六話目 彼氏作戦
「はぁ!?」
思わず声が裏返った。
「何言ってるのよ!」
私は桃花くんを睨みつける。
「あんたみたいな怪しい人、悠斗くんに会わせるわけないでしょ!」
昨日会ったばかり。
突然現れて。
訳の分からない話をして。
挙げ句の果てには、死害なんて存在を持ち出してきた人間だ。
そんな相手を、悠斗くんに近づけられるわけがない。
しかし、桃花くんは困ったように眉を下げると、両手を合わせた。
「お願い。」
「……は?」
「いいじゃん、別に。」
子供みたいに手を合わせたまま、首を傾げる。
「ね?」
「嫌よ。」
即答した。
すると桃花くんは不満そうに頬を膨らませる。
「えー……。」
そして、ちらりと私を見る。
「でもさ。」
その一言で、私は少し身構えた。
「気になるんでしょ?」
「……。」
「だって、さっきあの大きな神社まで行って、助けを求めてたじゃん。」
私は目を見開いた。
背筋に冷たいものが走る。
「……なんで知ってるの?」
自然と声が低くなる。
桃花くんは一瞬、視線を逸らした。
その仕草だけで嫌な予感がした。
「あんた……私のこと尾けてたの?」
思いついた言葉をそのままぶつける。
「違う違う。」
桃花くんは慌てて手を振った。
「じゃあ、なんで知ってるのよ。」
「えっと……その……。」
急に歯切れが悪くなり、目が泳ぎ始める。
「ほ、ほら!あそこの宮司さんが連絡してきたんだよ!」
「連絡?」
「そう!電話で!
そ、それで、昨日の女の子かなって思って……」
そこで言葉を止め、ぎこちないつくりを見せた。
「だから、別に後をつけたわけじゃなくて……。ホントだよ。」
……。
もう少し、上手に隠しなさいよ。
言葉はしどろもどろ。
視線は落ち着かない。
どう見ても怪しい。
私は思わず、ふっと笑ってしまった。
「なによ、それ……。」
呆れたというより、少し緊張が抜けた。
だけど。
彼の言っていることは、全くはずれてはいなかった。
確かに私は気になっている。
確認したい。
悠斗くんが本当に危険な存在なのか。
それとも――。
何も知らないまま、巻き込まれているだけなのか。
もし後者なら。
私は助けなければいけない。
そう考えると、答えはもう決まっていた。
「……まあ、いいわ。」
私は小さく息を吐く。
「ただし。」
桃花くんを見る。
「仮にあなたたちの言う『死害』っていうものが関係しているとして……。」
一瞬、言葉を選ぶ。
「悠斗くんに会えば、それが分かるの?」
桃花くんは顎へ手を添え、空を見上げた。
「うーん……。」
少し考えるような仕草。
「小夜がいれば、たぶん一発なんだけど。」
「小夜?」
聞き慣れない名前に首を傾げる。
「誰それ。」
「僕の仲間。」
「仲間?」
「うん。」
桃花くんは何でもないことのように答える。
「彼女、鼻が利くから。」
「なにそれ、まさか犬みたいに匂いで分かるとか言わないでしょうね。」
「あ。」
桃花くんは少し考え込む。
「そういえば犬神だから、ある意味では犬なのかな。」
「……。」
言葉が出なかった。
風だけが、私たちの間を通り抜ける。
「違うからね?」
桃花くんは慌てて付け足す。
「ちゃんと人間の姿してるし、友達だから。」
……そこじゃない。
突っ込みたいところは山ほどある。
でも、もう何から聞けばいいのか分からない。
「彼女なら、こういうのはすぐ分かるんだけどね。」
桃花くんは少し遠くを見る。
「今は四国に帰ってるんだ。」
「はぁ……。」
間の抜けた声が漏れた。
もう驚く気力すら薄れてきた。
「僕でも多少は分かるんだけど。」
桃花くんは腕を組んで続ける。
「でも、小夜みたいに匂いで感じるわけじゃない。」
「じゃあ、どうやって?」
尋ねると、桃花くんは少しだけ黙った。
そして。
「雰囲気……かな。」
眼鏡の奥の瞳が、静かに細められる。
「オーラって言えば近いかも。」
その表情から、先ほどまでの軽さが消えていた。
「だから、相手が上手く隠していたら……僕でも見抜けない可能性があるんだ。」
要は、確実に分かるわけではないということね。
私は唇を噛み、しばらく視線を落とした。
胸の奥で、不安がじわりと広がっていく。
けれど……他に頼れる相手なんて思い浮かばない。
小さく息を吐き、私は静かに頷いた。
「いいわ。でも……仮に悠斗くんが、その死害と何か関わっていたとしても、手荒な真似はしないで。
もしかしたら、何か理由があるのかもしれないでしょ?」
それは釘を刺す言葉というより、願いに近かった。
あんなに人懐っこく、無邪気に笑う悠斗くんが。
そんな恐ろしい存在と繋がっているなんて、どうしても信じられない。
――まずは助ける。
それだけは譲れなかった。
私の真剣な眼差しを受け、桃花くんは意味ありげに口元を緩める。
「まぁ……状況次第かな。」
曖昧な返事だった。
まるで。
――どうする?
