた彼を家から追い出すまで、さらに一時間近くかかった。

 

 玄関の扉が閉まり、ようやく静けさが戻る。

 私は疲れ切ったまま、自分の部屋へ戻った。

 

 窓の向こう。

 

 朝霧家の洋館は、今日も灯り一つ点いていない。

 

 悠斗くんが死害なのか。

 桃花くんですら答えは出せなかった。

 

 でも——

 

 美咲さん。

 恒一さん。

 二人は、死害と何らかの形で深く関わっている可能性が高い。

 

 そして、もう一人。

 まだ一度も姿を見ていない悠斗くんのお姉さん。

 部屋の奥から聞こえてきた、あの不気味な物音。

 

 もしかしたら。

 彼女こそが――。

 そこまで考えた瞬間、私は勢いよく首を振った。

 

 駄目。

 考えすぎだ。

 

 私は窓から見える朝霧の家を見た。

 

 ——明日から私は、あの家族とどう接すればいいんだろう。

 

 答えは、どこにも見つからない。

 私は洋館から目を逸らすように、勢いよくカーテンを閉めた。

 布が窓を覆う音だけが、静かな部屋に乾いて響いた。


 ★☆


 あれから三日が過ぎた。

 

 朝霧家の人たちとは、あれ以来も変わらず顔を合わせている。

 

 同じ時間に家を出て。

 同じように挨拶を交わし。

 同じように笑い合う。

 

 あの日見た光景が嘘だったのではないか――そう思えてしまうほど、朝霧家の日常は穏やかだった。

 

 もちろん、胸の奥にこびりついた不気味さが消えたわけではない。

 

 それでも私は、自分に何度も言い聞かせる。

 

 ――大丈夫。

 ――考えすぎちゃ駄目。

 

 そうして無理やり、いつもの日常へ戻ろうとしていた。

 

 悠斗くんも変わらない。

 

 毎日ではないけれど、相変わらず私の部屋へ遊びに来ては、一緒にゲームをして、宿題を片付けて帰っていく。

 

 何も変わらない。

 

 ……変わったことがあるとすれば、一つだけ。

 

「そういえばさ。」

 

 ゲームの画面を見つめたまま、悠斗くんが何気なく尋ねてきた。

 

「たかし兄ちゃん、最近来ないの?」

 

 その質問だった。

 

「忙しいんじゃない?」

 

 私は笑って誤魔化す。

 本当のことなんて言えるはずがない。

 桃花くんは、あの日以来一度も姿を見せていなかった。

 

 部活帰り、ふと背後に視線を感じることがある。

 

「……桃花、いるんでしょ。」

 

 そう呟いて振り返っても、曲がり角にも、電柱の陰にも誰もいない。

 

 風が吹くだけだった。

 私は小さく息をつく。

 

 別に心配しているわけじゃない。

 ただ、あれだけ勝手に首を突っ込んできたくせに、何の連絡も寄越さないことが腹立たしかった。

 

 調査は進んでいるのか。

 何か分かったのか。

 せめて一言くらい教えてくれてもいいのに。

 

「……もう。」

 

 帰り道、思わず愚痴が漏れる。

 

「何か一つくらい教えなさいよ。」

 

 返事はない。

 風だけが、静かに私の横を通り過ぎていった。

 

 ★☆

 

 その夜。

 私は机に向かい、宿題を広げていた。

 だが、鉛筆はほとんど進まない。

 

 気付けばペンを止め、頬杖をついて昼休みの出来事を思い返していた。


 ★☆

 

「ねぇ、紗季。」

 

 友達に手招きされ、私はいつもの女子グループへ加わった。

 

「A組の川口さんって知ってる?」

 

「川口さん……名前くらいなら。」

 

 私が首を傾げると、一人が周囲を見回し、声を潜める。

 

「実はね。」

 

 さらに顔を寄せてきた。

 

「川口さんのお父さん、行方不明なんだって。」

 

「え……。」

 

 その一言で、仙道さんの話が脳裏によみがえる。

 

 ――この町では、不審な行方不明事件が起きている。

 

 胸がざわついた。

 

「一週間以上帰ってないらしいよ。警察も家まで来たって。」

 

 一週間。

 それなら警察が来ても不思議ではない。

 そう思った矢先だった。

 

「でも変じゃない?」

 

 別の子が眉を寄せる。

 

「普通、行方不明だけで家まで来る?」

 

「事件なんじゃない?」

 

「誘拐とか……。」

 

「殺人とか。」

 

 その言葉に、輪の空気が一瞬だけ重く沈んだ。

 

「しかもね。」

 

 最初の子がさらに声を落とす。

 

「川口さんのお父さん、家でDVしてたって噂なの。」

 

 誰かが小さく息を呑んだ。

 

「だから家族が何か知ってるんじゃないかって疑われてるんじゃない?」

 

 そこから先は、いつもの噂話だった。

 好き勝手な推測が飛び交い、誰も確かなことは知らない。

 

 もちろん私は、死害のことなど口にしなかった。

 話したところで笑われるだけだ。

 

 いや、それに……。


 行方不明なんて、日本では珍しい話じゃない。

 年間に何万人もいると聞いたことがある。

 仙道さんの言葉と結び付けたのは、私があの話を聞いてしまったから。

 

 ただの偶然。

 

 そう考えた方が、ずっと自然だった。

 いや……そう思いたかった。

 

 ★☆

 

 宿題は、結局ほとんど進まなかった。

 机に頬杖をつき、私は何度目かのため息を漏らす。

 

 その時だった。

 

 ――カチャリ。

 

 静まり返った住宅街に、金属が擦れる乾いた音が響いた。

 

 私はゆっくりと顔を上げる。

 開け放った窓の先。

 朝霧家の門が、静かに開いていた。

 

「……美咲さん?」

 

 思わず身を乗り出す。

 だが、門から現れた人物を見た瞬間、息が止まった。

 

「……誰?」

 

 細身の女性。

 長い黒髪。

 眼鏡を掛けている。

 そして、その服装。

 

「浴衣……?」

 

 違う。

 私は目を凝らした。

 

「あれ……病院の……。」

 

 白い病衣だった。

 

 街灯の青白い光を浴びながら、その女性は一度も振り返ることなく、とぼとぼと夜道を歩いていく。

 

 足取りは弱々しい。


 まるで操られた人形のように。

 

 私は咄嗟にカーテンの陰へ身を隠し、その後ろ姿を見つめる。

 

 ……誰なの?

 朝霧家から出てきたの?

 それとも、今まであの家にいたの?

 

 距離が遠く、顔までは見えない。

 胸の鼓動だけが、少しずつ速くなっていく。

 

 その時だった。

 女性の足が、不意に止まった。

 私は思わず息を止める。

 

 ……気付かれた?

 街灯の下で、女性はゆっくりと首を動かした。

 こちらを振り向こうとしている。

 

 その瞬間、私は反射的に窓から身を引いた。

 鼓動が耳の奥で激しく鳴る。

 

 ――見失う。

 

 その焦りだけが私の体を突き動かした。

 気が付けば、私は部屋を飛び出していた。

 階段を駆け下り、玄関へ向かう。

 止めようと思っても、足は止まらなかった。


  


 

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