そう問いかけられているようで、私は少しだけ眉をひそめる。
「いいわ……」
小さく頷いたあと、話題を変えるように尋ねた。
「それより、さっき何て返事したのよ?」
私はスマホを取り出し、送信履歴を開く。
そして、思わず目を見開いた。
『もうすぐ家に着くわ。でも……彼氏と一緒だけど、それでも良かったら♡』
「なにこれ!? 彼氏って誰よ!」
思わず桃花くんへ詰め寄る。
すると彼は、にっこり笑って何も言わずクイクイと自分を指差した。
「やめてよ、本当に! 誤解されるでしょ! それに何、このハートマーク!」
私はスマホを突き付ける。
「頭おかしいんじゃないの?」
その瞬間。
桃花くんは眉尻を下げ、心底残念そうな顔を崩した。
「えぇ~。良い作戦だと思ったのに。
いきなり男が一緒だったら警戒されるでしょ?
彼氏なら自然かなって。」
「全然自然じゃない!」
思わず大声が飛び出す。
私はぷいっと顔を背けた。
――大丈夫なのかしら。
こんな人に任せて。
もしかして、とんでもない選択をしてしまったんじゃ……。
そんな私の不安などお構いなしに、桃花くんは楽しそうに歩きながら話し続ける。
「ねぇ、それで設定どうする?
幼馴染? それとも同級生?
あっ、初デートって設定でも――」
「設定増やさないで!」
深いため息が漏れた。
結局そのまま、私は桃花くんの独り言を聞き流しながら家路についた。
★☆
住宅街へ入る頃には、日はすっかり傾き始めていた。
西日が家々の影を長く伸ばし、辺りを赤黒く染めている。
その中で。
私の家の前に、小さな人影がぽつんと立っていた。
「あっ……悠斗くん。」
私は思わず笑顔になり、大きく手を振る。
「悠斗くーん!」
私の声に気付いた悠斗くんが、ゆっくりと顔を上げた。
――その瞬間。
胸がざわつく。
何かがおかしい。
目を大きく見開いた悠斗くんは、私ではなく、その後ろをじっと見つめていた。
次の瞬間。
勢いよく駆け出す。
「えっ……!」
思わず身構え、一歩後退った。
だが悠斗くんは私の横をすり抜け、そのまま桃花くんの前で足を止めた。
小さな拳をぎゅっと握り締める。
「お前が……紗季姉ちゃんの彼氏か!」
思わず振り返る。
悠斗くんが真っ直ぐ指差していたのは、桃花くんだった。
桃花くんはきょとんとした顔で見下ろしていたが、すぐに口元がゆっくりと吊り上がる。
「はじめまして、悠斗くん。」
にこりと笑い、右手を差し出した。
「"紗季ちゃんの彼氏"の、たかしでーす。よろしくね。」
――誰よ、『たかし』って。
偽名まで用意してたの?
しかも。
どうして子供相手に、そんなに挑発してるのよ。
「ち、違うの、悠斗くん! この人はね――」
慌てて割って入ろうとした、その時だった。
悠斗くんは振り向きもせず、頬を真っ赤に染めたまま桃花くんの手を払いのける。
「お前、勝負だ!
紗季姉ちゃんは、誰にも渡さないからな!」
「えぇっ!?」
思わず声が裏返る。
その横で。
桃花くんは前髪をかき上げると、悠斗くんの目線までゆっくりしゃがみ込み、どこか愉快そうに微笑んだ。
「いいよ。」
その笑顔を見た瞬間。
――ほんの一瞬だけ。
さっきまでの桃花くんとは別人のようだった。




